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 重い扉は何の前触れもなく、開かれた。


 樫でできた重厚な物だったが、その建物とは別に後付けされた新しい物だった。


 それは音も無く動いて、そこから一人の人物を招き入れた。


「どうだ。頭は冷えたかい?」


 それは、謁見した時とは打って変わって地味で布の多い服装に身を包んだ桂陽郡の太守だった。


 まるで下働きのような格好である。


 頭にも頭巾を巻いていて、顔の露出を避けているようだ。手には食事を入れた籠を下げている。


 入口にいた見張りはいつの間にか姿を消していた。


 食べろと言うので、籠の中身は二人で分けて腹に摂めた。


「さっきはああ言っていたが、本当のところは別の事を考えているんだろう?」


 徐曠は豚肉を野菜で炒めたものとおにぎりを箸でつついている。


 まあ、毒の心配はないだろう。

 殺される心配は、今は恐らくない。こうしてわざわざお忍びで我々に会いに来るのでもそれが分かる。


 殺すなら堂々とやればよいのだ。

 理由など後でどうとでもつけられる。


「そうですね。先程は口から出任せを並べたので、何を申したのか忘れてしまいましたが、このまま桂陽の援軍を待っても決して勝てないという事は私にも分かります」


「ではなぜ、あのように言ったんだい?」


「あの場では話をしたくなかっただけです。もし、こうして太守がここに来られなかったとしても、監守を誑かして渡りをつける算段でした」


「そうか。それは分かったよ。けど、あの場で話したくないというのは、裏切り者を心配しているのかい? だったら杞憂だよ。私の配下にそんな不届きはいないよ」


 虫でも追い払うような仕草で、部下の潔癖を主張する彼女は、また少し不機嫌そうであるので、ポーズではなく実は真性に怒りっぽい性格なのだろう。


「『人はその親愛する所において辟す』、という言葉があります。あなたが臣下を愛するあまり、その悪性に知らず知らずのうちに目をつぶってしまっていることもあります。それに、私にはどの道、あなた以外の人間を信用する事はできなかったでしょう。話もしない人間を信用する者はいませんからね」


「釈然とはしないが、そっちからしてみればそりゃそうかもしれないね。一応納得した。でも、そこまで秘密にするほどの話なのかい?」


 しかし、話は分かる方らしい。冷静に真っ当な主張には耳を貸す度量は、我が主には無いものだ。


「それは、同盟の確約を得てからお明かししたいと思います」


「馬鹿な。そんな不平等な公約があてに出来る訳ないじゃないか。ありもしない銭で鶏を買うような話だよ」


「ですよね。では、これだけはお教え致します。もっと側に寄って頂いていいですか? そう、では耳を近づけて、もう少し……」


「あゝ」


「なんで急にそんな艶かしい声をっ?」


「馬鹿、息を吹きかけるな。こそばゆいじゃないか。それに、子供が見ている」


「一人で盛り上がらないで下さい。私は何もしていません。それに、誰も見てなければ良い、というような発言は私の理性が困惑しますので、止めてください。あと、イヤらしく体をくねらせるのも禁止です。私の理性が以下同文ですので」


「そうか、君には色仕掛けは効かないのだな。自己を律するに卓抜した研鑽を積んでおられるようだ。恐れ入った。私はあなたを少々侮っていたようだ。済まない、謝ろう」


 子供扱いされた徐曠は我々の会話をさも汚らわしいもののように軽蔑の眼差しで眺めていたが、知った事ではない。


 彼女の中で私の株が暴落していようが、名誉が毀損されていようが、存在そのものが否定されようが、これはあくまで外交であり、接待である。


 この件に関して私の人格を彼女ごときに云々される謂われはないのである。


「……、そうか。言いたいことは分かったよ」


 私は、王韙の決意を語ってみせた。


 彼女が太守の座を力づくで奪い取る事を、だ。


「では、同盟締結でよろしいですか?」


「私が彼女に贈った『諾』の意は、彼女をこの城に受け入れる意志があることの意思表明のつもりだったんだよ。それは対等な関係ではないんだよ。あくまで、私の庇護下にある彼女が欲しかったんだよ。分かるかい?」


 首をがくりと落として、分かりやすく落胆している風で、声にも力強さが無くなっていた。


「よく分かりませんね」


「君も面白いね。まだまだ他所行きの態度のようだけど、私に対する物言いが実に不遜だ。まるで、自分は何をやっても絶対に死なないとでも思っているような風だ。そんな口の聞き方をする者は崇姫以外には一人しかいなかったね。いいよ。崇姫に語るように接してくれ。私はその方が心地よいのだよ」


「それはいいが、さっきの質問の回答がまだだぞ」


 いきなり言葉を砕いてみたが、彼女に鼻白んだ様子はない。本当に素で接してもよいようだ。


「そうだったね。うん。そうだな。少し言いにくい事だよ。率直にはね」


 どうにも要領を得ないやり取りだ。ハキハキと明快な話し方をする彼女には似つかわしくない。


 薄暗い牢の中なので、これまた明瞭ではないが、どうも彼女の顔には赤みが差しているように見える。


「どうしたんだ。急にもじもじして。厠なら我慢することはない。行って来るといい」


「違う。そういうんじゃない。うーん。これは身内意外誰にも言った事がないんだけど、この際仕方ないか。じゃあ、君だけこっちに来て耳を寄せてくれ」


「こうか?」


「そうそう。あのね……」


「やっ、止めろ。こそばいっ」


 お約束という奴である。


 堪忍して欲しい。彼女とは気が合いそうであるが、一方、こちらを冷ややかに見つめる徐曠との間には長安城のお堀並みの深い溝が掘られたようだ。難攻不落である。


 しかし、これではいつまで経っても何も進展しない事、千八百年後、日本の国会のようであるので、徐曠に室外に出てもらい話を進める事にした。


「有り体に言うと、私は崇姫に非常に強い愛情を抱いている」


 二人きりになると、彼女は大きく開いた目で熱っぽく語った。


 まるで、私が想い人ででもあるかのように。勘違いして、ありがとうが、口まで出掛かる程だった。


「だろうな。あなたが彼女に異常なまでにちょっかいをかけているのを聞いて、ある程度予想はしていたよ。でも、彼女の方では全くあなたの愛情表現には気がついていない。どころか、ただのいたずら好きの変態だと思っている」


 私の言葉の後半部分にやや傷ついた様子で彼女は応じた。


「だろうね。このままでは、彼女はどこの馬の骨とも知れない男に嫁がされてしまうのは明白だったんだ。だから正直、万庶の軍勢が南下してきたと聞いた時は、小躍りしたよ。これでようやく私の想いを遂げられるのではないか、とね。思わず万庶には賛辞を綴った書状を送ってしまったよ。紙片五十枚に及んでね。彼女をここに招き、万庶を防ぎ。愛の告白をして、永遠に愛し合う。そんな未来が、いや、そんな未来しか考えられなかったよ」


 女性同士で愛し合うのは決して悪いことではない。


 本気の恋ならば、応援してもいいくらいだ。

 だが、なにやら勿体無い気がするのは男の性ゆえだろうか。


 さらに、対になる相手が無く、無聊を託つ男性には特にそう感じるだろう。


 男性同士で愛し合うのは、好きにしたらいい。私には興味がない。応援してやる気にならないのは、これも私が男であるがゆえだろう。



 それにしても、謝辞を受け取った万庶の方ではさぞかし混乱したであろう。変に裏を読んで、撹乱する作戦とでも思ったかもしれない。


「ならば、崇姫の決意はあなたには誤算だったな。同盟はあくまで組まないで、長沙が落ちて、彼女があなたを頼るのを待つか?」


「そうだな、私は彼女という人格を見誤っていたよ。そのような行動を起こす人とは思っていなかった。気丈ではあっても、乱世の波に呑まれ、儚く生きる乙女だと、彼女を侮っていた。これは反省しなければならないね。はっきり言って、私は迷っている。どうして良いのか分からないよ。だから、初めの予定通りにしようと思う」


「初めの予定?」


「万庶の南下が始まった時からどの道、崇姫を手に入れる算段はついていたんだ。だからもともと、長沙との同盟はどっちでもよかったんだよ。私にとってね。だから、君達にひとつ試練を与えて、それを突破できたら応じようと思っていた。まあ、一種の余興みたいなものだよ。」


 腕を組んで私を見る彼女は、試すような目になっている。


「で、その余興とはなんだ?」


「簡単な事だよ。人を一人殺して欲しいんだよ」


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