サボりの副産物
結花にも誰にもバラす気は無い。
詳しい事情も聞く気は無い。
ただ夏休みも含めて優が全く構ってくれなくなった事に対する腹いせだと笑って、修は練習に戻って行った。修は人の秘密をペラペラ話すような奴では無いと優が言った為、薫も信じる事にした。
「それで?薫は何しようとしたわけ?」
立ち膝でお腹には優の顔が埋まり、腰には優の両腕が回されている。なんだか恥ずかしい姿勢で、薫への尋問が始まろうとしていた。
自分の両手はどうすれば良いのだろうかと宙に彷徨わせていたら、優から頭を撫でるよう強請られてその通りにしてみる。ウィッグは優の髪とは触り心地が違っていて、薫は不満に思う。
「敵を知ろうと思って、探りを入れようかなって…」
「敵?」
顔がお腹にあるからか、優が話すとお腹に響くような感じがして落ち着かない気持ちになってしまう。
「結花さん…。今日、優の様子おかしかったし、何か出来ないかなって思ったの。」
「俺の為?」
「うん。…あ、でも、自分の為。優を取られたらやだなって…」
「………妬いた?」
「だって優、格好良いんだもん。」
唇を尖らせて本音を告げると、優がふはっと噴き出して笑った。肩が震えていて、その振動が薫の体にも伝わる。
「俺がおかしかったの、結花の事じゃない。クラスの男子を薫に近付けたくなかっただけだよ。」
「どうして?」
「………昨日の今日で、流石になんか…やだった。」
拗ねた声。優の腕に力が入って、薫のお腹に顔が押し付けられた。ポニーテールにしている為に丸見えの耳は、赤く染まっている。
「優…可愛い…」
きゅうんと、薫の胸が不思議な反応をした。思わず両腕で優の頭を抱き締めて、とても…とても愛しさが湧く。
「練習してて、気付いたら薫いなくて、荒井さんが具合悪いって言ってたって教えてくれて、保健室かなって見に行ったのにいなくて、挙句修からあんなメール来て、腸が煮えくり返った。」
優が駆け付けるのが速かったのは、スマホを片手に持って薫を探し回っていたからだった。薫と連絡が付かず心配していたと拗ねている優に、薫はとても申し訳無い気持ちになる。
「スマホ、持ってなかった。」
「知ってる。連絡付かなかったもん。……心配した。何かあったんじゃねぇかって。」
「ごめんね?」
「勝手に心配しただけ。………でも、キスして?そしたら全部チャラ。」
顔を上げた優に期待を込めた眼差しで見つめられて、薫の顔が火照る。だけど薫も、優と、キスがしたかった。
吸い寄せられるように近付いて、唇を柔らかく重ねる。すぐに離れようとしたけれど、優はそれを許してくれなかった。離れる薫を追うように優の顔が近付いて、また重なる唇。吸い付くようなキスで、優の右手が薫の頬を包み、左手に腰を捕まえられた。
初めての、とても長いキス。
離れた二人の瞳は潤み、お互いの真っ赤な顔を見つめ合い、今度はどちらからともなく、唇を寄せた。
いつの間にか薫の腰は抜けていて、優と位置が入れ替わっていた。頬にあった優の手が薫の腕を滑り、指を絡めて手が繋がる。覆い被さるようになっている優の左手に薫の腰は支えられて、二人は夢中で、キスをした。
心臓が痛くて、苦しくて、息が上がって、このまま唇から溶け合ってしまいそうな、今まで感じた事の無い感覚。
「なんか…すげぇ、頭ぼーっとなる…」
「……私も…でも、嬉しい…」
誰もいない空き教室。
遠くから聞こえる、体育祭の練習をする生徒達の掛け声。
現実なのに非現実的で、お互いの体を抱き締め合って、甘過ぎる余韻に浸っていた。
***
「優等生してると便利よね?」
手を繋いで練習に戻る途中、優が悪戯っ子の顔で笑う。何が便利なのかわからず薫が返事に困っていると、優はすぐに答えをくれた。
「サボっても本当に具合が悪いって信じて貰える。」
「……悪い事」
「まぁね。あんまり多用は出来ないわよ。」
二人が戻った練習場所では、何故かクラスの男女が対立していた。二人は顔を見合わせて、何があったのかわからない為に見守る事にする。それによってわかったのは、男子が熱血過ぎて女子が付いていけないと怒っているという事だった。
体育祭なんて遊びなんだから楽しめれば良いと主張する女子。
楽しむ為には勝利だと主張する男子。
そして中立の、なんでも良いよ組。
「薫ー、具合は?」
"なんでも良いよ組"らしき瀬尾に手を振られ、薫と優はそちらに近付いた。
「もう大丈夫。それよりこれ、どうしたんだ?」
「あー…なんか、藤林が抜けたのをこれ幸いと、男がリレーの練習厳しくしたらしくて、女が怒って、男女対決に発展した。」
「あら、なんだか責任感じるわね。」
瀬尾の説明に、優は苦く笑った。どうやら優のやる気の無さで男子の注目が優に集まり、他の女子には程良い状態が保たれていたらしい。
「昨日もアタシ、サボったけど?」
「サボりって堂々と言っちゃう辺りが藤林だよな?」
「まぁね。で?昨日は?」
「昨日も。で、今日もで女子爆発。」
「なるほどね。責任感じるわー」
「全然感じてなさそうだな?」
瀬尾もどうでも良いとは思っているが、騒がしいのは勘弁して貰いたいのだ。薫はというと、泣いている子も出ている為になんとかおさめられないものかと様子を伺っている。女子と男子の間では、実行委員の二人が困り果てて右往左往していた。
「優がサボるから大変な事になってるわよ?」
瑠奈も"なんでも良いよ組"で、優の隣に並んでどうにかしろと視線で訴えた。
「みんなサボれば良いと思わない?」
「それが出来たら苦労しないでしょう。倫も熱くなり易いから、なんか加わってる。」
瑠奈に言われて視線を向けた先、女子の先頭で男子と罵り合いをしている倫を見つけた。騒がしくて何を言っているのかはわからないが、幼稚な言い合いになっているようだ。
「これだけうるさいと先生もそろそろ来るでしょうね?それを待ったら?」
「それでも良いけど、頑張ってる実行委員が怒られそうで、可哀想。」
「瑠奈はそう言うくせに止めないのかしら?」
「私じゃ無理よ。怖いもの。」
「あら、アタシは怖くないとでも?」
「優は全然平気だと思う。」
「失礼ね」
優はわざとらしく溜息を吐き出した。その肩を瑠奈と瀬尾が叩き、二人はにっこり微笑む。
「あんた達、覚えてなさい?」
「藤林のサボりの所為だろ?」
「優、頑張って」
自業自得だと嘲笑う瀬尾とやる気の感じられないガッツポーズの瑠奈に見送られ、優は歩き出す。薫がついて来ようとしたのは視線で止めた。男だと思われている薫には、激昂した誰かが殴り掛かって来るかもしれない。そんな場所に、薫を連れて行く気は無かった。
「はいはいはい、一旦黙ってー!」
優が実行委員のいる中心に進み出ると、騒ぎは若干、おさまりを見せる。その間に女子の言い分、男子の言い分を聞いて纏めた。
「はい!これで解決後腐れ無し!」
優がパンッと手を叩くと、それぞれ納得したのか、馬鹿らしい喧嘩だったと気付いたのか散って行く。
だけれど怖かったようで、緊張の糸の切れた実行委員の女の子が泣き出してしまい、今度は優はそれを宥める。
「樋口さん、頑張ったね?ごめんね?アタシが発端になったみたい。」
「ふ、藤林さんの所為じゃ、ない…」
「怖かったね?すっきりするまで泣いちゃいなさい?」
「ふ、藤林さんが男子なら惚れるー!」
「そ?ありがと。」
本当の男相手ならそうは言われないだろうなと心の中で思いながら、優は彼女の頭を撫でる。
「樋口さん、大丈夫?」
「うん。少し怖かっただけ。野口くん病み上がりなのにごめんね?」
「俺の事は気にしないで?」
気にしないでと言われても、クラスの人気者野口くんに声を掛けられれば涙は引っ込んでしまったようで、樋口は真っ赤になって腕で乱暴に顔を拭おうとする。
「こら。目が腫れるわよ。ティッシュあげる。」
「ありがとー。ケース可愛いー」
「いる?嫌な思いをさせたお詫び。」
「え?悪い…」
「いらないなら良いけど、樋口さん頑張ってるからご褒美よ。アタシは作るのが好きなの。」
「なら…もらおうかな。ありがと、藤林さん!野口くんも、心配してくれてありがとう!」
後は彼女の友達に任せようと、優と薫はその場を離れる。隣を歩く薫を伺って、優は小声で聞いてみた。
「ヤキモチは?」
「流石に、これは妬かない。」
「そ?それも複雑。」
「難しいね?」
「まぁね」
手を繋いで歩く二人の結論は、サボりは副産物を生んで恐ろしい、という物だった。




