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約束の蒼紅石  作者: 夢宝
魂の傀儡子編
8/29

「愛」が故に

こんばんは! 夢宝むほうです! クリスマスも終り、次は新年に向けて忙しい毎日をお過ごしかと思います。そんなときに、ちょっと休憩がてら、この小説はいかがでしょうか?(宣伝です 笑)さて、冗談はさておき(少しは本気)、この更新が今年最後の更新となります。そして、今回が、「魂の傀儡子編」最終話となってしまいました! 全8話となった魂の傀儡子編、もし、お時間があるのであれば、第1話から読み直していただけるときっともっと楽しめるのではないのかな~なんて思ってみたり(笑) ここまで読んでくださった読者の皆様、どうか、これからも応援よろしくお願いしますね! では、「魂の傀儡子編」最終話、「約束の蒼紅石」第8話、お楽しみください!

一方、同時刻にて、鳴咲市の南部に位置する住宅街に広がる路上で、小鉄は目を瞑り、神経を結界に注ぎ込んでいた。

 (謙介さんたち、大丈夫でしょうか? いや、さっき城根君たちも向って、すでに廃工場に到着はしているから、そこまで心配する必要もないのでしょうが、しかし、それでも自分だけ離れたところで手をこまねくというのはなんとも歯痒いものです。)

 網線結界を張り巡らせていた小鉄は、線の一本一本に触れた感触を感知することができ、それはつまり、線に触れた場所に誰がいるのかが分かるという仕組みである。

 (鳴咲市にこれ以上の敵はいないでしょうし、やはり今からでも僕も加勢にいったほうがいいんじゃないでしょうかね。)

 小鉄は少しうっすらと目を開け、少し考え込むように立ちつくした。

 (!?)

 そんなとき、張り巡らせた線の何本かに何かが触れる感触が小鉄の神経を刺激した。

 (今の感じは……。廃工場へと向かっている? 何だこの感触。討伐者でもなければ、冥府の使者でもない、今まで感じたことのないタイプ……)

 突然の予期せぬ事態に、小鉄は焦りと疑念の表情を浮かべ、そして、再び結界に意識を集中させ、対象物の動きを注意深く追った。

 (このどこか掴みきれない感覚、敵か味方さえ分からない現状で廃工場に近づけるのはいささか危険なのでは……)

 目に見えないものを前にしたときに感じる恐怖に似たものを感じていた小鉄は、その場を動こうか、否かを何度も頭の中で考えた。

 (……。そろそろ僕も自分の意思で行動しなければいけないときが来たということですかね。)

 小鉄は何かの決意を秘めたような目をすると、すかさず、廃工場の方へと駈け出した。


 

 廃工場で激闘を繰り広げる卓と真理は今だに邪蛇の綻に苦戦を強いられていた。

 「駄目、あれから全部の攻撃がことごとく防がれる……」

 真理は歯ぎしりして、そして魂の傀儡子を睨みつける。

 「ああも、全方位完全に防御されたら、どうしようもねえよ。」

 卓も苛立ちを感じ、眉間に眉を寄せた。

 「邪蛇の綻の威力、ご覧にいただけたようですね。」

 そんな2人の様子を満足げに見ていた魂の傀儡子はくすりと笑った。

 「!?」

 が、魂の傀儡子はすぐさま表情を険しくし、ロングコートのポケットから光輝く白桃の贈与の石を取り出した。

 「石が反応している……?」

 魂の傀儡子は真っ先に囚われた蓮華に目をやるが、蓮華はさっきからずっと意識を失っていて、ピクリとも動かなかった。

 「何?」

 その様子を真理も怪訝そうに見つめている。その横で卓は何が起きているのかいまいち把握しきれずに刀を構える。

 「……覚醒の時は近いのかもしれませんね。」

 魂の傀儡子はそう呟くと、険しい表情のまま卓と真理を見下す。

 「では、しばらくあなたたちにはおとなしくしてもらう必要があるようですね。」

 少し低めの声は廃工場によく響き、魂の傀儡子が片腕を前に差し出すと、それまで魂の傀儡子の周りで威嚇していた邪蛇の綻は、素早く卓と真理に襲いかかった。

 「ぶった斬る!」

 真っ向から突っ込んできた邪蛇の綻に向って、卓は蒼い斬撃を放つ。

 しかし、そんな攻撃を、邪蛇の綻は体を少しよじって見事にかわし、そのまま勢いを殺すことなく、卓と真理を締め付けた。

 「くそっ!」

 「きゃあ!」

 卓と真理はかなりの力で締め付けられてしまい、握っていた刀を振りまわすことすら余儀なくされてしまった。

 2人の動きが完全に封じられたことを確認して、魂の傀儡子はゆっくりと地面に着地し、そして、張り付けにされた蓮華へと近づいた。

 「てめー! 蓮華に何をするつもりだ!」

 邪蛇の綻に締め付けられた卓が茂垣もがきながら叫んだ。

 「そこで見ていれば分かりますよ。」

 とくに振り返るわけでもなく、蓮華に向き合ったまま魂の傀儡子は返答した。

 「……」

 卓と同様に締め付けられていた真理は、特に口を開くこともなかったが、じっと魂の傀儡子を見据えた。

 「さて、この娘の魂、操らせていただきますよ。」

 そう言って、魂の傀儡子は意識を失った蓮華の頬に杖に取り付けられた刃の先端を触れさせた。

 「!! やめろおお!」

 一瞬にして蓮華の危険を感知した卓はとにかく思いっきり叫ぶも虚しく、魂の傀儡子はそのまま刃を蓮華の頬に触れさせたままそっと引いた。

 すると、蓮華の頬から少量の血が流れ出し、杖の刃へと伝う。

 「くくく、ははははは!」

 魂の傀儡子は流れ出す蓮華の血を見ると、壊れたように笑いだした。

 「てめええええええ!」

 卓の雄たけびと魂の傀儡子の笑い声が廃工場に響き、びりびりと空気を振動させた。

 「さあ、目覚めなさい少女よ。」

 魂の傀儡子が両手を轟々と広げると、意識を失っていた蓮華がゆっくりと目を開けた。

 「う、う……ん」

 「蓮華!?」

 卓は締め付けられたことも忘れて身を乗り出そうとしたが、しっかりと動きを封じられた卓は微動だにすることさえままならなかった。

 「蓮華……」

 卓とは裏腹に冷静に見ていた真理が、ぽつりと虚しい口調で言った。

 真理はすぐさま気がついていた。意識を取り戻した蓮華の瞳には光が映っていないことに。

 「これはこれは、なんとも美しい傀儡人形マリオネットでしょう。」

 そう言って魂の傀儡子は、蓮華の顔の輪郭に沿って流れ出す血を指で拭き取り、そして舐めた。

 「いいですね。いつ味わっても、美女の血というのはこうも身をたぎらせるほどに熱い。」

 「てめえ、今すぐ蓮華から離れろ!」

 卓は動けずに蓮華を救えないことに対する自分への苛立ちと、蓮華に血を流させた魂の傀儡子への憎悪から、その表情は復讐心に似たものが満ちていた。

 「いくらそんな表情をしたところで、あなたは私に指一本触れることさえできないのです。そこでおとなしく、自分の愛する者を失うところを見ることしかね。」

 「まさか、石の覚醒って、蓮華の命を使うつもり!?」

 魂の傀儡子の目的を理解した真理は突然取り乱したように言葉を放った。

 「ええ。その通りです。この十字架は、使用する魂を万全の状態に保つための術でしてね。それには少々時間が必要だったのですが、もう十分です。そして、私のあざなの由来通り、この少女の魂を操り、この石を完全覚醒させるのです。」

 「どういう意味だ!?」

 卓の問いに答えたのは魂の傀儡子ではなく、真理だった。

 「卓、贈与の石は持ち主の経験値で力を発揮するのが普通なの。けれど、もう一つ、完全覚醒するために持ち主の命を捧げることも出来るの。でもこれは持ち主の同意が無ければ成しえないこと。でも、魂を操ることのできるアイツはそれすらも成し得るのよ。」

 真理は出来るだけ落ち着いて説明しようとしていたが、その声は完全に震えていた。

 「そんな……」

 無情な現実を突き付けられた卓は刀を握る手から力さえ失い、絶望に伏した表情へと豹変した。

 「愛する者を失う、それがどれだけ辛いのかは私もよくわかります。しかし、生物とは本来、私利私欲のためだけに行動するのが自然の摂理。私としても例外ではないのです。ですから、私は私の愛のためにあなたの愛する者を奪う。」

 魂の傀儡子が吐き捨てたその言葉に応じるように、蓮華を張り付けにしていた十字架の光はその形を変え、束縛器具のように蓮華の両腕、両足を空中で縛り上げた。

 そして、それを確認すると、魂の傀儡子は白桃の贈与の石を掌に乗せ、蓮華へと差し出した。

 「魂の共鳴、完了。」

 魂の傀儡子がそう言うと、とたんに蓮華の口が、魂の傀儡子に合わせて動き出した。

 「「我、自らの魂を臓物として、汝に授けることをここに宣言する。」」

 魂の傀儡子の声と、蓮華の声は完全に重なり、操られていた蓮華が詠唱を唱え始めた。

 「卓! あれは魂の売って覚醒させるための詠唱よ!」

 すかさず真理が叫んで、何度も体を束縛から解こうと試みたが、いずれも失敗した。

 「くそっ! 何とかならねーのか!」

 卓も頭で考えうより先に体を動かし、しかし、抜け出せずに唇を思いっきり噛んだ。

 すると、卓の口から血が流れ出した。

 「卓、血が!」

 「こんなもの……。蓮華を何とかしないと! …………血?」

 流れ出す血を気にも留めず暴れていた卓は、一旦動きを止め、そして刹那に考えを張り巡らせた。

 「卓?」

 急に黙り込んだ卓を真理は心配そうに見つめていた。

 「真理! ここから抜け出せるかもしれない!」

 「えっ!?」

 空中で身動きを完全に封じられた卓と真理を放置したまま、魂の傀儡子は蓮華を操って詠唱を続けた。

 「「汝、我との契約をここに解約することを提示する。」」

 詠唱を唱えるたびに、白桃の贈与の石の輝きは増していき、今では月明かりに照らされていた廃工場を太陽のごとく照らしていた。

 「うごあっ!」

 邪蛇の綻に締め付けられていた卓は、顔を腕のところまで近づけ、そして、腕を思いっきり噛んだ。

 「卓!?」

 突然、妙なことを始めた卓に動揺を隠しきれなかった真理は卓に身を寄せようとしたが、邪蛇の綻の束縛によって阻止された。

 「はあ……はあ……。……大丈夫だ。」

 自分の腕を少し噛みちぎった卓の顔は所々血で赤く染まっていて、そして、当然腕からも血がどくどくと流れ出していた。

 「何してんの!?」

 卓の行動の真意が分からない真理は叱咤するよりほかにやることはなかった。

 「多分、これで抜け出せる。」

 そう言って卓は、自分の腕にちらりと視線をやると、真理もそれを追って、卓の腕を見た。

 「えっ?」

 すると、卓の腕から流れ出していた血が、邪蛇の綻に流れていた魂の傀儡子の血と混じり合わさっていた。

 「血を介して意思伝達するなら、俺も血を介して意思伝達するまでだ。」

 卓は痛みから流れる汗を少し気にしつつ、笑顔を作った。

 「また無茶なことを……」

 だが、真理の表情は柔らかな笑顔となっていた。

 「いくぞ……」

 卓は何かを念じるように、目を瞑った。

 (束縛を解け……!)

 卓が心の中でそう呟くと、邪蛇の綻は締め付けていた体から力を抜き、真理と卓は邪蛇の綻の束縛から解放された。

 「やった!」

 卓が満足げな表情を浮かべ、着地すると、真理が駆け寄ってきた。

 「卓、腕大丈夫?」

 「ああ、これくらいなんともないよ。」

 腕からは未だに血が流れていたが、特に気にした様子もなく、卓は魂の傀儡子へと視線を移した。

 「詠唱に気を配っているせいか、まだ気が付いていないみたいね。」

 「急ごう!」

 そう言って卓は魂の傀儡子の背後に近づき、そして、そのまま背中を切りつけた。

 「かっはっ!?」

 いきなり背後からの攻撃を受けた魂の傀儡子はとっさに魂の共鳴を解除して、そのまま前屈みに倒れ込んだ。

 「はあ……はあ……。……蓮華を解放しろ!」

 切りつけたままの体勢で、卓は見下ろすように怒鳴った。

 「どうやって、あの束縛を……!?」

 解せないという表情で、魂の傀儡子はのらりの立ち上がった。

 背中から流れ出す血が地面に滴り落ちる音は、断絶された廃工場の中に意外と響いた。

 「!?」

 魂の傀儡子は、卓が答えるまでもなく、自分のつけた覚えのない腕の傷を見て理解した。

 「自分の血を織り交ぜたのですか。」

 出来るだけ平静を保とうとした魂の傀儡子だったが、その声色にはどこかどす黒さが垣間見えていた。

 頭上では、動こうとせず、じっと待機し続ける邪蛇の綻がいて、それを一瞥した魂の傀儡子は舌打ちした。

 「まさか、こんな形で邪蛇の綻を攻略するものがいるとは……!」

 「お前が散々罵ってきた人間に攻略された気分はどうだ?」

 卓は挑発するように言い放つと、魂の傀儡子は不敵な笑みを見せ、返答した。

 「ええ、最悪の気分ですよ。吐き気がするほどにね。」

 魂の傀儡子の表情は笑顔だったが、卓と真理にはどこか憎悪を醸し出しているように映っていた。

 「そっちの目的が分かった以上、余計な時間はかけられない。」

 日本刀を構える真理を、魂の傀儡子は笑顔から一変、険しい目つきで睨むように一瞥した。

 「ふざけるのも大概にしてください。私がこの計画を実行するのに、一体どれだけの時間を労したか。あなたがたのような子供に邪魔などさせません!」

 魂の傀儡子は大声でそう叫ぶと、上空で待機していた邪蛇の綻を指鳴らしで消滅させると、一瞬だけ、蓮華を一瞥し、再び卓と真理へと向き直る。

 「目的のためにならいくらでも自分の血くらい流してさしあげますよ!」

 再び、魂の傀儡子は杖の先端部分の刃を自分の腹部へと向ける。

 「卓。」

 「ああ。」

 そんな様子に、焦り一つ見せなかった卓と真理の腰からぶら下がる紅と蒼の贈与の石は、二人の心臓の鼓動に合わせて、光を脈打っていた。

 「愛する者を失う痛み、そんなのはもう経験しているんだよ。」

 卓は目を瞑り、そして、自分の母親である結衣子の笑顔を脳裏に浮かべ、そして、目を開く。

 「だからこそ、愛する人を守れる力が必要なんだ。」

 卓は隣に並ぶ真理の顔を見ると、真理もにっこりほほ笑んでいた。

 「戯言を!」

 魂の傀儡子は何の躊躇もなく、自分の腹部に刃を突き刺すと、当然、そこから大量の血が噴き出した。

 「ぐはあっ!」

 苦しそうにもがく魂の傀儡子と対峙していた卓と真理はそっと手をつないだ。

 「魂の傀儡子、その苦しみから今解放してあげる。」

 真理は、そう言って卓の握る手と日本刀を握る手に力を込めた。

 卓も真理に応じて、両手に力を込める。

 そして、同時にすうっと口を開く。

 「「契約の蒼紅そうく、我らの絆を具現せよ!」」

 卓と真理が同時に、同じ詠唱を唱えると、とたんに、光を脈打っていた紅と蒼の贈与の石が、今までにないほどに、目を開くことさえままならないほどの強い光を放った。

 「なっ!?」

 そんな光に魂の傀儡子は目を瞑り、そして、再びゆっくりと目を開けると、目の前には刀の代わりに、深紅と蒼の光が織り混ざって出来た巨大な一本の剣を2人で構える卓と真理の姿が視界に飛び込んできた。

 「!! それは……」

 その光景は魂の傀儡子に敗北感を与えるのには十分で、卓と真理には勝利への確証を与えていた。

 「終わりだ。お前は馬鹿にしてきた人間の、絆の力の前に朽ち果てるんだ。」

 「強さの本当の意味を知り得なかったあなたに、私たちは強さの真意を教えてもらった。感謝するわ。」

 そして、二人は口を紡ぎ、同時に一本の紅と蒼の光の剣を握る手に力を込める。

 「世迷言を! 邪蛇の綻!」

 魂の傀儡子の血を媒介に具現した邪蛇の綻が魂の傀儡子の周りに陣取った。

 「卓、今度こそ、ありがとう。」

 「俺の方こそ、真理がパートナーで良かった。……ありがとう。」

 邪蛇の綻など気にも留めず、廃工場を包み込む光の中で卓と真理は顔を向いあわせて、笑顔を見せると、魂の傀儡子に向き直って、光の剣を振り下ろした。

 「これで終わりなど認めぬ!」

 光の剣に向って邪蛇の綻は勢いよく突っ込むも、虚しく、一瞬のうちにして、燃やしつくされたように消滅した。

 「!! くそっ! くそっ! くそっ!!!!」

 魂の傀儡子は迫りくる剣を前に、一歩も動けずに、ただ最後はその叫びが廃工場の中を悲しくこだました。

 そして、最後は魂の傀儡子も光の剣の一撃に飲み込まれた。それと同時にすさまじい爆風が巻き起り、卓と真理の髪は激しく靡いていた。

 紅と蒼の光は廃工場に留まることを知らず、ところどころ朽ちて穴が空いた天井から漏れ、闇夜を明るく照らしていた。

 「謙介! あの光って!」

 その光に気がついた、廃工場の中心部で魂玉と対峙していた要が興奮気味に言った。

 「……ああ。あの2人に間違いない。ついに倒したんだ。」

 謙介もふいにその光を見上げ、ふっと表情を和らげて剣を降ろした。

 それまで要と謙介の周りにいた多数の魂玉も次々に炎上していき、あっという間にその場には謙介と要だけになった。

 「良かった……。本当に良かった。」

 要は笑いながら涙ぐんでいた。それを見た謙介も優しく微笑んで、紅と蒼に照らされた夜空を見上げた。

 (本当によくやった、真理、弟くん。)

 「謙介さん! 要さん!」

 謙介と要が勝利の余韻に浸っていると、突然、廃工場に2人を呼ぶ声が響いた。

 「小鉄!?」

 「どうしたの? こんなところまで来て。」

 本来、別の場所で結界を張っているはずの小鉄の登場に、不意打ちを突かれた二人は驚きを露わにしていた。

 「はあ、はあ。すみません、勝手に行動してしまって……」

 走ってきたのか、小鉄は乱れた呼吸を整えながら謝罪した。

 「いや、それは別にいいんだが、どうしたそんなに慌てて? 魂の傀儡子ならもうあの2人が倒したぞ。」

 「えっ? もう倒したんですか!?」

 「ええ。」

 驚いていた小鉄に対して、要が満足そうな笑顔で肯定し、謙介も無言で、力強く頷いた。

 「それは良かったです!」

 素直に喜んだ小鉄だったが、すぐに神妙な面持ちに戻って、言葉を続けた。

 「あ、それで、報告にきたんですけど、僕の結界に討伐者とも冥府の使者とも違う何かが引っ掛かったのですが。」

 「何!?」

 小鉄のその言葉にさっきまで表情が和らいでいた謙介と要もさすがに表情が硬くなった。

 「それで、その対象はここに向ってきたと思うんですけど。」

 「……私たちは見てないわね。」

 「ああ。」

 「……そうですか。」

 そして、廃工場には再び緊張の空気が充満した。

 断絶されたその空間にその雰囲気はあまりに重々しかった。

 「とりあえず、俺達もあの2人を追おう!」

 その静寂を破ったのは謙介で、要と小鉄もそれを承諾し、さらに廃工場の奥へと駈け出した。

 「はあ……はあ……。やっと決着が着いた……」

 「……5年間の因縁もこれで終わりね。」

 卓と真理は、自分たちの目の前で魂の傀儡子が地面にボロボロになって倒れ込んでいるのを確認して、そして拳と拳を合わせて、笑みを浮かべた。

 そして、宙に浮いて蓮華を拘束していた光は消え、蓮華の身体はゆっくり落下し始めた。

 「! おっと。」

 それに気がついた卓が、すかさず蓮華の下で両腕を構え、蓮華はお姫様だっこの格好で、卓の両手に身体を授ける風になった。

 「う、う……ん。……えっ? たっくん!?」

 瞳に光が戻った蓮華は自分の目の前に卓の顔があったことに驚き、赤面した。

 「ああ。」

 卓も少し距離が近かったことに照れ、顔を反らした。

 「えっ? えっ!? 何この格好!?」

 蓮華は自分が卓にお姫様だっこされていることに気が付き、卓の腕の中でじたばたした。

 「お、おい! 暴れるなよ!」

 卓も焦って、急いで蓮華を降ろした。

 「何、早速いちゃついてるのよ。」

 そんな2人の様子を、真理が目を細めて見ていた。

 「ばっ! いちゃついてなんて!」

 「そ、そうよ真理ちゃん!」

 卓と蓮華はそれぞれ赤面して、真理に反論した。

 「ふ~ん。まあ別にいいけど?」

 真理は拗ねたように唇を尖らせてそっぽを向いた。

 「な……何故だ……」

 そんな3人のやりとりが行われている中、廃工場に息絶えそうな魂の傀儡子の声が混じった。

 「「「……」」」

 それに、3人とも口を閉じ、じっと魂の傀儡子を見据えた。

 「何故……私が人間ごときに敗北する……」

 魂の傀儡子は決して身体を動かすことが出来ず、涙交じりのような声で続けた。

 「何故だろうな。そんなのは俺にも分からない。けど、俺には信頼できる仲間がいる。もし、俺とお前に決定的な違いがあるとするならそこなんじゃないか?」

 卓はゆっくり魂の傀儡子に歩み寄って答えた。

 「……」

 卓の答えに対して沈黙を取った魂の傀儡子に対して、真理が問いを投げかけた。

 「ねえ、聞かせて。さっき言った世界を救うって言葉。あれは本気なの? それともやっぱり嘘?」

 「……」

 真理の問いに一瞬眉をピクリと動かした魂の傀儡子は少しの間を開けて、そして口を開いた。

 「本気です。……私の目的は贈与の石を覚醒し、この世界を救うことでした。けほっ!

けほっ!」

 少し苦しそうに咳込みながら魂の傀儡子は続ける。

 「私がこの世界を救いたいという気持ちに一切の嘘偽りはありません……」

 「……」

 魂の傀儡子の言葉に真理が黙って聞いていると、背後から謙介、要、小鉄の3人が追いついてきた。

 「真理、弟くん、よくやった。」

 倒れる魂の傀儡子と、助け出された蓮華を見て、謙介は満足げな表情を再び浮かべた。

 「ところで、何か話していたみたいだけど?」

 話の内容が気になった要が問う。それに対して、魂の傀儡子が倒れたまま、弱弱しい口調で言った。

 「みなさんがお揃いになった今、私が消える前に少し昔話にお付き合いいただけますと嬉しいのですが。いえ、私がこの世界を救えなかったのは必然だったと知らしめられた気がします……」

 魂の傀儡子は悔しそうに、しかし、どこか清々しい表情をしていた。

 「お願い、話して。どうして蓮華をさらったのかも。」

 「……。これは、今から70年程前、私がこの世界に来たばかりのころの話になります。」

 魂の傀儡子は、ボロボロになって、咳込みながら、それでも決して口を動かすことを止めずに、目を瞑った。



 77年前、鳴咲市。

 このころの鳴咲市にレジャー施設や、大型ショッピングモールなんてものは当然存在せず、それどころか、町の規模すらも断然小さかった。

 鳴咲市は周りが山に囲まれていて、その町には個人経営している八百屋や、酒屋、駄菓子屋などが立ち並ぶ田舎の町という感じだった。

 そんな店の軒下に吊るされた風鈴が奏でる清涼感ある音が鳴り響く蒸し暑い夏のある日、鳴咲市の上空に突如、大きな黒い穴が現れた。

 「あれって……」

 田舎の空に似合わないその穴を発見した一人の女性は、甘味処と大きな看板が掲げられた店先で一本のみたらし団子を頬張りながら、空を見上げていた。

 「大変! 急がないと!」

 女性は黒い長髪で、身長は150センチあるかないかと小柄で、その顔はどこか幼さが残る可愛らしい人だった。

 そんな女性は慌てた様子で、残りの団子を口の中に放り込むと、薄手の浴衣の内側から紐で結ばれた皮財布を取り出し、数枚の小銭を座っていたベンチに置いた。

 「おばちゃん! お代はここに置いておくね!」

 そう言い残して、女性は慌ただしく下駄を鳴らしながら駈け出した。

 上空に現れた穴から、突然何か光ったものが放出され、その光は町から少し外れた山へと落下した。

 「ちょっ! あんなところに落ちちゃったよ!」

 少女のような女性は落下する光を目で追いながら、走り続けた。

 鳴咲の町には、女性が走るたびに鳴る下駄の音がリズムを刻んでいた。その音に気がついた店主や、町を歩く町民たちは女性が通ると必ずと言っていいほど声をかけ、そして、女性もそれら全員に愛想よく、それでも走る足を止めることなく挨拶をした。

 そんな調子で、光が落下した山の中に辿り着いた女性は乱れた呼吸を整えながら、そして着崩れした浴衣を直し、光の落下地点に近づいた。

 「うわ~、派手に着地したものね~」

 女性は周りの木々が倒れているのを見て、呟いた。

 「おやおや? 誰かいるのかな?」

 そして、大きく地面が凹んだ中心に人影を発見すると、女性は駆け足で近付いた。

 「……」

 クレーターのように凹んだ中心で立ちつくしていた男は180センチは超える長身で、この暑い夏にはふさわしくない、膝までかかるロングコートに身を包んでいた。

 言うまでもなく、その男は昔も今もその姿は変わることのない魂の傀儡子だった。

 「……」

 女性は黙りこくった魂の傀儡子をじっと珍しいものでも見るように見据え、少しの間の後に口を開いた。

 「暑くないですか?」

 女性は小さく首を傾げて訊ねた。

 「……。子供ですか……」

 魂の傀儡子は特に質問に答えるわけでもなくそう呟くと、女性はむっとして、反論した。

 「誰が子供かー! 私はこれでも二一歳なんだよ!? それなのに! それなのに、子供なんてひどい!」

 「……」

 まるで子供が駄々をこねるような感じで反論する女性を魂の傀儡子は冷ややかな目で見ていた。

 「むっ! 信じてないでしょ! 大体初対面なのに、その態度は失礼だと思うな! あなたは気が付いていないかもしれないけど、私はあなたが異世界の住人だってことくらい知ってるんだからね!」

 「なっ!?」

 女性の言葉に驚きを露わにした魂の傀儡子を見て、女性はにんまりと笑って続けた。

 「ふふん! 子供だと馬鹿にしてたら駄目なんだから! 私はこれでも討伐者なのだらね!」

 そう言って、女性は浴衣を着ていても分かるくらい慎ましいペッタンコな胸を張って得意げにした。

 「討伐者……」

 魂の傀儡子はとたんに警戒の眼差しを女性に向ける。

 「びっくりした? 私は討伐者の小田切スミレって言うの。よろしく!」

 そう言ってスミレと名乗った女性は、その小さな手を魂の傀儡子に指し伸ばした。

 「……何ですか? その手は。」

 対して、手を差し出すどころか、スミレを睨んだ魂の傀儡子は言った。

 「え? もしかして握手知らないの?」

 スミレはきょとんとした表情で魂の傀儡子を見て、首を傾げた。

 「……いえ、そういうわけじゃなくてですね。なぜ、敵である私にそのような行為を求めるのですかと訊いているのです。」

 そんな魂の傀儡子の言葉にスミレはきょとんとしたまま、そして、しばらくして笑いだした。

 「きゃはは、私とあなたが敵? 何で? だってあなたは私に何もしてないでしょ?」

 「……」

 スミレの邪気のないその笑顔を見て、魂の傀儡子は戸惑っていた。そして、言葉を探し出すように、何度も口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返し、やっと言葉を出した。

 「私はこの世界に偵察に来たのですよ?」

 「偵察? 何の?」

 ただ純粋に興味の眼差しを向けてくるスミレに魂の傀儡子は一瞬たじろぐもこほんと咳払いを一つして、話を続けた。

 「あなたが本当に討伐者なら分かるでしょう? 私たちがどのような存在なのかを。そして、私たちの世界がどのようなところかも。」

 「うん、知ってるよ?」

 「私たちはこの世界を手に入れたいのですよ。この住みよい世界を。」

 魂の傀儡子の言葉を聞いたスミレは一瞬考え込んだように顔を伏せ、そして、顔を上げると満面の笑みを見せた。

 「じゃあ住めばいいよ!」

 「……はい?」

 魂の傀儡子は呆気に取られた表情で訊き返した。

 「だから、ここに住みたいんでしょ? なら住めばいいんじゃない?」

 「あなたは何も分かっていない。私たちは魂を喰らう者なのです。もしそんな我々がこの世界に住めば、あなたたち人間は絶滅することになるのですよ?」

 「……優しいんだね、あなた。」

 スミレはその幼い顔とは打って変わって、全てを抱擁するような柔らかな笑顔を向けると、魂の傀儡子は少し顔を赤らめて視線を外した。

 「……何を言っているんですか。私は優しくなどありません。今回、この世界に来たのも世界移転計画ゼロ・フォースの遂行のためですから。」

 「世界移転計画ゼロ・フォース?」

 魂の傀儡子の口から放たれたその単語をスミレは訊き返した。

 「この世界と虚無界を入れ替える計画です。我々、虚無界の住人はこの計画を実行する予定なのですよ。どうです? これでもまだ私を優しいなどと言うおつもりですか?」

 その質問にスミレは笑顔を崩すことなく頷いた。

 「なっ!?」

 予想外の反応に魂の傀儡子は動揺を隠せずにいた。

 「だってあなた、まだそんなことしていないじゃない。それに、本当に心からそんなことを望んでいる人は、わざわざ自分の計画なんて明かさないよ?」

 スミレの無垢な笑顔に魂の傀儡子はどう反応していいか分からず、ただ声を荒げた。

 「よくもそんなことが言えますね! あなたたち討伐者は我々を殲滅するために存在しるのでしょう! それなのに、私に対してそんな言い草……」

 魂の傀儡子の反論に対してスミレは首を横に振ってから、口を開いた。

 「討伐者と、異界の住人が必ずしも敵だなんて私は思いたくないの。だってそんなの悲しすぎるでしょう? あなたが私に何の危害も加えていないうちから嫌うなんて、それこそ人間らしさが失われていると思わない?」

 「…………」

 スミレの問いに魂の傀儡子は沈黙を決め込んでいると、スミレはふっと笑って続けた。

 「もし、あなたが何か悪いことをしでかそうものなら、その時は私が怒ってあげる。その代わり私が何か悪いことしようとしたときはあなたが怒ってね?」

 「……あなたは理解し難い人間です。私が人間の言うことを素直に聞くと思っているなんて……」

 魂の傀儡子のその言葉にスミレは細く、綺麗な指をぴっと立てて可愛らしい声で言った。

 「あなた、なんて他人行儀はよくないよ? 私のことはスミレって呼んで。」

 「……はい?」

 「だから、友達なら名前で呼び合うのが普通でしょ? だからスミレって呼ぶの! あなたの名前は?」

 本人は剣幕を張っているつもりなのだが、如何せんその小さな身体で声を張っても、微笑ましくはあっても、威厳などは微塵もなかった。

 「名前……。私たちにそのような概念はないのですよ。しかし、字は魂の傀儡子。せっかく会えたのです、これだけは教えといてあげますよ。」

 魂の傀儡子がそう言い終えると、自身は黒い靄に包まれた。

 「どっか行っちゃうの?」

 その様子をスミレは不思議そうに見ていた。

 そして、魂の傀儡子を完全に包みこんだ黒い靄の中から声が聞こえた。

 「当然です。私は子供の茶番にお付き合いする時間などないのですから。」

 「……って! 誰が子供かー!!!」

 スミレの叫びも山に虚しく反響するだけで、黒い靄は次第に消えて行った。

 「もう! あっ! 私の家は山のふもとにある和服屋だからね!」

 誰もいない山の中でなおもスミレは叫んだ。その可愛らしい、透き通るような声は、夏の虫の声と混じって山の中に響く。

 スミレはふうっとため息をついてから山を下山した。


 その夜、山に囲まれた鳴咲市に、虫の涼しげな鳴き声が響き渡るころ、町はところどろこに設置されたオレンジ色の街灯が灯り、道には人影もほとんど見当たらなくなっていた。

 そんな鳴咲市のほぼ中心部にあった無人の工場に魂の傀儡子を壁に身を寄せ座り込み、瞼を閉じていた。

 (小田切スミレ……。なぜでしょうか、あれから彼女の笑顔が頭から離れない……)

 夜の無人となった工場は静寂で、物思いに老けるにはことのほか絶好の場所であった。

 だが、そんな静寂もすぐさま破られてしまう。

 「貴様、異世界の住人だな。」

 無人だったはずの工場で、魂の傀儡子がうっすらと開けた視界には、誰かの爪先が飛び込んできた。

 「……。いかにも。」

 魂の傀儡子は特に動きを見せるわけでもなく、返答する。

 「そうか、なら。」

 声は低いトーンで、お世辞にも聞き心地が良いとは言えなかった。

 そんな声の主は突然、魂の傀儡子に向かって腰刺しを抜刀し、振り下ろした。

 「!?」

 魂の傀儡子はとっさにその場を回避し、声の主である男の背後に回り込んだ。

 「我は討伐者、剛腕ごうわん豪主ごうしゅ! 異世界の住人よ、ここで我に討伐されるがよい!」

 そう言って、剛腕の豪主の二つ名を持つ男は再び腰刺しを振りかぶった。

 「剛腕の豪主……。その名、覚えておきましょう。」

 魂の傀儡子は余裕の表情で、杖を手に取と、目にもとまらぬ速さで剛腕の豪主を斬りつけた。

 「なっ……」

 剛腕の豪主は腰刺しを振り上げたまま、硬直したように、ただ視線を斬りつけられ血が溢れだす腹部に移した。

 「ですが、すみません。もう忘れました。」

 魂の傀儡子は剛腕の豪主に向き直り、そして、杖の先端部分の刃に付着した血を舐めながら笑みを浮かべた。

 「くっそ……」

 剛腕の豪主はその場で崩れ去り、だが、その直前に魂の傀儡子に向けて、安全ピンを引き抜いた手榴弾を投げ込んだ。

 「えっ!?」

 魂の傀儡子が反応するのと同時に手榴弾は爆発し、工場内は赤い炎で炎上した。

 すぐさま町から消防車のサイレンが聞こえ、魂の傀儡子は爆発に巻き込まれ、負傷した身体を引きずりながら工場を後にした。

 

 「はあ……はあ……」

 身体を床に強く打ち付け、爆発のせいで飛んできた工場の破片で身体を傷つけた魂の傀儡子は《小田切和服店》と書かれた一軒家の玄関先にいた。

 (全く……。なぜ私はこんなところに来ているのでしょう……)

 そんなことを思いつつ、魂の傀儡子はその場にばたんと倒れ込んだ。

 一方、魂の傀儡子が倒れている玄関先の家の中ではスミレが卓袱台ちゃぶだいに並べられた夕食を次から次へと口の中に放り込んでいた。

 「全く! 今日初めて会った人にお子様だって馬鹿にされたんだよ!? 酷いと思わない!?」

 喋りながら愚痴をこぼすスミレを、向い側に座っていたスミレの母は適当に相槌を打ちながらあしらっていた。

 「大体! なんでいつもこんなにご飯食べてるのに大きくならないのよ~」

 スミレは一旦箸の動きを止めて、はあっとため息をついた。

 「いつか、きっと大きくなるわよ。」

 スミレの母親はにっこりほほ笑むと、空いた食器から順に台所へ運んで、洗い出した。

 「だと、いいんだけど。」

 少し声のトーンが低くなったスミレを見て、母親は、エプロンで濡れた手を拭くと、数枚の小銭をスミレの前に差し出した。

 「これでアイスでも買ってきなさい。」

 「えっ!? でも……」

 スミレは最初は嬉しそうな表情をしたが、すぐにその表情は曇った。

 というのも、スミレの家は母が一人で子供を育てる、いわば母子家庭で、お世辞にも裕福な家庭とは言い難かった。

 「今日だけ特別よ。あなたももう二十歳過ぎたんだから、そろそろアイスも卒業しないとね。」

 「ありがとう! あっでも、アイスは卒業するつもりないもん!」

 スミレはそう言って勢いよく玄関のほうへ駈け出した。

 下駄を履いて玄関を飛び出ると、スミレはすぐに倒れ込んだ魂の傀儡子を発見した。

 「あっ! 昼間の! ちょっとちょっと! 大丈夫!?」

 スミレがボロボロになった魂の傀儡子の身体を揺すってみるが、微動だにせず、スミレは仕方なく、魂の傀儡子の腕を引っ張り、引きずりながら家の中へと連れ込んだ。

 「スミレ? どうしたの?」

 あまりに早すぎる帰宅に、母親が台所から顔を覗かせた。

 「お母さん、今日知り合った人が家の前で倒れてて……」

 スミレは何かを訴えようとする眼差しで母親を見つめた。それに気がついた母親は、ほほ笑んで口を開いた。

 「おうちに上げてあげなさい。」

 「……うん!」

 その言葉にスミレは満面の笑みを浮かべ、そして、居間に魂の傀儡子を寝かせた。

 「この人、こんな夏にこの格好……。暑くないのかしら?」

 スミレの母親は、冷水に浸した手ぬぐいを4等分に掘り畳んで、寝かされた魂の傀儡子の額にそっと乗せた。

 「うん、多分この人は大丈夫なんだと思うよ。」

 スミレは母親の疑問に自身が魂の傀儡子に同じ疑問を投げかけたときのことを思い浮かべ、くすりと笑った。

 「そう、じゃあ私は少し冷たいお水でも汲んでくるわね。」

 そう言って母親は玄関から外へ出た。

 スミレの実家には家の横に、私物として所有している井戸があり、そこからわき上がる天然水はまさに絶品だという。

 「う……。」

 スミレの母親が玄関を出るのとすれ違いに、魂の傀儡子は意識を取り戻した。

 真っ先に視界に、天井から吊るされた電気が飛び込み、とっさに手で影を作る魂の傀儡子。

 「あ、気がついた!?」

 そんな魂の傀儡子の顔をスミレは無邪気な笑顔で覗きこんだ。

 「なっ!?」

 スミレの姿を認識するなり、魂の傀儡子はとっさに上体を起こし、後退した。

 その際に、額に乗せられた手ぬぐいは床に落ちた。

 「そんなに驚かなくても。」

 魂の傀儡子の反応に不服を抱いたスミレは頬を膨らまし、唇を尖らせた。

 「なぜ、あなたがここに……」

 「なぜって、それはここが私の家だからなんだけど。」

 スミレはきょとんとした表情で淡々と答える。

 そして、スミレの返答を聞いた魂の傀儡子は居間を見回した。

 「たまちゃん、私の家の玄関先で倒れてたんだよ?」

 「そうですか……。……って、えっ? たまちゃん?」

 あまりに自然すぎる流れでスミレがそう呼んだ名前に魂の傀儡子は怪訝そうな表情を浮かべた。

 「言ったでしょ? 友達なら名前で呼ぶのが普通だって。魂の傀儡子だから、略してたまちゃん! どお? 可愛いでしょ?」

 スミレはえへへとはにかむ。

 「……。呆れて何も言えません。」

 魂の傀儡子ははあっとあからさまに呆れて見せると、玄関の引き戸がガラガラと音を立て、水を小柄な桶に汲んで来た母親が戻ってきた。

 「あら? お目ざめになりましたか?」

 母親は、上体を起こし、スミレと話していた魂の傀儡子を見ると、にっこりとほほ笑んだ。

 「……では、私はこれで。」

 魂の傀儡子はスミレとスミレの母親を一瞥すると、すくっと立ち上がったが、身体がふらついて居間の柱に体重を預けた。

 「ほら! あんまり無理しないの!」

 そう言ってスミレは魂の傀儡子の身体を両腕で支え、ゆっくりと居間に座らせた。

 「……」

 魂の傀儡子は無言でされるがままにしていたが、その表情は困惑と疑いを浮かべていた。

 「今、何か食べるものをお作りしますね。」

 母親は、水の入った桶を魂の傀儡子の近くに置くと、キッチンに立ち、冷蔵庫からいくつか食材を取り出した。

 「目的が読めません……。なぜここまで親切を貫くのです?」

 母親がキッチンに姿を消すのを確認すると、魂の傀儡子はスミレにポツリと呟いた。

 「もお! だから! 友達だからって何度も言ってるじゃない!」

 「……だから、こちらも何度も言っていますが、あなたとは友達ではないのです!」

 魂の傀儡子も張り合うかのように返答する。

 「スミレって呼んでよ! あなたってのは金輪際禁止!」

 「くっ!」

 スミレの小さな身体なりの剣幕に、魂の傀儡子は一瞬たじろいだ。

 「なら、スミレさん! 私は友達になどならないと言っているのです! そもそも、敵同士なのですから、こんな慣れ合いは――」

 魂の傀儡子の言葉を遮り、スミレはなおも言葉の応酬を続ける。

 「敵じゃないもん! 友達って言ってるでしょ。そんなに私と友達になるの嫌?」

 スミレの瞳は先ほどまでになく、潤んでいて、それを見た魂の傀儡子は言葉に詰まった。

 「……だから、そういうことではなく。」

 「じゃあ友達でいいでしょ!?」

 その一言が止めを刺し、魂の傀儡子は開きかけていた口を閉じ、大きなため息を一つ漏らした。

 「はいはい、スミレその辺にしておきなさい。すみませんね、我がままな娘で。」

 スミレの母親が、お盆にお粥と冷水の入ったグラスを乗せて、居間に入ってきた。

 「……」

 魂の傀儡子が口をつぐんでいると母親は、にっこりほほ笑み、お盆を魂の傀儡子の前に差し出した。

 「あまり、ちゃんとしたものは出せませんけど、よかったらどうぞ。」

 そのお粥を見て、魂の傀儡子はスミレを一瞥し、言った。

 「私の食とするのは生物の魂です。このようなものでは命を保つことはできないのですよ。」

 「いいから、食べなさいって。お母さんのお粥美味しいんだから!」

 えへんと胸を張るスミレをはあっとため息交じりに見てから、魂の傀儡子はレンゲでお粥を少量すくうと、口に入れた。

 「!? ……美味。」

 魂の傀儡子の反応に、スミレと母親は満足げな表情を浮かべる。

 「まだまだたくさんありますので、どうぞ遠慮なく食べてくださいね。」

 そう言い残して、母親はまたキッチンの方へ姿を消した。

 「ほーら、言ったじゃない。お母さんのお粥は絶品なんだから!」

 「……確かに、このお粥というものは絶賛するに値します。ですが、やはりこれでは私の命は取り留められないのです。」

 「生物の命なら何でも大丈夫なの?」

 スミレは顔を覗かせるように訊くと、魂の傀儡子は顔を少し反らし、答えた。

 「ええ、基本的には。ですが、小動物などの魂なら数でカバーするしかないですね。」

 「……そっか。」

 スミレは手を顎に当てて何かを考え込むように唸った。

 「……、スミレさん、私のことをそこまで気にしてくれる人間はあなただけです。ですが、私のことは気にかけない方が賢明ですよ?」

 「何で?」

 あまりに人を疑うとういうことを知らないスミレの表情はいつも裏表がなかった。だからこそ、その瞳を魂の傀儡子は直視することはできなかった。

 「私はいずれ、あなたと敵対することになるからです。」

 「……そのときは、そのときで考えよう? 今からそんなこと考えるのは悲しすぎるよ。」

 スミレのその言葉に、魂の傀儡子は何も言い返すことはできなかった。



 それから、11カ月の月日が流れた。

 魂の傀儡子はスミレとスミレの母親に心を開き始め、今では和服店の手伝いをするほどにまでになった。

 肝心の食だが、鳴咲市を囲む山々に住む動物の魂を定期的に食らうことで命にも問題が無く、充実した日々を送っていた。

 「ところで、スミレさん、気になっていたのですが、言ってもいいですか?」

 突然、居間で夕食後のみたらし団子を頬張るスミレの横で魂の傀儡子がそんなことを言った。

 「どうかしたの、たまちゃん?」

 「ええ。」

 そこで、一旦魂の傀儡子は一呼吸置いて、そして言い放った。

 「最近、太りました?」

 それを言い終えるのとほぼ同時に、魂の傀儡子の頭にスミレの鉄拳が下された。

 魂の傀儡子は思いっきり殴られた頭を両手で押さえて、居間にのたうちまわった。

 「女性に向ってなんてこと言うのよ!」

 スミレは目つきを鋭くして、のたうちまわる魂の傀儡子を見下ろすように立ちあがった。

 「で、ですが、そのお腹……」

 そう言って魂の傀儡子は人差し指でスミレの腹部を指差した。

 確かに、11カ月前よりお腹は膨らんでいるのは確かだった。

 「だ、だから! ……これは妊娠したのよ……」

 一旦大声を張り上げるも、最後はぽつりと小さな声で呟くように言った。

 「妊娠!?」

 「うん。」

 恥ずかしそうに、しかし、嬉しそうにスミレは頷いた。

 「そんな、私たちいつの間に。」

 それに対し、魂の傀儡子はわざとらしく、自分で自分の身体を抱きしめ、一歩後ずさりした。

 「ちょっ! 何言ってるのよ!? たまちゃんの子供じゃないわよ!?」

 「はは、分かっていますよ。しかし、驚きました。スミレさんに夫がいたのですね。しかし、夫はどこにいかれているのですか? 一度もお会いしたことがないのですが。」

 魂の傀儡子の質問にスミレの表情は一瞬、けれど明らかにくぐもった。

 「ちょっと前に死んじゃったんだ……」

 「!?」

 自分の問いのせいで傷ついたスミレを見て、魂の傀儡子は後悔の念にさいなまれた。

 「たまちゃんが気にすることじゃないよ! それに、私の夫も討伐者で、仕事で亡くなったんだし、仕方ないよね……」

 平穏、それはいつ訪れるのかも、そして、いつ去って行くのかも分からないもの。だからこそ、生物はその一瞬一瞬を本気で生きて行くしかない。

 ただ、魂の傀儡子はこのとき、この瞬間、自分とスミレが築き上げた平穏が段々と、しかし確実に崩れかけていることに気がついた。

 「あの……スミレさん、その、旦那さんが亡くなったのは――」

 「11か月前って聞いたけど……」

 魂の傀儡子が言い終える前に、スミレは答えた。

 そして、その答えを聞き、魂の傀儡子は確かに聞いた。いや、聞こえてしまった。

 平穏が完全に崩れ去る音を。

 「…………スミレさん、長い間、お世話になりました。」

 突如、魂の傀儡子は居間で立ち上がり、スミレに背中を向けるように、身体を反転させた。

 「えっ!? どうしたの、たまちゃん?」

 突然の、予想だにしなかった反応にスミレは戸惑っていた。

 「……」

 魂の傀儡子は返事をすることなく、無言で玄関に向った。

 「ちょっと! どこに行――」

 魂の傀儡子が玄関に向かっていると、背後からバタンという音が聞こえ、すぐに振り返った。

 そこには、廊下に倒れ込んだスミレがいた。

 「スミレさん! ……」

 すぐに駆け寄ってスミレを抱き起そうとしたが、魂の傀儡子の身体は動かなかった。

 そんな中、スミレの母親がキッチンから顔を出し、倒れ込んだスミレを発見すると、すぐに抱き起しに駆け寄った。

 (……すみません、スミレさん)

 魂の傀儡子はスミレがちゃんと母親に運ばれて行くのを見届けると、ゆっくりと玄関の引き戸を開け、そして挨拶もなしに出て行った。

 外に出ると、夏の蒸し暑い夜風が、魂の傀儡子を襲う。

 「……やはり、人間と我々では共存することなどできないのですかね……」

 魂の傀儡子は誰に言うでもなく、スミレの家を見て、呟いた。

 そして、行くあてのない魂の傀儡子はただ、足を動かし、スミレの家を後にした。

 

 一方、魂の傀儡子が出て行ってから十数分後、スミレの家では、スミレが居間に敷かれた布団の上で尋常ではないほどの多量の汗を流し、苦しそうにしていた。

 「スミレ! お医者さんが来たわよ!」

 玄関から慌ただしく居間に入ってきた母親とその後に入ってきた医者の額からも汗がにじみ出ていた。

 「スミレさん! 力を抜いてください!」

 医者はすぐに布団の上で苦しそうにするスミレの手を握った。

 「んぅ!! くぁ!」

 しかし、スミレの全身に走る、気を失いそうなほどの激痛が止むことはなかった。

 「お母さん! お湯を用意して下さい!」

 「!? はい!」

 医者の言うとおり、スミレの母親はキッチンでたるにお湯を注ぎ始めた。

 「もう、病院に運ぶ時間はありません! 自宅出産ということになりますが。」

 医者の確認に、母親はスミレを心配そうに見つめ、その後頷いた。

 「では、スミレさん、一緒に頑張りましょう!」

 医者に手を握られたスミレは苦しそうに、それでも笑顔を浮かべ頷いた。

 「ゆっくり息を吐いてください。ひ、ひ、ふー。ひ、ひ、ふー。」

 「ひ、ひ、ふー……くはぁ!」

 医者と同じように息を吐こうとするも、そのたびに無情にも、激痛はスミレを襲った。

 そんな様子に母親は、とっさに両手で目を覆いたくなったが、何度も自分で自分の手を押さえつけ、スミレの片手を手に取った。

 「頑張るのよ、スミレ。」

 母親は、目を瞑り、神に祈るような想いで、両手でスミレの手を握った。

 「んぅ! う、ん。」

 痛みに耐えながら、スミレは母親に返事を返した。

 そんな姿を見て、母親の目には涙が溜まっていた。

 「お母さん、血を拭くものを用意してください!」

 「はい!」

 医者の指示を受け、母親は急いで洗面所から、数枚のタオルを持ってきた。

 それからも、スミレは何度も気を失いそうな痛みと戦いながら、それでも何度も気を失っては、激痛に現実に引き戻されるという、残酷な光景が居間にあった。


 

 スミレが出産に苦しんでいるころ、魂の傀儡子は以前に剛腕の豪主と戦い、その際火災が起きてから、使われなくなった工場にいた。

 蒸し暑い工場の中で、魂の傀儡子はコンクリートの壁に身を寄せていた。

 「……私が、スミレさんの旦那を殺した……。スミレさんの幸せを奪ってしまったのですね……」

 魂の傀儡子の腕にポタポタと涙が零れおちた。それは、何度も手で拭っても溢れだし、次第には涙を拭うことさえ止めた。

 「くっ、んく。」

 魂の傀儡子はまるで子供のように泣きじゃくった。

 そんな中でも、魂の傀儡子の頭の中にはこれまでのスミレとの思い出が次から次へと思い浮かび、そのたびに涙があふれ出した。

 「魂の傀儡子、いずれここに来ると思っていたよ。」

 悲しみに浸っていた魂の傀儡子はいつの間にか6人の男女に囲まれていた。

 「!?」

 そして、有無を言わさず、そのうちの一人が放った弓矢が魂の傀儡子の身体を突き刺した。

 魂の傀儡子はその場で倒れ込んだ。

 (ああ、私には神の御加護なんてものは与えられなかったのですね。)

 魂の傀儡子は、工場の天井を見上げて、流れ出す血なんて気にも留めず、思った。

 「まだだ! アイツはこの程度じゃ死なない! 構えろ!」

 男の言葉を合図に6人はそれぞれ弓を構えた。

 (もう、ここで死んでしまうのもいいかもしれませんね……)

 それに対して、魂の傀儡子は動くこともせず、ただ無防備に倒れ込んだまま、静かに目を閉じた。

 すると、その瞬間、脳裏にスミレの言葉が過った。

 『私たち、友達でしょ!』

 その言葉に、魂の傀儡子ははっと我に返ったように目を開けた。

 (……友達。そうだ、私はスミレさんと友達になることを受け入れた。なのに、私は友達を見捨てて、なぜこんなところに……。罪はしっかりと償わなければならない。でも、それはこんなところで死ぬことではない!)

 「撃てえええ!」

 男の言葉を合図に、魂の傀儡子は六本の矢に捉えられた。

 魂の傀儡子は無言で、向ってくる矢など恐れずに立ちあがった。そして、ぽつりと呟いた。

 「スミレさんのところに戻らなくては。そして、真実を話し、その上で謝らなければ!」

 魂の傀儡子はそう言って、片手の上に青い炎を出現させ、自分の周りにその炎を蒔いた。

 「なっ!?」

 青い炎は一瞬のうちに飛んでくる矢を全て飲み込み、さらに、魂の傀儡子を囲んでいた6人の男女も焼きつくした。

 青い炎の中心で堂々と君臨していた魂の傀儡子の目には確かな決意が込められていた。

 そして、夏の夜空の下で、工場は青い炎に燃やしつくされて行った。

 


 出産作業を開始してから、3時間ほど経過した小田切和服店からは未だにスミレの苦しむ声が聞こえていた。

 急いで戻った魂の傀儡子も、最初はその状況に慣れず、スミレの苦しむ姿に何度も胸を痛め、血が出てきそうなほど強く唇を噛みしめ、けれど、絶対に握ったスミレの手を離すことはなかった。

 「スミレさん!」

 スミレが痛みで暴れようとすれば、魂の傀儡子は何度も名前を呼び、医者と一緒にスミレを押さえつけた。

 魂の傀儡子にとってこの数時間は何年にも思えるほど長く、そして、これほど残酷な光景は見たことがなかった。

 だからこそ、自分で自分の存在を恨めしくさえ思ってしまった。

 命を生み出すということはこれだけの苦しみを伴い、そして、たくさんの血と汗を流してようやく成し得るこの世の、これ以上ないほどの奇跡なのだと知った。

 魂の傀儡子は、そんな奇跡が生み出した物を喰らう。だからこそ、その心境は複雑という言葉程度では言い表せないほど、いろいろな感情が渦巻いていた。

 「はあ……はあ……た、まちゃん……、ごめん……ね……。夫の……こと、たまちゃんに……。……辛かったよね……ごめんね……」

 気を失うほどの痛みの中で、スミレは弱弱しく、それでもいつもの笑顔を作ろうと必死で、ほほ笑み、握られた魂の傀儡子の手を握り返した。

 「!!?? なぜ、スミレさんが謝るのです!? 私を怨んでこそすれ、謝る必要はっ――」

 魂の傀儡子はスミレの口から言われた謝罪の言葉に動揺し、だが、その言葉をスミレは無言で、首を横に振って遮った。

 「私……たま、ちゃんのこと……恨んでなんか……ないよ? ……だって……私は……たまちゃんのこと…………大好きだから。」

 スミレの口から聞かされた『大好き』の言葉に、魂の傀儡子はそれまで一度も泣いたことがないといくらい、たくさんの涙を流した。

 次から次へと流れ出るその涙はポタポタとスミレの手の甲に滴り落ちる。

 そんな魂の傀儡子の顔を見て、スミレはぎゅっとさらに握った手に力を込めた。

 「んあっ! くぅっ!」

 しかし、次の瞬間、またスミレは激痛に、悲痛の叫びをあげた。

 「生まれますよ!」

 医者の一言、そして、ほんの刹那、居間に嵐が過ぎた後のような静寂が訪れ、だがそれも、すぐに破られた。

 「おぎゃー! おぎゃー!」

 居間には元気な赤ちゃんの産声が響いた。

 「元気な女の子ですよ!」

 医者は血まみれの赤ちゃんを、お湯で濡らしたタオルで綺麗に拭くと、スミレの母親に手渡した。

 「スミレ! 良かったわね! 元気な女の子よ!」

 母親の目からは涙が流れ、でも、これ以上ないほどの幸せそうな笑顔をしていた。

 そんな奇跡を目の当たりにした魂の傀儡子は自然と笑顔になっていた。

 「……スミレさん……。命ってこんなにも美しいのですね……」

 魂の傀儡子はそう言って、布団に横たわるスミレに目線を移す。

 すると、そこには体中汗まみれで弱弱しいスミレの姿があった。

 「スミレさん……?」

 目を閉じたままのスミレを不信に思った魂の傀儡子はふいに医者を見ると、医者は焦ったように、スミレの胸に耳を当てた。

 「!? 心臓の鼓動が遅い!?」

 「「!!??」」

 医者のその一言にスミレの母親と魂の傀儡子の表情から血の気が失せた。

 「スミレさん!? 起きてください! 赤ちゃんが生まれたのですよ!?」

 「スミレ! あなたがお母さんになるのよ!」

 二人のそんな必死な呼びかけにもスミレは指先すら動かすことなく、目を閉じたままだった。

 そして、数分後、ついに心臓マッサージをしていた医者もその手を止めた。

 「そんなっ……」

 スミレの母親は医者が無言で首を横に振ったのを見ると、その場に泣き崩れた。

 「……スミレさん……」

 魂の傀儡子も声を上げてというほどではないにしろ、さきほどまでとは違う涙があふれ出ていた。

 蒸し暑い夏の夜、小田切和服店に新たな命が生まれた日、スミレは静かに命を引き取った。


 数日後、魂の傀儡子とスミレの母親は喪服に身を包み、居間に飾ってあるスミレの遺影の前に正座していた。

 遺影の前には数本の束になった線香が静かに煙を上げ、遺影のスミレはいつも魂の傀儡子に見せていた無邪気な笑顔だった。

 「スミレはね、あなたに会った日、ずっとあなたの話をしていたの。」

 「……」

 ふいに切り出されたその言葉に魂の傀儡子は無言で聞いた。

 「自分のことを子供扱いする! なんて言って、半分愚痴のようだったけれど。」

 「そう、ですか……」

 「でもね? そんなとき、あの子ったら嬉しそうに笑ってるの。とても愚痴には聞こえなかった。傍から見たら惚気のろけのようなもの。」

 スミレの母親はそこまで言うと、ふっと居間の端で布団の上で小さな寝息を立てて寝る赤ん坊を見て、口元を緩め、続けた。

 「あの子、嫌なことがあっても笑顔でそのことを話す癖があるのよ。私にはそれが分からなかった。でも、あなたのことを話すあの子を見てようやく分かったわ。」

 「……何故ですか?」

 魂の傀儡子の問いに、スミレの母親は、スミレが死んでから初めて見せる笑顔で答えた。

 「愛していたから。あの子はあなたを愛していたの。そして、それと同じようにこの世界を愛していた。だから笑顔でいられたんだと思うの。」

 「……スミレさんらしいですね。」

 「ほんとね。」

 魂の傀儡子とスミレの母親は笑い合った。そして、その笑い声に目を覚ました赤ん坊も泣き声をあげた。

 居間にはそんな賑やかさが一瞬だけれども戻った。

 そして、魂の傀儡子は確かにそこにスミレも一緒になって笑い合っている、そんな感じがした。



 

 「これが、私が世界を救いたいという言葉の意味です。」

 廃工場に倒れたまま、魂の傀儡子はひと呼吸おいて、目を開けた。

 すると、魂の傀儡子の話を真剣に聞く、卓、真理、謙介、要、小鉄、そして、うっすらと瞳に涙を浮かべる蓮華が視界に飛び込んできた。

 「……ですが、私は間違っていたのですね。スミレさんが愛したのはこの世界、でもそれは愛する人がいる世界という意味だったのかもしれませんね……」

 魂の傀儡子は少し寂しげな表情を浮かべた。

 そして、真理は卓と少し顔を見合わせると、再び魂の傀儡子に視線を戻して、口を開いた。

 「あなたの目的の真意は分かったわ。……でも、何で蓮華なの?」

 真理の問いに、魂の傀儡子は涙ぐんでいた蓮華に視線を移し、ふっと笑みを浮かべた。

 「似ていた……からですかね。」

 「当たり前よ。」

 魂の傀儡子の一言に返事したのは、その場にいる誰でもなく、突如、廃工場の天井付近に現れた白い光の中から現れた女性だった。

 「「「「「「「!!!???」」」」」」」

 魂の傀儡子を含め、その場にいた誰もが驚き、目を見開いた。

 「その子は私の娘の孫なんだから。」

 光の中から現れたのは身長160センチほどの漆黒の長髪の女性だった。

 「あっ! プールのときの!」

 この女性は、卓がショッピングモール、そしてプールで出会った女性と同一人物だった。

 女性はそんな卓をふっと笑顔で見て、ゆっくりと地面に降り立った。

 「……スミレさん……?」

 「うん、そうだよ。」

 魂の傀儡子の問いを女性は静かに頷いて肯定した。

 「えっ? だってこの人は亡くなったって……」

 突然、死んだはずの人間が前に現れ、要が動揺してぽつりと言葉を漏らした。

 「私は霊体、まあ幽霊ってことだね。」

 驚いていたその場のみんなにスミレは無邪気な笑顔を見せて答えた。

 「こんなことが……」

 謙介もまた驚きを隠せずにいた。その横で小鉄も珍しいものを見るように、幽霊となったスミレを見据えていた。

 「きっと、この石のおかげだね。」

 スミレは身体を動かすことのできない魂の傀儡子のロングコートから白桃の贈与の石を取り出した。

 「あの」

 そんな中、蓮華がおずおずとスミレに訊ねた。

 蓮華の目はさっきまで泣いていたせいか少し赤かった。

 「おっ! なんだい? 私の可愛い子孫!」

 「あっ、じゃあやっぱり、あなたは私のひいおばあちゃん……」

 「そうだよ!」

 蓮華とスミレが並ぶと、そこまで年の差が感じられず、だからこそ、二人の会話の内容は違和感で満ちていた。

 「そうだ! 可愛い子孫にこれをあげよう! いいよね? たまちゃん?」

 スミレはばっと振り返り、魂の傀儡子を見た。

 突然のことに驚いた魂の傀儡子は少しの間硬直していたが、すぐに表情を和らげ、縦に頷いた。

 「はい、じゃあ大切にしてね。」

 魂の傀儡子の承諾に満足げな表情を浮かべたスミレは蓮華の掌に白桃の贈与の石を乗せた。

 「で、でも! これって大切なものじゃ――」

 蓮華の言葉をスミレは人差し指を立てて遮ると、ウィンクして言った。

 「大切だから、あなたに持っていてほしいの。お願い。」

 「…………分かりました。」

 蓮華はしっかり頷いて、そして石を両手に握りしめた。

 スミレはそんな蓮華を見て、うんうん、と何度も頷くと、すうっと魂の傀儡子の元に近寄った。

 「私、大きくなったでしょ?」

 自慢げに胸を張るスミレを見て、魂の傀儡子はふっと笑って、頷いた。

 「ええ、立派になりましたね。もう、子供だなんて言えませんよ。」

 「うん。」

 スミレは笑顔だったが、それはどこか淋しげにも見えた。むろん、それに気がつかない魂の傀儡子ではなかった。

 「……スミレさん、実は言いたかったことがあるんですが。」

 「うん。」

 スミレは魂の傀儡子が言おうとしていることを分かっている。だからこそ、しっかりと聞き耳をたてた。

 「私も……あなたを愛しています。」

 その、何の変哲もない、愛の告白は、月夜に照らされた廃工場に美しく響いた。

 そして、スミレの目からは涙がこぼれていた。

 「たまちゃんから、初めて愛してるって言われた。」

 スミレの顔は笑顔で、けれども、たくさんの涙があふれ出していた。

 周りにいた卓たちもその光景を温かなまなざしで見ていた。

 真理、蓮華、要はうっすらと涙さえ見せていた。

 「これからは何度でも言ってあげます。」

 「うん、嬉しい。」

 魂の傀儡子とスミレはその場で静かに唇を重ねた。

 すると、二人は眩い白い光に包まれた。

 そして、次第に魂の傀儡子とスミレの身体は光の粒子のようなものとなって、足から消えていった。

 「討伐者のみなさん、そして蓮華さん。これまでの数々の失敬をお許しください。そして、図々しいとは思いますが、お願いがあります。」

 そこまで言うと、魂の傀儡子はスミレと顔を見合わせ、そして、再び卓たちに顔を向き直すと、口を開いた。

 「世界移転計画ゼロ・フォースを止めてください。」

 その言葉に返事をしたのは卓だった。

 「お前に言われなくても、俺たちはこの世界を守る。」

 「……たくましいお言葉。そうですね。あなたたちに言うことではなかったようです。」

 魂の傀儡子とスミレは首のところまで光の粒子になっていた。

 「では、最後に。愛する者がいる幸せを、当然だと思わないでください。」

 誰に向けられたか分からないその言葉を、その場にいた誰もが、しっかりと受け止めた。

 ついに、魂の傀儡子とスミレは完全に光の粒子となって、夏の夜空に架かる一本の柱のように立ち上って、次第に光の粒子も消えた。

 「!?」

 卓がそんな様子を見ていると、ふいに、右手を真理に、左手を蓮華に握られた。

 「卓、今は何も言わないで。」

 そんなことを呟いて、真理は目に涙を浮かべ、でも幸せそうな笑顔で、それは蓮華も同様に、星が闇を彩る夜空を廃工場から見上げた。

 「ふふ、見せつけてくれちゃって……」

 そんな3人の少し後ろで要が涙を手で拭いながら言った。

 「俺達はそろそろ行くぞ。」

 謙介はぶっきら棒に、けれど、しっかり要の手を取って廃工場を後にした。

 要は謙介の手を握り返し、小鉄は2人を追って、要が差し出した手を握った。

 

ある夏の夜、鳴咲市には幾年にも渡って募った思い、一つの恋が成就した。その気持ちだけは時代に関係なく、誰もがどんな人が無条件で抱くことの許された感情。そして、これからもその感情だけは変わることなく、これからの時代も渦巻き、数々の奇跡を生み出す。奇跡の名は『愛』。

 




 魂の傀儡子との決戦の夜から数日後。

 夏休みを目前に控えた学校の昼休みはいつになく活気にあふれていて、クラスには夏休みの予定や、補習に唸りをあげる生徒などがいた。

 「蓮華! 真理ちゃん! 一緒にお昼食べよう!」

 春奈が弁当箱を持って蓮華と真理の元に駆け寄ってきた。

 「あっ! 俺も!」

 蓮華と真理の返事より早く、春奈の後ろから迫ってくる陽介。

 「黙れえ!」

 が、もちろん、すかさず春奈の蹴りが直撃。陽介はその場に崩れ去った。

 「相変わらず過激ね。」

 そんなやりとりを真理はため息交じりに見ていた。

 「は、春奈ちゃん。たまには一緒に食べてもいいんじゃない?」

 蓮華の言葉に春奈は驚いたように目を見開いた。

 「えっ!? こんな変態と!?」

 「で、でも、ほら、クラスメイトだし、たっくんの友達だし……」

 その一言に完全にノックアウトしていた陽介が飛び上がった。

 「蓮華ちゃん! マジで!? いいの!?」

 陽介の目はきらきら輝いていた。それをうっとおしそうにみていた春奈も、観念したのか大きくため息をついて口を開いた。

 「まあ、蓮華がそう言うなら今日くらいはいいか。」

 「うん。」

 春奈の言葉に蓮華は満足そうに笑顔を見せた。

 「で? その城根はどこにいるの?」

 春奈は教室を見渡したが、どこにも卓の姿はなかった。

 「卓なら、多分……。私が呼んでくる。」

 「あ、じゃあ私も!」

 真理に続いて、蓮華も教室から出て行った。

 「えっ!? ちょっと! 変態と一緒にしないでよ~!」

 後ろで春奈が嘆いていたが、真理と蓮華は足を止めることなく、目的の場所にかけ足で向った。

 

 「……風にも匂いがあるんだな。」

 卓は学校のフェンスに囲まれた屋上で仰向けで寝転がっていた。

 「あ、やっぱりここにいた。」

 卓が寝ていると、ふいに金属製の扉が開く音がして、真理と蓮華が卓の顔を覗きこんだ。

 「おう、真理と蓮華か。」

 「おう、じゃないわよ。お弁当食べる時間無くなるわよ?」

 「そうだった。」

 卓は腕時計に視線を移すと、ひょいと上体を起こした。

 「たっくん、こんなところで何してたの?」

 蓮華が訊ねると、卓は目を閉じて、風を浴び、口を開いた。

 「こんな何気ない風景も、気分によって違う世界に見えるんだなって。」

 「「……」」

 卓の言葉に、真理と蓮華は顔を見合わせ、柔らかく笑った。

 そして、卓と同じように真理と蓮華を目を閉じ、ささーと心地よい音と共に当ってくる風を感じた。

 快晴の下に吹く風は心地よく、3人の髪を優雅になびかせた。

 いつもと変わらぬ日常が、このときの3人にはとても新鮮に感じた。

 そして、これから訪れる猛暑を知らせるかのように、今日もせみの鳴き声がこの鳴咲市を包んでいた。


「約束の蒼紅石」第8話、いかがでしたでしょうか? これが「魂の傀儡子編」も終りとなるのですが、作者的にはなんか感慨深いものがあります(笑)実は一番深くまで構想を練ったのがこの「魂の傀儡子編」だったので、それだけに思いれがあるのです! さて、読者の皆様はこの話、いかがでしたでしょうか?自分的には魂の傀儡子は好きなのでハッピーエンドにしてみました(笑)

さて、次から新章突入となるわけですが、その前にもう一度、この「魂の傀儡子編」を読み返していただけると嬉しいです!

それでは今回はこの辺で! 皆様! よいお年を!!!

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