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「閑話休題だな。続きを話そう」


「まだ懲りないんですか。あれからまだ半時程しか経ってませんよ。私の方がまだ手が痛いくらいです。馬鹿はやっぱり頑丈にできているんですね。もう一刻は気を失っていると思ったんですが」


 日はまだ高い様子で、小さく穿たれた二穴からは、燦々と日光が漏れている。

 まだ赤みを帯びてもいないようだ。少しばかり意識が飛んでいるが、そう長い時間ではなかったようだ。


 リミットは夜明けまでなので、余裕はある。


「馬鹿が頑丈にできている。というのは確かに正鵠を射ているかもしれない。大抵作りの単純な物ほど頑丈なのだ。だが、私に関して言えばそれは当てはまらない。複雑にして怪奇、繊細にして珠玉、だが、頑丈でもある規格外の生き物なのだよ」


「どうでもいいです。あなたを見ていると、馬鹿だから頑丈なんじゃなくて、頑丈だから馬鹿でも大丈夫であるように感じます。それより、さっき言っていた交易品ってなんなのですか? 普通に絹とかじゃあ……」


「まあ当然、その中には絹もあるだろう。青銅や鉄製品なんかもあるか。中華の鋳鉄は上質だからな。でもここの生産量では大したことはないし、荊州全体を見ても洞庭湖の南に銅山があるくらいでその他には大した産地はない。益州産を流すにしても通運があまりに手間だろうから、それならむしろ敦煌とんこうからの陸路、シルクロードを使うだろう。それよりももっと高価なものだよ」


「それは、なんなんですか?」


「それはお子様には秘密だ」


「駄目駄目、我を忘れちゃ駄目なんです」


 何かを懸命に我慢するように、目を閉じて深呼吸を行う。眉間と拳がプルプルしているので、やはり怒っているようである。


「そうだな、『人はすべからく事上にあって磨くべし』ってやつだ。実践は自分を磨く機会だ。私という大人物に出会った事を大切にして今後に活かすんだな。というわけで答えは己で探しなさい」


「腹立つー。あなたにだけは言われたくないです。むしろ、世界で一番尊敬に値しない人だと思っておきます。そして、それは終生揺るぎないという確信を今持ちました」


 ちょっと突き離してやると、とてつもなく距離が出来たようだ。彼女の眼の端が潤んでいるように見えたのは、指摘しない方が賢明だろう。


「では、続けよう。長沙郡についてどう思う?」


「まだやるんですか? いつになったらここから出られるんですか? 豊かでいいところです。荊州の南部では、交通の要所です」


「太守については?」


「姫様は嫌っているみたいだけど、稚由はそんなに嫌いじゃないです。のんびりしていて悪意が無い感じですしね。ただ、頼りないから、今の世の中では通用しないですよね」


「では、王韙について」


「そんな質問に意味あるんですかー? もう最後ですよー。稚由は姫様の第一の腹心ですよ。あなたなんかじゃなく、稚由なんです。それは当然、超敬愛しています」


 ぶうっ、と、ほっぺたを膨らませる。


「それはなぜだ? その忠誠心はどこから来るんだ? 私は考えてみれば、お前の生い立ちや人となりをほとんど知らない。私が召抱えられてまだ日が浅い事もあるが、何も知らないんだ。お前と王韙がいつどうやって出会って、どう暮らしてきたのか。何にも」


「なんなんですか、急に。圧が強いです。近づきすぎです。オッサンがうつります。私があんまり可愛いからって、必要以上に擦り寄って来ないで下さい。繰り返します。オッサンが移るから近寄らないで下さい」


 オッサンと呼ばれるのは心外だったが、それを言うと、気にしている事がばれて恥ずかしいのでしない。


 オッサンとは耐え忍ぶと書いてオッサンと読むのだ。


「てか、オッサンじゃねえよ」


 耐え忍べない事もある。

 てか、オッサンじゃない。断じてない。

 外見はまだ二十歳前後に見えるはずだ。ローティーンの彼女にしてみれば、それすらもオッサンの範疇に入るというのか。


 でも、彼女が正しいところもあるのは、オッサンはうつるという部分だ。


 オッサンと共生していると、次第に仕草や言動がオッサン化している事に気が付いて愕然とする。


 果ては臭いまでをも共有している事に暗然とする。

 それは、私ばかりではなく、オバサンだろうが子供だろうが若い女性だろうが、差の多少はあれども例外は無い。

 私はどうして世の中が全てオッサンにならないのか、不思議で仕方が無い。

 大抵、一家に一オッサンはいるのだから感染源には事欠かない。

 ことに、西暦二千年前後ぐらいになると、その傾向は顕著になっているだろう。


 便利な家電の普及などから家事を離れた女性が出産期意外は外へ外へと出、男性の職を奪い男性化する。

 そうなると世界の終末は近いと心得て危機感を持って欲しい。ともあれ、私はオッサンではない。


「で、教えてくれるか?」


「ふん、誰があなたなんかに教えてあげるもんですか」


 舌を出して拒絶している。


「王韙はこの乱れた世の中を本気で正そうと考えているのか? それとも、ただのさびしがり屋なのか?」


「そんな事、前者に決まってます。なんて不敬な事を言うんですか。オッサン」


 私が表情であまりにも嫌がり過ぎたのだろう。


 彼女の中で私の呼称が変化したらしい。今後はこう呼ばれることになるのだろう。憂鬱である。


「じゃあ、それを妨げるような事があれば、お前はどうする?」


「愚問です。邪魔する者があれば、消えて頂きますし、壁があるならば、壊して進みます。沼が横たわっていれば、姫様をおぶってでも飛び越えます」


「そうか。お前の気持ち、しかと聞いた。では、最後に私について、どう考える?」


「オッサンは……、嫌いです。最初から最後まで、裏も表も何でも全部見透かしたような顔して威張っていますから。大嫌いです……」


 彼女の言葉には続きがあるように思えたが、その先はぼんやりと見えにくかった。


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