真の女子会
男達が去った優の部屋で、結花が立ち上がり、開いたままだったドアをそっと閉めた。振り向いた時の彼女の笑顔は、悪い事を考えていそうだ。
「ね!このファンシー部屋で女子会しようよ!」
「お!良い事言うねぇ、結花っち!」
結花と倫は意気投合して、いえーいと右手を打ち合わせる。瑠奈はベッドに腰掛けて面白そうねと微笑み、薫はいつものウサギを腕に抱いて顔を輝かせた。
「野口、もしかして女子会初?」
結花に聞かれ、薫は悩む。初ではない。だけれどあれは美少女の優相手で、数に入るのだろうか聞いてみると、微笑んだ瑠奈に頭を撫でられた。どんな話をしたのか聞かれ、薫は思い出してみる。
「お菓子食べて、アルバムを見たよ。そしたら優のお姉さん達が帰って来て、プロレスごっこしてた。」
「三人来たの?」
「ううん。その時はお静さんと夏菜さんだった。結花さん、会った事あるの?」
「そりゃね。よく来てたもん。」
薫がそうなんだと素直に呟くと、何故か結花は焦り始める。別に疚しい事は無かったとか、ただの友達として大人数だったという事をしどろもどろで言う結花を、薫は首を傾げて眺める。
「薫っち。結花っちはどうやら、"ヤキモチ焼かないでね?嫌な気持ちになった?"と言いたいみたいー」
「そうなの?大丈夫。ありがとう、結花さん。」
「わ、わかれば良いの。折角友達になったのに、変な風になりたくないし。」
赤い顔でそっぽを向いた結花は、倫と瑠奈に茶化されている。楽しそうな三人を眺めて、薫は破顔した。
「女の子とこんな風に遊ぶの、すごい久しぶり。」
あまりに薫が嬉しそうに笑うから、結花と倫の目は潤み、薫に勢い良く抱き付いた。
「薫っち!これからはあたし達とも遊ぼうね!」
「女の子らしく遊ぶよ!放課後も優ばっかじゃなくて私とも遊びなさいよね!」
「うん!すごく嬉しい、です。ありがとう。」
倫と結花に挟まれ揉みくちゃの薫に、瑠奈も手を伸ばしてぽんぽんと頭を撫でる。
「学校にも女の子で来るんでしょう?制服はあるの?」
「あ…………ない、です。」
途端しょんぼりと落ち込んでしまった薫に瑠奈は苦笑を浮かべ、結花は呆れる。だけれど倫が、良い事を思い付いたと人差し指を立てた。
「優と交換すれば解決じゃない?」
「いや、それは優に悪いから自分でなんとか…」
「まぁ買うのは良いと思うわよ?まだ二年ちょっと着るんだし。でも買うまでの間に借りるくらい良いんじゃないかしら?」
後で優に確認しましょうと話は纏まり、ふと、結花が思い出したように部屋の隅で畳まれていた薫のシャツに目を向けた。
「ボタン、私が付ける。良い?」
「え?悪いよ。後で優が付けてくれるって…」
「うっさぃ!やるの!野口、裁縫セットの場所知ってる?」
「あー、それ結花っちがやったの?女のバトル?」
「一人の女装男子を巡り、普通女子と男装女子がバトル。…シュールね?」
うふふと笑う瑠奈からふんと鼻を鳴らして顔を逸らし、結花は薫が出した優の裁縫セットを借りてボタンを縫い付け始める。
「わー、すごいね?私はできないんだぁ。」
「野口って不器用そう。」
「確か薫っち、調理実習でも混ぜる係しかやって無かったよね?」
「うん。でもね、料理は夏休みの間にお母さんに教えてもらって、今も練習中なの!」
キラキラ瞳が輝いた薫の頬を、にこり微笑んだ瑠奈が突つく。
「優の為かしら?」
途端真っ赤になった薫は、ニヤニヤした倫と瑠奈に弄り倒され、結花にもやだやだと笑われ困ってしまう。だけれどこうして、"女の子"として女の子と話すのはとても楽しくて、薫は笑顔が溢れるのが止められず、胸がほっこり、温かかった。
***
優の姉三人はバイトやら予備校やらで帰宅は十時過ぎ。父親も帰りが遅い日で、母遠子と一緒にみんなでカレーを食べた。
瀬尾、倫、瑠奈は電車通学で駅。結花と修は徒歩でそう遠くない為二人で帰る。
「薫、北南中だったよなぁ?なんでチャリ?」
不思議そうな瀬尾の言葉に、薫は困ったように笑う。兄の事があって以降駅に近付く事が出来ず、電車が怖いのだと告げると空気が重くなってしまい、薫は焦った。
「現場見た訳でも、兄さんを見た訳でも無いんだけどね!なんか…無理で……でもこれも、克服する!がんばる!」
ガッツポーズで笑ってみる。そうしたら優の手にくしゃりと髪を撫でられ、駆け寄って来た結花に抱き締められた。
「野口、ゆっくり。一緒にいてあげるから。」
「う、うん…あり、ありがとう、結花さん…」
「何泣いてんの?あんたって泣き虫。」
「そうなんです…泣き虫で、ダメダメで……」
まったくもうと怒ったように顔を顰めた結花の腕は優しくて、薫を見るみんなの瞳が優しくて、涙が止まらない泣き笑いで薫は腕で顔を拭おうとする。だけど優の手に捕まって、阻まれた。
「こいつ自転車だし、宥めてから帰らせる。今日はサンキューな?」
薫を抱き寄せた優は、笑顔で友人達に感謝した。
「友人の美少女が女装趣味の変態だなんて衝撃的だったわ。」
にっこり笑う瑠奈の言葉に倫も同意して、瀬尾には改めて変態と指を差された。修と結花ともまた遊ぼうと約束をして、帰って行く友人達を薫と優は見送る。
「俺の可愛い泣き虫さん?涙は止まった?」
「もう止まったもん。」
「そ。もう帰る?」
「うん。遅くなったし、帰る。」
「……ごめんな?送れなくて。気を付けて帰れよ。」
優に頬を撫でられて、薫はどうしようもなく、キスがしたくなった。お願いしてみようと、優の服の胸元を握って赤い顔で息を吸う。
「ゆ、優?」
「んー?どうした?」
柔らかで穏やかな優の声。彼の左手は薫の腰に添えられて、右手は優しく、髪を撫でてくれている。
「あのね…キスが、したいの、です…」
真っ赤になって、精一杯のおねだり。
「俺も」
言葉と同時、唇はもう重なっていて、柔らかく吸われる。
吸われて離れて、重なって。
優の舌が薫の唇の合わせ目を撫でた。じっとしていれば良いのか、何かを求められているのかわからなくて、薫はそろりと目を開けてみる。目が合った優は、蕩けるように笑った。
「…唇緩めて?」
「ん…」
掠れ声にドキリとした。
返事を待たず唇を塞がれて、薫は言われた通りに力を抜く。するり滑り込んで来た温もりは柔らかで優しくて、初めての大人のキス。
「今日、クマちゃん抱いて寝て?俺の分身だから。」
「うん。……今日は、寂しい思いをさせてごめんなさい。」
「もう良いよ。悪い事にはならなかったしな。」
優に見送られて、薫は自転車に跨った。胸の中にはドキドキと、ワクワクと、少しの恐怖。
大事に、大事に、縋り付くように抱えていた兄の面影。手放す事になるけれど、手に入れた物もあるから大丈夫だと、今なら思えるから…。
(兄さん、私…ちゃんと自分に、戻るね。)
ぐっと涙を堪えて、薫は自転車を走らせた。
自宅に戻った薫がまずした事は、自分の部屋で、男の子を脱ぐ事。脱いで、凛花からもらった女の子の服を着た。白デニムのタイトスカートに、グレーの半袖ロゴTシャツ。髪は手櫛で整えて、鏡で女の子に見えるかの確認。
「よし!……優、行ってくるね。」
茶色のクマを抱き締めてからキスをして、机の上に戻して部屋を出た。
居間には父と母が揃っていて、薫の姿を見ると父は驚き、母は優しく目を細める。二人の前に正座して、真っ直ぐ、両親の顔を見た後で頭を下げた。
「今まで、ご心配お掛けしてすみませんでした。ちゃんと女に、戻ろうと思います。だから、あの…制服を買ってもらっても、良いですか?女の子用の……」
遠慮がちに見上げた両親は、二人とも笑おうとして失敗した、変な顔。
「あた、当たり前だ。明日にでもすぐに、行くか?なぁ奈帆子?」
稔は何度も涙を飲み込んで誤魔化して、なんでも無い事の様に奈帆子を見る。話を振られた奈帆子は笑いながら、ポロポロ泣いていた。
「……すまない。年かな?どうしたものか…」
着物の袖で拭おうとするから、薫はティッシュを箱ごと差し出した。だけれど奈帆子の手は、ティッシュではなく薫の手首を掴む。引き寄せられて、薫は母の腕の中におさまった。
「心配掛けて…ごめんね、お母さん。」
「良いんだ。良いんだよ。お前はもう、大丈夫なのか?」
「わからない。けど…頑張ってみようって、思うんだ。」
「そうか…そうか……。あぁ薫。愛している。愛しているよ。大事な私達の娘。」
大きな父に母ごと包まれて、親子三人、身を寄せ合って泣く。
あまりに大きな物を失った。
愛する子供。
大好きな兄。
掛け替えのない存在。
稔の中でも、奈帆子の中でも、まだまだ悲しみは癒えない。
奈帆子は一人、毎晩のように仏壇の前で泣いている。
稔は道場の神棚の前。薫は優の部屋の中。
悲しみは癒える事など無いのかもしれない。だけれど生きているから、前に進む。
稔と、奈帆子と、薫。
三人を、写真の中の優が穏やかな笑みで、見守っていた。




