スイッチの切り方
とあるランジェリーショップでは今、高校生のカップルが店員と買い物客の注目を浴びていた。
背の高い、黒髪が綺麗な女の子。下着を買いに彼女とよく似た母親と共に店にやって来たようだ。それだけならよくある光景。だが彼女の隣には、同じ高校の制服に身を包んだ顔立ちの綺麗な男の子がブラジャーを手にして微笑んでいるのだ。思わず聞き耳を立ててしまっても仕方が無いと、誰もが思った。
「このレース可愛い。薫はピンクよりも白とか淡いブルーかな。あ、黄色も良いな。」
「ふ、普通に触ってる…持ってる…私でさえ躊躇うのに……」
「女だろ?躊躇うなよ。サイズいくつだった?」
「言わないよ?!」
「照れてる方が恥ずいって。サイズによっては無い柄があるんだから選べねぇじゃん。奈帆子さん、いくつですか?」
「Cの70だそうだ。」
「おか、お母さん?!」
真っ赤でプルプル震えている女の子。
平然と下着を手に取って物色している男の子。
周りの女性客達の頬も、心無しか赤く染まっている。
「奈帆子さん、こういうのどうですか?」
「若いんだからこれくらい良いだろう。」
「なら、これとこれとこれ。あ、あとこれとか俺好き。」
「多くない?」
「試着して付け心地見ないとわかんないだろ?だからほれ、試着へゴー!」
「ぜ、全部?」
「何?俺に付けられたいの?」
「へ、へへへ変態!」
「それとも外されたい?」
「変態!バカ!変態!」
「はいはい、いてらー」
ひらひら手を振る男の子は、女の子と共に試着室に入る彼女の母親と目が合うと肩を竦めて笑った。母親の方も何か通じる物があるのか、苦笑して見せる。
一人残された彼は肩を震わせ、楽しそうにくつくつと笑っている。
なんとも魅力的な男の子で、客の数人がぽーっと見惚れていた。
「あ、お騒がせしました?すみません。」
客の一人と目が合い、男の子は微笑み会釈する。それを目にした女性達は、ぼんっと顔が赤く染まる。
「彼女さんですか?」
ばっちりメイクでキメたショップの店員が彼に話し掛けた。海外では彼氏が彼女の下着を共に選ぶ事を普通にする国もあるが、日本で、しかもこんなに爽やかな高校生がというのは珍しい事だった。
「はい。選べって言うんで、来ました。」
「そうなんですかぁ。おいくつですか?」
「二人とも十六です。」
「こんなに素敵な彼氏さんに選んでもらえるだなんて、彼女さん羨ましいですね。ラブラブみたいでしたし?」
「からかうと可愛いんですよね。初心だから。」
「まぁ!うふふふふ…」
店員は、やたらと距離が近い。
彼の方もそういうアプローチに慣れているのか、爽やかに微笑み距離を取って躱している。
見守る女性客達は心の中で団結して念じていた。
(彼女ちゃん!早く戻って来て!)
程なくして試着室の扉が開き、彼女と母親が戻って来た。
店員はがっかりしたように彼から離れ、彼はにっこり笑って彼女に歩み寄る。
「決めた?」
すっと手を伸ばし、乱れた彼女の髪をさり気なく直す。
見ていた女性客と店員の胸がキュンと高鳴った。
「う、うん。決めた。」
「どれ?」
「言わないよ!」
「なんで?付けた所見せてくれるの?」
「見せないよ?!」
真っ赤な彼女を見て意地悪な顔で笑う彼。意地悪をされて、涙目の彼女。
店の中ではもう、誰もがここに来た目的を忘れて彼らを見守っていた。
母親が会計に向かい、二人は手を繋いで先に店の外に出るようだ。
「髪、長いのすげぇ可愛い。」
「み、短いのはダメ?」
「短いのも可愛いよ。」
「どっちが好き?」
「薫が好き。」
「な、なな、ななな…」
「動揺し過ぎだから」
「ふみゃっ!鼻、その内潰れる!」
「摘まんでるんだから高くなるんじゃねぇの?」
「いじめっ子!」
「まぁな」
二人の背中を見送り、店に残った人々は胸元をおさえてほうっと息を吐き出した。
その日、彼が可愛いと言った下着の売り上げが伸びた事に、シフトに入っていた店員達は納得して頷いたのだった。
***
「君は、薫のスイッチを切るのが上手いな。」
下着を購入した後で薫がお手洗いに向かい、二人になったタイミングで奈帆子が優に告げた。優の言動が薫のスイッチを切る目的で行われている事に、奈帆子は気がついていたのだ。スイッチが切れなければきっと、"女の子"を連想させるあの場所に、薫は立っている事が出来なかっただろう。
「私達はずっと、あの子のスイッチを切れなかった。」
目を伏せた奈帆子の悲しそうな横顔を見て、優は苦笑を浮かべる。
「それはきっと、俺が部外者だからですよ。共有者では難しいのかもしれないですね。」
「………聞いたか?薫から。」
「いえ。お兄さんがどういう人だったか、思い出話しを少し聞いたくらいです。」
「そうか……」
無理矢理にでも聞き出したりする気は、優には無い。薫が求めたのが、"何も知らない相手"だったから。
誰も、何も知らない場所で、薫は兄になりたかったのだ。だけれど薫が自分自身に戻れるのも、何も知らない優の前。
「駅で、ホームで、落ちた酔っ払いを助けた。あの子だけ…助からなかった……」
俯いて歯を食い縛り、奈帆子は涙を堪える。薫の姿が遠くに見えて、焦った。折角娘が本来の姿で笑っているのに、台無しにしたくはない。そんな奈帆子の気持ちを察してか、優が彼女の背をぽんと優しく叩いた。奈帆子を残して歩き出し、こちらに向かって来ていた薫の元へ向かう。
「喉渇いた。薫何飲む?」
「んーと…炭酸かなぁ?」
「そっちに自販機あったから買いに行くぞー」
「うん!お母さん何が良いかな?」
「あ、聞き忘れた。お茶で良いかな?」
「良いと思う!お茶好きだよ!」
薫の背中に手を当てて、優しく微笑んだ優は奈帆子がいるのとは反対側へと薫を導き歩いて行く。二人の背を見送って、優が作ってくれた束の間の時間を使い、奈帆子は溢れた涙を拭って気持ちを落ち着ける。
なんとか涙は止まって、奈帆子はぼんやり考える。
悲しみの共有者では、お互いに負の気持ちを育ててしまう。だから部外者が良かった。それでも、"彼"だったから、良かったのかもしれない。
ペットボトルを手にして戻って来る二人は笑っている。薫が昔のように明るく笑ってくれている。それがどれだけ有り難い事なのかを、奈帆子は知っていた。
「お母さんお待たせ!お茶で良かった?」
「ありがとう」
薫が差し出してくれたペットボトルのお茶を受け取り、奈帆子は口を付ける。冷たいお茶が、体に染み渡るようでほっとした。
ふと、奈帆子の様子を伺う優に気が付いて二人の視線がかち合った。泣いてしまったから心配を掛けたようだと理解して、奈帆子は目を細める。
奈帆子の表情を見た優は何も言わず、ただ穏やかに、ほっとしたように、笑った。




