コスプレな文化祭
一年一組の教室内は今、普段の様子が思い出せない程がらりと様相が変わっていた。窓に貼られているのは、黒いセロファンを切って作ったウサギやトランプ、薔薇にティーセット。ロッカーや黒板は暗幕で覆い隠され、壁にはダンボールで作った巨大トランプが並んでいる。トランプで囲われた床には一面風船が敷き詰められ、教室の前方では、水色のワンピースに白いエプロンドレスを着た女の子と大きなシルクハットに丈の長いジャケットを羽織った男、茶色いうさ耳を付けた男がお茶会を繰り広げている。
「はーい、時間でーす!」
敷き詰められた風船の中で遊ぶ客に終わりを告げたのは、袖と襟元がふわふわしたシャツに黒の執事服、白いうさ耳と尻尾を付けた男の子。白手袋を嵌めた手には懐中時計がありタイムキーパーをしている。
コスプレが本格的だと客を集めている一年一組の出し物は『風船の国のアリス』。ただ風船で遊ぶだけでは面白くないからと装飾と衣装に拘った、文化祭の出し物だ。
「優、もうちょっとやる気出すにゃー」
ニタニタ笑っているのは紫色の猫の仮装をした倫で、その隣には赤と黒の裾がふわっとしたミニドレスを纏った背の高い美女が立っている。
「これ暑いんだよ。薫はそれ、暑くねぇの?」
白ウサギの仮装の優は、受付用の机の上に座って薫を見やる。緩いウェーブのついた長い黒髪に、ハートがあしらわれたドレス姿の薫はハートの女王。
「暑いより恥ずかしい…」
「えー、薫っち可愛いって!明日は瑠奈と交換でアリスね?」
教室内のアリスは瑠奈。帽子屋が瀬尾で、三月ウサギは堂本なのだ。
二日間行われる文化祭。食べ物系は色々面倒だからと、一組は準備が大変でも当日は楽しむ事が出来る出し物を選んだ。
グループごとに交代して、受付と割れた風船の補充をする係をやるだけで済む為に、それ以外の時間は自由。優達は今、仕事の時間なのだ。
「あのぉ、お写真良いですかぁ?」
クラスの中でも優達グループの衣装は本格的で、遊んでくれた客限定で写真撮影の許可もしている。だけれど、机の上で偉そうに座っている優は営業スマイルどころか、とても嫌そうに顔を顰めた。
「冴子、姉さん…マジに来たの?」
カメラを構えて写真を撮らせろと言ったのはニマニマ笑いの冴子で、衣装の提供者が彼女だった。凛花から文化祭の事を聞きつけて、半ば押し付けられる形で提供されたのが優達が着ている衣装だ。
「かおかお男装やめちゃったん?でも美人さんやねぇ?」
「こんにちわ、冴子さん。女の子に、戻る事にしたんです。」
「そぉかい、そぉかい。かわえぇのぅ。」
パシャパシャカシャカシャ、冴子は薫のハートの女王を写真におさめる。衣装の礼を告げた倫も並んで撮られる側では、ニコニコ笑う凛花と顔を顰めた優が対峙している。
「あっれー?藤林が分身した?」
教室から顔を出したのは瀬尾で、入学当初の美少女の優と同じ身長同じ顔の凛花を見て目を丸くする。堂本と瑠奈も顔を出してそれぞれに挨拶と衣装の礼を伝え、優の一番上の姉だと知ると似ている事に納得したようだ。
「優?明日はどれを着るのかしら?」
「明日も来る気かよ?」
「当たり前じゃない。姉さん、あなたのアリスが見たいわ。薫ちゃんのアリスも見たいし……もういっそこの後着せ替え大会しちゃう?」
「しねぇよ。学校だと化粧直したりすんのめんどい。」
「でもお家だと他の子も一緒に撮れないじゃない。優にハートの女王着せて、薫ちゃんに白ウサギも良いわ。全部着てね?」
「家でな」
「ダメよ。この素晴らしい装飾を背景にしたいの。」
「やだ」
「あら、反抗的ね?それなら姉さんにも考えがあります!」
ぷくっとわざとらしく頬を膨らませた凛花は、薫へ近付いて突然泣き真似を始めた。
「り、凛花さん?!どうしたんですか?」
「あぁ薫ちゃん…優がね、意地悪なのよ。助けてくれる?」
「もちろんです!どうしたら良いですか?」
薫を味方に付けに行った凛花を見て、優は舌打ちした。一部始終を見ていた瀬尾が苦笑を浮かべて優の隣に立つ。
「なんか…お前の姉って感じの人だなぁ。」
「衣装押し付けて来た時点で嫌な予感がしたんだ。言っておくけど、お前ら全員オモチャにされっからな。」
「マジ?本物美女のオモチャなら俺っち喜んでなるよ?」
「馬鹿?あれがただの美女だと思うと痛い目見るよ?」
優と瀬尾が会話をしながらサボろうとしている気配を察して、堂本が呆れ顔で代わりに受付となって客を裁く。優と瀬尾は教室前に立っているだけでも客寄せパンダになる為に、堂本は文句を飲み込んだようだ。
瑠奈と倫は、仕事をしている振りでサボれる教室内のお茶会セットに腰を下ろした。薫はというと、凛花と冴子に捕まったままだ。
「あれ、救出しなくて良いの?」
「無理。薫、あいつらに懐いてるんだもん。」
「なんかさー、カメラ持ってる人、キャラ濃そうじゃね?」
「あいつは変態」
「藤林、変態寄せ付ける体質なん?」
「あー、瀬尾も変態だし?」
「俺はただの女タラシ」
「自分で言うなよ」
戯れ合う帽子屋と白ウサギ。冴子が気が付いて、ニマニマ笑いで寄って来る。
「良いね良いね。帽子屋さん、白ウサちゃんに壁ドンしてみよっか?」
カメラを向けられ、瀬尾の顔が引きつった。
「冴子オープン過ぎ。流石にやめろ。」
「えー、ゆーゆーのけちんぼー。かおかおとならやってくれる?」
「やだ」
「なら衣装代十万な?」
「てめぇ冴子。それ詐欺って言うんだぜ?」
「ならば私を詐欺師にしない為、プリーズ萌え!」
「帰れ!!」
優に怒鳴られても毛の先程も気にしない凛花と冴子だが、邪魔にならない為に一旦引いた。薫から係の終わり時間を聞き出したようで、その時間にまた来ると言って去って行く。その背を見送る瀬尾は、自分は関わらないでおこうと判断して教室に逃げ込もうとしたのだが、ガシリと優に肩を掴まれる。
「お前らそれ着た時点で逃げられねぇからな?堂本も。」
にっこり氷の笑みの優には、詐欺だなんだと騒いでも無意味だと、瀬尾と堂本は顔を見合わせて項垂れた。
薫はどうやら上手く丸め込まれたらしく、文化祭の記念撮影をみんなでやろうと倫と瑠奈を誘ったようだ。それに快く頷いた二人を見て、物は言いようだよなと優は思うが口には出さない。堂本もそれに丸め込まれ、写真を撮られるくらいならと結局は乗り気になった。
「…純粋って、怖ぇな?」
「瀬尾も純粋になれよ。ただの記念撮影だってさ。」
「藤林のその顔は信用なんねぇ。」
「ま、本気で嫌なら断って大丈夫だよ。十万だなんだは冗談だから。」
凛花も冴子も、ただ単に優をいじりたいだけなのだ。そして二人が薫と優を心配して見に来たのだろう事を、優はわかっている。
優と薫が本来の姿に戻った事は藤林家の全員に報告済みだ。学校で嫌な思いをしていないか。溶け込めているのだろうかと、凛花は心配しているのだ。
サボりを交えつつ緩く仕事をこなし、係交代の時間がやって来た。次のグループへと引き継ぎをやっている途中で凛花と冴子は戻って来たが、後ろに何かがついて来ている。優はそれを見て、小さな溜息を吐き出した。
「姉さん、背後霊がいる。」
「あら?私には見えないわ?」
「了解」
三人連れの軽そうな男達。どうやら凛花と冴子をナンパ中らしいが、全く相手にされていない。延々と無視された挙句の見えない発言に苛立ったらしく、凛花の肩を掴もうとした男の手を優が払う。
「その顔でナンパかよ?鏡見て出直して来い。」
守るように美女の肩を抱き、嘲り笑いの白ウサ執事男子。カッとなった三人の内二人が殴り掛かって来たのを優はなんなく躱し、近くにいた男の眼前で蹴りを寸止めした。
「次は当てる。消えろ。」
静まり返った廊下には、シャッター音だけが鳴り響いている。
たまたま見つけた美女をしつこくナンパしてしまったばかりに、美少年から顔の造作の事を突っ込まれ、尚且つ喧嘩でも格の違いを見せつけられた可哀想な男達は、しょんぼり肩を落として去って行く。
「ゆーゆーナイス蹴り!」
サムズアップして良い笑顔の冴子。優は彼女の額を連続で小突きながら顰め面だ。
「写真の為か?わざとか?自分らで撃退出来んだろ?」
「いやはやなんの事やら?白ウサ執事の戦闘シーンが撮りたかったなんてこれっぽっちも思っておりませんでしたが?」
「お前立ち位置おかしいだろ?背景気にしたろ?」
「うひゃひゃひゃひゃー、ええ写真撮れたでぇ!」
凛花はいつの間にやらその場を離れ、優のクラスメイトに笑顔で挨拶をしている。美少女の時の優そっくりの凛花に驚いていたが、優本人が男の姿で目の前にいる為に姉なのだと認識出来たようだ。凛花だけが目の前にいたら、優がまた女装をしているのだと勘違いされた事だろう。
「藤林ってさー、手じゃなくて足が出るタイプなん?」
一連の出来事を黙って見守っていた瀬尾が呟いた。冴子への制裁とツッコミを終えた優は少し考えるように目線を上に向けてから、頷く。
「触りたくない奴殴るのやだ。手、洗いたくなる。」
「お前さらりと性格悪くね?」
「瀬尾程じゃなくね?」
首を傾げ合う優と瀬尾を置いて、教室前の装飾を利用した撮影会は始まっていた。学校での着せ替え大会は諦めたようだが、写真は存分に撮るらしい。優にとってはいつもの事だから構わない。だが友人達は大丈夫だろうかと伺ってみて、それぞれに楽しんでいる様子の為に放っておく事にした。クラスの出し物にとっても写真撮影が気になって足を止めた人がそのまま客となってくれたりしており、そちらも問題無さそうだ。係のクラスメイト達も喜んで写真を撮られ、現像した写真を優経由でもらう約束をしている。
薫も、楽しそうに笑っている。
「姉さん、安心した?」
ニコニコして見守っている凛花へ近付き、優は声を掛けた。
「なんの事かしら?」
笑顔で首を傾げる凛花の視線はずっと、友人達と楽しそうにしている薫に注がれているのだ。
「帽子屋さんは優のお友達?」
なんだかんだと文句を言っていた瀬尾だが、結局彼も写真撮影に加わっている。凛花と並んでそれを見ながら、優は明るく笑った。
「薫とも友達。バイク好きだって。今度一緒に走りに行く。」
「そう。すっかり男の子ね?」
「寂しい?」
茶化すつもりで聞いてみたら、凛花の瞳が優へ向けられ、髪をくしゃりと撫でられる。
「背、伸びたわね?でもまだまだ、可愛い格好は似合うと思うわ!」
「はいはい。家でな。」
「なっちゃんとしずちゃんは恥ずかしがって付き合ってくれないんだもの。優だけよ。」
「自分で着たら良いのに。同じ顔だろ?」
「違うのよねぇ。私もサエサエも、"着る"んじゃなくて"見たい"のよ。」
「俺は着るの嫌いじゃねぇし。好きなだけ付き合ってやるよ。」
「ありがと、優。大好きよ?」
「はいはい、どういたしまして。」
呼ばれ、優は友人達の元へと歩いて行く。
戯れ合い、笑い合い、優も薫も笑顔が明るい。そんな彼らの様子を眺めながら、凛花は安心したように、優しく微笑んでいた。




