嵐の予感
下駄箱から人気の無い場所に向かって、優はずんずんと進む。優に二の腕を掴まれて引っ張られている結花の顔は、不機嫌に歪んでいた。
「優、痛い。」
「あぁ、わりぃ。」
周りに誰もいない事を確認して、二人は止まる。近くの空き教室に誰もいない事を確かめてから、優は無人の廊下で結花と向かい合い、片手を腰に当てて溜息を吐いた。
「優、なんでまだその格好なの?」
「なんか…タイミング逃したっつぅか…」
「馬鹿じゃないの?完璧女に混ざってるじゃん!変態だよ!」
「デカイ声出すなって。今更男でしたーとか言ってもさ、ただの変態じゃん?ならイケる所までいっちゃおっかなーとか」
「なんでさっさとネタバラししなかったの?最初は冗談だって笑ってたじゃん!」
「いや、教師がツッコミ入れてくれなくてさ…引くに引けなくなった。」
「ほんっと馬鹿!あんたがそんな馬鹿だなんて知らなかった!」
怒鳴られ、優は耳を塞ぐ。
涙目の結花を見て、苦く笑った。そんな優の顔をキッと睨んで、結花は怒鳴りたくなるのを堪えながら言葉を紡ぐ。
「あの男の子、騙してるの?可哀想じゃん。」
「あぁ、薫?あいつは俺の性別知ってる。」
「はぁっ?!」
素っ頓狂な声を出した結花の口を慌てて塞ぎ、優は人差し指を自分の口元に当てて静かにしろと示す。
「色々あってさ。まぁ良いじゃん、ほっとけよ。」
「何よ色々って?」
優の手を掴んでどかして引く様子を見せない結花を一瞥してから、優は顰めっ面を作った。彼女が簡単に引かない事は、経験上知っている。
「簡単に言うと、告白除け。俺って美少女じゃん?あいつは美少年で困ってたみたいだし、丁度良かったんだよ。」
「そんなん、修に頼めば良かったんじゃないの?」
「えー…あいつと手繋ぐとか勘弁。キショい。」
また何かを言おうとした結花の言葉は、鳴り響いた予鈴に打ち消された。
「ま、見守ってろよ。面白いだろ?」
「楽しめる域、越えてる…」
「もう後戻り出来ねぇし、バラすなよ?ほら!遅刻する。行くぞー」
バシンと背中を叩かれ、結花は唇を噛んで涙を堪えながら、優の背を追い掛けた。
ギリギリ間に合った自分のクラスで朝のホームルームを終えると、結花は立ち上がり一人の男子生徒の横に立つ。教科書を出して授業の支度をしていた彼は、結花の顔を見上げてギョッと目を見開いた。
「何?どしたん?」
「ゆ…」
「ゆ?」
「優に彼氏が出来たー!!!」
絶叫して机の上に泣き崩れた結花の姿に、彼はぽかんと口を開ける。
「え?何?頭にカビでも生えた?」
「生えてない!修、どうしよ…」
「どうしよって、意味わかんねぇんだけど…趣味が変態でもあいつ、そっちじゃねぇよ?」
「本人もそう言ってた…」
泣きながら話す結花の言葉は要領を得ない。困り果てて、修と呼ばれた男子生徒はガシガシと明るく染めた頭を掻く。
「とりあえず、抜けるか?」
こくんと頷いた結花を立たせて、修は隣の席の友人に教師への説明を頼んだ。教師が上がって来るのとは反対の階段を使って下りて、空き教室に滑り込む。
泣く結花を宥めながら聞いた話に修は苦く笑い、優って馬鹿だったんだと感想を漏らしたのだった。
***
まるで浮気をした男の気分だなと優は思った。
本鈴ギリギリで駆け込んだホームルームの後から、薫の視線は感じていた。気にしているのはあからさまだが、目が合えば薫は焦ったように逸らしてしまう。かといって学校内で説明するのも憚られ、優はどうしたものかと悩みながら女子の友人達と時を過ごす。
疚しい事がある訳じゃない。むしろ皆無だ。だけどどうやら、薫はそうは思っていないようなのだ。時間が経つに連れて薫の表情が悲しそうに陰っていく。恐らく薫の中では様々な可能性が浮かんでいるのだろう。
とりあえず優は、メールをする事にしてみた。
『朝の、同中の友達。
アタシが薫を騙してるんだって勘違いして怒られたの。
薫の事は伏せて説明しておいたからね!』
送信してから、薫の様子を伺ってみる。メールに気が付いた薫はスマホを取り出して読んで、何故か更に落ち込んでしまった。
(えぇ?!なんでだよ!)
心の中で焦って、優は返信を待った。ゆっくり動く薫の手元をじりじりとしながら待ち、やっと届いたメールを急いで開く。
『了解』
(短っ!メールまで男かよ!表情は了解してねぇよ!)
優の視線の先では、暗い表情の薫が机に突っ伏して不貞寝を始めてしまう。薫の友人達が声を掛けても、眠いとだけ言って顔を伏せてしまった。
優は更に焦る。
『昨夜漫画読み過ぎた?寝不足?』
『うん』
『早退する?』
『しない』
『なんかメール冷たくない?』
『いつも通り。優の方が、変。』
(お前の様子が気になるんだよ!)
メールでは埒が明かない事に気が付いて、優は頭を抱えた。そして思い付く。昼休み、弁当を一緒に食べようと。藤林家に泊まった薫の弁当は、優の母作だ。渡してあるそれを一緒に食べようと誘えば完璧だと思った。
だが神は優に冷たい。
「優!ちょい、来い。」
四時間目が終わり、弁当を用意して勢い良く立ち上がった優は呼ばれて顔を上げた。教室の入り口にいたのは、同じ中学の友人である田畑修。確実に結花関連だとわかり、優は肩を落とす。
そうこうする内に薫は友人の男子達に囲まれて、弁当を食べ始めてしまった。
「………KY」
「え?なんで俺いきなり美少女に罵られてんの?そういうプレイ?」
「なんの用かしら?」
「飯食おうぜ!久しぶりにさ!」
「アタシ、彼氏いるから。」
「おう!その話!」
にかっと笑う修を見て、そうだと思ったよと溜息を吐いた優は気付かない。薫が優の背中を、捨てられた子犬のような目で見つめていた。
「彼氏いるのに尻軽女だって思われると困るの。結花も呼んでよ。」
「わかったわかった。行こうぜ!」
断ってもこの男はしつこい上に強引なのだ。優は諦めて、自分の弁当を取りに行く。いつも一緒に食べている友人達には、中学の友達に呼ばれたからと告げて教室を後にする。
優が去った教室は、しんと静まり返った。
クラスメイト達がちらちら向ける視線の先では、薫が落ち込んだ表情で箸を咥えて固まっている。
「か…薫?なんかあった?」
友人の堂本耀司に問われ、薫は首を傾げた。
「何もないけど?」
「藤林、行っちゃったじゃん。他クラスの男と…」
「あぁ、同じ中学の友達だって言ってたな。聞こえた。」
力無く微笑んで弁当を食べる薫を見る友人達の顔は、泣きそうだ。
「薫?落ち込むな?確かに藤林は美少女だけど、女は他にもいるって。」
「え?うん…?」
ぽんと肩を叩かれた薫は言われた意味がわからなかったが、とりあえず頷いておく。
このクラスの男子は、実は薫が大好きなのだ。イケメンだが嫌味な所がなく、素直で純粋な犬のような薫。純粋無垢な薫が美少女に弄ばれたのかもしれないと、男子達の心にはメラメラと何かが燃えていた。




