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 日が没し夜になった。


 私はいくつかの物を辛雋に用意させた。


 まず、蝋燭と蝋台、そして火種で、これは彼の傾斜した家屋に全てあった。


 あとは、縄を引っ張り出して来させた。

 それを五芒星にして地面に整えた。その五つの頂点に火を灯させる。彼には黒い服を着用させた。枝に垂れ下がる紙には、私が適当にそれっぽく印を書き記した。彼の顔にも泥を塗り、それを厄除けだと説明した。


 ただし、これらはただの雰囲気作りである。全て私の創作であり、なんの意味も由来も効果も無いので、本当にペテンそのものである。


 蝋燭は辛雋が暇に任せて拵えた物らしいが、不純物が多いようで、よく燃えたが、揺らぎが激しかった。


 暗い中に、三つの顔が浮かび上がる。辛親子と私だ。


 疲れていたのであろう、徐曠はあれから泥のように眠っていたので、倒壊寸前の家の中で寝かせてある。


「さあ、では始めよう。まずは、手で印を作って。こう。……、そうそう。指が攣りそうだって? そうか、じゃあ簡易バージョンでいいや。こうやって、こう。うん、それで、この陣の中に入るんだ。目は別に開けておいていい。え、今度は足が攣ったって? 緊張しすぎだろ。案外神経細いんだな。入った? うん。まん中まん中、そこそこ。そこで胡坐をかいて座って……」


 私はどちらかといえば、超常現象に対しては否定的だ。


 なぜなら、これまで生きてきて、一度も霊だとか、妖魔だとか悪魔とか、宇宙人とか神だとかに出会った事が無いのだ。


 遭遇したことも見た事も無い物は信じないし、信じる事ができないのだ。


 なので、霊とか神様とか妖怪とかそんな物に対する作法など知らない。


 ただ、漫画や読み物などでは、そういった類の怪現象を取り扱った物を読んだ事もあるので、それっぽい感じは分かるし、妖怪などの名前を耳にしたことはある。お伽話としては嫌いではないのである。


 ちなみに私自身は、手には適当に手折ってきた木の枝を握った。

 柏の木ではないが、それはこの国では特に神事に用いられたりはしないので、関係無い。


 そして、服は脱ぎ捨て、下着姿である。


 これは、ことさらに若い女性に裸体を見せびらかしたいとか、単に脱ぎたいとかいう変態的意図ではなく、これも雰囲気作りの一環である。


 こう敢えて説明すると、あからさまに嘘臭いが、他意はないのである。


「本当に、こんな事で悪霊を退治できるのかい? 君はそもそも何者なんだい? 二か月ほど前に、崇姫に請われて相談役になったようだけど。それ以外、君については何も分からなかった。君の住んでいた村の者に聞いても変な噂ばかりしか仕入れることは出来なかったしね」


 異様な格好の僕に眉根を寄せつつ辛鄒が問うた。

 王韙の身辺は常に洗っているようだ。愛する者の事を知りたいと思うのは当然のことだ。私に関しても、彼女に取入ろうとする悪い虫であるかと勘繰ったのかもしれない。


「私が何者かについては、ちょっと複雑なので、今度じっくり聞いて頂こう。だが、村の噂というのは少々気になるので、手短に伺いたい。どんなものがあった?」


 私は引きこもって暮らした隆中りゅうりゅうの山を思い出した。


 幸い、私はこの時代に無い技術をいくつか体得している。ちょっとした工作物を売るだけで大金が入ったので、生活には苦労しなかった。


 人を使って諸国の情報だけは耳に入れるようにしていたし、そのネットワークは今でも重宝している。


 それでも、なるべく目立たないようにひっそりと詩などを吟じて、耕作に励み、書を読んで暮らした。


 たまには村や、足を伸ばして町まで物を買いに出かけた。金は持っているが土着の豪族ではない、知識人で身形は異相、彼らは私を他に類を見ないという意味では、風変りな男だと感じていたに違いない。


 さぞかし碌でもない噂だろうと思いつつも聞いてみずにはおれなかった。


「では、気を悪くせずに聞いて欲しい。まずは、ヘンテコな風貌をした男だ。と、村人は語った。そして、下手糞な詩をよく謳ったし、教えて回った。と、童子は噂した。しつこく軟派された。と、村娘は怯えるように囁いた。商人は、いつも値切ってくるので閉口すると言っていた。老婆は破門された仙人のなり損ないじゃろうと言葉を紡いだ。最後に、これは複数証言だが、男色であるとの話も伺った。果たしてこれらは真実だろうか?」


 これは惨い。


 予想以上に変人扱いされている。


 それにいくつか私を陥れようとする恣意的とも思える嘘が混じっている。


 人はどうしても見た目の第一印象である程度人の好悪を決定してしまうのだ。それにしても、全て否定はできないまでも、最後の一つに関しては是が非でも削除願わなければならない。そして、噂の再飛散を防止せねばならない。


「風采については見ての通り、当世においては奇抜かもしれない。それ以外についても他者の感じた感想なので、一笑に付す事にする。が、遺憾千万、最後の一項に関しては事実無根であることを天地神明にかけても誓い、面目一新させて頂く所存だぞ」


「ほう、男は好きではない。と?」


「当たり前だ。女性が好きであると言う事は、曲げようの無い事実である。噂の内容に関しては、事実無根ではあるが、どうしてそう噂されるかについては、実は少々心当たりがある」


 これは逆恨みの産物である。


 私自身は世俗を離れ、山野に遊離していたが、聡明な士は才能を隠しきれないもので、古来から私の元を訪ねる者は少なくなかった。


 ある者は私を仙人と勘違いして、師事を求めた。

 ある者は、賢者と聞いて助言を求めた。

 またある者は、山賊の親分と勘違いして退治に訪れた。

 さらに、ある者は、将来有望な男とみて、娘を嫁にあてがおうとした。

 そして、王韙のように、私に臣従を望む者も数多いた。

 その中で、しつこく嫁にと食い下がる親子がいたので、最後にはこっぴどく怒鳴りつけて帰したことがあった。きっとその親か娘が意趣返しのつもりでつまらない噂を流したのだろう。


「その娘の何が気に入らなかったのだ? 若く美しい女性であったのだろう? 君は妻帯するには早くない年齢だと思うが。やはり……」


「それこそ愚問というものだ。富貴の豪族で、いくら見目麗しく、面向不背の美女であっても品性の下劣な女を嫁にしたいなどと思うか?」


 後のこととはいえ、あらぬ噂を吹聴するような輩だ。それ以前に一目見れば、私に嫁ぐに相応しいかそうでないかぐらいは判断がつく。


「御立腹のようであるが、一ついいかな? 今語ったのは、おおかた君の憶測、しかもかなりあやふやな当て推量に近いと思わないかい? 犯人として目された親子もさぞ心外に受け取るかもしれないよ。それでは、君が男を好きではない。という証拠にはならないように思うし、残念ながら噂を否定する材料にはならないようだよ。まあ、いいじゃないか。同性愛は決して悪じゃあないさ」


 確かに一理ある。が、それだけだ。彼女はただ、同性愛を賛美したいだけだろう。賛美とはいかないまでも、私を仲間に引き入れようという明らかな意図が感じられる。


 迷惑である。


 私も出蘆したからには、世間の評価の中に晒されて生きていかねばならないのであるから、モーホーであろうと根も葉もない噂をされては、気持ちよく日々を暮らす事ままならない。


「私は女性が好きだ。そこには揺らがない真実がある。例えば、あなたをこの場で押し倒して不埒な行いをすれば信じてくれるだろうか」


 父親の目の前で、正確には背後だが、娘を襲う旨の発言をした訳だが、聞いていないのか、当の父親の方では魂の抜けた人のように胡座をかいたまま不動姿勢であった。


「それは、私が同性愛者だと知った上でするのなら、あまり意味のない行為に思えるよ。死ぬ気で抵抗する事を織り込み済みなら、なんとでも言える。平たく言い換えると、不可能な事をするぞ、と脅かしても信用は得られない。反論はあるかな?」


「ある。あるぞ。では、あそこで寝ている娘を襲うことにする。私はどちらかというと幼い感じの方が好みなのでな」


 一体、苦し紛れに何を言い出したのだろう。私は。これはこれで噂になってはいけない類の発言だった。


「よし、では行ってらっしゃい。私と父はそれまで、ここでまんじりともせずに待つ。あえぎ声など一切聞こえない、というフリをするよ」


 出来る訳ねーだろ。どうあっても、私を同類に仕立てあげたいようだ。彼女には何を言っても無駄な気がしてきた。まともに取り合っては損をするだけかもしれない。


 ところで、我々に背を向けて座して次の指示を待つ狼男は、どういう気持ちでこの会話を聞いているのだろう。


「狼さん、狼さん、ここへ出て。あなたの不満を聞かせておくれ。例え不満が無くっても、ちょっと話に来ておくれ。私は見える。あなたが見える。遠い西の祠から、恨みを共にやってきた、あなたの心が私に見える」


 祝詞のように見よう見まねで独特の特徴をつけて、座った辛雋のやや上空に視線を漂わせ霊に呼び掛ける。


 即興詩のようなものだ。日頃から吟じていたので造作も無い。しかし、傍で聞いている辛鄒が吹き出したのは遺憾だ。私の才能は俗人には理解されにくいのだろう。


 それに比べて、父親の方は真剣そのもので、言いつけどおり目を半眼に開けて精緻な彫刻のようにピクリとも動かない。


 えい。と、木の枝を振ると、彼の身体はそちらにふらりとよろめく。逆に振るとそちらにゆらり。面白いのでふらりゆらりと幾度か繰り返した。これは一種のトランス状態だ。


 よっぽど暗示にかかりやすい男のようだ。


 私が枝をふわふわとホバリングさせると、彼の上体もふわふわと揺れた。そして旋回させるとオヤジもクルクルと回った。ちょっと気持ち悪い。


 隣に立つ美女ならまだしも、初老のオッサンを操っても実は楽しくないことに気付いてしまった。そろそろ終わらせたいと思う。


 診断するに、これはやはり一種の狂犬病なのではないかと思う。


 件の狼退治で保菌した狼に噛まれでもしたのだろう。普通は狼の顔になったりはしないし、発症したらもっと早くに命が失われるものだが、どんな症例にも例外はあるし、彼が特異体質だったのかもしれない。


 今後の命の保証はできかねるが、少なくとも、思い煩う気持ち、不眠、不安、畏れ、執り付かれる心だけはこれで解放できると思う。


 こんなものは要は、気の問題なのだ。気のせい、とも言う。

 病は気からなのだ。


「はあっ」


 気合いとともに、両手で握り直した枝をそれなりに痛覚を刺激する程度の強さで辛雋の頭に叩きつける。そうして、そのまま押し付けた。しばらく間を持たせて効果を待っているかのようなフリをする。


 動かない狼男に背を向けて、とどめのセリフを喰らわせる。


「ふう。これで悪霊は退散した。もうこれで……」


 さて、一件落着である。すぐに小娘をたたき起こしたら、主のもとへ戻らねばならない。


「おい。おいっ。あれはなんだい?」


「?」


 喫緊を報せる声に振り返ると、そこにはさっきまでそこにぼんやりと座っていた男の五倍はあろうかという銀毛の巨大な狼が聳え立っていた。



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