夏だから
日差しが降り注ぐプールサイド。可愛らしい水着を着た男の子が更衣室の前の日陰にしゃがみ込み、誰かを待っていた。エメラルドグリーンに淡いピンクの花柄の海パンを履いた彼は、薄手のパーカーのフードを被り、サングラスも掛けて日差しを遮っている。その体は白く細いが、程よく筋肉が付いていた。サングラスの下の顔はどうなっているのだろうかという女性達の視線の先で、彼は何かに気付いて立ち上がる。
「可愛い!けど惜しい!なんでタンキニ?」
男の子に突然ダメ出しをされてしまったのはモデル体型の女の子で、グリーンのホットパンツに、グリーンと白のストライプのキャミソール型の水着を着ている。首を傾げてきょとんとしている彼女はどうやら、"タンキニ"が何かわからないようだ。
「それ、下ビキニ?」
ぺらり裾を捲られて、赤くなった女の子が素早い拳を繰り出すが、彼はなんなく避けてしまう。
「ビキニが良かったなぁ…。薫、腹綺麗じゃん?」
「な、なでなでなでっ…」
「何言ってっかわかんない。」
彼女を後ろから抱き締めて、男の子の手がキャミソールの下に潜り込みお腹を摩っている。
平然としている男の子。
真っ赤な顔で慌てふためく女の子。
なんだただのバカップルかと、人々の注目が散った。
***
「なぁ薫ー?怒んなって。ごめんってー」
「やだ!変態!」
「男はみんな変態デスヨ?」
「ず、ずるい!いつもずるい!」
流れるプールですいすい進んで逃げる薫を、優はのんびり歩きながら追い掛ける。
「なぁ薫ー?俺と遊びたい?それともアタシ?」
後半女の子の声を出した優を、薫が真っ赤な顔に不満そうな表情を浮かべて振り向いた。
「優が良い。」
「どっちの優?」
「お、男の子が、良い。」
「そ。なら遊ぼうぜ?ウォータースライダーは?」
「………やります。」
伸ばされた優の手を握り、薫は精一杯の抵抗で頬を膨らませる。優はおかしそうに笑いながら、薫の手を引いて水からあがった。そして意地悪を忘れない。
「そんなに触られるの、嫌だった?」
水から上がった薫の耳元で囁けば、彼女の全身が可哀想な程真っ赤に染まった。瞳をうるうるとさせて悔しそうな薫は黙って手を引かれ、優について行く。ウォータースライダーの列に並んで振り向いた優に抱き寄せられた所で、薫は呟いた。
「やじゃ、ないけど…恥ずかしいからやだ。」
「何が?」
「意地悪!もう知らない!」
そっぽを向いてしまった薫を優が可愛くて仕方ないという表情で眺めているのに、薫は顔を逸らしているから気付かない。
「な。これ、浮き輪で二人。前と後ろどっちが良い?」
優の両手は薫の腰で組まれ、向き合った体が密着している。今日の優はスキンシップが激しいなと薫は思い、でもくっ付けるのは嬉しくて口に出すのはやめておく。
「前かな?二回目は逆になろ?」
「ん。良いよ。」
「あとね、波のプールも行きたい。」
「良いよ。本気泳ぎ出来るプールもあるけど?」
「そこも行きたい!競争しよ?」
「オッケー」
額に口付けられ、薫は恥ずかしい。
「優、なんか変。」
あまりにも人前で堂々とし過ぎだと思った。それを指摘すれば、優は照れた表情で頬を掻く。
「いやさ、俺だって会えなかったの、寂しかったんだよ…」
「だから?」
いつもの逆で少し意地悪な気分で問い返せば、優の頬がほんのり赤く染まった。
「だから、いつもより余計に、くっ付いてたい。嫌?」
「んー……恥ずかしい。」
「ならもう少し、自重します。」
「……そうして下さい。」
体が離れ手を繋がれてほっとしたけれど、少し寂しい。でも人前であんまり密着するのは恥ずかしくて、薫は赤い顔で俯いた。ちらり見上げた優の耳が赤くて、照れた優も可愛いなと薫が笑う。
「何?」
薫の小さな笑い声に気が付いて優が振り向いた。目が合うと薫はにっこり、笑顔になる。
「楽しい」
「そか、良かった。…俺も、楽しい。」
二人微笑み合って、プールを大満喫した。
「やっべー焼けた。ヒリヒリする。」
プールの帰り道、それぞれロードバイクに跨り優がうんざりしたように呟いた。優は白いから、焼けると赤くなって大変なのだ。
「薫は平気?」
「私は元々、自転車通学で焼けてたからなぁ…」
「それ、放置するとシミだらけになるからな?」
「はーい。気を付けるー」
呑気な返事に優は、絶対薫はわかっていないと思う。野口家に着いたら強制的に肌のケアをしてやろうと心に決め、自転車を走らせた。
***
祭囃子が辺りを包む夏の夕暮れ。
薫と優は手を繋いで人混みの中を歩く。
優は男の子の格好。
薫は薄青の生地に濃い青の花とツバメ柄の浴衣姿。少しだけ伸びた髪はサイドのねじり編み込みと襟足がピンで纏められ、淡い黄色の花飾りが右耳の下に差し込まれている。普段のままの髪型で出掛けようとした薫を止めて、優が手早く纏めたのだ。
「ね、優?綿あめ食べたい。」
「一人で全部食い切れんの?」
「大丈夫!」
「砂糖の塊」
「その先言ったら口に突っ込みます。」
「すんませんした!」
「わかれば宜しい。」
「偉そうだな?」
「偉いのです。」
ふふんと薫が胸を張ってみれば、優は苦笑を浮かべる。
数センチだが完全に身長は優の方が高くなり、二人は普通に仲の良いカップルにしか見えない。
「唐揚げ食いたい。」
「あ!イチゴ飴!」
「広島焼き」
「チョコバナナ」
「牛串」
「クレープ」
言い合って、同時に噴き出した。
「お前、甘い物ばっか。」
「優はガッツリでしょっぱいのばっか。」
「祭りと言えば食べ歩きだろ?」
「金魚掬いは?」
「飼うの?」
「いらない」
「ダメじゃん」
ふはっと笑う優を見て、薫の頬が膨れる。それを突ついて空気を抜いて、優は射的に彼女を連れて行く。
「やった事は?」
「あるよ!兄さんに教えてもらった!」
「じゃ、どっちがデカいの取るか勝負な?」
「うん!」
結局二人とも何も取れずに終わり、今度はスーパーボール掬いで勝負。これは薫が意外な才能を発揮して勝利をおさめた。
「スーパーボールってさ、祭りの度に溜まって困らねぇ?」
「でもいつの間にかどっかなくなるよね?」
「な。何処に消えんだろ?」
「スーパーボールの神隠しだね!」
甘い物以外は分け合って食べて、お腹いっぱいになった二人は最後に、薫のデザートで綿あめを買った。大きな口を開けて食べている薫の手を引いて歩き、優が誘ったのは神社の境内。祭囃子が遠くなり、人気も疎らになった事に気が付いて薫は首を傾げる。
「綿あめ、少しちょうだい。」
薄暗い木の陰で向かい合った優に強請られ、薫は黙って白い塊を差し出してみる。こんな甘い物、食べられるのだろうかと不思議に思った。
「違う。…薫が食べるの。」
きょとんとしたまま綿あめを口に入れると、優の手がやんわり手首を掴み、薫の前から綿あめが退かされる。そのまま影のように優の顔が下りて来て、唇が重なった。
「あま…」
離れた優がペロリと己の唇を舐めて呟いた。薫は少し俯き、だって砂糖の塊だからと返す。
「もう少し、欲しい、な?」
「………はい…」
薫は綿あめを舐めて、今度は自分で脇に退かした。重なった唇は綿あめの砂糖でペタリとする。微かに離れて優が自分の唇を舐め取り、また唇が重なった。優の舌が薫の唇の砂糖を舐めて、驚いた薫の肩が揺れる。
「嫌?」
「び、びっくりした…」
囁く優の声にドキドキ心臓が暴れ回り、目の前にある微かに伏せられた優の瞳に、薫はどうしたら良いのかわからなくなった。
「もっと、甘いの欲しい…けど薫、いっぱいいっぱい?」
「し、心臓、爆発しちゃう…」
「ならあと一回……良い?」
「が、がんばり…ます」
くすり笑った優と唇が触れ合って、綿あめを食べていないと薫は思った。少しだけ長く舌先で唇を舐められて、薫はきゅっと目を瞑る。
「ごちそうさまでした」
目の前でとろりと笑った優はもうどうしようもなく"男の子"で、自分もどうしようもなく"女の子"だと、薫は痛感する。
祭りの帰り道は二人赤い顔で黙って、指を絡めて手を繋いで歩いた。
***
夏休みの終わりは、野口家の玄関先で手持ち花火。
道場の門下生達や薫の両親も一緒に、夏の終わりを楽しんだ。優は薫と遊ぶ合間に稽古に参加させられて、門下生達とも打ち解けていた。
「薫、学校、どうする?」
屈み込んで線香花火を眺めていた薫の隣に来て、優が呟く。薫は答えず、チリチリした火が落ちるのを見守った。
もう一つ火を付け、薫が持つ線香花火を二人で眺めるが、薫の手が揺れ、玉が落ちる。
「ごめん。良いよ。」
花火の残骸を手から落として、薫は両手で顔を覆った。肩は哀れな程に震えて、指の隙間からは涙が溢れる。
優は薫を抱き寄せ、ごめんともう一度呟いた。
「兄さん…まだ……」
優の腕の中、髪を撫でられながら、薫はまだ嫌だと泣いた。
自分が女になってしまえば、兄は何処に消えてしまうのだろうか。写真の中、思い出の中だけの存在。それは酷く遠くて、恐ろしい。
今はまだ、鏡の中、薫の中に兄がいる。
まだ消えないで…消さないで…
懇願するような薫の呟きを聞いていたのは、優一人。




