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妾は父を殺す事にした1

その眉間に深い皺を刻んだ男は、手にした鈍い刃のように瞳をギラつかせていた。


そこに見出せるのは追いつめられた者の狂気じみた暗い欲望と意思。


 絶体絶命の男は部屋の入り口を背にしている。周りは衛兵や屋敷の使用人などが取り囲んでいる。そして背にしたその扉の向こうにはさらにたくさんの声がする。

 四方数百メートルに彼の味方はいないのだ。


 武装した警備兵を多数相手にしては、よほどの手練でも生き残る可能性はどうしたって低い。


 自害に至るか斬り結んで道連れをこさえるか、投降するか。残る選択肢はそんなところだろう。絵に描いたような絶体絶命さ加減である。


こういった状況でありがちな手段として、人質を盾に逃げる、というのがある。そして、その人質は彼の手の中にあった。


「このような抵抗は無意味じゃ。早う投降せよ。妾はお主などにいいようにされるくらいなら、潔く死を選ぶのだぞ。それにな、お主は汗臭くて敵わん」


 キィキィと甲高い少女の声は弦楽器をハーモニクス奏法で早弾きするように、この広い空間を駆け巡る。


「貴様の命は俺が預かってるんだよ。俺の気持ちを下手に刺激しちゃだめだろ、普通。汗臭いくれえ我慢しやがれ。あとな、勘違いするなよ、小娘さん。俺はここから生きて逃げようなんて思っちゃいねえんだぜ。死出の旅路に出る前に、そのついでの用事を済ましておきたかっただけなんだ。まあ、ちょっとした義理を果たそうっていうそれだけの事なんだな。そうだよ。俺の役目はもう終わったんだ。生きている意味なんざねえ。あとはとっととあの世へ行くだけだ。ようやく解放されるんだよ、なあ、あの歪んだ景色から。嬉しいじゃねえか。なあ、小躍りしたいくらいだねえ。なんせ、これまでの俺の人生ったら無かったぜえ。聞きたいか。聞きたいだろ。え?」


 男の喋り方はどこかぎこちないように聞こえた。優等生が無理に悪ぶっているような背伸び感があったのだ。

 いや、何かにとり憑かれているような感じだろうか。


「聞きたい訳なかろう。臭い男の汗話など。妾にお願い事をするならば、まずは妾を開放し、身体を丹念に丹念に、丹念に洗って香でも浴びてからにせよ。あまりの臭いに口数が減りそうじゃ」


 想像はしにくいとは思うが、前の会話は人質と犯人の会話だと理解して頂きたい。


 彼女は男に背後から捕らえられ、刃物を突き付けられているのだから、状況から考えて、口数は減らした方がよいのは敢えて言うまでもないだろう。


 男の言うように相手を下手に刺激してもいい結果が得られるようには思えない。

 だからといって、彼女に何かその状況から抜け出す算段や自信があってそうしているのかという希望的な考えを持つのは、買被りになるのでよした方がよかろう。単に思った事を口にしているに過ぎない。


「威勢はいいようだな小娘さん。これは弄びがいがありそうだ」


 そういうと男は手の中の刃物を舌で舐めあげた。


 チンケな小悪党がやりそうな陳腐な行動を踏襲したので、私は込み上げるニヤニヤ笑いを堪えなければならなかったが、堪え切れなかったので鼻が痒いふりをしてごまかした。幸い誰にも見咎められはしなかった。


 この場に居合わせた重要な登場人物は私を含めて四名。

 誘拐犯とその人質、それに人質の父親。そしてこの私だ。 


 あとは、その他大勢の一般兵士、またはこの広大と表現してもおかしくない、大きな館の召使い達である。


 彼らはそれぞれ顔面に緊張感を漲らせている。

 傍で見ている私からすれば、そこに含まれる緊張感は段違いだとしても、犯人と人質を鬼にして、『達磨さんが転んだ』をしているようにも見えて笑える。


「いつまで舐めた口をきいていられるだろうなあ。おい。さっきも言ったが、俺は逃げ延びる算段なんて頭にゃ入れていねえ。それがあいつらの為にもなるんだろうしな」


 元はそれなりに立派な衣装だったのだろうが、幾日も監禁生活を送った人のそれのようなボロとなった服を身に纏う汗臭い男だった。


 実際、永らくそのような不自由な暮らしを余儀なくされていたのだろう。

 髭も髪も爪も伸び放題で、肌も汚れた色をしている。服だって汚れて綻びが目立つ。およそ客商売はできない風采である。


 まだ三十を半ばまでまわった頃だろう浮浪者然とした男は、手中にある少女に品定めするような下卑た目を這わせている。


 その視線に当然気がついた少女の方では、今にも吐きそうな嫌悪感丸出しの表情をありありと滲ませている。


 それは却って男の嗜逆心を刺激したようだ。

 ニヤリと相好を崩すと今度は少女に巻き付けた腕を緩め、その指先を貧相な胸元に滑らせた。


「いい反応するじゃあねえの。ビクッ、だってよ」


 クククと羞恥に身を固くする少女を嘲笑う。


「き、き、貴様。許さんぞぉ。グッチャグチャにしてやるからな」


 大抵『お主』であるはずの彼女の二人称が『貴様』に変わった。これは相当血が上っている証拠である。


 これはまずい。

このままでは無謀にも男から無理に逃れようと暴れることは間違いない。


 そうなれば結果は一つだ。あの汚い短剣の餌食になり、彼女は死ぬ。


 何とか彼女の暴発を止めなければならない。


「まあそう嫌うなって。長い長い監禁生活でよ、子供とはいえ、こっちも女なんて久々なんだ。おまけにもうすぐお陀仏なんだ。ちょっとくらいおイタしても御愛嬌ってな事で勘弁してやれよ。それによ、お前さんだって、死ぬ前に少しは男ってもんを味わっておきてえだろう。大して経験もなさそうだ」


 薬缶でも置いておけば、湯が沸きそうなくらいに顔面を紅潮させた少女は、あたふたとやり返す。


「な、何を。余計なお世話じゃ。貴様などに妾が味わうべきものを選択されるいわれは無い。それに、妾とて、経験の一つや二つ……」


 最後の方はもじもじと尻すぼみになってしまう。


「あるのか?」


「……ど、どどっちでもよいわ。き、貴様こそどうせ大した人生は歩んどらんじゃろう。犬に噛み付かれたようなナリをしておる」


 ないのだろう。明らかに話を逸らしにかかっているが、男は気にならないようだった。その点についてはさほど興味が無かったのだろう。


「そうか、よほど俺の半生を知りたいらしいな」


 幸いなことに、私の心配は杞憂に済んだ。男は語り出すと、一時卑猥な手つきを中断した。同時に二つの事が進行出来ないタイプの人間なのか、自らの話の方に集中したいのかは不明だったが、少なくともよほど誰かに聞いて欲しかったのだろう、己の身の上話を頼みもしないのに蕩々と始めたのだった。


少女も様子の変わった男に、怒りの目を向けたまま傾聴姿勢になりつつあり、状況は膠着状態に突入した。


 ここで、男が追いつめられて、少女が人質になった経緯を語らねばならな

いのだろうが、まずはこれまでの前段の経過から詳らかにしておかねば、話が咬み合わないので、迂遠な事ではあるがしばし私の長話にお付き合い願おう。

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