一年一組の憂鬱
一年一組の女子達は困っていた。
朝の衝撃的な暴露から少し時間が立ち、それぞれがそれぞれに、その事について考え続けている。
美少年でクラスの人気者野口くんが実は女だった。確かにそれは衝撃的。青天の霹靂。ワンコ系美少年が元の性別に戻るとこれまた可愛くて、ぽやんぽやんした女の子になってしまった。
だけれどそれより何よりも、女子達の心を悩ませているのは藤林優。姉御肌な美少女だった彼女は、実は女装が趣味の男の子だった。しかも、美少女に化ける事が出来ていたのだから当然だが、元の顔が麗し過ぎる。睫毛は長く二重瞼はパッチリ大きく、全体的に甘さが滲み出している。
暴露された時、彼は変態だと誰もが思った。
女子トイレに入ったのだろうかとか、女子の振りして何をしていたのかとか色々考えて嫌悪した。
しばらく考えて、これまでの藤林優を思い出した。
藤林優は、優しさがさり気ない。困っている時、誰も気付いてくれなくとも彼女は気付いて助けてくれた。
口は悪くとも、落ち込んでいれば励まし、笑顔を引き出してくれた。泣きたい時は泣けば良いと、ただ側にいて話を聞いてくれた時もあった。
彼女が男なら良かった。
一組の女子なら一度は考えただろうそれが、現実だったのだ。目の前に、"男"の、藤林優がいる。
胸がどうしようもなく高鳴り、切ない溜息を漏らしてしまっても仕方が無いのではないか。そうだ、仕方が無い。
だけれど彼は眩し過ぎて、どう近付けば良いかがわからない。野口薫とはまた違う近寄り難さは何故だろう。彼自身は気さくだ。だから恐らくそれは、彼の周りにいる人間の所為だろう。
三橋瑠奈も柚木倫も、藤林優とはいつも一緒で仲が良かった。その二人が今も側にいて、これまでと変わらない態度で接している。そして女の子だった野口薫の存在。
彼らは本当に付き合っていたのだろうか?
それともそれも嘘なのだろうか?
聞きたくとも聞けない疑問が溢れて、女子達は悶々としていた。
一年一組の男子も悩んでいた。
クラス一の美少女が男だった。それは確かに驚くべき事だ。彼女は確かに美少女だったが、中身を知ると友人になってしまい、恋愛感情は遠退いた。
男子達を悩ませるのは野口薫。彼もまた性別を偽っていて、本当は女だったのだ。
野口薫は普通の少年にしか見えなかった。スポーツと勉強が得意で、走り回る遊びが大好きだった為、休み時間には色々なスポーツで遊んだ。真面目で純粋で、男子達は友人として、野口薫が好きだった。
時には肩を組み、背を叩き、水遊びをしたりもした。その相手が女の子だったのだ。しかも可愛い。
涼やかな目元には色気があり、だけど何処かぼーっとしていて、笑顔がキラキラしている。背は高いが細くスラリとしていて、何処に隠されていたのか疑問になる胸がある。短い襟足が撫でる首筋は細く白く、見ているとドキドキしてしまう。
そんな彼女に、自分達は何をしていた?何を言っていた?
大分馬鹿な発言もした。女の子には聞かせられないような話もした。困ったように笑っていたのは、本当に困っていたのだ。恥ずかしくて堪らない。顔から火を噴きそうだ。
そしてもう一つ気になるのが、瀬尾航洋の存在。一学期は薫とよく行動を共にしていた彼は、女タラシなのだ。二学期に入ってから藤林優のグループと行動していたのも、女タラシ故だと男子達は考えていた。その瀬尾は、野口薫の事も藤林優の事も、前日とはいえ事前に知っていた。今は何事も無いように、二人の側にいる。なんだか負けた気分だ。
笑顔が可愛い人懐こい犬のようだった野口薫。
可愛い可愛いと愛でていた野口薫は女の子だった。藤林優はその逆だったが、二人は本当に付き合っているのだろうか?それすら嘘だったなら、自分にもチャンスがあるのではないか。
邪な思いを抱え、近付いて聞く事も出来ず、男子達は悩んでいた。
***
微妙な空気が充満する一年一組教室内。優と薫は、とりあえず気にする事はやめて友人三人と纏まって装飾作りを進めていた。
遠くの物を取ろうと立ち上がった薫に、一人の男子生徒が近付く。それに気が付き、薫はその男子生徒に視線を向けた。
「薫…」
深刻な表情で薫を呼んだのは堂本耀司だ。男友達の中で、薫が一番仲が良かった人物。
「なんか、このまま気不味いのとか嫌なんだよな。お前、女だったみたいだけどさ、俺らが友達なのは、変わらないよな?」
不安気に瞳を揺らし、堂本は問い掛ける。その瞳と言葉を受け止めて、薫の瞳が潤んだ。
「勿論だよ。これからも友達で、いてくれる?」
「あ、当たり前だよ!良かったぁ。なんか…航洋は知ってたのに俺は知らなくて仲間外れみたいでさ、少し寂しかった。」
「ごめんね、言えなくて。航洋は昨日たまたま会って、優の事を大事な友達って言ってくれたから…」
申し訳無さそうに目を伏せた薫に、気にするなと笑って堂本は肩を叩く。そしてそのまま、これまでのように肩を組もうとして、伸びて来た手に腕を掴まれ阻止された。
「ごめんなぁ?これまでは男って思われてたから我慢してたけどさ、ちょーっともう無理なんだよな。女の薫に、あんまベタベタ触らないでくれない?」
堂本の腕を掴んだのは、にっこり笑顔の優だった。ムッとした表情で堂本は優の手を振り払い、睨み付ける。
「どうして藤林にそんな口出しされなきゃなんねぇの?今まで普通にしてたし、藤林だって、柚木達に触るだろ?」
「うん、ごめん。自分の事はめっちゃ棚に上げるわ!だけどさ、俺のだから…触んないでよ?」
薫を抱き寄せて、優は断言した。
束縛だなんだと騒ぐなら騒げば良い。だけど不快な物は不快なのだと、優は開き直るつもりでいる。
「ゆ、優…恥ずかしいから、放して?」
「だーめ。お前の今の顔可愛いんだもん。他の男に見せたくない。」
とろりと甘い優の表情と声。
優の腕の中の薫は、顔を見なくともわかる程全身真っ赤に染まっている。
反論しようとした堂本の声は、発狂したような女子の声に掻き消された。赤い顔で何やら騒いでいる女子達の視線は、薫と優に注がれている。というより、独占欲丸出しで薫を腕に抱いている優に注がれていた。
「藤林さん…くん?もうなんだって良いけど素敵!!」
「言われたい!俺のって…俺のってぇぇぇ!」
「"だーめ"って何ぃぃぃっ!トキメキ殺す気なの?!」
「言われたいぃぃ!」
「奪還されたぃぃ!」
「隠されたいぃぃ!」
優の独占欲は女子のハートを撃ち抜いた。
女子の勢いと騒ぎように、優も面食らって固まった。薫も優の胸に張り付いて少し怯えている。そんな二人の様子すら琴線に触れたらしく、女子達は大興奮だった。
騒ぎがおさまる頃には息切れしてへたり込む者、胸が痛むのかおさえて溜息を吐く者と様々だったが、皆すっきりとした表情をしている。
「はー、眼福だわぁ…」
「藤林さんと野口くんだと、逆だったんだよねぇ。」
「なぁんか違うって思ってたんだよ。」
「そうそう。これだった訳だ。」
「藤林くんと野口さん、やっとしっくりー」
「これからもどんどんイチャイチャしてね!」
良い笑顔の女子達に、どうやら優と薫の本来の性別が受け入れられたらしいとわかった。優が破顔してお礼を良い、薫は戸惑いながら赤面した。
置いてけぼりにされた堂本には瀬尾が近付き、ぽんと肩を叩く。
「藤林マジ怖ぇから、触るの自重な?」
「……嫉妬深過ぎないか?」
「ま、嫉妬される方が喜んでんなら良いんじゃねぇ?」
「よくわかんない」
「だからモテないんだって、耀司は。」
「うるせぇ」
教室内の一角では瀬尾と堂本が戯れ合うように会話をして、また別の場所、教室の入り口付近では他クラスの男女が中を覗いている。
「なんか…心配損な感じ?」
「どうなんだろ?あ、三橋さん、柚木さんやっほー」
薫と優の事が心配で覗きに来た結花と修に気が付き、瑠奈と倫がやって来た。
「柚木、これなんの騒ぎなの?」
「んー?よくわかんないけど、優に信者が出来た感じー」
「わかんない。三橋、わかるようにお願い。」
「そうねぇ…優の台詞や表情、顔に、女子達がメロメロになったみたい。優ってば顔は良いから。」
にっこり笑った瑠奈の説明で、結花と修は理解出来た。中学の時にも優の信者はいたのだ。だけれど女装をオープンにして、恋人はいらないと公言していた為にアイドルのように愛でられていた。それを結花が説明すると、きっとそれに近いと倫と瑠奈が頷く。
「ならとりあえず、大丈夫なの?」
腕を組み、眉間に皺を寄せた結花が尋ねると、倫と瑠奈はニヤニヤ笑い始める。
「結花っちが心配なのは、優?それとも薫っち?」
「あら、両方よねぇ?結花さん?」
「う、うるさいな!二人で弄るのやめてよね!」
結花弄りで遊んでいる瑠奈と倫。動揺する結花。三人の側では修が微笑み、教室内の優と薫を眺めている。
女子だけでなく、男子とも普通に話せているようで、修はほっとした。
薫の心の傷は癒えた訳ではない。まだまだ問題もあるけれど、一先ずは山場を越したようで良かったなと、修は心の中で二人を労った。




