本番です。
「うう……。緊張してきた……」
「さっきまで人の慌てふためく姿を見るのが楽しみだとか言って、余裕だったじゃないですか」
舞踏会の入場というのは、やはり男性より女性の方が、優遇とは言いませんが華々しい物のようで。
各国から招待された姫君たちが大広間へと続く大きな扉の前に集まっています。
特に今年はローラント国王の愛娘が社交デビューと言うことで、開始直前の今も周囲はバタバタと慌ただしい雰囲気です。
「髪型、変じゃないかな。バレッタはずれていない?」
「大丈夫ですよレイラ様。髪もドレスも、乱れはありません。さっきからその確認ばかりじゃないですか」
「だ、だって、不安にもなるだろう……。ここには、着飾った可愛らしい女性がたくさんいる」
そう言ったレイラ様が、うう、と唸って俯いたとき、扉がゆっくりと左右に開き始めました。
私は白い手袋に包まれたその手をそっと取ります。
「大丈夫ですよ」
「ララ?」
「言っていたじゃないですか。誰かを想う気持ちは尊く、美しいものだと。溢れそうなほどのそれを纏うあなたは、今ここにいる誰よりも美しい」
「ララ……」
「私は、あなたの友人であることを誇りに思います。あの時を共に戦い、真っ直ぐに立ち向かったあなたを。
大丈夫です。だから胸を張ってください。レイラ」
「っ!!」
「さあ、行きましょう」
あの戦いの中で、当然、辛い時はたくさんありました。
しかしどんな時でも真っ直ぐに前を見据え、自軍の旗を掲げて、彼女は戦場へ駆けて行きました。
私は、それを見送る事しか出来なかったけれど、その後ろ姿は今でもはっきりと覚えています。
広間に入り、集まった方々にゆっくりと一礼します。
拍手の中、ユウ様や国王の姿を見つけました。
レイゼル国王もご一緒で、私とレイラは二人でそちらに向かいました。
「…………」
「何をやってるんだお前は」
「ユ、ユウ様……」
いよいよダンスの始まる時間が近付き、大広間はより一層華やかな空気に包まれていました。
そんな広間の隅にある柱の影から、ギルさんの元へ向かったレイラの様子を伺っていると、コツンと頭を叩かれました。
見上げると、呆れたような顔をしたユウ様。
彼は小さくため息を吐いた後、今まで私が見ていた方向に目を向け、ああ、と言いました。
「あいつらか」
「はい。しっかり見守ろうと思いまして」
「それは構わんが、とりあえずそこから出てこい。怪しいぞ」
レイラがギルさんに話しかけました。
それなりに距離があり人も多いですから、流石に声は聞こえませんが。
「……あいつらなら、それ程心配する必要は無いと思うがな」
柱の後ろから出て隣に立つと、ユウ様が言いました。
「ご存じなんですか?」
先ほどから、何か知っているような口振りです。
そう思っていると、意外な答えが返ってきました。
「知ってるも何も、聞いていた」
「え?」
詳しく話を聞いたところ、一昨日の夜、私が書庫で本を読み始め、レイラ様が書庫にやってきたその後に、ユウ様とギルさんも書庫に来ていたと言うのです。
自分たちが話題の中心になっていることに気付いたお二人は、どうにも動けなくなってしまったのだとか。
「まあ、どんな女に言い寄られても涼しい顔をしていたあいつが、茹でダコの様になるのは中々見物だったが」
「それは、つまり……」
うん、とユウ様が頷きました。
「そう言うことだろう」
「な、なんだ……」
心配する必要なんて、何一つも無かったんじゃないですか。
「……そうですか」
良かった。全てが上手く回っていくのですね。
私はほっと安堵の息を吐きました。
が、ふとあることに思い立って、ユウ様を見上げます。
「あ、あの、ユウ様」
「何だ」
「えっと、書庫での話は何処まで聞いていらしたのですか?」
……なんだか、聞かれるととっても恥ずかしい事を私は言っていたような気がするのです。
心がどうとか、恋がどうとかって、その……。
「どこまでって、ぜ…………あー……」
「ぜ!? ど、どうしてそこで目を逸らすのですか!?」
「……お、お前も言うようになったな」
「全部聞いていたのですね! あ、あの、忘れていただけるととても助かります!」
恥ずかしい! 本当の事だとは言え、いえだからこそ、とてつもなく恥ずかしいです!
「お前の話はレイラの告白からそれほど時間が空いていなかったのだから、聞こえて当然だろう。それに……あー、その、何だ……」
ユウ様がぐしゃっと髪の毛を掴んで、俯きました。
「忘れるつもりは、無い」
「え……。あわっ……」
突然、体が前に傾きました。
数歩たたらを踏んだと思ったら、今度はくるりと回転して、少しだけ暗くなったと思ったら、背中に固い物が当たります。
「俺も、同じだ」
「……ユ、ユウさ――」
囁くような声に顔を見上げると、言葉を塞がれました。
目を閉じることさえ出来なくて、目を閉じた彼の顔がぼやけるほど近くにあります。
辺りの喧噪がずいぶんと遠くに聞こえて、どうしようもなくて。
ゆっくりと彼が離れた時、周囲の空気がわっと動きました。
2人揃って肩を跳ねさせ、辺りをキョロキョロと見回します。
「ああ」
「?」
声を上げたユウ様の目線をたどって後ろを振り返ると、広間の真ん中へ手を取り合って歩いていく、赤いドレスの姫と屈強な騎士の後ろ姿。
人々は見惚れ、囁き合い、拍手を送っています。
「……人が多いと、暑いな。少し外に出る。付き合え」
まだいまいち上手く働かない頭でぼんやりとその光景を眺めていると、少し強めに手首が掴まれました。
先ほどと同じように、よろめきながら歩き出します。
「……そう言えば、そのドレスやネックレスはどうしたんだ。用意していたものの中には無かったように思うが」
前を歩く彼が前を向いたまま尋ねます。
「レ、レイラに、頂いたんです。昨日、一緒に街へ出かけて、その時のお礼だと……。気付いていらしたんですね」
「それぐらい気付く。……そうか、そう言えば、書庫でそんなことを言っていたな。大丈夫だったか」
「あ、は、はい。特に、問題も無く……」
「そうか」
広間の壁伝いに歩いて、開け放たれている窓から城の中庭へ出ました。
かすかに潮の香りが混ざる夜風が、柔らかく私たちを包みます。
緩く髪が風になびいて、それを押さえるように、大きな手が私の頭に乗せられました。
その手はゆっくりと、私の髪を梳いていきます。
「……青は、好きだ。良く似合っている」
……そう言うのならば、どうして。
「あ、ありがとうございます」
どうして、そんなにも優しい顔で、ドレスではなく、ネックレスではなく、私の目をじっと見つめるのです?
少しだけ遠くから華やかなワルツが流れてきました。
どこかぎこちなく差し出された手をぎこちなく取って、ゆっくりと踊り始めます。
正直な話、ユウ様も私も、あまりダンスは得意な方ではありません。
ごく最近ようやく、本格的に練習を始めたばかりなのです。
こんなに近くにいたにも関わらず、お互い自分の事に夢中になっていたツケが回ってきたと、いまいち決まらないステップを踏む度に苦笑いする日々で。
今も、それは同じ。
聞こえてくる音楽に合わせ、二人で必死になってくるくる回ります。
「……レイラの事、様を付けずに呼ぶようになったのだな」
ようやく少し慣れてきた頃には、もう曲は中盤をとっくに過ぎています。
「は、はい。大切な、友人ですので」
「そうか……」
「ユウ様?」
何だか声が寂しそうで、私は足下を見ていた目線を上に上げました。
と、真っ青なその瞳と目が合います。
「……俺のことは、呼ばないのか」
「え?」
カツッと小さな音がして、私は躓いてしまいました。
ああ、失敗です。
前によろめいた体が、受け止められます。
「俺だって」
頬が熱くなるのを感じます。
「呼んでいるだろう」
離れることは、許されないようです。
「ラタリー」
聞こえてくる音楽がふっと抑えたように小さくなります。
ここから一気に盛り上がって、さあ、曲はお終い。
「………………ユウ……」
強く強く抱きしめられながら、どこかくぐもった拍手を遠くに聞いたのです。