嵐
誰もいない空き教室で結局二人きり。優は面倒事の予感に、大きな大きな溜息を吐き出した。
「お前相変わらず失礼だな?」
「修は相変わらずKYだな?」
「うっせ、お前がまだそんな格好なのがわりぃんだよ。で?何してんの?」
教壇に腰掛けた二人は、膝の上に弁当を広げて食事をしながら話す。
優と修は長い付き合いだ。小学校から一緒で、優の女装癖も知っている。中学では、優の趣味は周知の事実だったのだ。よく優は、学校で完璧な女装を披露して遊んでいた。
「何してるって言われてもなぁ…俺、何してんだろ?」
「知らねぇし。やっぱ優、馬鹿なの?」
腹が立ったので、優は拳で修の頭を殴っておいた。
「担任がさ、真面目に受け取っちゃってさぁ、この格好。クラスメイト達は俺を女だと思ってるし、教師達にまで一貫してそう扱われて、引けなくなった。」
「やっぱ馬鹿じゃん!」
ギャハハハハと腹を抱えて笑った修を、今度は蹴飛ばす。
「うっわ、やめろよパンチラ!」
「見せパンだよ。美少女のパンチラ拝めて嬉しいだろ?泣いて喜べ。」
「凛花さんのなら泣いて喜ぶんだけどなぁ…」
「姉さんのパンチラ見たら、両目潰す。」
「お前マジでやりそうで怖い。」
戯れ合いながら弁当を完食して、修はチラリと優の横顔を見る。黙っていれば完璧美少女。長年の付き合いで見慣れてはいるが、腕を上げたなと苦笑した。
「で?彼氏って何?お前ノーマルだよな?」
「当たり前じゃん。好きなのは女だよ。でもさ…それはまた複雑な事情があって、俺だけの問題で終わんねぇんだ。」
「あの美少年の方もなんかあんの?」
「ある。けど、修相手でも言えない。」
「そか!ま、俺はお前が変態でも友達だからさ!がんばれ!」
「変態は余計だ。でも、サンキューな?」
「てかさ、彼氏くんさっき泣きそうだったけど、放置で大丈夫なん?」
「はぁ?!マジ?いつ?」
「え?俺がお前連れ出す時…」
「早く言えよ!あの馬鹿、やっぱ気にしてんじゃん!めんどくせぇな!」
焦って立ち上がった優は、空き教室を飛び出そうとする。
「なんかわからんが、がんばれー」
片手を振って走り去って行く美少女の背に声を掛けて、修は小さく息を吐く。結花をどうおさめるかなと考えながら、修はゆっくり、自分の教室に戻った。
教室に駆け込んだ優は、珍しく男子達が教室にいる事に気が付き驚いた。薫も教室の自分の席にいて、机に顔を伏せ眠っているようだ。
すぐに見つかった事に安堵して薫に近付こうとしたが、阻まれる。
「藤林さ、何してんの?」
「何って?邪魔なんだけど、堂本くん?」
薫とよく一緒にいる堂本耀司に瀬尾航洋。他にもクラスの男子達に目の前に立たれ、優は眉間に皺を寄せる。まるで薫を守る壁のようだ。完璧に眠っているのか、薫はピクリとも動かない。
「可愛いからってさぁ、調子乗ったらダメっしょー?」
「は?」
ニヤニヤしている瀬尾の言葉に、優は苛つく。
「彼氏いるのに何他の男の所にフラフラしてんだって言ってんだよ。」
「薫が可哀想だろ?あいつ純情なんだよ!」
「弄んでんのかよ?!」
男子達に詰め寄られ、普通の女の子だったら泣いてしまうだろう。だが優は、普通でも女の子でもない。
「ねぇアタシ、朝から邪魔ばかりでイラついてるの。道、開けてくれないかしら?」
ニッコリ氷のような笑みで告げると、一瞬男子達が怯んだ。
「見ろよ!いつも元気いっぱいの薫がヘコんで寝てんだよ!今日一日、遊んでくれねぇんだ!」
悲痛な叫びを上げた堂本に、優は思わず溜息を吐いてしまった。優のその態度に、クラスの女子の数人も男子に乗っかり騒ぎ始める。彼女達は、美少女の優に薫を取られて、こっそり妬んでいたのだ。
一気に騒がしく優の罵り大会となった教室内で、流石に薫も目を覚ました。寝ぼけながら周りを見回して、状況が把握出来ずに混乱している。
騒ぎの中心の優は、ニッコリ微笑んだまま右足を真上に上げ、振り下ろした。盛大な音と共に優の足が当たった机が割れ、教室内は水を打ったように静まり返る。
「外野は黙ってなさい。アタシと薫の問題よ。」
誰の机か知らないけどごめんと心の中で謝って、優はきょとんとしている薫に近寄った。机を踵で割った美少女を、止めようとする者はもう一人もいない。
「薫?そんなに眠かった?」
「う、うん…これ、何事?」
「ん?後で話す。今はそれより…朝の、気にしてるでしょう?」
両手で頬を包み目を合わせようとすると、薫の視線が彷徨う。
「ただの友達。なんにもないわ。悲しい思いをさせた?」
「………悲しいっていうか…ユウの事知ってるの、俺だけじゃなかったから。」
「なるほどね。それで拗ねたの?」
罰の悪そうな顔で、薫はこくんと頷いた。薫の可愛らしい表情に、優の胸が高鳴る。
「かぁわいい…」
おでこに、頬に、優は口付けた。自分が女だという事も、ここが学校の教室で注目を浴びている事も、頭から飛んでいた。
「ゆ、ユウ…!」
柔らかな薫の唇に己のそれを合わせようとした所で、薫の両手に口をおさえられる。真っ赤で動揺している薫に止められ、状況を思い出した。
ゆっくり瞬きした後、一気に顔に熱が上る。目眩がする程に顔が熱くなって、優はくるりと踵を返し、自分の席に行って鞄を取ると、走って逃げ出した。
「え?えぇ?ゆ、ユウ!」
「野口のバカ!追い掛けろ!」
「え?え?わ、わかった!」
優の友人である柚木倫が薫の鞄を取って押し付け、立たせた。バンッと背中を押され、薫も走り出す。
「こっちは任せろ!今日は帰ってしまえ!」
倫の叫び声に頷いて、よくわからないながらも薫は優を追い掛けた。
優と薫がいなくなってしまった教室内には、気不味い沈黙が下りる。優が蹴り割った机を、倫が力一杯蹴飛ばすと、優を責め立てていたクラスメイト全員の肩がビクリと揺れた。
「あんたらさぁ、これ、どう落とし前つけんの?」
「お、落とし前?」
「堂本もだけどさぁ、瀬尾も優に酷い事言ってたよねぇ?」
目を逸らした瀬尾のネクタイを掴み、倫は乱暴に引き寄せる。
「わかってる?あれ、優だから耐えられたんだよ?普通あんな風に男子達に囲まれて責められたらさぁ…トラウマもんだよ?優が不登校になったら責任取れんのかよって聞いてんだよ!!」
「ゆ、柚木…キャラが…」
あの騒ぎの中、倫と、他にも優と仲の良い女子達は場をおさめようと必死に叫んでいたのだ。だけれど誰の耳にも届かず、優本人の力で、クラスメイト達は口を噤んだ。
友人を助けられず、倫は、悲しかった。
「キャラとか言ってんなよ!あの子あんな見た目だけど一途だよ!今日一日ずっと、野口の事気にして頑張ってたの、あたし見てたんだから!それなのにっ!なんで関係無いあんたらが優の事責めるの?!何様?!!あんたらが野口を大事なようにねぇ!あたしにだって優は、大事な友達なんだからねっ!!!」
「……倫…」
瀬尾を突き飛ばして泣き出してしまった倫を、眼鏡を掛けた女生徒が近付き抱き締める。彼女もまた、優の仲の良い友人の一人だった。
「る、瑠奈ぁ…あたし悔しい…」
「…私も。…あなた達、優に謝りなさいよ。多分あの子、許してくれるから。そういう子だから。」
真面目で優しいクラス委員である三橋瑠奈にまで鋭く睨まれてしまい、男子達はしゅんと肩を落として、割れた机の片付けを始める。その机の持ち主が瀬尾で、関係無い人間の物じゃなかったよと、気にしているだろう優に瑠奈と倫がメールを送ったのは、騒ぎがおさまって少ししてからだった。