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アタシと俺のスイッチ

 困り果てながら、優は鏡に向かって女の子に化ける為の身支度を整える。鏡に映る背後には、膨れっ面で体育座りをしている薫がいた。


「ごめんってば、そんな変な場所触った?」

「さ、触ったもん!もうお嫁に行けない!」

「ならアタシがもらってあげるから、機嫌直しなさいよ?」

「そ、そそそんな事は軽々しく口にしてはいけません!」


 目が覚めると、体の下に真っ赤な顔で瞳が潤んだ薫がいて、優は心底驚いた。寝ぼけたんだろうなと考え、ごめんと謝り起き上がって以降、薫の膨れっ面が直らない。


「あんまりその顔してると下膨れで固定されるわよ。」

「されないもん。」


 拗ねた顔は可愛いが、いつまでも拗ねられていては堪らない。優は立ち上がり、薫の前に移動する。


「悪かった。どうしたら許してくれる?」


 誠意を見せる為に本来の声で謝れば、薫の頬が朱色に染まる。今度は顔を膝に埋めて隠れてしまい、優は益々困った。


「なぁ薫?顔上げて?」

「無理…」

「なんで?」

「恥ずかしい…」

「俺は女の子の友達だったんじゃねぇの?」

「……起きたら夢から覚めた。」

「なんだよそれ。」


 薫の言い分が可笑しくて、優は喉の奥で笑う。手を伸ばして抱き寄せてみれば、薫は大人しく身を寄せて来る。

 不味い、だけど、抱き締めたい。


「ごめんって。許して?顔上げて?」

「……………手合わせしてくれたら、許す。」

「はぁ?道場の娘と手合わせなんてやぁよ!」

「だって寝技、返せなかった。素人じゃないはずだ!」

「素人よ。か弱い美少女を虐めるの?」

「ずるい!使い分けずるい!」

「そう思うなら、あんたも上手く使い分けたら?」

「がんばるもん…」

「はいはい、頑張れ。」


 両脚で薫を挟み、細い肩を抱いたままで髪を撫でたら擦り寄られた。このまま本当にどうにかしてしまいたいと優は思うが、深呼吸して目を閉じる。


「お腹空いたわ。」


 目の前の髪に頬をすり寄せ呟くと、腕の中の薫が小さく笑う。


「ご飯食べたら手合わせね!」

「やらないってば。パッド入りブラがズレてみっともない事になるっての。」

「えー……」

「い、や」


 朝食は台所に用意されていた。薫の両親はもう道場に行ってしまっていていない。日曜日は二人で門下生の指導をしており、平日にはそれぞれ、他の場所に出向いて指導したりなどもしている。


「今日はあんたも稽古行くんでしょ?アタシの所為で遅刻?」


 味噌汁を啜りながら聞いてみたが答えが返ってこない。どうしたのかと視線で問い掛ければ、誤魔化すように、薫が笑った。


「あんた、抱え込んでばっかじゃいつか爆発するわよ?女の子のお泊まり会は愚痴大会でもあるんだから、なんか溜め込んでるなら話しちゃいなさいよ。」

「……んーと…稽古はいつも、一人でやってる。」

「どうして?」


 ぽりぽりときゅうりの漬物を齧り、白米を口に運ぶ。咀嚼して飲み込んでから、薫は再び口を開く。


「雑念だらけだから。今の私は、邪魔にしかならない。」

「それ、誰かに言われたの?」

「自分で、思った。」

「そ。クソ真面目は疲れるわよ。程良く力抜いたら?」

「うん。だから手合わせしよう?」

「今道場使えないんじゃないの?」

「部屋で…」

「おバカじゃないの?無理よ。漫画の続き気になるし。」

「昨夜はあんなに笑ってた癖に…」

「読んだら面白かったんだから仕方ないでしょ。」


 ご馳走様でしたと両手を合わせ、優は食器を持ってさっさと立ち上がる。それを見て慌てて食べようとした薫を制し、食器を水に浸けてからお茶を淹れて再び座った。


「ゆっくり食べて良いの。アタシが早いだけなんだから。」

「うん。お茶、ありがとう。」

「どういたしまして。………あんたの稽古、見てるだけなら良いわよ。」


 頬杖ついてお茶を啜りながらの優の言葉に、薫は首を傾げる。


「やらないの?」

「痛いのは嫌だもの。ぼっち稽古、眺めててあげる。嫌なら漫画読むけど?」


 優の視線の先で、薫は答えず、食事を続ける。彼女が何かを考えている様子だった為に、優は急かさず見守った。

 食事を終え、食器を二人で洗いながら薫がぽつりと呟く。


「見て、もらおうかな。」

「いいわよ。でもアタシ、あんたの家の流派わからないから本当に見るだけよ。」


 こくり頷いた薫の頭を、水気を拭った手でくしゃりと撫でる。俯いた薫の顔は赤い。身長は彼女の方が高い、だから、優にはばっちりその表情が見えていた。

 二人並んで歯を磨いた後で、薫は着替えに向かう。庭でやると薫が言って、優は積み上げられた漫画と共に縁側に置いて行かれた。

 風が気持ち良い縁側に座って漫画を読んでいた優は、近付いて来る人の気配に気が付き顔をあげる。てっきり薫が来たのだと思ったのだが、そこにいたのは薫の母、奈帆子だった。上は白、下は紺色の道着に身を包み、長い髪は高い位置で括っている。


「薫は?」

「着替えに行っています。」


 食事の礼を優が告げると奈帆子は頷き、何故か優の隣に正座した。座った姿があまりにも美しく、真剣な空気を感じた優も背筋を伸ばし、向かい合って正座で座り直す。


「娘の、スイッチを切ってくれてありがとう。」


 すっと下げられた頭を見つめ、優は黙って、次の言葉を待った。顔を上げた奈帆子と見つめ合い、相手も自分の反応を伺っているのだと気付いて優が口を開く。


「家でも、彼女は"男の子"だったんですか?」


 無言の首肯が返って来て、優は顔を微かに顰めた。


「薫は、"兄"になろうとしている。」

「兄…?」


 その先は聞けなかった。

 小走りでこちらにやって来る薫の足音がして、優と奈帆子はただ天気の話でもしていたかのような振りをして薫を迎える。奈帆子と同じ道着に身を包んだ薫の表情は明るく、それを見た奈帆子の顔が優しく綻んだのを、優は見た。


「ゆっくりして行ってくれ、優くん(・・)。」


 去り際の奈帆子の言葉に、優はこっそり顔を引きつらせる。気付かれたのかもしれない。だがもしかしたら奈帆子は、女の子相手にも"くん"を付ける人なのかもしれないと思う事にした。

 バレていたとしても、問題は無いのだ。優と薫は、男女の仲ではない。薫が優に求めているのは、"女の子の友達"。

 初めは同類だと思って興味を持っただけだった。学年首位でイケメンである薫の弱味を見つけたのが面白いと思った。

 だけれどどうやら、弱味を握られたのは自分の方かもしれないと優は考える。

 向日葵のように明るく笑う"女の子"の薫。彼女の笑顔を守りたいなどと考えている自分のスイッチも切れ掛けているようだと、優は自嘲の笑みを浮かべた。

 見た目の期限はまだ先だ。心の期限がもうすぐそこだとしても、薫が"美少女の優"を望む間は、優は化け続けるだろう。


「本当に見てるだけ?」


 汗を散らし真剣な表情で型をやっていた薫が、滴る汗を拭いながら優の隣に座る。教えるからやろうと誘われたが、優は断った。


「痣が出来そうだから嫌。」

「痛くしないよ?」

「その内、気が向いたらやってあげる。」


 優の言葉に薫はにっこり笑う。薫は、完全にスイッチが切れているようだ。本人は無自覚だが、自覚しない方が良いのかもしれない。


「もう終わり?」

「ユウ、退屈でしょう?」

「そんな事ないわよ?あんたの型綺麗だがら、良い暇潰し。」

「漫画とどっちが面白い?」

「あら、それを聞いちゃうの?」

「意地悪な顔してる!やっぱり答えなくて良いです。」

「そ。賢明な判断ね。」


 二人を包むように、風が吹く。

 爽やかで、微かに湿り気を帯びた風。季節はもうすぐ雨の季節。季節が移り変わるように、人の心も移り変わる。この二人の心は今後どう移り変わるのか、当人達にもまだ、わからない。

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