アタシと俺のお泊まり会
「ねぇユウ?電車、だよね?」
帰る時間になり、薫は優を引き止める。不安そうな薫の雰囲気を感じ取り、優は彼女の髪をくしゃりと撫でた。
「家まで、送るわ。」
「え?そういう意味じゃ、ないよ?」
「良いからいらっしゃい。家はどの辺?」
「ちょと、遠い。」
「そ。案内しなさい。」
「……うん。」
薫は映画の後から、自分が男の子の振りをしている事を忘れてしまっている様子だった。釣られて優までが男に戻ってしまえば、二人の間の均衡が崩れる気がして、普段よりも意識して優は女の子になっている。
「ユウ?」
「なぁに?」
「……今日、楽しかった。またデート、したい。」
自分は薫に振り回されていると、優は思った。
頬を赤く染めて目を伏せて、可愛らしい女の子が隣を歩いている。手を繋いで、優の存在に全幅の信頼を寄せている様子だ。
困ったなと思うと同時、それは酷く心地好い。
「次は何したい?」
「えっと…遊園地とか、行ってみたい、かも…」
「来週行く?」
「でも梅雨に入っちゃうね。」
「それなら梅雨が明けてからかしら?」
「うん!あ、図書館でお勉強デートもしたい。ユウ、頭良いでしょう?」
「学年首位に言われると腹立つわね。」
「だって中間までは、勉強しかする事無かったから…」
「デートのし過ぎで成績下がったとか言い訳されたくないから、次は図書館デートにしましょう。けってーい。」
「うん!楽しみ!」
ふふっと笑う薫の横顔に、優の心臓が高鳴り苦しくなる。どうにかしてしまいたい。だけどこの距離感も心地好くて、優は、動かない。
「立派なお家ね?」
「そっちは道場。家はこっち。」
家の方は平屋の一軒家。道場も家も古そうで、やはり立派だと優は思う。
「電車…心配だから、家に着いたら連絡もらいたいな……」
遠慮がちに紡がれた薫の言葉に優は内心首を捻る。痴漢などは撃退する自信があるが、素直に頷いておく。
「あれ?薫さん、お友達ですか?」
ふいに掛けられた声で、薫のスイッチが入ったのがわかった。優の目の前で、薫は女の子から男の子に変わる。
「ただいま、平間さん。学校の友人で、藤林優さん。」
「こんばんわ。藤林優です。」
ふわり女の子の笑みで微笑んだ優を、平間と呼ばれた上下白の道着で坊主頭の男は赤い顔で見つめる。がっしりとした体付きの彼は、まだ若そうだ。
「薫さんの高校のお友達ですか!どうぞどうぞ、お入り下さい。」
「いえ、もう帰る所ですので…」
「おやっさーん!大変っす!薫さんがお友達を連れて来ましたー!」
平間という男は人の話を聞かないらしい。頬を引きつらせた優が薫を伺うと、彼女も苦く笑っている。
「時間、平気なら寄って行く?」
「ご迷惑でないのなら…」
平間に呼ばれて現れたのは熊のような大男で、それが薫の父だと紹介され、優は酷く驚いた。全く共通点が見つけられない。生命の神秘だなと心の中で失礼な事を考える。半ば強引に家の中に招かれて、今度は現れた女性に見惚れた。
「おかえり。稔さん、そちらは?」
「薫の高校の友達だってよ。奈帆子、酒盛りだ!」
「高校生相手だ。無理に決まってるだろう。」
薫の母だと紹介された着物姿の女性は、薫とそっくりだった。女の子になった薫の姿を嫌でも想像してしまい、優の顔が火照る。
「綺麗なお母様ですね。薫くん、お母様に似てるのね?」
探りを入れてみる。彼女が学校で男の振りをしている原因が両親にあるのかを探ろうと思ったのだ。
母親の方は微笑むだけだったが、父親が痛みを堪えるような顔を一瞬した。
「藤林さんのお宅が平気なら、泊まって行くと良い。」
「え?それは…」
断ろうとした優は、視界に入った薫の表情を見て躊躇った。
彼女は頬を紅潮させて、期待している。女の子同士のお泊まり会でも思い浮かべ、うきうきが隠せない表情をしている。
優は、期待の眼差しに負けた。
「着替えをお借り出来るのなら、お言葉に甘えようかしら…」
「うん!貸すよ!女の子のお友達が泊まるなんて、小学生の時以来だ!」
やはりなと、優は肩を落とす。しかも薫は完全に男の子の振りを忘れている。平間がいなくなったからか、家に帰って気が抜けているのかなんなのか…。
薫の両親がほっとした様子で表情を緩めたのも、気になった。
優は自分の母親に連絡を入れ、野口家で夕飯をご馳走になる。話題は道場の話や今日の映画の感想が主で、隣の道場は古くからある流派で、薫の父親は婿養子で継いだらしいという事がわかった。
「ユウ?着替え置いておくね!」
風呂の扉越しに薫の声が聞こえた。着替えは良いが、確かめたい事がある。
「流石にアタシ、下着は男物なんだけど?」
「だ、大丈夫!全部兄さんのだから!」
「お兄さん?」
「う、うん…ゆっくり入ってね。部屋にいるから!」
「……ありがと。」
薫は嘘も誤魔化すのも下手だなと、優は苦く笑う。動揺する事柄なら伏せておけば良い。
「ほんと、可愛い子。」
風呂から上がって髪を乾かし、ウィッグを被る。ピンでは止めていない為に寝たら確実にズレるが、薫以外に見られなければ問題は無い。
「薫?入るわよ?」
薫の部屋には布団が二組。優が女の子だと思われているのだから当然だろう。
部屋に薫はいなかった。トイレだろうと考え、優は布団の上に座って部屋を見回した。女の子らしさが欠片も無い部屋だ。勉強道具と布団、男物の制服に、本は参考書か武術関連の物ばかり。完璧に男の子の部屋だ。
「ユウ、あのね、退屈かなって思って、漫画を持って来たの。お風呂入って来るから、読んで待っててね?」
「スポ根……」
堪えられず、大笑いした。
「わ、笑わないでよ!こういうのしかうちには無いの!」
「隣が道場で、漫画はスポ根…らしい!らし過ぎてもう、たまんない!」
余り笑い過ぎると薫が拗ねてしまうと思い、なんとか笑いをおさめた。だがもう手遅れだ。
「ごめんってば、ありがと。あんまりこういうの読んだ事ないけど、読んでみるわ。」
「面白いんだよ…?」
「読んでみるって。お風呂、行ってらっしゃい。」
「はーい」
着替えを持って出て行く薫を見送って、また笑い出しそうになるのを堪えながら、漫画に手を伸ばす。今まで敬遠していたが、読んでみれば面白い。集中して読んでいると、薫が風呂から上がって戻って来た。
「ね?面白いでしょう?」
「んー?そうねぇ。」
隣に座り、薫も漫画に手を伸ばす。いつの間にかスポ根漫画の読書会になってしまい、薫の欠伸で、優の意識は漫画から離れた。
時間はいつの間にか深夜を回っている。
「やだ!お肌荒れちゃう!寝るわよ!」
「えー、続き読む。」
「だーめ!あんたも寝るの。」
渋る薫を布団に引きずり込み、電気を消した。普段はベッドで寝ている優だが、布団も心地好い。横になれば一気に眠気がやってくる。
「兄さん…」
意識が夢へと沈む寸前、呟いた薫が胸元に擦り寄って来て、優は無意識に彼女を抱き締めそのまま眠りに落ちた。
***
目が覚めて、一瞬混乱した。
見覚えの無い天井。腕の中の柔らかな体。ぼーっと記憶を辿り、野口家に泊まった事を思い出した優は薫の体を抱き締め直し、再び目を閉じる。
「え、えと…ゆ、ユウ?あの……起き、起きて下さい……」
「うるさい。ねむい…」
「せ、せめて、あの…放して?起きられない…」
「やだ。お前も寝ろ。」
「寝れないよ……」
腕の中の存在がもぞもぞ動き、優は苛ついた。腕と足を巻き付け力を込め、動きを封じる。
「柔らかい…良い匂い……」
「ふやっ!ゆ、ユウ!て、手が…手…」
優の寝起きはとても悪い。いつもは姉達に乱暴に起こされている。それを知らない薫は覚醒に導く方法がわからず、優の体の下で彼が目を覚ますまで耐える羽目になったのだった。