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汚れ仕事 1

 日はまだ高く夏の訪れを報せるように、蝉がミンミンとうるさかった。


 館の近くの食事処に立ち寄ると、飲み物と甘いものを注文する。


 四人がけの机が六脚入った割と大きな店で、酒も出すので、昼時を回ったこの時間でもそれなりに賑わっていた。


 行政地区に近いせいもあり、治安は良くガラの悪い男どもがくだを巻いている姿はない。

 皆お上品に盃を交わしている。


「お呼び?」


 店内の死角から突然少女が姿を現す。


 突然とは言ったが、私の方では了解済みだ。なぜなら私が呼びつけたのだから。


「そこにいたのか。気配の消し方が日毎にうまくなってるな」


「……がとう」


 極端な恥ずかしがり屋で、声も小さい。褒められた事に動揺したのか、始めの「あり」が聞こえなかった。


 彼女は四六時中、私を監視している。


 そのような事をしても誰も褒めはしないし、ましてや一文の得にもならないとは思うが、向こうで勝手にそこに意義を見出しているのだから仕方がない。


 いわゆるストーカーである。


 村の外れで見つけた身寄りのない少女であったが、食事を与えているうちに、懐かれてしまった。


 合図を出せばいつでもどこでもこうやって姿を現すが、決して常時姿を見せたりしない。


 呼ばない限りは物陰に隠れ、私の監視を怠らない。


 せっかくなので時々用事を言いつけてやるのだ。


 今は、私が『草』と呼んでいるささやかな諜報機関の棟梁として使っている。


 性を英、名を江という。英江えいこうである。字は無い。


 いくつかの報告を受けた。


 北方では鮮卑が漢の領土を脅かし、西方では諸部族が交易路、いわゆるシルクロードを遮断しているという。


 羅馬では剣闘好きな愚帝が即位したそうだ。


 少しづつ狂いを生じさせながらも概ねいつものように世界は回っている。


「今すぐに一つ調べて欲しいんだが。彼女の父親についてだ」


「了解」


 彼女の言葉は短い。

 そしてどこかに売り飛ばしてしまったように愛想も無い。


 普通ならば、本当に理解したの? と、不審に思われても仕方がない態度だ。だが、いつでも私を見ている彼女に、情報の齟齬はありえない。


 私の言葉が全く足りていなくても、彼女は私のお目当てを探し出すだろう。





 そこは予想以上に汚い場所だった。


 街のはずれに建てられたこの牢獄はゴミ溜めの中にあった。辺りは長沙の城中から集められたゴミで満ちていて、あらゆる悪臭がここに集結したような悲惨魔道の世界が広がっていた。


 一刻も早くここを離れたい気持ちでいっぱいになる。


 英江と会った数時間後、私は一人の死刑囚との面会を待っていた。


 死刑の日取りを待つ彼は、事あるごとに看守に命乞いをして煩がられているそうだ。


 こういう風に、己の罪を顧みずに命を惜しむ奴は、釈放されたとしても間違いなく同じ罪を繰り返す。


 罪科は婦女暴行に殺人。


 幾人もの女性をかどわかし性処理の道具にし、道端に捨てたという。


 彼が連れて来られるまで、私は粗末な上に傾いた椅子に座り陰鬱な気分に浸っていた。


 自分で選んだ道だとはいえ、これから行うのは汚れ仕事だ。気が重い。


 できることなら止めてしまいたいが、一度始めたことなので、最後まで面倒を見ようと思う。私はそういう性分なのだ。


 やがてこの狭い、向かい合わせにある入口の扉二つ以外には真ん中をニメートル程の柵で区切っただけの小部屋に引っ立てられて来た男は、私の注文通りの人物だった。


「なんだてめえ、何しに来やがったんだ? 俺はてめえなんぞ知らねえぞ」


 煤けて汚い顔からど汚い台詞が飛び出した。私の顔は今豪快に歪んでいるだろう。


「それはそうだろう。私もお前のようなクズは知らない」


「おい、看守。面会は終わりだ。俺はこいつに用は無え」


 男は自分の背後にある扉に向かって怒鳴るが、そこに反応は無かった。


 何度か続けて呼びかけるも梨の礫である。


「無駄だ。看守には鼻薬を嗅がせてある。私の用事が済むまでは、お前を連れに来たりはしない」


 四十絡みの男だ。中背で小太り。あばたヅラでいかにもな小悪党である。


 身なりも言葉遣いも汚れ果てている。


 世の酸いも甘いも噛み分けて来た私ではあるが、この手の人間はどうも好きにはなれない。

 自らを諦めたような、さらに、それを免罪符にして己の矮小な欲望だけを充足させる為だけに生きているような生き物。


 人の善悪など無いのだし、そんな物を語るつもりはさらさらないが、こういう男こそを私は憎悪する。


「何が目当てだよ?」


「そうだな、お前の顔をまずもっとよく見せてくれ」


「な、なんだてめえ、薄気味悪い。寄るな」


 太い木の格子を挟んでいるが、その目は荒く。手や足ぐらいならば苦もなく抜け出られるだろう。頭だって入るかもしれない。


 近づくと、彼自身と室内の酸っぱい匂いがさらに私の鼻を曲げた。


「よく見るとそんなに似ても無いか。まあでも十分だな」


 どうにか加工すれば使えなくもないだろう。


 ある種、思いつきで彼を訪ねたのだが、また別の人間を探さずに済んで良かった。


 例えど汚い悪党であっても、無駄に命を奪う事はできれば避けたいのだ。


「な、なんなんだよ、一体よ」


「いやな、実を言うと、私はお前を買ったんだよ。喜んで売ってくれたぞ。看守長殿は」


 売る、という言葉に、最初は威勢の良かった小男の目に怯えの色が浮かんだ。自分の身が楽しくない状況に置かれそうだと判断したのだろうが、それは正解だった。


「ど、どういう事だ? てめえは俺をどうするつもりだ? 殺すのか? それだけは止めてくれ。俺に恨みでもあるのかよ。命だけは助けてくれ。俺は何でもするぜ。それこそ、強姦でも人殺しでも何でもな」


「その言葉の前半は、そのままお前にお返しする。お前が手にかけた女達は、お前にそう願いかけはしなかったか?」


「知らねえよ。覚えてねえ」


 男の顔を恐怖の色が染めていく。その太った体躯は二歩後ろに下がった。


「嘘だ。彼女達が不安に戦くのを見て、お前は悦楽に浸ったはずだ。そうだろう?」


「だったら、どうだってんだ。お前には関係ないだろうが。俺が女どもに何を語ってどの部位と仕草を愛してどう扱ってどう切り刻んでどこに捨てたのかなんて事は俺と女ども以外にはなんの関係も無い事だろう」


 開き直って突然激しく怒り出す。


「それはそうだろう。私もお前のようなクズは知らない。同じ事を二度言わせたぞ。それに、お前が殺した女達もお前に何か関係があったのか? だから殺したのか? 違うだろう」


 私は何をしているのだろう。思わず説教してしまっている。


 憂鬱な仕事はドライに速やかに終わらせて、サッサとこのような不快な場所からは立ち去るべきであるのに、無駄な時間を費やしている。


「なんだ。殺すなら早く殺せ。どうせ死ぬんだ。さっさと殺せ」


「もちろんそのつもりだ。だが、その前に聞いておきたい。お前は十数年前から薬物中毒になっているな?」


「ああ、それがどうした。お前がアレをくれるのか?」


 あっさりと明かした。問いかけには答えず、一方的に質問を与える。


「それはどこから手に入れた?」


「言わねえ」


「お前の妻と娘の名は?」


「それも言わねえ」


「妻にも薬を使わせたな?」


「ふん」


「お前に黙秘権など無い。このゴキブリ野郎が。キリキリ吐くんだ。そうすりゃあ、痛い目見なくて済む。アッサリと剄ってやる」


 一度言ってみたかったセリフを吐けて少し状況に酔っていた。


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