紡がれる想い
こんばんは、夢宝です!
更新が一カ月以上空いてしまい、読者の皆様には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
しかし、今日、久しぶりにページを見てみたら、なんとこれだけ更新が遅れてしまったにも関わらず、読者がいらっしゃることに感動しました。
本当にうれしかったです。
感想なども新たにいただき、本当にありがたいです。
さて、「使者降臨編」も第14話目にしてついに最終話!
構想の段階より少し長めになってしまいましたが、この章は今作品の重要な部分ですので、ご勘弁を(笑)
そして、次話から新章突入なわけですが、構想の段階でこちらもまた長めになってしまうであろうと予想されます。
しかし、読者の皆様に楽しんでいただけるよう頑張りますので、これからもご愛読いただけると幸いです!
では、長ったらしい前書きはこの辺で、本編をお楽しみください!
鳴咲市にある私立聖徳高校は賑わっていた。
正門にはアーチ状の飾りに大きく『聖徳蔡』と書かれたものが掲げてあり、本来の教育機関に収まる人数の数倍の人がいる。
そう。
ついさっきまでの激闘がさも無かったかのように、どこまでも自然に時が流れているのだ。
クラスでの出し物に精を出す男女の生徒たち。そして、彼らの催し物を楽しむ客。彼らは知らないのだ。
本来ならば、彼らと同様に文化祭を楽しむはずだったであろう少年少女たちの激闘の結末を。
「どうしたの、篠崎さん?」
教室で、自作のメイド服に身を包み、ぼんやりと突っ立っていた真理に、学級委員長こと、寿奏が訊ねる。
すると、真理はそちらを見ることなくわずかに唇を動かした。
「どうして、こんなことになっちゃったのかな……」
独り言のようなその言葉に、奏は首を傾げる。
真理の言葉の真意が分からないのだ。だが、それも当然であろう。それが『こちら側』に生きる者の常識なのだから。
「でも、一体どうしたら赤桐さん、あんな大怪我しちゃうんだろ」
ふいに呟いた奏のその言葉に、真理は肩を震わせた。
激闘の最中に起きた事故によって重傷を負った蓮華がこの場にいるはずがない。彼女だけではない。
卓も。
いつも傍にいてくれた蓮華が怪我をしたのだ。今度は卓が傍にいてやる番なのは言うまでもない。
『聖徳蔡』は紛れもなく戦いの前と同じように行われている。
人によっては何の変化も感じていないのだろう。が、真理は違う。
今の『聖徳蔡』を心から楽しむことは出来ない。さっきまで隣ではしゃいでいた蓮華はいない。
蓮華が大怪我を負ったと聞いたとき、彼女の親友の春奈や、クラスメートたちは大騒ぎだったが、真理が何とか事態を収拾したが、当の真理本人が一番気持ちの整理が出来ていないのかもしれない。
「篠崎さん、今は辛いかもしれないけどもう少し頑張って」
奏は軽く真理の肩を叩いて持ち場へと戻った。
真理は奏の姿が見えなくなるのを確認してから、叩かれた肩にそっと手を触れる。
「触れられる距離って、どれくらいなんだろう……」
ふいにそんな言葉が真理の口から洩れる。
何故か、今は卓が自分の触れられない遠いところにいるように感じてならないのだ。単に物理的距離の問題ではない。
もっと根本的な、心の距離という表現が一番近いような、そんな距離だ。
(私には入り込めない五年間の隙間……。それはとても短いようで、とても長いブランク。私にとって五年間はあっという間だったけど、きっと卓にとっては違うんだよね)
真理は胸の内から何やら熱いものが湧きあがるのを感じた。
あと少しで涙が流れそうになるのを、咄嗟に上を向くことで堪える。
別に涙を堪えることに意味は無いのかもしれない。
けれど、半ば無意識にそうしてしまっていたのだ。
同じく私立聖徳高校の体育館。
普段は全校集会やら体育の授業で活用されるこの大広間も、この『聖徳蔡』の期間中はパイプ椅子が一面に敷き詰められ、舞台袖には演劇で使われる大道具などが置かれていた。
そして、そんな大道具たちにまみれて、サプライズゲストであるアイドルのミイナこと、椎名美奈はいつものフリフリの純白衣装に身を包んで待機している。
(蓮華……)
美奈はどこか落ち着かない様子で、自身の赤い髪を指先でなぞっている。
彼女はアイドルと同時に、『妖霊の巫女』と呼ばれる特殊な力を行使する者なのだ。そして、ついさっきまで『冥府の使者』たちとその力を使って交戦していたわけなのだが、結果的にそれが蓮華を瀕死の状態まで追い込んでしまった。
彼女は今まさにそのことに対する罪悪感に駆られているのだろう。
だが、美奈はブンブンと大きく首を横に振り、
(駄目駄目! 蓮華のためにも、ここで私が盛り上げなくちゃいけないんだからっ!)
そして、すぐ隣で疲れきってしまったのか、パイプ椅子の上にちょこんと座りながら眠るてだまを見て、美奈は軽く拳を握った。
「絶対に成功させてみせるから!」
すると、
『さあ、今年の注目イベントがついに始まります! 何と、今年は誰もが知るあの方がゲストとして来ていただきました!』
体育館のステージ前に立っている司会の男子生徒の声が、スピーカーから聞こえてきた。
(いよいよ……)
美奈が思うのと同時、
『では、登場していただきましょう! アイドル、ミイナ!!』
その言葉を合図とするように、ステージに設置された簡易セットからカラースモークが勢いよく噴射された。
これほどのセットを用意出来るのも、私立だからこそだろう。
そして、セットに負けないほどの大歓声が舞台袖まで聞こえてきた。おそらく、全席が埋まって、なおかつ体育館に入りきれないほどの人でごった返しているのだろう。
けれど、それが美奈を躊躇させる理由にはなりえない。
彼女は日本でもトップアイドルなのだから。
コツン、と。
美奈は一歩を踏み出し、カラースモークとスポットライトの中へと身を投じる。
『メイド喫茶☆1・2』も妙にざわついていた。
どうやら、体育館でアイドルのミイナがライブをしていることを客が嗅ぎつけたらしい。そして、そんな中でも一段と騒いでいるのが、
「ぬぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!? 俺としたことがぁあ、まさかミイナちゃんが最プライズゲストとして今ウチの学校に来ているなんて情報を得られなかったとはぁあああああああああああああああああ! 毎日、ミイナちゃんのスケジュールを出来るだけ確認していた意味がぁあああああ!」
伊勢陽介である。
卓たちと同じ一年二組に在籍していて、ミイナの大ファンである。
陽介は仕事場を完全に放り出し、全速力で体育館へと駆けだした。しかし、さすがはトップアイドルと言ったところだろう。
陽介だけでなく、他のクラスメートたちも次々と体育館へと足を運びだした。
蓮華のことが気になっていた春奈も、他の女生徒に誘われてミイナの元へと行き、結局教室に残ったのは真理と、奏だけだった。
今まで大勢のお客とクラスメートで賑わっていた教室も、がらりと寂しくなり、わずかに夕日が窓から差し込んでいる。
「……委員長は、行かないの?」
真理はセッティングされたテーブルに置かれた食器を見つめながら、背後に立つ奏に話しかける。
奏は少しの間を置いた後に、ゆっくりと唇を動かした。
「その質問はそのまま返すわ。行かないの?」
「私は……、楽しむ権利なんてないから」
真理のその言葉に、奏はわずかに眉を動かした。
「どういう意味? 赤桐さんの怪我のことかしら?」
「……、それもある。けど、それだけが理由じゃないかもしれないの。けれど、私にもよく分からない」
「私には、あなたたちのことよく分からないけど、本当にそう思っているのならそれは間違いだと思うわ。楽しむ権利がない? 大きな間違いよ。誰でも楽しむ権利を持っているのだから」
「……」
真理が黙っていると、奏はさらに続ける。
「私には、篠崎さんは不安を誤魔化そうとしているようにしか見えないの。城根君がいないから、赤桐さんがいないから自分の居場所はない、そんなふうに思っているように見えるわ。恐いんじゃない? イベントに行っても孤立することが。違うかしら?」
「……あなたには、分からないわよ。誰にでも好かれるあなたには」
しかし、奏は静かに首を横に振る。
「分かるわよ。誰にでも好かれる人間なんて存在しない。私だって、ちょっと前までは篠崎さんと同じ、孤立を恐れていたちっぽけな人間だったんだから」
「えっ?」
「あ、ごめんなさい。今ここでするような話でもないから。ただ、何となく篠崎さんの不安は分かるの。いつも傍にいてくれる人に依存していると、その人がいなくなるだけでどれほど恐いか。居場所は途端になくなってしまうの。その不安に押しつぶされてしまいそうに何度なったか」
真理は奏のその言葉にどこか胸の突っかかりを覚えた。
それは、奏の言うことが不快だったからではない。むしろ、奏の言葉は的を射ている、それくらは真理にでも理解できた。
だが、同時にそれは今の自身だけでなく、五年前の卓も同じだったのではないかと思えてならなかった。
当時の卓がどれほど自分に依存していたのかは分からないが、居場所が途端に無くなったと感じたのは間違いない。
実際、蓮華から聞いた話だとそれからしばらくは卓は人と関わることを避けていたようだった。
今、真理は当時の卓の気分を味わっているように思える。
だからこそ、奏の言うことは痛いほど分かる。
「そうね。私はただ恐いだけなのかも。今ここに卓がいないだけでこんなに不安なんだから。そして、卓がどこか遠くに行ってしまいそうな気がして」
「……。篠崎さんと城根君の関係を詮索するつもりはないけれど、人を独占出来るのは一人だけ。冷たい言い方かもしれないけど、人生を思い通りに歩める人間なんてほんの一部、いいえ、それ以下しかいないの。だから、居場所は自分でどんどん見つけていかないといけないの。独占できるのは一人だけ、でも自分を必要としてくれる人は一人とは限らないから」
「私を必要としてくれる人……」
「篠崎さんも本当はもう見つけているんじゃないかしら? 篠崎さんを必要としてくれる存在を」
真理はそっと手首のブレスレッドに触れる。
紅の石がつけてあり、卓との思い出が詰まっているような気がした。
だから真理はこう答えた。
「委員長の言うとおりね。けど、まだ私の居場所は卓なの。だから、やっぱり体育館には行かない。私が行くべきは病院だと思うから」
それだけ言って、真理はバッグを肩にひっかけて教室を後にした。
教室に一人取り残された奏は呟くように、
「私ももっと誰かに依存できるような生き方を選べれば良かったかな」
聖徳高校の体育館は大歓声で震えていた。
ステージの上ではフリフリの衣装を纏った美奈が音楽に合わせて踊りながら歌う。その動きの度に額から拭き流れている汗は飛び散るが、カラフルなライトがその汗を宝石のように輝かせ、それすらも演出のようにしているのだ。
当然、そんなパフォーマンスを見せられて冷静を保てるはずもなく、観客も負け時と盛り上がる。
「ミ・イ・ナ! ミ・イ・ナ!!」
客席の最前列に強引に割り込んだ陽介は、どこから持ってきたのか『ミイナLOVE』と書かれた鉢巻きを額に装着して、その場で叫んでいた。
すると、
「みんなー! 今日は『聖徳蔡』楽しんだかなー?」
美奈が曲の間奏の間にマイクで訊ねると、観客たちは、
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」
と大きすぎる返事。
しかも、陽介も、
「もちろんだあああああああああああああああ! でも、今、この瞬間が一番楽しいぜえええええええええええええええええええええ!」
「私のライブも合わせて、最高の思い出を作ってくれると嬉しいな!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」
体育館からは、学校中に響き渡る大歓声が数回繰り返された。
だが、驚くべきはそこよりも美奈本人の表情だろう。
笑顔。
不自然さが全く見当たらない魅力的な笑顔を浮かべている。さすがはプロと言ったところだろう。
本来ならば真っ先に病院に駆けつけたいはずなのに、その衝動を押さえつけてこれだけの笑顔を振りまくことが出来るのだから。
自分の感情を押し殺すというのは案外難しいものだ。まして、自分が不安で仕方ないときに、他人を楽しませられる人間なんてそう多くは無いはずだ。
けれど、椎名美奈という人間は歌うことを止めない。
その理由として、プロのアイドルということももちろん含まれているだろうが、彼女にとってこの場で歌い続けなければいけない大きな理由は別にある。
かつて、共にこの街を救うために共に戦ってくれた友人との約束だからだ。
言ってしまえば、美奈にとって歌い続ける理由はこれの他には必要ない。たった一つの友人との約束があれば、彼女は歌えるのだ。
美奈、いやミイナは即席のライブステージで歌い、そして踊る。
彼女の歌声は、マイクを介して体育館のあちこちに設置された大型のスピーカーから流されるが、会場の声援は肉声にも関わらず、彼女の歌声に張り合うほど。
この光景だけを見れば、誰も高校の体育館で行われているパフォーマンスだとは思わないだろう。
実際、この場にいるのは、聖徳高校の生徒だけではなく、ミイナのファンだったり野次馬だったりと多種多様な人種で溢れ返っているのだ。
「「「おおおおおおおおおおおおおおお!!」」」
ミイナの歌がサビに突入したところで、会場のボルテージは最高潮を迎える。ミイナからはスポットライトで客の顔はほとんど見えないが、彼らからはステージ上で踊り歌うミイナの姿がこれ以上無いほどに見えている。
短く、しかし手入れの行き届いた綺麗な赤髪が靡いて、小さな手で握られたマイク、そして、大勢の人を魅了している歌を紡ぐ唇。そんな細かなところ全てが見えるのだ。
ファンにとってこれほど嬉しいことはない。
通常のライブだと、ミイナほど人気アイドルになってしまうとどうしても巨大ドームなどで行われてしまうため、どうしても前方席を確保することは困難になってしまうのだ。
が、今はそんなアイドルが普通の高校の、これまた普通の体育館でライブをしている。
体育館中が熱気に包まれていると、その入り口に一人の少女が現れた。
黒髪ボブ。
卓たちのクラスの学級委員長の寿奏だ。
「すごい……」
奏は体育館に入るなり、ミイナのライブを見て無意識にそんな言葉を漏らしていた。すると、一人の女子生徒が奏に気が付き、彼女にそっと耳打ちした。
「なんか、これ城根が計画していたみたいだよ? なんでも委員長が困っているからだとか」
「えっ? それって……」
奏がその女子生徒に何かを訊ねようとしたが、彼女はすでにステージの上のミイナに釘付けだった。
(そっか……。あの時、城根君が言っていたアテってこのことだったんだ)
奏は自分の胸の前でそっと両手を握りしめ、自然と柔らかな笑みを浮かべていた。
(城根君くらいだよ。私が困っているのに気が付いて、助けてくれるのは)
体育館を見回すと、皆が心から楽しんでいるような笑顔を浮かべている。奏は、トップアイドルに会えたことよりも、皆が本気で楽しんでくれているという事実に喜んだ。そして、この空気を作ってくれた卓にも。
「やっぱり、自分一人でどうにかすることよりも、誰かに素直に助けを求めるほうが難しいわね。……けど、なんでだろ。今までとは違う、気持ちの良い達成感があるのは」
だが、同時にもどかしさもあった。
自分を助けてくれた卓がこの場にいないということだ。今すぐにでもお礼を言いたいのに言えない。
たったそれだけのことが奏をどこかモヤモヤさせているのかもしれない。
鳴咲市の中心街から少し外れたところにある『中央総合病院』。
その入院患者部屋に蓮華と卓はいた。
蓮華は何本もの点滴に繋がれて、半自動式のベッドに横たわり、卓はそのすぐ隣で簡易的なパイプ椅子に腰かけている。
完全個室なので、二人以外に部屋には誰もいない。
部屋には完全な沈黙が訪れている。時刻もすでに夕刻ということもあり、夕日が部屋の大きな窓から差し込んでいる。
すると、沈黙を破ったのは蓮華。
「たっくん……」
今まで目を閉じていた蓮華が、うっすらと目を開けていた。
「どうした? どこか痛むのか?」
卓の言葉に、蓮華は無言で首を横に振った。そして、数秒の間再び沈黙が訪れる。が、今度は卓がその沈黙を破る。
「それにしても、お医者さんも驚いてたぞ? 爆発でこれだけの外傷があって命に別条がないなんてってな。普通なら即死レベルらしいけど」
「そうなんだ……」
「でも、何にしても良かったよ。蓮華が生きていてくれて」
卓がほほ笑むと、しかし蓮華はどこかバツが悪そうな表情で、ゆっくりと唇を動かした。
「ごめんね……」
「え? どうして蓮華が謝るんだよ?」
「だって、私の付き添いなんかしているから、せっかくの『聖徳蔡』を楽しめなくて……」
すると、卓は軽く蓮華の額にデコピンすると、
「バーカ。んなこと気にしてるんじゃねーよ。それに、俺は蓮華の傍にいたいからここにいるんだぜ? 別に蓮華に強制されているわけじゃないんだし?」
「たっくん……」
夕日のせいかもしれないが、蓮華の頬が赤らんでいるように見えた。が、卓はあえて気が付かないふりをする。
「それに、謝らないといけないのは俺のほうだろ。せっかく蓮華がキャンプファイアーに誘ってくれたのに一緒に行けなくて」
「ううん。いいの。こうしてたっくんと一緒にいられるから」
「けど、蓮華が勇気を出して誘ってくれたのにな」
「ふぇっ!? どうして分かったの!?」
卓の言葉に、今度は明らかに頬を赤らめて動揺する蓮華。卓はその様子がおかしかったのか、クスクスと笑うと、
「分かるさ。どれだけの時間、蓮華と一緒にいたと思ってるんだ? いくら俺でもそれくらいは分かるよ。だからこそ、約束を守りたかったんだけど」
「……ありがとう。たっくんは本当に優しいんだね」
「い、いや、そんなことはないと、思うぞ?」
卓は蓮華の素直な言葉に、頬をポリポリと掻きながら視線を外す。
「ううん。優しいよ。……でも、たっくんは私だけじゃなくて、誰にでも優しいからちょっと嫉妬しちゃうときもあるんだよ?」
「えっ?」
ふと蓮華を見ると、蓮華は顔を窓際に向けて卓からは見えない。
表情は見えないが、卓には分かった。今、蓮華はとっても顔を真っ赤にしていると。それだけのことが分かるほどに、彼らは一緒にいるのだから。
蓮華は卓から顔を反らしながら続ける。
「私、周りからは『いい子』みたいに思われているかもなんだけど、本当はそんなことないんだよ? 好きな人が他の女の子と楽しげにしてたら嫉妬もするし、一人占めにしたいって思ったりもしちゃうの。『討伐者』になった理由も、そんな感じ……」
そこで、蓮華は点滴が刺された自分の腕を軽くさすりながら、どこか辛そうな笑みを浮かべて言う。
「だから、今回のこの怪我は天罰なのかなって……。本当はこんな軽率に『討伐者』になんてなっちゃいけなかったんだよね……」
声が震えていた。
今にも泣きだしそうな。けれど、卓は知っている。
蓮華はいつも、卓と二人きりのときでも最初は涙を堪えてしまう。そこが蓮華の強さであり、弱さなのだ。
けれど、卓はこんなときに蓮華にかける言葉を見つけることができない。
言葉はない。
ただ、無言で。
「ひゃっ!?」
蓮華の小さな声が個室に響いた。
「た、た、たっくん!?」
蓮華の声は完全に動揺していた。それもそのはず。
なぜなら、卓が突然、ベッドに横たわる蓮華を優しく、しかししっかりと抱きしめたから。
卓は蓮華の身体に顔を沈めながら、
「もう、自分を責めるのは止めよう。蓮華が悪いことなんて何一つないんだから。蓮華はいっつも俺のことを気にしてくれて、優しく接してくれたんだろ? だから、俺には蓮華を責める理由なんて一つもない。蓮華が一緒に戦ってくれなかったら、今頃この街だってどうなっていたか分からないんだ。だから、胸を張って生きよう」
「たっくん……。ありがとう」
卓の腕に、熱いものが当った。
蓮華の涙。
けれど、それは悲しみから流れたものではなく、嬉しさから流れたもの。
卓は蓮華を抱きしめる手を放さない。
「ねえ、たっくん……」
「ん? なんだ?」
卓が訊ねると、少し不自然な間が出来た。が、蓮華は唇を動かし、
「私ね、たっくんにどうしても伝えたいことがあるの」
鳴咲市の外れ。
周りには木々が生い茂り、人が一切住んでいないような場所に、『神の使い』であるエマ=ニューズベリは立っていた。
エマは片手に握っているリピタでトン、と軽く地面を叩いた。
すると、そこから瞬時に青白い魔法陣のような模様が地面に浮かびあがる。
「すなわち、再挑戦」
エマはそれだけ言うと、リピタを頭上へかざし、何やら特殊な言語を呟き始めた。そして、口を閉じたと思えば、地面に浮かびあがった魔法陣から青白い光が柱のように空へと突き刺さる。
「すなわち、解錠」
が、その光はすぐに消えてしまった。
地面に残された魔法陣も次第に薄れて行き、最終的には塵も残らない状態。
エマはリピタを降ろし、軽くため息をつくと、
「すなわち、解析。どうやら、先ほどの戦いで力を消耗し過ぎてしまったようですね。それに加え、『冥府の使者』の性質、『審判の決議』もどうやら完全には打ち消せていないというところでしょうか。これでは神の国に帰ることは当分できそうにもありません……」
エマは夕日に染まった空を見上げて、
「すなわち、思考。これからどうしましょう……」
鳴咲市中心街の一角にあるカフェ。
裏路地にのみ入り口があることから、地元の人間でも、ごく一部の人間にしか知られていない過疎状態のカフェだ。
窓も満足になく、外の夕日は完全に遮断されて、店内にあるオレンジ色の灯油だけが薄暗く手元を照らす。
元々人の少ないカフェも、今は一人の店長と、三人の男女のみしかいない。
「こんなところで申し訳ないです。が、ここのコーヒーも悪くは無いでしょう? 僕の知る限り、ここのコーヒーは鳴咲市一番だと思いますので」
木製の椅子に腰かけた三浦小鉄が、手元の小さめのカップに注がれたブラックのコーヒーに角砂糖を一粒入れて、スプーンでかき混ぜる。
「確かに、臭みを極限まで抑え、コーヒーのコクと滑らかさを十二分に表現しているわねー」
ミルクを入れて、色が明るめに変色したコーヒーを口に含みながら言う潮波くずり。その隣では、熱いのか、コーヒーを息を吹きかけて冷ます白木雪穂がいる。
「喜んでもらえて良かったです。少しでも戦いの疲れを癒していただければと思いまして」
「戦い……」
呟いたのは雪穂。
コーヒーに映った彼女の表情はどこか寂しげにも見える。
小鉄はそんな雪穂を見て、しかし特に感情移入するわけでもなく、あくまでも淡々とした口調で言う。
「正直、今回『冥府の使者』を逃がしたのは痛手です。かと言って、あのまま戦い続けても、こちらが勝てるとは限らない。最悪、こちら側の全滅もあり得ました。そう考えれば先ほどの結果は幸いとも言えるでしょう。つくづく、皮肉というものは苛立ちを募らせてくれます」
「けど、私たちとしては、貴方の助けは本当にありがたかったですけどねー? 貴方ほどの実力者でもどうしようもなかったのだから、ある意味諦めもつくというものですー」
「……、一つ訂正しましょう。僕はそれほど実力があるわけではありませんよ。これは謙遜などではありません。以前、この街にいた『魂の傀儡子』のときもそうでした。僕ではどうにも解決することは出来ませんでした。そして、それを解決したのは、まだ新人の討伐者。そういう点では、物事の解決には、直接的に分かりやすい実力が影響するわけではないと言えますね」
「話には聞いていますっ。私も実は『彼ら』と近いうちに接触したいと思っていますっ」
雪穂は冷ましたコーヒーを少しずつ飲みながら言う。
それに対して、小鉄は小さく頷き、
「それがいいでしょう。正直、彼らには教わることがたくさんあります。僕も彼に会って変わることが出来ました」
「私たちと同い年だったっけー? 本当に、参っちゃうわよ。まだ新人なのに何度この街を守ってくれっちゃうのかしらー。当然、今回の激戦にも参加していただろうしー?」
「ええ。参加していましたよ。今回、敵の撤退を余儀なくさせたのも彼らでしょうし」
小鉄が言うと、そこでしばしの沈黙が訪れる。
くずりがコーヒーを半分ほど飲み、カップを木製のテーブルに静かに置くと、再び口を開く。
「それで、まさか戦いの反省会をするためにわざわざ招集したわけではありませんよねー?」
「ちょ、くずりっ!?」
くずりの直球過ぎる質問に、雪穂がうろたえるが、小鉄は特に気分を害した様子もなくむしろ笑顔で頷いた。
「いいえ。話を延ばしてしまいすみません。その通りです。では、本題に入りましょう」
「それは、私たちがもうすぐ欧州に行くことに関係あるのかしらー?」
くずりが意味ありげな表情を浮かべる。
小鉄は少し意表を突かれたようだが、すぐにもとの表情に戻ると、
「よく分かりましたね。まさか、僕が光陵学園の年間行事を調べていることを把握しているとはさすがです」
「どうもー。で、つまりどういうことですー?」
「前置きが長すぎましたね。つまり、事前に耳に入れておきたい情報があるのです」
「情報っ?」
雪穂が小さく首を傾げる。
「はい。端的に言えば、『冥府の使者』についてです。実は、『ヨーロッパ支部弐〇騎士』に僕の知り合いがおりまして、ある可能性を聞かされたのです」
「可能性、ですかー? それは、欧州に『冥府の使者』がいる、という可能性でしょうかー?」
小鉄はくずりの言葉に頷く。
その反応を見て、雪穂は小さな手を口元にあてる。
「ただ、問題なのはもちろん、『冥府の使者』がいるということそのものですが、さらに言えば、その敵が欧州で大きな動きを見せようとしているとのことです」
「どうやら、穏便な話では終わりそうにありませんねー」
「ええ。ただまあ、これはあくまで可能性の話です。そもそも『冥府の使者』がいるというところからガセの可能性だってあります。しかし、警戒しておいてし過ぎることはないでしょう?」
「し、しかしっ、そこまで警戒するということは、何か根拠があるわけですよねっ?」
「そうですね。根拠というより――」
小鉄は言うと、ポケットから小さなラジオを取り出して、テーブルの真ん中に置いた。そして、ラジオの周波数を合わせるとしばらくノイズが走ったあとに音声がスピーカーから聞こえてきた。
『私は今、スペインのマドリードから音声をお送りしています。現地の様子ですが、民間人を含め、計二〇〇名以上の人が陸軍に射殺されました! 突然、政府から発令されたこの政策に、地域の民間人は大混乱に陥っています! 一体、この国の行方はどうなってしまったのでしょうか!?』
すると、ラジオから、パパンッ! という銃声が小さく聞こえてきた。
小鉄はそこでラジオの電源を切ると、再びポケットにしまう。
「今の……」
雪穂はそれ以上言葉を紡ぎだせなかった。
くずりもまた、珍しく険しい表情を浮かべていた。
「今のはスペインでの様子ですが、現状、欧州のあちこちで最近あまりにも不自然な行動が次々と勃発しています。理由はまだ分かりません。『ヨーロッパ支部』のメンバーも行動しているようですが、決定的な何かが見つかっていないようで」
「つまり、突然の意味不明な動き、それもこれだけ大規模なのにその首謀者が見つからないことから、もしかしたら『冥府の使者』が絡んでいるのではないか。そういうことですかー?」
「そうです。それに加え、今日の突然の『冥府の使者』による襲撃。今までにない行動の活発化は明らかに世界の変動を意味しています。認めたくはありませんが、時は来たのかもしれません。世界の変革、もしくは世界の壊滅の時が」
「『狭間の錠』……って言ってましたっけっ? 何なのでしょうか、それは……」
「断言はできませんが、それが何かというのは大体の憶測はつきます。もっとも、『狭間の錠』がどういう働きをして、彼らの計画、『世界移転計画』にどう関係しているのかは分かりませんが」
「まあ、『狭間の錠』ってのは今はいいとして、とりあえず欧州に行くのなら警戒は怠るな、ということでいいんですよねー?」
「はい。せっかくの修学旅行に水を差すようで気は引けたのですが、何も教えずに巻き込まれては手遅れと判断したもので」
くずりは残りのコーヒーを一気に飲みほし、軽い調子で、
「いいですよー。別に戦いに巻き込まれるって決まったわけではないですしー」
「そ、そうですよっ。三浦さんが気にすることではありませんよっ?」
二人の言葉に、小鉄は何か重たい荷物を振り切ったような笑顔を見せる。
私立聖徳高校の体育館に造られた即席のステージ裏で、美奈はタオルで汗を拭っていた。
美奈のライブはすでに終わり、先ほどまで体育館を埋め尽くしていた観客はすでにほとんどがグラウンドに移動していた。
というのも、これから『聖徳蔡』最後のイベントにして目玉のキャンプファイアーがあるからだ。
体育館に残っているのは実行委員の生徒や、一部の教師だけ。
彼らは彼らで忙しそうに後片付けに取りかかっている。
美奈はスポットライトの元で踊り、汗びっしょりになった身体を丁寧に拭きながら、パイプ椅子にちょこんと座りながら寝ているてだまの頭を撫でる。
「ホント、よく寝るわね」
まるで母親のように優しい笑顔を浮かべる美奈。
見れば見るほどに、少し前に無くなった実妹の恵美に似ている小さな少女。
もちろん、恵美とは完全な別人だが、美奈はどうしても二人の存在を完全には切り離せていなかった。
絶対に守りたい存在。
けれど、今の美奈にとってどうしても守りたい存在はてだまだけではなかった。共に、出会ったばかりの自分のために戦ってくれた仲間。
守りたいという気持ちは、てだまに対するそれとなんら相違無いはずなのに。
「私は、傷つけてしまった……」
美奈はグッと拳を握る。
気にするなと言う方が無理があるだろう。
事故とは言え、自分の発動した術で仲間を傷つけてしまったのだから。
「私は、逃げているのかな……?」
ここにいる自分。
本来ならば、自分も蓮華の見舞いに行かなくてはいけないのに、約束という理由を付けてここに残ることを選んだ。
それは逃げなのか?
自分で傷つけた彼女を前に、自分は冷静さを保っていられる自身はなかった。だからこそ、逃げていると思ってしまった。
けれど、卓たちは決してそんなふうには思わない。
きっと蓮華も。
だからこそ美奈は辛いのかもしれない。
「みんな、優しすぎるよ……」
ステージ裏には、美奈の小さな声と、てだまの寝息だけが聞こえる。
真理は走っていた。
時刻もそろそろいいところで夕方。朱色に染まる鳴咲市のアスファルトの上を休むことなく走り抜ける。
秋とはいえ、まだ残暑は十分にあり、全速力で走る真理の額は汗でキラキラと光っていた。
(私も、思っていることはちゃんと伝えなくちゃ!)
真理は一人でにそんな決意と共に足を動かし続ける。
走るたびに、顔の輪郭を伝って汗がアスファルトの上に染みを作るが、いちいちそんなことを気にしていられるほど今の真理は落ち着いてはいなかった。
肩から提げているスクールバッグが何度もずり落ちそうになれば、その度に走りながらバッグを肩に引っかけなおす。
そんな動作の繰り返しで、確実に蓮華と卓がいる病院へと近づいて行く真理。
真理は過ちを犯すところだった。
自分の居場所は間違いなく卓だ。
以前、真理は蓮華に強く言った。
好きな人に気持ちを伝えるのに、自分に気を遣うな、と。
だが、今は危うく自分がそうなってしまうところだったのだ。
奏の言葉が自分の間違いに気づかせてくれた。
真理は委員長にただただ感謝しながら街をひたすらに走る。
(怪我をしているからって、一歩引くのは気遣いなんかじゃない。それはただ蓮華を侮辱しているだけだった)
真理は半ば無意識に拳を強く握る。
自然とそれほど緊張はしていない。
全速力で走っているため、心拍数は跳ねあがっているが、それは告白をすると決心したために起こる緊張ではないというのははっきりと自覚出来ていた。
そして、そうこうしているうちに真理は足を止めた。
二人がいる病院の入り口の前で。
中央総合病院の一室、完全個室型の入院患者部屋にはしばしの沈黙が訪れていた。だが、そんな沈黙もついには破れる。
破ったのは卓。
「俺に、伝えたいこと……?」
「……」
卓の言葉に、蓮華は無言で小さく頷く。
彼女の頬が朱色に染まっているのは卓でも気がついた。そして、それが窓から差し込んでくる夕日のせいだけではないことも。
蓮華は蓮華で、自身の脈打つ速さがとても速いのにどこか居心地の悪さを覚えていた。
けれど、もう引くわけにはいかない。
同時にそんなことも思っている。
再び訪れる沈黙に、蓮華は少し焦らされるが、思うように口が動いてくれない。
「……蓮華?」
なかなか話を切り出さない蓮華に、卓は少し顔を覗き込むように訊ねる。
「っ!?」
意表を突かれた蓮華は、思わずベッドの上で飛び退く。
「あ、いやっ、そのっ!」
上手く呂律が回らない蓮華。
しかし、卓は久しぶりに見た蓮華のこの表情を見て、ふっと柔らかな笑みを見せる。
「落ち着いて」
言いながらチェストの上に置かれていたペットボトルの水を蓮華に差し出す。
蓮華はペットボトルの水をグイグイと飲んで、大きく息を吸ったり吐いたりする。
「落ち着いたか?」
その様子があまりにも可笑しく、可愛らしかったので笑いを堪えながら卓は言う。
「……うん」
どうやら、醜態を晒した側の蓮華の頬はさらに赤みを増している。が、確かに少しは落ち着いていた。
「じゃあ、俺に伝えたいことっていうの、聞いてもいいか?」
「……うん。ちゃんと、聞いててね?」
「おう」
卓は割と軽い返事で返す。
が、それも次の瞬間に変わる。
蓮華がゆっくりと唇を動かす。
自分の気持ちを正確に伝えるために。
ゆっくりと、はっきりと言葉を紡ぐ。
そして――
「私、ずっとたっくんのことが好きです! 好きで、好きで、大好きです! ……、だから、私と付き合って下さい!」
蓮華の生まれて初めての告白は、夕刻の静けさに包まれた病室にことのほか響き渡った。
蓮華の表情は案の定真っ赤だ。
そして、卓も一瞬、呆気に取られた表情を浮かべていたが、すぐに優しい表情を浮かべて掌を蓮華の頭にそっと乗せた。
「蓮華、ありがとう。びっくりしたけど、すごい嬉しいよ」
「わ、私なんかが好きでいて、その……、嬉しいの?」
少し怯えた表情の蓮華。
けれど、卓は表情を崩さずに続ける。
「嬉しいに決まってるだろ? 正直、蓮華には感謝してもしれきないほど今まで助けられてきた。俺が日本に帰国してから今日までずっと。けど、俺が蓮華に対してそのお返しがほとんど出来ていなかったんじゃないかって思ってたんだ」
「そんなことないっ!」
卓の言葉にかぶさるように蓮華が言う。
頬はまだ朱色のままだが、表情は真剣そのものだった。
一瞬驚いた卓だが、やはり笑顔に戻って、
「蓮華の気持ちは嬉しい。蓮華は昔から嘘をつくのが下手だから、きっとそれも本気で思っていてくれてるんだろ? けど、俺が満足してないんだ。こういったらなんだけど、自己満足のために蓮華に尽くしたい。こんな我儘、今まで散々助けられてきた恩人にするものどうかと思うけど……」
「じゃあ……」
蓮華の返事を待つ瞳から、卓は照れ臭そうに視線を外して頬をポリポリ掻きながら言う。
「だから、今日からは『友達』としてじゃなくて、『恋人』として蓮華の隣で今までの分、そして、これからも助けたいんだ」
「ッ!!」
卓の返事に、蓮華は思わず口を両手で覆う。
そして、瞳からどんどん涙が溢れだす。
「ちょっ!? そんな泣くほどか!?」
急に泣きだされたものだから、卓はアタフタしながら制服のズボンポケットからハンカチを取り出して蓮華に差し出す。
「ごめ、ごめんね。けど、嬉しすぎて、涙が止まらないの……」
このときほど、蓮華のことを愛おしい存在だと思ったのはなかった。だから、気が付けば卓は両腕でしっかりと蓮華の華奢な身体を包みこんでいた。
(こんな小さな身体で今まで俺を支えてくれていたんだ……)
「蓮華、ホント、今までありがとうな。これからも迷惑かけるかもしれないけど、俺も蓮華の助けに少しでもなれるように頑張るから」
「ううん。違うよ。私にとってはたっくんが傍にいるだけに助けになるんだから。たっくんは私にお返ししきれていなって言ったけど、本当は十分過ぎるほどたっくんからいろんなものもらってたんだよ?」
蓮華のその言葉に、卓の抱きしめる腕に力がこもる。
そして、蓮華の耳元で。
「だったら、これからもっといろんなものあげないとな」
「……うん」
蓮華は幸せという言葉を顔いっぱいで見せる。
夕日色に染まる病室で、二人はしばらくの間抱き合っていた。
この温もりをいつまでも感じていたいと思い合って。
そして、病室のドア前に真理は立っていた。
縦長の取っ手に手をかけ、そのままドアを開けることなく力なく立っている。
思わずスクールバッグが肩から落ちそうになるが、なんとか制服にひっかかり留まる。が、今の真理がそんなことを気にできるはずもない。
なぜなら、今の告白の一部始終を聞いてしまったから。
自分より先に蓮華が想いを伝えた。
そして、それを卓が受け入れたのだ。
「……あれ?」
真理は頬に何か熱いものがあたった感触がしたので、指先をそっと当てる。
すると、指先は濡れていた。
涙。
泣いているという自覚はないのに、目からは止まることなくどんどん涙が溢れだしてくる。
それだけではない。
もうその場に立っているのすら辛いのだ。
足の感覚がなくなり、いつその場に崩れ落ちても不思議でないほどに。
けれど、真理は何とか崩れ落ちるのを踏ん張り、そして、その場から駆けだした。
さっきまで全速力で走っていたのなんて関係なく、再び病院の廊下を全速力で走り抜ける。
途中、すれ違った看護師などに注意されたのだろうが、真理の耳には看護師の言葉は愚か、周りの音すら入ってこなかった。
視界すらも涙で霞んでいる。
自分が真っすぐに走れているのかどうかすら危うい。
けれど、そんなものは足を止める理由にはならない。
今の真理には、どこまでも走ることしか出来ないのだ。他にどうしたらいいか分からない。
自分の居場所が一瞬のうちに消えてしまった。
そんな考えばかりが頭の中をぐるぐる回る。
叫んでいたのかもしれない。喚いていたのかもしれない。きっと酷い顔になっているのだろう。髪もボサボサだろう。
けれど、そんなことは関係ない。
今は一刻も早く遠くへ。
少しでも遠くへ。
しかし、走ること数十分、真理が立っていたのは卓の家の前。
意識していたわけではない。
身体が勝手にここに来てしまったのだ。
ついさっきまで自分の居場所だったはずのこの場所に。
真理は口の中がしょっぱさで満たされているのにここで初めて気が付いた。けど、それが汗なのか涙なのかは分からない。
「どうして、ここに戻ってきちゃうのかな……」
今にも消え入りそうな声で真理が呟く。
そして、スカートのポケットから取り出した金属の小さな塊。
卓から渡された合鍵だ。
それをゆっくりと玄関のドアに差し込む。
時計回りに鍵を回すと、ガチャッ、という音と共にドアが開いた。
真理は玄関のドアを開けて家に入る。
今日の朝もこの玄関を出て学校に行ったのだ。けれど、今は何も変わらないはずの玄関がまるで別の家のように思えた。
さっきまで自分の居場所だった場所が突然変わってしまったように。
真理は靴を脱いでリビングに静かに入る。
いつも賑やかなリビングも、今は怖いくらいに静かだ。
自分がよく見ているテレビの画面も真っ暗で、壁掛けの時計の音だけが、夕日に包まれているリビングに静かに響く。
卓がいつも立っているキッチンにも誰もいない。
時々、水道の蛇口から水滴が落ちる音だけが聞こえてくる。
真理はリビングの真ん中で数分立っていると、ポツリと呟くように、
「やっぱり、時間って残酷なんだ……」
涙は止まらない。
いろいろな感情がこもった涙。
卓が悪いわけではない。
まして、蓮華が悪いわけでもない。
彼らが誰に恋しようがそれは彼らの自由だ。
けれど、誰かに攻撃の矛先を向けたくなる自分がいるのも確かだ。
だからこそ、真理は自己嫌悪になっている。
醜い。
自分でもそう思うのだ。
そして、そこでようやく真理は立ち崩れた。
さらに、そこで初めて自分が泣き喚いていることに気が付いたのだ。
リビングに真理の鳴き声が響き渡ったのは案外長かった。
けれど、それでもいつかは止み、真理は静かなリビングの床で座りこんでいた。
だが、真理は何かを思い出したようにスカートのポケットから携帯電話を取り出す。
さっきまで泣いていたので、目は赤く充血していて、声も鼻声になっている。が、構わず真理は電話帳から一人の男の番号を呼び出し、コールする。
何度か呼び出し音が鳴った後、スピーカーの向こうで聞きなれた声が聞こえてくる。
『真理か? もう『聖徳蔡』は終わったのか?』
そう。それは真理の実兄、篠崎謙介のものだ。
しかし、真理は謙介の問いには答えず、何とか言葉を喉から振り絞り、
「お兄ちゃん、さっきの話だけど、私、欧州に行く。便は明日ので」
真理の言葉に、スピーカー越しからでも分かるほど、驚きの空気が流れた。
『えっ? いいのか、それで!?』
「うん。いいの。だから、明日からそっちでお世話になるから」
真理はそれだけ言うと、一方的に通話を切断した。
まだ謙介が何か言っていたような気もするが、これ以上話していたらまた泣きだしそうだったので真理には耐えられなかったのだ。
真理は携帯電話をポケットにしまうと、もう一度リビングを見回して、小さく唇を動かした。
「……さようなら」
それから二時間後ほど。
卓は蓮華との別れを惜しみながら病院を後にしていた。
本当はもう少し一緒にいたかったのだが、病院側で決められた面会時間を過ぎてしまうため仕方ない。
当たりはすでに暗く、街灯で照らされた静かな帰路を卓はひたすら歩く。
まだ自分が蓮華と付き合ったことが信じないでいるような卓だが、まさかその一部始終を真理に見られていたとは知る由もない。
そして、そんな軽い足取りで家に着くと、当たり前のように玄関に入る。
「ただいま」
が、そこで卓は玄関に真理の靴がないことに気が付く。
大抵、真理は家にいるはずなので、その小さな変化にすぐ気付けたのだ。
「まだ『聖徳蔡』の片づけでもあるのかな?」
などと卓は勝手に結論付けてリビングに入るが、そこですぐにその結論は間違っていたことに気づかされた。
ダイニングテーブルに置かれた一枚のメモ用紙。
卓はそれをひょいっとつまみあげて、そこに書かれていたメッセージを読んだ。
『大切な人を守れるように、もっと強くなるんだよ。さようなら』
たった一行。
濡れた跡があるメモ帳一枚。
それだけのメッセージで、卓はそれが誰のものか、そして、どういう意味なのかを理解した。
真理は、蓮華の告白を、そしてそれを受け入れた卓を見ていたのだ、と。
もちろん、隠しておくつもりもなかった。
けれど、この文面から、真理がどれほど辛い思いをしたのか、分からない卓ではない。
「真理!!」
卓は勢いよく玄関を飛び出した。
そして、暗闇の中で街灯に照らされた道を右、左と見回す。
もちろん、真理の姿などあるはずもない。
けれど、じっとしてもいられなかった。
卓は右の道を勢いよく駆けだす。
その後、卓は汗まみれになりながら夜の街を走りまわった時間はどれほどか知れない。
ただ一つ、真理を見つけ出すことは出来なかった。
そんな秋の夜は、静かに明けていくのだった。
第9回ぶっちゃっけトーク!~観測班ってなんだよ~
ネルヴィ「こんちには、いや更新の時間的にはこんばんは!」
ネルヴィ「今回は、俺一人でこのコーナーをやっちゃうぜ!」
ネルヴィ「びっくりマーク多いのは気にしないでくれ! 本編でめっきり出番がないから無駄に張り切ってるんだ、とか思わないでくれよ!?」
ネルヴィ「てっかさ、討伐者観測班ってなんだよ! 全然バトルシーンもないしよー。俺の出番も逃げ回っておしまいだったしよ~。扱いひどすぎだろ!」
ネルヴィ「なんか、最初はドイツ語しゃべってカッコイイ感じで登場だったのに、今じゃ作品の空気になりつつあるよ!」
ネルヴィ「つーか、学校描写ばっかだと本当に俺の出番皆無だからやめろ!」
ネルヴィ「散々、愚痴ったけど、ここで一つ質問」
ネルヴィ「読者のみなさん、俺のこと覚えている、あるいは知っている人は何人います? 挙手!」
ネルヴィ「これさ、俺のこと知らない人が読んだら、わけの分からないやつの愚痴コーナーじゃん……」
ネルヴィ「ヤベー。目から汗が……」