アタシは乙女
その朝藤林家は騒然となった。
女装癖のある末っ子長男の同級生が迎えに現れたからだ。しかもその同級生、超が付く程の美少年。
「優、あんた…純情な男の子、騙したの?」
「変な想像してんな、夏菜。腐ってんのか?」
「腐ってないわよ!失礼ね!」
母が出迎え、薫は今、ダイニングで待たされている。
優の部屋に駆け込み騒ぎ立てる次女を適当にあしらって、完璧美少女に化けた優は自室を後にした。
「ただの友達?相手、あんたの事知ってんの?」
「しつけぇな!知ってる!教えた!」
「うっそ!それでもお迎えに来るって…」
夏菜の反応が面白くなって来て、優はニヤリと笑う。夏菜を引き連れてダイニングに入り、優に気付いてほっとした顔になった薫に駆け寄り抱き締める。
「紹介するね!アタシの恋人!野口薫さん!」
チュッと滑らかな頬にキスをすれば、薫の顔は真っ赤に染まり、両親と夏菜の顔色がさっと青くなる。
静まり返った室内。堪えられず、優は腹を抱えて笑い出す。
「……野口くん…優の性別は?」
「え?知ってます、が…あの……」
重々しく発された優の父の質問に戸惑いながらも薫が答えると、父の体からがくりと力が抜けた。まさか息子がついにそちら側に…と絶望している父の肩を母がぽんと叩く。
「この子多分、薫ちゃんだわ。」
叫んで騒いでいた夏菜も途端に黙り、父の頭の中は大混乱。そんな家族の姿を見て楽しそうにニヤニヤしているのは優だけで、薫は困惑しておどおどしている。そして、見破った母はと言うと、にっこり微笑み薫に真偽を確かめる。
「は、はい…あの……男に、見えませんか?」
「あら、そんな事ないわ。現に私以外みんな男の子だと思ったみたいですしね。」
「ならどうして……?」
薫の戸惑いの視線を受け止め、優の母である遠子は優しく微笑む。
「息子の性格考えて、表情を見てればわかるわよ。」
「流石母さん!すげぇ!」
自分よりも小さな母の体を抱き締め、優は笑う。
だけれど優は、薫と連れ立って玄関を出る時に一つ、爆弾を落とすのは忘れない。
「でも付き合ってるのはマジだから。」
赤くなった薫の腰を抱き、ニヤリとした笑みを落として玄関の向こうに消える優を見送った両親は驚きで呆然とし、夏菜は弟についての大ニュースを不在だった長女と三女に素早くメールで知らせたのだった。
「自転車、邪魔だからうちに置いて行ったら?」
玄関を出てすぐ、藤林家の壁際に置かれたロードバイクを見て優が告げる。
「あ、ではお言葉に甘えて…」
「シール貼ってないから、本当は学校に置いておくの不味いんでしょ?」
優の言葉に薫は苦く笑い、肯定した。
高校の駐輪場は、止められる台数が限られている。その為、自宅から学校までの距離で自転車通学か電車通学かが別れ、駐輪場を使うには学校の許可と許可を得た証のシールを自転車に貼らなくてはいけない。そのシールが、薫の自転車には貼られていなかった。
「今までよくバレなかったわね?」
「うん…裏門の側とかに、こっそり停めたりしてた。」
「それ、撤去されちゃったらあんた帰れなくなるじゃない。」
「そうなんだけど…選択肢、あんまり無かったし…」
隣を歩く薫の横顔をチラリと見て、優は薫の頭に手を乗せる。そして、黒髪をくしゃり掻き混ぜ、微笑んだ。
「丁度良かったわね?」
暗く沈み掛けていた薫の表情がゆるりと笑みに変わり、優はほっとする。この子は笑顔が可愛い。笑顔を引き出したいと、思った。
「ね、あんた休みの日は何してるの?」
「勉強、と…稽古。」
「えぇ?!花の女子高生が何してるのよ?」
「花…じゃないし…」
「口答えしないの!」
頬をふにり摘まむと、薫は困った顔になってしまった。
「ねぇ、デートしない?」
「で、ででデート?」
「動揺し過ぎ。初心なんだから!」
真っ赤になって狼狽える薫を抱き締めると、更に赤くなる。学校はもうすぐそこで、この表情は不味いなと、優は薫を脇道に引っ張り込む。
「可愛いけど、落ち着きなさい?女の子になってる。」
「う、うん…がんばる……」
大きく深呼吸をして、薫は落ち着いたのか男の子の顔になった。それを見て残念だと思う己の心に蓋をして、優は微笑む。
「では戦場にレッツゴー!」
「戦場、なのか?」
「そうよ?学校は学生の戦場。」
ふはっと笑った薫の手を取り、優は歩き出す。
秘密の共有者であり共犯者。そんな二人の平凡な学校生活は、今日も平凡に、幕を開けた。
体育の授業での薫は、まるでヒーローだ。
体育は男女隣り合ったコートを使ってバスケット。試合をしていない女子達は、男子の試合を黄色い声を上げて観戦している。
ボールを持った薫はドリブルしながらコートを駆け抜け敵を抜く。ゴール前でバスケ部の長身にディフェンスに入られると、ノールックパスで背後の仲間にボールを回す。ジャンプ力も高く、もう少し身長があればゴールリングに手が届いてしまいそうだ。
「優ってば、人気者の彼氏にヤキモチ妬いちゃうんじゃないのー?」
友人の一人である柚木倫にニヤニヤと頬を突つかれ、優は頷く。
「スポーツ万能よね。休みの日は何かの稽古してるらしいよ。」
「ほえー。野口くんって身長もう少しって感じだけど、きっとまだ伸びるよねー。」
「どのくらいになるのかしら?」
友人達とキャッキャと話しながらも、優は思う。薫の身長はもう伸びないだろうなと。伸びるのならば自分の方だ。背がニョキニョキ伸びた自分の姿を想像して、ぞっとする。
「ユウ?」
Tシャツの襟を伸ばして汗を拭いながら声を掛けて来たのは薫だった。薫が優に近付くと、気を使ったのか友人達が散って行く。
「薫、イケメン。」
「そうか?ありがとう。」
にこりと笑う薫は爽やかだ。
動揺して赤くなる彼女の愛らしい表情が見たいとうずうずしてしまうが、優はぐっと堪える。
「ユウ、気分悪い?大丈夫か?」
「どうして?大丈夫よ?」
「なら良いけど、なんだか暗い気がした。」
ぽやんぽやんしているようで意外と鋭いなという感想を抱き、優は彼女を眺めた。
汗が、細く白い首を伝ってTシャツの中へと滑り込む。
「ユウ?」
呼ばれ、ビクリと体が揺れた。
自分の頭に浮かんだ事に、カッと全身が熱くなる。
「暑い?熱?」
「う、ううん!な、なんでもないの!体育館暑いわね!もうすぐ夏かな?」
「まずは梅雨だよ。でも確かに暑いな。俺、汗臭い?」
「すげぇ良い匂い…」
ぼそり男の声で漏れた本音に、優は自分で動揺した。きょとんとした薫を置いて、逃げの選択をする。
途端友人達に囲まれ、茶化された。周りから見ると優はただの恋する乙女に見えたらしい。イケメン彼氏に見惚れて照れた可愛い女の子。
笑って友人の茶化す言葉に対応しながら優は、自分はまるで変態ではないかと、心の中で己を罵った。