アタシと俺
藤林家は六人家族。姉三人に囲まれ育った優はよく、姉達に遊ばれた。普通ならば男が女の服を着せられ化粧などされれば怒る所だが、優はそこらの女の子よりも可愛らしくなってしまったのだ。
鏡を見て優は思う。己の"女"としての期限が来るまで、可愛らしい自分を楽しまなければ損だと。いずれ嫌でも身体つきは"男"になる。声も、誤魔化せない程低くなるだろう。
刹那の期間の楽しみ。それが女装だった。
「ユウの部屋は、可愛い…」
ほんのり頬を染めてクマを抱く薫は何故か、優の部屋に入ると制服は男でも女の子にしか見えなくなる。不思議な生き物だよなと、自分を差し置いて優は考える。
「欲しいならあげる。」
「い、いい!いらない!」
「アタシいくらでも作れるもの。あんた用に作ってあげようか?」
「………俺の部屋には合わないから、いらない。」
それなら名残り惜しそうに撫でなければ良いのにと、優は苦笑する。男の格好をして男らしく振る舞う薫だが、どうやら可愛い物を嫌いではないようだ。
「ユウの家は、今日も誰もいないんだな?」
「そうね。うち、共働きだし、姉達もそれぞれバイトだなんだで帰りは遅いの。」
「お姉さん、いるんだ?」
「三人いるの。可愛い服借りたり出来るから便利よ。」
「サイズ、合うのか?」
「最近厳しくなって来たけど、一番上の姉は私と同じくらいの身長だから、まだ大丈夫かしら。」
うふ、と頬に手を当てて笑う優は未だ制服姿。薫に男を意識させるのは不味いのかなと考え、そうする事にしてみた。
「不思議だな。ユウは、女の子にしか見えない。」
「ありがと。色々頑張ってるのよ?」
無駄毛処理に肌の手入れ、その内ヒゲも問題になるだろうなとうんざり告げると、薫が笑った。
「俺はヒゲ、欲しいな。」
「あら、あげたいわ。アタシ可愛いのに、男だなんて本当勿体無い!」
声を上げて笑う薫は可愛い女の子だ。学校では男にしか見えない癖に、変な奴だなと優は手を伸ばす。
「すべすべ。なんかしてるの?」
「俺は何も。顔洗ったらそのままだ。」
「ダメよそんなの!油断してたら皺くちゃおババになるのよ?」
「でも、面倒臭い…」
「唇もぷにぷにで…美味しそう……」
「は?」
気付くと優は、薫を押し倒し掛けていた。自分の体の下で、無防備にきょとんとしている薫の唇を指先で弄ぶ。
「素材が良いのに勿体無い。アタシが欲しいわ!」
「あげられないから、無理だな。」
「冷静に言うんじゃないわよ!」
押し倒してそのまま脇腹をくすぐると、薫は身を捩って笑い声を上げる。
触れた脇腹は細く、括れている。彼女にもその内、期限が来る。その時彼女は、どうするのだろうか。
「あんた、あんまクラスの男に体触らせんじゃないわよ?」
「どうして?」
首を傾げる彼女は無防備で、危険だ。
「背は高い、筋肉も付いてる。でもあんた、体は女の子よ。触れられたら、バレるわ。」
すっと掌で背中を撫で、そのまま臀部、足をなぞる。途端真っ赤になった薫は起き上がり、優の体をそっと両手で押して離す。
「き、気を付け、ます…。」
「そうしなさい。自分を守らないと。」
「う、うん…。ユウは、女の子だ。」
「今はね。その内どうしても"女"じゃなくなるわ。……お子ちゃまなあんたには難しいかしら?」
にやり笑って柔らかな白い頬に口付けると、薫の頬が膨らんだ。その顔は可愛らしく、優が腹を抱えて笑うと益々頬は膨らみ、薫は拗ねた。
「ほら、暗くなる前に帰りなさい?また明日ね?」
「うん。明日、迎えに来るな?」
「気を付けてね?」
「大丈夫!」
部屋を出て階段を降り、自転車に跨った薫を優は玄関先で見送る。見えなくなるまで彼女の背を見送り、自室に戻った優はそっと溜息を吐く。
鏡に映るのは美少女の自分。だけれどうずうずと疼くこれは、不味いと思う。
期限はいずれやって来る。だけどそれは、まだ先のはずだ。
女物の制服を脱ぎ捨てて、化粧を落とす。ピンで止めていたウィッグも外して、男物の下着一枚で鏡の前に再度立つ。
「完璧男だな。」
鏡に映ったのは、細身だがしなやかな筋肉の付いた男の体。髪を伸ばすのだけは止めてくれと父に懇願された為、地毛は短い。
目を閉じて、薫の服の下を想像する。触れた体は細く柔らかだった。一度だけ、シャツ越しに見た胸も柔らかそうだった。
彼女は正真正銘女の子。
自分とは違う。真逆の存在。
渇望するこの疼きの意味から、優はまだ目を逸らす事を決めた。
暗い夜道を自転車で走り抜け、薫は自宅に辿り着く。
自宅横の道場の門を眺めてから目を伏せ、自転車を押して敷地に入った。
「おかえり、薫。」
「ただいま」
玄関を潜れば母に迎えられ、頭をくしゃりと撫でられる。そういえば優にもよくこうされるなと思い出して、無意識に薫の頬が緩んだ。
「学校、楽しいか?」
「うん。友達が出来た。」
「そうか。…着替えて来なさい。食事にしよう。」
返事をして、薫は着替える為部屋に向かう。入った部屋で男物の服を取り出し、胸に抱いた。
「ただいま、兄さん……」
制服を脱ぎ捨てサラシを外す。袖を通したのは、先程胸に抱いた男の服。少し大きい為に、裾と袖を捲った。
「薫……」
廊下で声を掛けて来たのは父で、大柄な父は、薫の姿を見て泣きそうに顔を歪める。だが何も言わず、ただくしゃりと髪を撫でられた。
「飯、食うぞ。」
「うん…」
己の行為が両親を傷付けている事も、余計に苦しめている事も、薫は理解している。
だけどやめる事は出来ない。
やめる事は失う事のようで…それはとても恐ろしくて…薫はまだ、現実を直視する勇気がないのだ。