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夏なのに

 夏休みも後半に差し掛かり、薫は完全に拗ねていた。夏休みの宿題はとっくのとうに終わってしまい、クラスの男友達との海やプール以外の遊びは行き尽くした。だけれど薫が本当に遊びたい人物が、全く構ってくれないのだ。

 終業式の少し前辺りから、放課後はバイトだと言って優は薫をすぐに家に帰らせた。夏休みが始まってからは電話とメールで毎日連絡は取り合っているが、全然会いに来てくれない。

 どれだけ、何がそんなに忙しいのだと、薫は優がくれた茶色のクマにデコピンを食らわせた。

 パタリ倒れたクマを眺めて、申し訳無い気持ちになって抱き上げる。クマもそろそろ、優の香りが薄くなってしまった気がする。毎日優の事ばかり考えてしまうのに、本人が側にいない。薫の目には、涙が滲む。


「薫?優くんが来たぞ?」


 奈帆子の声に、薫はがばりと起き上がる。


「優?うちに?今?」

「あぁ、玄関にいる。」


 急いでスマホを覗いて見たが、連絡は無い。いつ会えるかの約束もしていなかったはずだ。混乱しながらも、薫はクマを抱いたままで部屋を飛び出した。

 なんだって良い。もうどうしようもなく、優に会いたかった。


「お、薫!おひさぁ!」


 玄関に立っていたのは、ずっと会いたかった優で…薫は手を伸ばして抱き付く。受け止めてくれた優の体は熱く、汗を掻いていた。


「か、薫?俺、汗だくなんだけど…」

「連絡無かった。」

「あぁ、わりぃ。急にバイト早上がりになってさ、会いたくてなんも考えないで来ちゃった。迷惑だった?」

「会いたかった!放置し過ぎ!全然来てくれなかった!」

「ごめんって。泣いてんの?」

「泣いてるよ!」


 優の肩に顔を埋めて涙をすり付け、薫は違和感を感じて顔を上げる。

 拳一つ分体を離して首を傾げた。

 優の足下はスニーカー。男の子の服で、髪は短くなっている。そして目線が薫の、少し上だ。


「優がおっきくなった…」

「え?マジ?お前が裸足だからじゃなくて?」


 優本人も気付いていなかったようで、何やらショックを受けている。女装が似合わなくなると嘆いている優を無視して、薫は再び優に体を寄せた。


「優、会えるの今だけ?」

「いや、そろそろ時間作れる。すっげ、会いたかった。」

「私もだよ。何してたの?もう教えてくれる?」


 薫の体をそっと離して背負っていた鞄から財布を取り出し、カードを一枚抜き取った。それを優は、薫の目の前に掲げて見せる。


「二輪の免許。七月に合宿で取って、親に金借りたから返済の為にバイトしてんの。後ろにお前乗せられるようになるのはまだ一年後だけど、来年は行きたい場所に連れて行ってやるよ。」


 にっこり笑う優の笑顔が眩しくて、嬉しいのに恥ずかしくて、薫は顔を逸らして唇を尖らせた。ふーんと気の無い返事をしてみれば、伸びて来た優の手に頭をぐしゃぐしゃに掻き回される。


「水着は用意した?」

「………したもん。待ってたもん。」

「そか。次のシフト出たら休みわかるからさ、そしたらプール、行こうな?」

「………海は?」

「電車だよ?乗れる?」


 あぁなるほどと、薫の胸に答えが落ちて来た。だから自分の為なのだとわかった。優は父か母から、聞いたのだ。


「電車はね、怖いの…駅も怖い……」

「ん。ロードバイク、知り合いにもらったんだ。それで一緒に、プール行こう。」

「うん。…うん。優、ありがとう。」


 また涙が滲んで、俯いた。

 薫の体を、優がそっと抱き寄せてくれる。

 この人の優しさに、自分は溺れてしまうと思った。

 会えない時間に気持ちが育って、前よりもっと、好きだと思った。


「玄関先でイチャイチャしてんじゃねぇ!(ゆう)、飯食ってくか?」

「食います。稔さんもお久しぶりですね?」

「おぅ。なんだ、デカくなったな?」

「言わないで下さいよ!ショックなんですから!」


 玄関を開けて入って来た稔に頭を掻き回され、優は笑っている。そういえば自分は裸足のままだったと思い出し、薫は足の裏を叩いて上がった。

 久しぶりなのに父に優を取られるのが悔しくて、靴を脱いだ優の腕に抱き付き自分の存在を思い出してもらう。そんな薫を父は呆れた顔で眺め、優は優しい笑顔で嬉しそうに、捕まっていない方の手を伸ばす。


「薫は髪、少し伸びたな?」


 毛先を摘ままれて、薫もそういえば切っていないなと思い出した。


「新学期まで、伸ばそうかな。」

「いいんじゃねぇ?可愛いよ。」


 彼に可愛いと言われるのは嬉しくて、薫の顔はゆるゆるに緩んでしまう。

 会ったらたくさん言おうと思って溜めていた文句も、全部忘れてしまった。会えただけで、なんでもよくなってしまった。このまま離れたくないなと肩に頬を寄せると、歩きながら優の指が絡まって、しっかりと二人の手が繋がる。


「会いたかった」


 ぽつり零された優の言葉。それだけで薫はもう、大満足だった。



 夕食は四人で、優の合宿での話やバイトの話を聞きながら食べた。合宿は山の中で何も無い場所だったから勉強が捗り、優も宿題は終わってしまっているらしい。バイトは三つも掛け持ちしていて朝から晩まで働いているのだと聞き、薫はとても申し訳無い気持ちになる。


「元々バイクの免許は欲しかったんだ。親父の知り合いがバイク譲ってくれるって話あったし。…お前はついで。」


 優しく額を弾かれて、薫は弾かれた場所を摩りながら目を伏せる。


「バイトも楽しいよ。いろんな経験出来るしな。」


 にっこり微笑む優に、何も言えずに薫は黙り込む。申し訳ないのに嬉しくて、言葉が、出て来なかった。


 夕飯の後で、優は薫の部屋に来た。薫が抱いたままで優を出迎えて、夕飯の前に部屋に戻された茶色のクマ。それを手に取って、ゴソゴソと優が何かを取り出した。


「匂い、追加。」


 鞄から出した小さなスプレーをそれに吹き掛けて、またクマの中に仕舞う。部屋にふわり広がったのは、優の香り。


「まだもう少し忙しいからさ、これ、いる?」


 こくんと頷くと、差し出した手に小瓶が落とされた。パールブラックの蓋に半透明の赤紫色のアトマイザー。


「女の子でも使える香りだから使って良いよ。あんまり付け過ぎんなよ?」

「クマちゃん専用にする。」

「……名前、無いの?」


 畳の上で胡座を掻いた優が、茶色のクマの手を動かして遊んでいる。薫は答えに詰まり、膝を抱えて座った。薫の反応を見て、優は意地悪な顔で笑う。


「なぁ、名無し?」

「……クマちゃん…」

「そう呼んでるの?」

「……たまに…」

「なら、それ以外は?」

「……教えてあげない。」


 意地悪な笑みの優は、喉の奥でくつくつと楽しそうに笑っている。わかって聞いてるんだと薫は思った。ちょっとだけ悔しくて、薫は膝に顔を伏せて隠す。


「薫、こっち来てよ。補給させて?」


 そろり上げた視線が熱を孕んだ優のそれと絡まって、薫は顔から火を噴いてしまうのではないかと感じながら彼に近付いた。広げられた腕の中におさまって、ほっとする。


「クマちゃんね、"(ゆう)"って呼んでる。」

「俺の分身?」


 こくんと頷いたら、髪を撫でられた。


「優、ごめんね?」

「何が?」

「優が頑張ってたのに、私、拗ねてた。」

「なんで拗ねたの?」

「………会えなくて。会いたくて。」

「俺も会いたかったよ。」

「うん…寂しかったぁ…」

「俺も」


 唇が額に押し付けられて、薫の思考がとろり蕩けてしまいそうになる。

 見上げてみれば、ぶつかった優の表情に心臓がきゅうっと苦しくなった。


「……良い?」


 何を聞かれてるのかわかって、顔が熱い。こくんと頷くと、唇が落ちたのは薫の頬。


「………おしまい?」


 思わず口走って、恥ずかしくなった。ニヤリと優が意地悪な顔で笑い、何処が良いかを囁き声で聞かれる。


「ゆ、優がしたい場所で…良いです。」


 拗ねて目を伏せたら、今度はおでこ。

 黙ってじっとしていたら、次は瞼。右、左と口付けられて、自然と目を閉じた。目の前が暗くなり、唇には柔らかで温かい感触。そっと押し付けられて、すぐに離れる。


「心臓、いてぇ…」


 照れて、だけど嬉しそうに優が笑った。

 薫も心臓がとても痛かったけれど、嬉しかったけれど、恥ずかし過ぎて両手で顔を覆って隠した。


「俺ももう少し我慢するから、薫ももう少し、我慢な?」

「はい……待ちます。」

「ん。そうして。」


 抱き寄せられた彼の腕の中、寂しさも何もかもが吹き飛んで、ただただ、幸福を感じていた。

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