聖徳蔡
こんにちは! 夢宝です!
さて、今回はちょっといいことがありました!
それはですねー! 初めて読者の方から感想をいただきました!!
すみません、なんか一人でテンションが上がってしまいまして(笑)
でも、それだけうれしかったのですよ!実際に読者の方の声が聞けるというのはいいものです。どういう風に思って読んでくれているのかなーっていうのが結構気になってしまうもので(汗)
ですが、今回感想をいただいて、『こんなに細かく読んでくれているんだ!』と感動しました!
それからは作者のテンションも上がっちゃって(笑)なんか、さらに意欲が沸いてきましたよ!どうもありがとうございます!
こういった感想はすごい活力源になるので、これからも頑張っていきたいと思います!
なんか前書きから暑苦しいテンションになってしまいましたが、気を取り直して本編をお楽しみください!
いよいよ、お祭りだぁ!!
九月二十日。
この日、卓たちの通う私立聖徳高校はいつもの教育機関としてではなく、地域に知れ渡る祭りの会場と化していた。というのも、年に一度の大規模行事、『聖徳蔡』だからである。いわゆる学園祭だが、地域にも一般公開しているため、外部からの来客も多く、一部のイベントを催したりなどもしている。
そして今日はその二日目。
生徒たちは朝早くから登校し、それぞれの出し物の準備に取り掛かっている。クラスごとでの出し物の他に、部活で屋台を出しているところもあれば、ステージを使ってのイベントを行ったりするグループもある。
まだ学校内には生徒たちと教師しかいないのは、朝の準備時間で、『聖徳蔡』が始まっていないから。とはいっても、二日目もあってか、雰囲気は完全にお祭りモードで、どこもかしこも妙にテンションが高い。
聖徳高校一年二組の教室も例外ではない。
ここは教室の前に色とりどりの装飾で飾られた看板が立て掛けてあり、そこにカラーペンで大きく、『メイド喫茶☆1・2』と書かれていた。教室内も、看板に負けることの無い鮮やかな装飾で飾られていて、要所に机と椅子が置かれている。机も椅子も学校の木製のものだが、その上からどっかのディスカウントショップで買ってきたテーブルクロスが敷かれ、喫茶店のそれっぽく見える。そこから少し離れた教壇側はパーテーションで区切られていて、その裏ではいろいろなところから調達していたガスコンロなどが設置された簡易キッチンになっている。
メイド喫茶、という名目だが、用は売っているものは普通の喫茶店なのだ。それも高校の学園祭だから、こじゃれた一品を出すのもそう簡単なものでもないので、クッキーやカップケーキ、和菓子といった菓子類のほかに、コーヒーや紅茶、ソフトドリンクを主に販売している。
飲みものは男子、菓子類は女子が担当しているのだが、特に菓子類はかなり評判がよく、一日目も見事に完売してしまうほど。まあ、なのでこうやって朝から菓子類の補充にいそいそと駆り出されているのだが。
そしてもう一つ、人気の理由がある。
「なあ、どう思う?」
ふと、簡易キッチンでコーヒー豆の仕分けをしている男子生徒、名前は伊勢陽介が、同じく簡易キッチンで紅茶葉の準備をしている卓に言う。
「どうって?」
卓は作業する手を止めずに適当な調子で切り返した。
「女子だよ! じょ・し! 普段見れないメイド服姿だぜ? それに昨日来たお客さんたちなんかは目当ての女子を見つけておいてリピーターとして何度も来た連中がいたくらいだしな」
「まあ、確かにそういう話は聞いたけど。いいんじゃないか? 別にリピーターでもたくさん来てくれたんだから」
卓が言うと、陽介は呆れたように首を横に振りつつ、
「ちっげーよ! そういうことが言いたいんじゃなくて! いつもは見れないメイド服姿に何か感想はないのかよ!?」
「いや、なくはないけど」
そこで卓はちらりとキッチンから顔を覗かせて、テーブルの拭いたりするメイドさん、もといクラスメートの女子を見る。
いわゆる、秋葉原とかにあるメイド喫茶の制服のような派手なものではなく、露出度は極力抑え、しかし半袖使用のものだ。全体的に群青色をベースにしたもので、所々に白のフリルなどが付いてある。これらは女子が自分たちで制作したもので、フリルの数や色に多少の違いがあるが、それはそういう理由があるからだろう。ともあれ、学園祭の出し物なのだから、そういうのがあったほうがいいのかもしれないが。
「いいな」
ポツリと、半ば無意識に呟く卓。しかし、それを陽介が聞き逃すはずもなく、後ろから黙って卓の肩に手をポンと乗せると、グッと清々しい笑顔で親指を立てていた。
「だろ!? 特に具体的には半袖という部分がいい! 白くて細い腕が露出されているというのが、無駄な露出を抑えたことによってより際立つ。メイドさんが注文したものを持ってくるときに真っ先に視線が行くのは手から腕にかけてなんだよ! そこを重視したデザインにすることによって、客は新たな魅力に気が付き、リピーターすらもゲットできるわけだ! まあ、あとはベタだけど、スカートのソックスの間の絶対領域。どれもこれもウチの女子レベルが高いから成し遂げることが出来た偉業なんだよ!」
「なんか途中からお前がただ気持ち悪い奴だと思って聞いていたが、まあ言わんとしていることは分からなくもないよ。というか、本当、メイド服を着ただけでここまで印象がガラリと変わるもんだな」
そんな話をしていると、教室の前のドアが開いた。同時に入ってきたのは、
「たっくん、準備の方は順調?」
「準備って言っても飲みものだからまだあまりやることはないんじゃない?」
今、話題の中心になっているお手製メイド服に身を包んだ赤桐蓮華と篠崎真理だ。
二人とも完全にメイド服を着こなしていて、元々の素材がいいこともあってか、一瞬の間卓を硬直させるのに十分な破壊力を醸し出していた。
「お、おお。こっちは問題ない」
若干、引きつった表情になっていたのかもしれないな、と心の中で呟く卓。
しかし、二日目といっても、これはそう簡単に慣れるものではない。蓮華に至っては普段から夕飯を作る際にエプロンなんかを着けているから大差はないだろうと思っていたのだが、それはすぐに改められたのが昨日だ。
メイド服とただのエプロンは全くの別物なのだと。
蓮華は肌が白く、肢体も出るところは出て、引っ込むところは引っ込むというまさに理想形。そして、メイド服はその肢体を疎かにすることなく、最大限に引き出していた。半袖から伸びる細く綺麗な腕は男子ならば、誰もが凝視してしまうレベルなのだろう。
そして、真理に至ってもそうだ。真理は蓮華に比べて、というか平均的に比べて胸囲はないが、それでもそれを補って余りあるほどの美少女だ。それにメイド服なんていう破壊力抜群のハードを取り付ければ、導き出される答えはわざわざ言うまでもあるまい。
案の定、陽介は後の方で二人のメイド服姿にやられて悶えている最中だ。
真理は辺りをキョロキョロして、人が他にあまりいないことを確認すると、卓に近づき、耳打ちするように、
「今日だよね、美奈が来るの」
「ああ。イベントは最後の方だから、それまでは普通に『聖徳蔡』を楽しむらしいよ。もちろん、ばれないように変装して、らしいけど」
その言葉を聞いて、真理と蓮華、そして卓すらも初めて美奈に会ったとこを思い出していた。そういえば、あの時も美奈は制服にアンマッチな変装をしていたような。
「あ、それと小鉄さんも来るみたいだぞ? 何でも昨日退院できたらしい」
卓が付け足すように言うと、真理と蓮華は嬉しそうに、
「良かった! 今回の怪我は結構重傷だって聞いていたからもう少しかかると思ってた」
「本当、間に合って良かったよ」
真理と蓮華は手を取り合って、その場でピョンピョン跳ねる。
すると、教室や、廊下に設置されているスピーカーから、
『本日は『聖徳蔡』二日目です! 皆さん準備は出来ましたか?』
生徒会長の声が聞こえてきた。聖徳高校の生徒会長は三年なので、卓たちとは関わりもなく、つまり名前も知らないのだが、
『只今の時刻は八時五九分五〇秒! ……五秒前、四、三、二、一! 『聖徳蔡』二日目スタートです! みなさん、思いっきり楽しんで最高の思い出を作りましょう!』
学校全体が、大きな歓声で揺れた。
教室内もそうだが、外で出店を出している運動部の生徒たちのものが大きいだろう。そして、いつもの味気ない正門ではなく、装飾まみれの門が開かれ、その前で待っていた一般人たちがぞろぞろと敷地内に入ってくるのが教室からでも見えた。
ざわつく教室内に、二回ほど手を叩く音が聞こえた。
「注目!」
簡易キッチンの前に、メイド服姿のボブヘアの委員長、寿奏が立っていた。
「一日目は大成功と言っていいでしょう! そして、今日も絶対に成功させるわよ! 皆でがんばろー! ファイト!」
「「おおお!!!」」
委員長の言葉に、男女問わずクラスが一致団結した瞬間だった。
「やっぱ、高校の学園祭はいいもんだな」
卓のその言葉に、メイドバージョンの真理と蓮華が頷く。そしてそれぞれの持ち場へと戻り、いよいよ『聖徳蔡』二日目が始まる。
私立聖徳高校の正門を二人組が通り抜けたところだ。
正門から入ったらすぐに校舎までの一本道の両脇にたくさんの屋台が並んでいる。そのほとんどが食べ物屋のようだが、中には射的なんかのゲーム形式のものもある。屋台の看板にはどれにも部活宣伝を兼ねてか、大きくそれぞれの部活名が書かれていた。ぱっと見はどれもスポーツ系のようだが。
そして、二人組は姉妹のように年も背も離れている。一人、背の高い方は薄手のシャツとジーンズといったラフな格好で、髪を隠すかのように深くキャップを被って、レディースのサングラスを装備している。正直、怪しいのだが、その隣にいる少女がいくらかそれを緩和していた。
もう片方の小さな方は身長一三〇センチほどで、茶髪のセミロング、頭のてっぺんからアンテナのようなアホ毛を歩くたびにピコピコ揺らしている。格好はピンクのキャミソールにヒラヒラのスカート。これがもう少し成長した身体なら多少露出面で問題があっただろうが、生憎と幼児体型なので問題ないだろう。
「わちき! あのヤキソバ食べたい!」
身長一三〇センチのアホ毛少女、名前は椎名てだまは繋いでいる手をグイグイ引っ張って、食べたいアピールをする。
「それはいいけど、後でお腹いっぱいで動けなくなっても知らないわよ?」
見た目が怪しい少女、椎名美奈は呆れたように言う。
彼女は決して変装が趣味のちょっと痛い娘ではない。なら、なぜこんな格好をしているのかと言えば、これでも彼女は日本を代表するレベルのアイドル。つまり、芸能人が街中を歩くたびに変装するのと同じ理由なのだ。
そして、今は特に関係ないのだが、彼女は『椎名家』に伝わる特殊な力、『術式・七星』の使い手、『妖霊の巫女』でもある。
「フフン! わちきのお腹はそんなに弱くはないんだよ! 目指せ! 屋台全制覇!」
てだまは全くない胸を張ると、美奈を無理矢理引っ張ってヤキソバの屋台前までいそいそと移動した。
「すみません、ヤキソバを一つください」
美奈が注文すると、野球部の部員だろうか、髪を刈りあげたいわゆる高校球児っぽい生徒が鉄板の上でヤキソバを作り始める。
ソースの焦げる香ばしい匂いが美奈とてだまの鼻腔をくすぐる。それに加えて、てだまはずっと鉄板の上でスパチュラを使って転がされるヤキソバをキラキラとした瞳で見つめていた。こういった屋台でのヤキソバは物珍しいのだろうか、と美奈は適当に解釈する。
「はい、おまちどー!」
高校球児は出来たてのヤキソバを紙皿に盛ると、美奈に手渡した。
「わちき! わちきが食べるんだよ!」
てだまはすかさず美奈の手からヤキソバを奪い取ると、バクバクとアツアツのヤキソバを口の中に放り込む。
「ほら、てだま。慌てなくても別に取らないから。ゆっくり食べなさいよ」
「そんなこと言って、お姉ちゃんは私のアイスを食べたことあるんだよ!? もうあのときの悲しみは二度と味わいたくな――むぐっ!?」
案の定、話しながら勢いよくヤキソバを食べていたてだまは麺を喉に詰めたようで、苦しそうに胸を叩く。
「いわんこっちゃないわね」
言いながらも、美奈は優しくてだまの背中をさする。
「ぷはぁ! 死ぬかと思ったよ、わちき」
「これに懲りたら少しはゆっくり食べなさいよ?」
「むむっ……不本意だけど、わちきもそれがいいと思ってきたような」
さすがに、てだまも今の苦しみをもう一度味わうのは嫌らしい。美奈の言うとおり、少しずつ箸で取って、しかし美奈を警戒しつつヤキソバを食べていく。
(にしても、ここが卓たちの通う学校かぁー)
美奈は警戒の目を向けてくるてだまを完全に無視し、屋台や装飾で賑わっている聖徳高校を見渡した。
美奈はここ、聖徳高校ではなく、中心街の一角にあるお嬢様学校、私立光陵学園に通っている。その外装も、中のシステムなどいろいろ常識を超えてしまっているのだが、聖徳高校は本当に普通の高校という感じだ。むしろ、美奈にとってはそちらの方が新鮮に感じられるのかもしれない。そして何より、美奈の通う光陵学園は女子校だ。男子など教師の数名しかいない。だからこそ、こうやって男女ともに協力して何かをするという光景が羨ましくもあるのだろう。
いくらアイドルといっても、それ以前に美奈だって恋する乙女。恋愛ごとにだって興味あるし、男子にだって普通並みに興味はある。
(卓に頼まれたステージは夕方みたいだし、それまではお祭りを楽しまないとね! 卓たちは確か一年二組って言ってたっけ)
美奈は入り口で配られたパンフレットを開いて、教室の場所を確認する。どうやら一年生は一階らしい。
「てだま、卓たちのお店に行ってみよう!」
「え!? にぃにのとこ? 行く行く!」
すでにヤキソバを完食していたてだまに驚きつつ、美奈は紙皿などを処分すると、卓たちのクラスがやっている『メイド喫茶☆1・2』を目指して校舎へと入っていく。
件の『メイド喫茶☆1・2』は大勢の人で賑わっていた。聖徳高校の生徒だったり、外部からの来客だったり、若い男女だったり、家族連れだったり、どこかオタクっぽい雰囲気を醸し出した集団だったりと、客層は実に広かった。
教室内に設置されたテーブルと椅子は満席状態で、メイド使用の女生徒も満足に歩けないほどだった。しかも、教室の外にまで行列が出来る始末。
「やっぱり、このセレクトは当たりだったな」
パーテションで区切られた簡易キッチンから店の様子を覗きこむ陽介は、顎に手を当てて、ふむふむと満足げな反応を示してた。
「でも、これじゃ今日も早々と店仕舞いになりかねないな」
卓は段ボールに詰められた紅茶葉やコーヒー豆を見て言う。
それに女子たちが作ったお菓子の方も評判がよく、どんどん売れて行く。
「いいじゃないか! そうすれば俺たちも遊ぶ時間が増えるってもんだ」
「まあ、そうなんだけどさ。なんて言うか、こうやってクラスの皆で何かをやるって普段はあまりないじゃん? だからこそ、こういうとき少しでも長くやってたいっていうか」
卓のその言葉をもはや陽介は聞いていなかった。歩くたびにフワリと揺れるメイド服に完全に目を奪われているのだ。
卓はため息をつきつつも、内心では陽介に共感できる部分はあった。
というのも、聖徳高校に通う女子は基本的に見た目のレベルは高い。しかも、この一年二組はとりわけレベルが高いと言っても過言ではないだろう。
先輩からも同級生からも人気の高いアイドル的存在の赤桐蓮華、そして一部の男子の中で密かに人気のある熱血美人(?)の風下春奈、何でもかんでも素っ気なく完璧にこなしてしまう天才派クールビューティーの篠崎真理、男女の対応に隔たりが無く、皆のまとめ役として委員長を務める寿奏。少し例を挙げただけでこれだけの美少女が揃っている。もちろん、他の女子もレベルは高い。そんな彼女らが、普段は絶対に拝めない、それもお手製のメイド服に身を包んでいるのだ。来客はもちろん、同じ従業員である男子たちも目を離せないでいる現状。
(こういう姿を見られるのも、店をやっている間だけだろうしな)
卓はそう思いつつ、紅茶の準備に取り掛かった。
基本的にお菓子とセットでしか販売していないので、紅茶もお菓子が売れれば自然と売れて行く。もし、お菓子と紅茶で別々に売っていたらこうはならなかっただろう。しかし、それすらも見通したのは委員長である寿奏。
(さすがだよなー)
心の底からそう思う。
そして、当の本人は、背筋をぴんと伸ばした理想的な姿勢で、お盆に乗せた注文品を確実にお客さんに運んでいた。そして、笑顔を完璧だった。
普段は学校のことで頭を悩ませているためか、あまり柔らかい表情ではないのだが、素材がいいのだ。笑えばそれだけで魅力が何倍にも跳ね上がる。事実、お客さんはもう奏の笑顔にメロメロといった感じだった。
そんなことを思っていると、本人が簡易キッチンに戻ってきた。
「お疲れ、委員長」
卓がそう言うと、奏は、
「意外と接客業って難しいのね」
理想的な姿勢から一変、だらっと手から力を抜いた。
「何をおっしゃいますか。完璧な接客だったじゃん。それに」
「それに? 何?」
言葉を区切った卓に、奏はキョトンとした表情で首を傾げた。
「それに、委員長笑えばすげー可愛いじゃん。普段からそうすればいいのに」
ボフンッ! という音が聞こえた気がした。同時に目の前にいるクラス委員長の顔を茹でダコの如く真っ赤に染め上がっている。
「な、な、なに言ってるの!? わ、私がか、可愛い!? からかわないでよねっ!」
めちゃくちゃ動揺し、目を回しながらおぼつく足取りで簡易キッチンを飛び出してしまった。
(そんなに変なこと言ったか……?)
簡易キッチンに取り残されてしまった卓は、少し前のやりとりを思い出したが、あそこまで動揺する理由を見つけ出せずに終わった。
だが、その少し離れたところで、
「出たわよ、蓮華」
「出たね」
メイド使用の真理と蓮華がヒソヒソと会話していた。簡易キッチンと店の間で、とりわけ人目のつかない空間でだ。
「卓はいつもいつも、狙ったように女の子を褒める悪い癖があるみたい」
「うん。それは私も思う。でも、そうだと分かってても、たっくんに褒められるとすごく嬉しんだけど!」
蓮華は両手を顔に当てながら、頬をほころばせる。
しかし、真理は至って真剣な表情で、
「けど、そうやって私たちの立場は危うくなっていくのよ? 大体、美奈と知り合ってから卓ってば美奈といる時間の方が長くない? 家や学校を除いてだけど」
「はっ!! 確かに言われてみればそうかも! というか、最近私たちは学校でメイド服を作っていたからたっくんが放課後何をやっているか全然知らない……」
「これはか・な・り! マズイ状況じゃない? 私たちの知らないところで卓と美奈が何をやっているか! もしかしたらてだまちゃんを自分たちの子供とか適当なこと言って街を歩いているのかも!?」
「ええ!? そんな! たっくんは美奈ちゃんと子供作っちゃったの!? それじゃ私たちが介入したら不倫!?」
もはやあまりに興奮しているため、二人とも正しい思考回路を働かせていない。しかも、二人にコソコソとそんな話をしているものだから、そこを通るメイドさんたちは気になってしかたないようだ。
「不倫ってことになるけど、それでも私たちの卓を想う気持ちは抑えられないのよ!」
「うん、そうだよね!? 不倫はよくないことだけど、結婚する前に子供作っちゃうようなことをするのはもっと駄目なんだからっ!」
「そうよ! 最近出来ちゃった婚とか流行ってるみたいだけど!? そんなんだから育児放棄とかが社会現象になっていくのよ!」
どんどん、話が勝手に飛躍し、エスカレートしていったところで、どこかで聞いたことのある声が聞こえてきた。
「あれー? にぃにがいないよー?」
「こら、てだま! 少し静かにしなさいよ!」
「「!?」」
その声にいち早く反応したのは当然、真理と蓮華だ。
バッ! とすごい勢いで店の方を覗くと、そこには頭のてっぺんから生えるアンテナのようなアホ毛をピコピコ揺らしながら歩くてだまと、てだまの手をしっかり繋いでいるキャップにサングラスといった見るからに怪しい美奈がいた。
「まさか、夫の働くところを見に来たってわけ!?」
「そんなっ! この店がたっくんと美奈ちゃんの甘い空間に早変わり!?」
何やら慌ただしく店の方へ出ようとする真理と蓮華。しかし、それは少し間に遭わなかった。
「お、てだまちゃん! 来てくれたんだ! それと美……君も」
卓がてだまの声を聞きつけて簡易キッチンから出てきてしまったからだ。それと美奈の名前を呼ぶことを止めたのは、彼女がトップアイドルだからである。
「お姉ちゃんがにいにのお店に行きたいって言うから!」
「こら! てだま!? 何変なこと言っているのよ! ち、違うわよ!? 私じゃなくててだまが」
しかし、美奈の弁解を遮るように、卓は純真な笑みで、
「けど、来てくれて嬉しいよ」
そして、美奈の耳元で周りの連中に聞かれないように、
「美奈も今日はライブまで楽しんで行ってくれると嬉しいんだけどな。それと、今日のライブ本当にありがとう」
その行動がふいだったもので、美奈は動揺し、上ずった声で、
「い、いいのよ! 別に! 卓には日ごろからお世話になっているというか、助けられているというか……それに私たちってほら! ある意味特別な関係じゃない!? だからこういう言いにくい頼み事もやってあげるのが当然というか……」
指をモジモジ絡ませる美奈。
てだまはすでに美奈をいじるのに飽きたのか、はたまたメイドさんたちが運ぶお菓子に興味があるのか、その動きを目で追っていた。
さらには、美奈の声が少し大きかったのか、クラスメートやお客さんの変な注目を浴びてしまったので、美奈は卓に案内された席にそそくさと座りこんだ。
「注文はメイドさんによろしくな」
卓はそれだけ言い残すと、簡易キッチンの方へと消えてしまった。
「お姉ちゃん! わちきこのチーズケーキセットが食べたい!」
てだまはメニューを両手で持ちながら、足をパタパタと動かす。しかし、美奈はどこか上の空で、
「はぅ……卓のやつ、あんな近くに顔を……」
変装中だが、赤らんだ頬を隠すことは出来ていなかった。先ほどの卓とのやりとりを思い出していると、ふいに声が飛び込んできた。
「お客様? ご注文をお伺いしますよ?」
「あ、はい。すみませ……」
店員のメイドさんに声をかけれられて現実に引き戻された美奈。そしてメイドさんを捉えた瞬間に、口が硬直した。
「どうしました、お客様?」
本気で心配している声ではない。どこかドス黒い何かさえ感じられる声だ。
「あー! にぃにと一緒にいるお姉ちゃんたちだ!」
てだまは嬉しそうに笑顔を浮かべた。しかし、美奈はどこか引きつった(サングラスをかけているので、何となくだが)表情で、
「ひ、久しぶりね。真理、蓮華」
何やらオーラが見えそうな雰囲気の真理と蓮華が立っていた。
二人とも表情は笑顔だが、何故か恐い。
(え? 何!? 何でこの二人は怒ってるの!? やっぱりアレ!? 卓が私に近づいたから? ええ!? ちょ、それだけでこんなに怒る!? 友達だからってこれはちょっと距離が近すぎないかしら!?)
美奈も焦りからまともに頭を回転させることが出来ない。
そして、少し低めのトーンで真理が、
「特別な関係って何かしらぁ? 大体、卓に顔を近づけられてどうして顔を赤らめるのかしらね? 美奈はもしかして卓のことが好き、なの?」
「ばっ!? 何言ってるのよ真理!? そ、そんなわけないじゃない! いや、好きっていのは違わないけど、それは友達としてであって、真理も蓮華もそれは変わらないわよ!?」
必死に弁解する美奈。だが、真理は悪戯な笑みを浮かべて、
「と言っていますが、どう思います?」
隣に立つ蓮華に話を振った。そして、こんな話の振り方をされたら、いつもなら間違いなくオドオドする蓮華も、今回は違った。
「でも、さっきの美奈ちゃんの顔はどう見ても友達に向ける表情じゃなかったような……具体的に言えば好きな人に向ける表情? 恋する乙女の表情よ」
「ちょっとぉ!? どうしたの蓮華!? いつもの優しい蓮華はどこ行っちゃったのよ!? 確信犯でしょ? なんか今日の蓮華の笑顔黒いもん!」
「そんなことないよ美奈ちゃん? 例え私たちがメイド服を作っている間にたっくんといろんな既成事実を作っていたからって、私の態度はいつもと何一つ変わるわけがないんだよ?」
「嘘だぁ! 恐いよ!? もう笑顔っていうか、蓮華が恐い! 大体、既成事実って何なのよぉ!?」
もう完全に動揺しまくっている美奈に追い打ちをかける真理。
「それはそこにいるアホ毛の少女が証明しているじゃない。さあ白状なさい。いつ卓と子作りしたのかしらぁ?」
真理は妖艶な笑みを浮かべて、人差し指で美奈の顔をなぞる。
「そ、それは……って! 真理も蓮華もてだまと一緒に暮らすことになった一部始終を知っているわよね!? 既成事実なんて無いって分かってるわよね!?」
メイド二人と、変装少女一人と、アホ毛幼女が何やら騒いでいるので周りも自然と注目してしまっていた。そして、そこに卓は話の内容などつゆ知らず、淹れたての紅茶を二つ運んできた。
「はい、まだ注文は聞いていないけどこれはサービスってことで」
不意の卓の登場に、それまで騒いでいたメイド二人と、変装少女は完全に固まってしまった。そして、卓はその不自然な空気に首をかしげつつ、
「何の話をしてたんだ? 随分盛り上がっていたみたいだけど?」
ここでようやく三人の息がピタリと合った。
「「「何でもないわよ!!」」」
卓は来客者や客引きをしている生徒たちで賑わっている廊下を歩いていた。
別にサボっているわけではない。ただ単に卓の休憩時間がやってきただけ。とはいうものの、本来なら真理と蓮華も休憩時間を合わせていたのだが、何分、客が多いので女子たちは休憩返上で働かされているのだ。それに比べて男子は紅茶やコーヒーを用意するくらいなので、人手は足りないどころか多すぎるほど。
卓は女子たちに申し訳ない気持ちを抱きつつも、どうせ店にいても際立って役に立つことも出来ないのでここは素直に甘んじることにしたというわけだ。
(でも、来年はもう少し男女の仕事配分も考慮しなくちゃだよな。今年はメイド喫茶なんかにしたから、手伝いたくても男子がフロアに出たらブーイングの嵐だろうし……)
卓は想像しただけで恐ろしくなったのか、ブルッと肩を震わせた。
廊下を歩いているだけで、いつもは何の変哲もない教室が今は個性豊かな店へと変貌を遂げているのでそれだけでも楽しい気分になってくる。
そんなことを思いつつ廊下を歩いていると、ふと見知った人影を見つけた。向こうもこちらに気が付いたようで、人混みをかき分けるようにして向ってくる。
「久しぶりです、小鉄さん!」
卓は手を振りながらこちらからも歩み寄っていく。そして二人が合流すると、
「お久しぶりです。今日はわざわざご招待していただいてありがとうございます」
相手は律儀に頭を下げた。
この男は三浦小鉄。卓や真理、蓮華と同じ討伐者。卓と同い年か、それより年下のような幼いが整った顔立ちに、黒のカジュアルヘアの少年だ。いつもはスーツで身を包んでいるのだが、今日は珍しく、Tシャツにジーンズといった休日の服装だった。
卓もそれに違和感を覚えたのか、ジロジロ小鉄の服装を見ていると、その視線に気が付いた小鉄がどこか気恥ずかしそうに、
「いえ、せっかくのお祭りですから、堅い格好は雰囲気を台無しにしてしまうと思ったんですよ。おかしいですかね?」
「いやいや、そんなことないですよ! むしろこっちの方がいい気がします!」
「はは、ありがとうございます」
「ところで、もう怪我の方は大丈夫なんんですか? 最近忙しくてあまりお見舞いに行けなかったし……」
「気にしないでください。これは自分で招いたことですから。それに怪我はもう完治しました。ここ数週間ゆっくり休息をいただきましたからね。それにこちらこそあなたたちばかりに負担をかけてしまって」
怪我、というのはつい二週間ほど前に小鉄が『頂』の一人との交戦で、自分の命を守るために自発的にしたものだ。とはいえ、気を失うほどの怪我で、こうやってしばらく入院しなくてはいけなくなるほどの大怪我だったのだ。
「負担なんてかかってませんよ。小鉄さんが来てくれてすごい心強いんですから。それに今日はもう堅い話はナシにしましょう? あ、そうだ! 俺ちょうど休憩中なんで、案内しましょうか?」
「え? いいんですか? それは助かります!」
卓の提案に、小鉄は嬉しそうに笑って見せる。一人で『聖徳蔡』に来たはいいが、なにせ、小鉄は聖徳高校に来たのは初めてで、いろいろ不安もあったのだろう。
「それじゃ行きましょうか! 小鉄さんはどこか行きたいところってあります?」
卓が訊ねると、小鉄は入り口でもらったであろうパンフレットを開き、しばらく考え込むと、ふと顔を挙げて、
「この、『メイド喫茶☆1・2』というお店に興味があります」
「……、」
卓は一瞬固まったのを自覚した。それに気が付かない小鉄は、
「いやー、恥ずかしながら少し、メイド喫茶というものに興味があったんですよー。東京に配属されていたころに何度か見かけたことがあったんですけど、どうにも入る勇気が出ないといいますか」
無邪気な笑顔でそんなことを言い出す小鉄をよそに、卓は、
(マジ……? またあそこに戻るのかー。いや、まあこれは店の貢献になるからいいんだけどさ、なんか知らないけど真理も機嫌が悪そうだったというか……いつもの勘違いなのかもしれないけど)
卓が黙り込んだのが気になったのか、小鉄が顔を覗きこませて、
「何か不都合でもありましたか? それなら別に無理にとは言いませんが……」
口ではそう言うものの、表情はあからさまにガッカリモードだ。卓は今の小鉄を裏切ることは出来なかった。
(どこまで行っても、やっぱり自分だけ店の呪縛からは解放されないってことか)
適当に自分を納得させると、今出てきたばかりのメイド喫茶へと再び足を向ける。
『メイド喫茶☆1・2』は大勢の客で賑わっている。常に教室からは注文の声が聞こえ、メイドさんたちの可愛らしい声が後に続く。
すでに教室には美奈(変装中だが)とてだまはいなかった。が、その席にはすぐにまた別のお客さんが座り、それまで美奈と超個人的な話をしていた真理と蓮華も今ではいそいそと接客の真っ最中だ。
「なんか昨日より忙しいような……」
蓮華が使い終わった食器をお盆に乗せながらそんなことをふと呟く。そして、たまたま近くを通りかかった蓮華の親友、風下春奈は、耳打ちするように、
「大丈夫よ。夜のキャンプファイアーの時間まで店はやらないから。しっかり城根に告白するのよ?」
その言葉に動揺した蓮華は危うく食器を床にぶちまけるところだったが、何とか寸前で食い止めた。
「ちょっ!? こんなところで、もし誰かに聞かれたら!」
すぐさまキョロキョロと辺りを見回すが、誰も気が付いていないよう、というよりあまりの忙しさにそんなところまで気が回っていなかった。
「蓮華のそういうところ可愛いわね! もう!」
「うぅ……私だってもう緊張しているんだから、あまりからかわないでよぉ」
ぷくぅとリスのように頬を膨らませる蓮華に対して、春奈は無邪気な笑顔で、
「はいはい。私はいつでも恋する乙女の味方だから、頑張りなさいよね!」
軽く蓮華の背中を叩くと、すぐさま簡易キッチンの方へと姿を消してしまった。
(告白……かぁ)
蓮華は自分の顔が熱くなるのを感じていた。しかし、
「三番テーブルの注文、誰か急いで!」
クラスメートの声が聞こえ、蓮華もすぐに食器を片づけて、注文を取りに行く。告白の前に、今はこの店をなんとかしなければいけない。
それまでちゃんと体力残るかな、などと心配しつつも蓮華はテキパキと仕事をこなしていく。
「すごい人気ですねー」
そんな大忙しの人気店、『メイド喫茶☆1・2』の前で小鉄は感嘆の声を漏らした。教室の外にもはみ出るくらいの長蛇の列に並んでいるのだ。
「昨日からずっとこんな感じで。まあ、ウチのクラスの女子は俺が言うのもなんですけど可愛いと思いますし、納得は出来るんですけどね」
「確かに、謙介さんの妹さんも、蓮華さんもとっても可愛らしいですもんね」
そう。小鉄は討伐者繋がりで、この二人のことは知っている。それに卓と同じクラスということも。まあ、この二人はクラスの中でもトップレベルなので、それを基準にされるとどうなのか、という不安はあったが、別に夢を壊すようなことをしなくてもいいだろうし、他の女子だって十分過ぎるほど魅力的なのだ。そんな失礼なことはできないという結論に達した卓はあえてそこには触れなかった。
しかし、代わりに、
(そういえば、小鉄さんって見た目は俺と同じくらいだけど、実際のところどうなのかな? 口調は敬語だし、雰囲気はめっちゃ大人っぽいけど……)
別の疑問を抱いていた。
小鉄と出会って大分経つが、そういえば彼の実年齢を聞いたことがない。というか、誰もそのことについて触れていない気がする。
(え、もしかして触れちゃいけないタブーみたいなものなの!? うわー、めっちゃ気になる! でも制服姿を見たことがないし、学生じゃないのか? でも大学生には見えないよなー。どう考えても)
ほとんど無意識のうちに、卓は小鉄を見ていたのだろう。その視線に気が付いた小鉄な何気なく、
「あの、どうかしましたか?」
「え!? あ、いやいや、何でもありません! それよりすみませんね、なんか待たせてしまって」
やはり聞けなかった。
聞いたら駄目な気がするという根拠の無い抑制に負け、卓はがっくりと肩を落とした。
「いえいえ、こうやって待つのも楽しみの一つですよ。それだけに期待に胸が膨らみますから」
爽やかな笑顔で、本当に苦にならないのだろうなと思わせるほどの態度で廊下で待つ小鉄。
(本当に雰囲気は大人っぽいよな)
結局、小鉄の実年齢を知る機会を失った卓は勝手に自己完結して、順番を待つことにした。
それから十分ほどして、卓たちはようやく店内に入ることが出来た。小鉄を一人にするわけにもいかないので、少し気恥ずかしかったが、卓もお客として店に入る。
「いらっしゃいませ! お客様二名でござい――」
真っ先に出迎えてきたのは、メイドバージョンの真理だった。そして、真理は二人の姿を確認するなり、席に案内を適当に済ませ、素早く簡易キッチンの方に消えてしまった。
仕方ないので卓がメニューを開き、小鉄から注文を聞きだす。
そして、簡易キッチンでケーキをお盆に乗せて運びだそうとしていた蓮華を発見した真理は慌てたように、
「蓮華! 卓が、今度は男とデートしている!!」
「……えっ!?」
またしても勝手な暴走をした二人は(蓮華は注文品をダッシゅで届け)、簡易キッチンから卓と小鉄を覗き始めた。
「そんなっ! 小鉄さんもライバルなんて……完全に油断していた……」
蓮華はわなわなと全身を震わせていた。
「まさか、卓に限ってそれはないと思っていたけど、まさか同性愛者の気があったなんてっ! いや、美奈のこともあるから、両方いけるの!?」
一体、どこをどう見たらそうなるのか、しかし恋する乙女の暴走というのは常識にとらわれないものなのだろう。
確かに卓と小鉄は何やら楽しげに話しているが。
そして、当の本人、卓は小鉄と何の他愛もない話をしているだけなのだが。というのも、考えてみれば卓の周りにこうやってどうでもいい話で盛り上がれる男友達はそう多くない。伊勢陽介という腐れ縁はいるが、彼はいつも女方面の話に持っていく傾向があるし、あとは大体、真理は蓮華、春奈といることが多い。もちろん、その時間は楽しいのだが、こうやって男同士でなんてことない話で盛り上がれるのは新鮮なのだろう。
だが、そんな事情を知る由もない真理と蓮華は、その様子を見てどんどん暴走していく。
「でも、どうしよう……小鉄さんに真正面から何か言うなんて……」
「私ならっ! お兄ちゃんの立場を使って何とか出来るかも!?」
「そ、そうだね! うん、それにしよう!」
「じゃ、じゃあ行くわよ!」
そして、簡易キッチンを跳び出す二人。しかし、店内を見回してもすでに二人の姿は無かった。
「「先手を取られたっ!?」」
などと馬鹿なやり取りをしていると、1年二組の学級委員長、寿奏が両手を腰に当てながら、
「ほら、次のお客さんの対応お願いね!」
『メイド喫茶☆1・2』をあとにした卓と小鉄は、一旦外に出て、ベンチに座りながらパンフレットを広げていた。
「次はどこに行きます?」
「それはありがたいんですけど、お時間の方は大丈夫ですか? お仕事があるんじゃないんですか?」
小鉄のその言葉に、ふと慌てたように思いだした卓は制服のポケットから携帯電話と取り出し、時間を確認する。
(げっ!? もう休憩時間終わり!!)
「すみません、小鉄さん! 俺、戻らなくちゃいけなくって」
「気にしないでください。それよりも、案内してくださりありがとうございました」
手を振って見送ってくれる小鉄を背に、卓は自分の教室へと猛ダッシュで戻って行った。
学園祭で盛り上がる聖徳高校と同じく、鳴咲市にあるとあるビル。すでに取り壊しが決まっていて、窓ガラスすらもまともに設置されていないような廃屋だ。もちろん、電気など通っているはずもなく、昼間だというのに屋内は薄暗い。せいぜい隙間から差し込む太陽の光程度のものだ。
そして、そんなビルの中にボロボロのテーブルを囲んで立つ十数人の男たちがいた。
服装がバラバラなところを見ると、業者ではない。それより、テーブルに置かれている鉄の塊が物騒で仕方がない。
拳銃やらマガジン、ライフルなどが置かれていた。どう考えても、建造物を撤去するのには不必要な物品の数々。
彼らは鳴咲市で発足した不良集団、『落第巣窟』改め、『這い上がる者』のメンバーだ。
別に彼らは討伐者というわけではなく、本当にただの不良なのだが、とある事件をきっかけに討伐者側の事情に巻き込まれ、今は自らその事情に立ち入ろうとして行動しているのである。
「しっかし、よくこんな武器を調達出来たな。今では難しいんじゃなかったのか?」
一人の男が拳銃を手にしながら言う。
十八歳の青年で、茶髪の跳ね髪、両耳にピアスを空けている。名前は柳将也。つい先日まで少年院に入っていた犯罪者でもある。今は『這い上がる者』のリーダー格として全体の指揮を取っているのだが。
将也の言葉に、向いに立っていた長身でスポーツ刈りの男、三上は笑いながら、
「おうおう。全く苦労したぜ? まあライフルの方は猟銃だから、そこまで苦労はしなかったけどな。問題は拳銃さ。こちらも猟銃にすれば良かったんだろうけど、それじゃ元々足りない火力がさらに制限される。もちろん、競技用もそれのために改造してあるから、いざというときに役に立たない」
「ならどうやって?」
将也が訊ねると、三上は得意げに鼻を鳴らし、
「知り合いのつてで武器マニアがいてね。もちろん、違法だけど。拳銃を集めているやつがいたもんで。銃弾の方は調達出来なかったから、そっちは職人に頼んで作ってもらったわけ」
「なるほどな。確かにこれだけの武器があれば頼もしいよ。でもこの拳銃、俺の持ってるやつとはずいぶん形が違うみたいだけど?」
将也は以前に、電話の男から拳銃を受け取っていた。形は日本警察でも採用されている一般的なもの。将也はハッキング専門だから詳しくは知らないのだが、H&KP2000だったか、そんな感じの拳銃だ。
しかし、今、目の前にあるのはそれとはずいぶん違う。全体的に丸みを帯びたデザインで、銃自体も将也が持っているのより短い。しかもトリガーも長めという印象を受ける。
三上はそれを片手に取ると、
「こいつはS&W642、ダブルアクション専用の拳銃さ。引き金を引くという単純なアクションだけで操作できるっていう利点がある反面、どうしても引き金を引く力が大きいっていうのと、引き金を引く距離が長くなって命中精度が落ちるっていう欠点があるけどな。しかしまあ、どの道俺たちは初心者さ。元々そこまで命中精度も良いわけじゃないし、ともすれば操作性で選ぶのが妥当だろ?」
「なるほどな。確かにそうだ。でも、そうするとやっぱり拳銃やライフルだけに頼るってのは危なっかしいか?」
「そう言うだろうと思ったよ」
今度はS&W642をテーブルに置き、どちらかというと将也の持つ拳銃と似たデザインのものを手に取った。
「コイツは拳銃じゃないんだよ」
「?」
将也が怪訝そうな表情を浮かべると、三上はなんの躊躇いもなく、引き金を引いた。しかし、パン! という火薬の爆発音が聞こえることもなく、代わりに、薄暗い屋内がバチバチィ! という音と共に一瞬だけ照らされた。
「それって……」
「そう、コイツはピストル型スタンガン。ちなみに三十万ボルト! 遠距離武器だと思わせておいてのバリバリ近接武器ってわけよ。一応、一般的なモデルのスタンガンも用意してあるけどな」
「へぇ。今はこんなモデルもあるんだな」
「これらは一般的な護身用品店でも売ってるから普通に手に入るんだぜ? まあ、金を払って買ったかどうかはさておいてな」
三上は苦笑いを浮かべる。
彼らは不良集団というが、実のところ法に触れている行為は幾度もやってきた。万引きなんかも自慢にはならないがお手の物。
こういった作業自体は慣れているのだ。ただ、今回は獲物のジャンルが違うというだけの話だ。
それを誤魔化すように、三上は、
「しっかし柳も思い切ったことを思いつくよな。まさか外交対談施設に潜入しようなんて。というか、なんでそれでこんな武器が必要なんだ?」
ここで言う外交対談施設というのは、あくまで表向きの名称。実際は『討伐者日本総本部』。しかし、一般人である彼らはそんなことを知らない。
「ああ、それなんだけど、あの一件からちっとばかし調べたんだよ」
「調べた?」
三上が首を傾げると、将也は一度頷き、
「ここ数カ月の各国の外交官の動きをな。そして分かったことは日本での外交対談が最後に行われたのは一か月前。それっきり、各国の外交官が日本に直接的に訪ねてきたという記録は残っていなかった」
「えっ……? それじゃおかしいじゃないか!」
「そう。おかしいんだよ。なら、俺が盗聴した対談は何だったのか、という疑問が浮上してくる。間違いなく、対談が行われた場所は外交対談施設。それはハッキングした俺が証明出来る。けど、あの対談は公式のものではなかった。記録に残っていない以上そう考えるのが妥当だろうな」
「外交官同士の非公式なものだって言うのか……?」
「そう考えるのが順当、と言いたいんだけど、ここ数日の在日外交官は皆、スケジュールが完璧管理されていて、非公式だろうが対談自体した形跡がない。となれば残る可能性は海外からの来日。だが、どういうわけか数日前の鳴咲市で起こった『生物研究技術の偶発的な暴走』の事件で航空便は国際線、国内線問わずかなり制限されていた。全て調べたけど、海外からの来客は皆無」
「……、」
いくら勉学に乏しい三上でも、ここまで言えば状況は把握出来たのだろう。『這い上がる者』の他のメンバーも見慣れない武器に興奮していたが、いつの間にか将也の言葉に耳を傾けていた。
そして、将也は結論付ける。
「つまり、外交対談施設で行われていた対談は公式、非公式以前に、外交官以外の者同士で行われていた可能性が高い。というより、俺たちの知る限りの立場の人間ではない、といったほうが分かりやすいか。表向きに動いている政府じゃないってことだろうな」
「じゃ、じゃあ何者なんだよ……? 戦争を企てられるほどの人物なんだろ?」
三上の言葉に将也は首を横に振った。
「そこまでは分からない。だからこそ、今回こうやって作戦を立てたのさ。直接、その場に忍び込んで内部から実情を調べる。ハッキングだけじゃそう確かな情報を得られないからな。ハッキングで得られるのは元々用意されていた電子的情報。そこを改ざんされていたら意味がない。正直、合理的とは言い難いけど自分たちの目で確かめるしか方法はないってわけだ」
「だからって、ここまでの武器を用意するか? 普通」
「相手の正体が分からない以上、用心するに越したことはないだろう? 戦争を企てるくらいだ。まともな神経の持ち主と思わないほうが得策だ。それに、俺に交渉してきた『電話の相手』だってわざわざ拳銃を用意させた。ということはそれだけのことをしなければ止められない状態と考えてもいいだろう。今回は遠くから間接的に関与するんじゃなくて、相手の本拠地に直接乗り込むわけだし、これくらいの装備でもまだ不安要素は払拭しきれないと思っている」
そこで将也は息を吸って、ただ、と付け加え、
「武器を使うのはあくまでも自分の安全を守るときだけだ。無闇に人に向けて発砲するのは得策じゃない。必要の無い罪を重ねるのは馬鹿のすることだからな。向こうが銃を向けてきたら、発砲するくらいだろうさ」
「ここは日本だぜ? そんなハリウッド映画みたいな展開になるか? いくら警備員がいたとしても全員が全員拳銃を持っているとは考えにくいけど」
「そうであってくれれば問題はない。こちらも別に人を撃ちたいわけじゃないんだしな。だが、すでに俺たちの常識は覆されている。常識の目に囚われていたら命がいくつあっても足りないぞ? 三上も見ただろう。誘拐しておびき出した奴を。あれはどう見てもただの人間の動きじゃない。その前に神社での爆発も気になるところだ。そういったイレギュラーな事態をなるべく乗り越えるための必要最低限の準備だよ、これは」
三上はごくりと息を呑んだ。
確かに将也の言うことは最もだ。
つい先日、自分たちは幼い少女を誘拐した。それは、正体不明の人物が企てる『戦争』を阻止するため、それに関わる重要人物をおびき出すのに必要なことだった。
しかし、実際に現れたのはそこらへんにいそうな高校生一人(実際は美奈もいたのだが、外で待機していたので彼らは知らない)。だが、その決定的な違いは明白だった。あの男が普通の高校生ではないということの理由だ。
拳銃を突き付けられても勇敢に立ち向かう、というのも一つかもしれない。けどその程度なら他の高校生にもいそうなものだ。
違いはそんなものではない。
動き。
間違いなくそれだ。
少年は何故か、全身を蒼い光に包んでいた。それが自分の目の錯覚じゃないということはメンバー全員が確認していたことからも明白だった。そして、それが関係しているのか、否かは知らないが、少年の動きは人間離れしていた。
拳銃から放たれた銃弾を致命傷を避けられるほどの速さでかわすし、高さ三メートルほどはあるであろうコンテナの上を軽々飛び越えたりと。とても普通の高校生の動きではない。ここの時点ですでに自分たちの常識は覆された。
それに、突然、格納庫の天井から火の球が降ってきて、火事にはなるし、その後に大量の水であっという間に鎮火されるし、訳のわからない現象が続いた。もちろん、その現象全てがあの少年の影響かどうかはさておいて。
だが、間違いなく自分たちの知らない世界での出来事なのだろう。少なくとも、この一件に関与していなければ死ぬまで触れることのないような世界。
三上はそう考えただけで、背筋に悪寒が走ったことを感じた。
将也の言うとおり、こんな予想の斜め上を行く事態が頻発するのなら、自分が調達してきた武器は本当に、『必要最低限』なのかもしれない。いや、もしかすると、最低限にすら届いていない。いくら不良とはいえ、まだ一般側の立場の彼らにとって、拳銃やライフルだけじゃ対処出来ない事態なのだろう。
逃げ出したい。そんなことを思ってしまった。けど、三上は自分でその考えを踏み砕いた。
将也の言葉。
自分たちを『落第巣窟』から『這い上がる者』へと導いてくれた人の言葉。それは三上だけでなく、他のメンバーの心にも届いていた。
もう逃げ出すわけにはいかない。これ以上、落ちこぼれとして馬鹿にされるのは嫌だった。同じ犯罪でも、誰かを守るために行う。ただ自分の鬱憤を晴らすために人を傷つけるのではない。自分の大切なもののために傷つけるのだ。
正義なんて言葉はいらない。自分たちの行いが、結果、悪と言われてもいい。
そんな無意味な肩書のために動くわけではないのだから。
三上は拳を握ると、そこで将也がゆっくりと口を開いた。
「これが『這い上がる者』の本当の意味での初仕事だ」
真理と蓮華はメイド服から制服に着替え、『聖徳蔡』で賑わう校舎を歩いていた。
彼女たちのクラスが催している『メイド喫茶☆1・2』も昼過ぎになって客もひと段落ついたところでようやく休憩というわけだ。
しかし、本来は卓と時間を合わせていたのだが、それも大幅にずれ、今は卓が働き、真理と蓮華が休憩という形になってしまったわけだ。
「はぁ……たっくんと一緒に見て回りたかったなー」
蓮華はあからさまに残念そうな表情をして歩いていた。そして、それまで何かを考え込んでいたような真理は、ふと
「ねえ、蓮華……」
半ば無意識のうちに声を出していた。
「ん? あ、ううん! 別に真理ちゃんと一緒に回るのが嫌ってわけじゃないよ!? それは本当!」
すぐに自分の発言が真理を不快にしたのかと思った蓮華は慌てて訂正するが、どうやらそういうわけではなかった。
真理は静かに首を横に振って、
「何でもないわ」
と。
蓮華は真理のその複雑な表情が気になったが、詮索はしなかった。
そして、真理は、
(今、私何を言おうとしたの……? 今日、本当に告白するの? って聞くつもり? ……そんなこと聞いたって仕様がないじゃない。蓮華はもう決めているんだから。私と違って、自分の思いを伝える勇気があるんだから)
先ほどまでは、変なテンションで美奈や小鉄に嫉妬していたが、冷静になって考えると、今日、蓮華は卓に告白するのだ。
それは以前に蓮華から直接聞いていた。
『聖徳蔡』二日目の最後のビッグイベント、キャンプファイアーのときに卓を呼びだして告白すると。実際、昨日の内に卓を誘っているとも聞いている。正直、蓮華はこういうことに関しては奥手だと思っていた。いや、実際そうなのかもしれない。最初に会ったころのイメージでは、何年もの付き合いがある卓とも照れくさそうに接していた気がする。けれど、次第にそれらは少しずつ変わってきた。今では割とハッキリと思っていることを言えている気がするし、前よりも積極的に卓とも接している気がする。いや、そのハッキリとした成果の表れが今回の告白なのだ。
それに比べて自分はどうだ。
以前に蓮華には偉そうなことを言ったにも関わらず、自分は蓮華のように想いを伝える勇気が得られない。もちろん、卓は自分に好意を寄せているのは分かっている。けれど、それは異性としてではなく、友人としてなのだろう。それはきっと蓮華や美奈と一緒。卓は皆に対する接し方にそれほどの違いがない。だからこそ迷ってしまうのだ。もし、告白して今の関係が崩れてしまったらどうすればいいのか。今と同じように討伐者のパートナーとして付き合っていけるのか。今のように卓と同じ家に住めるか。
そんな不安ばかりが先走りして、想いを伝えることに躊躇してしまう。
卓が別の女の子と仲良くしたら嫉妬して、理不尽に冷たい態度をとってしまうことも多い。そんなことは自分が一番理解していた。けれど、思いとは裏腹に勝手に身体が動いてしまう。けど、こんな理不尽な扱いを受けて、卓は自分のことを本当は嫌っているのではないか、とも思ってしまう。
卓は優しい。だから、いつも普通に接してくれるけど、本当のところはどう思っているのだろうか。
蓮華は自分に比べて素直だし、いつでも卓への行為を剥きだしにしている気がする。だからこそ、自分にはない勇気が得られたのかもしれない。
今後の関係がどうなるかなどを想いを伝えられない逃げ道にするのではなく。
「……、」
真理が黙っていると、横から蓮華の声が飛んできた。
「真理ちゃん? どうしたのぼうっとして」
蓮華が心配そうな表情でこちらを見ていた。
どうやら本当にぼうっとしていたらしい。目の前に柱が迫っているのをようやく視認して避ける。
「ううん。何でもないわ。ただ、蓮華が羨ましくって」
「えっ?」
蓮華がそこで真理に何かを訊ねようとしたが、同時に真理の携帯電話が鳴った。
「え? お兄ちゃんからだ」
相手は、今はドイツに戻った兄、篠崎謙介からのものだった。
「ちょっと、電話に出てくるから蓮華は先に行ってて!」
それだけ言い残すと、真理は人混みの少ない階段の方へと駈け出した。
「ええー? 私、一人……?」
蓮華は小さくなっていく真理の背中を見つめながら、愕然と肩を落とし、トボトボ歩きだした。
真理は人のほとんど通らない階段の裏で電話に応答した。いくら『聖徳蔡』で賑わっているとはいえ、この場所は人がほとんどいないので、電話するには最適だった。
「もしもし?」
『久しぶり、というわけでもないが、他の挨拶が思い浮かばないからそれにしよう。それよりも、今日は学園祭だったな。今は大丈夫か?』
十日前に再会した兄の声が聞こえてきた。とは言っても、それほど感慨深いものがあったわけでもなく、真理は淡々とした口調で、
「今は休憩中。それよりもどうしたの? お兄ちゃんがわざわざ電話してくるなんて」
『可愛い妹に電話したいと思う兄心という考えなないんだな。ま、それで合っているよ。用件があってね』
「そう。休憩もそんなに時間がないから、手短に済む話?」
真理が訊ねると、謙介は少しの沈黙の後に、
『話自体はすぐに終わる。時間もないようだし、早速本題に入ろうか。フィア様の提案でね、真理をヨーロッパに配属したらどうか、という話が持ち上がった』
「えっ!?」
初めて、真理は動揺の色を見せた。しかし、謙介は構わずに続ける。
『もちろん、これは強制的ではない。あくまでも真理自身が決めることだ。理由は、そうだな。真理なら分かるだろう? 知りたいんだよ、フィア様は。五年前の真理の失踪について』
「……、」
真理は黙り込んだ。
五年前の失踪。ドイツにて、『魂の傀儡子』に襲われ、卓を逃がして自分だけが残って戦うことを決めたその瞬間のこと。そして、真理自身、見たこともない場所に飛ばされていた空白の五年間。理屈は分からないが、覚えているのはそれだけで、その五年間の記憶はほとんど曖昧なのだ。
『俺は言ったんだけどな。真理がヨーロッパに来ることはないだろうって。そっちには弟君がいる。真理は彼のパートナーだし、何より、それ以前の想いもあるみたいだしな。だから、嫌なら断ってくれていい。この件に弟君たちも連れてくるわけにはいかないんだ。つまり、必然的に彼らとは別れなくちゃいけなくなるだろうからな。真理は当然、そんなことを望んではいないだろ?』
声が出なかった。
真理自身、一番驚いている。
少し前なら即答していただろう。もちろん、こんな話は断っていたはずだ。しかし、今はそれすらも出来ない。かといって受け入れるつもりもない。
だが。
このまま卓と一緒にいて、それで本当に自分は報われるのか。
そんな気持ちも芽生えていた。
卓のことは好きだ。恋愛対象という意味で。でも、だからこそ、今の距離のまま、今の関係を続けていくことに自身がない。
かといって、それを崩すリスクを背負ってまで、想いを伝えられる勇気もない。いっそのこと、ヨーロッパにでも行って、距離を取った方が楽なのかもしれない。
手が震えていることに気が付いた。
携帯電話が揺れている。
『真理? どうかしたのか?』
スピーカーから兄の声が聞こえる。けれど、頭が働かない。ハッキリと、断ることが出来ない。どこかで、逃げ道を作ってくれたことに対する安心感みたいなものが芽生えている。
真理は自分で自分のことが嫌になっていく。
偉そうなことを言っていたくせに。
一番近くにいるのは自分だと思っていた。
けれど、それは勘違い。自分がいなかった五年間で卓を支えていたのは自分ではない。むしろ、自分の存在が彼を苦しめていた。以前に、蓮華から日本に帰国したばかりの卓の話を聞いたことがある。それは自分の知っている卓とはまるで別人のようだった。
絶望。
適切かどうかはさておき、自分の存在は卓にマイナスの影響を及ぼしていたのかもしれない。けど、そんな時の卓を支えていたのは蓮華だ。
蓮華は自分が卓に支えられたと言っていたが、きっとそれは卓も同じことを思っているのだろう。お互いがお互いの支えになっている。
今回、蓮華が自分の想いを伝えようと決心したのも、きっと自分の知らない間で培われた関係のおかげなのかもしれない。
あまりにも大きすぎる空白だった。
五年間。
卓はその間に自分との約束を忘れることなく頑張ってくれた。自分との再会も喜んでくれた。けれど、それと同時に自分の知らない絆が確かにあった。
蓮華という、自分とは違う支えになっている少女との絆。
(どうして……どうしてこんなにも苦しいんだろう……)
真理は手持無沙汰になっている手で、胸元の制服をギュッと掴んだ。そして、震える唇をゆっくりと動かし、
「返事は、もう少し待ってもらえる? 今は少し考える時間がほしいの」
あまりにも予想外の返答に、謙介の方が戸惑ったように、
『そ、そうか? あ、いや別にすぐに返事がほしいわけじゃないからいいんだが。真理がそういうなら待たせてもらうよ』
「うん……ごめんね。じゃあ、そろそろ休憩終わるから」
真理は通話を切ると、静かに携帯電話をしまって、ふと立ちつくした。
(私の知らない卓……。どうしてだろう。別に卓が私を好きじゃないといけないことなんてないのに。卓が誰を好きになっても、それは卓の自由。分かっているのに……分かっているのに、どうしてこんなにも嫌な気持ちになるんだろう)
ふいに卓が前に言ってくれた言葉を思い出した。『魂の傀儡子』と戦うために、灯台下の訓練施設で言ってくれた言葉。
『もう、真理に涙は流させない』
その言葉が頭の中で響く。そして、次第に真理は視界がぼやけていくのに気が付いた。
(卓の嘘つき……私、また泣いちゃいそうだよ……? もう泣かせないって言ったじゃない……。来てよっ! 今すぐ来て、抱きしめてよ! 泣くなって言ってよ!)
ギリギリのところで、顔を上げて涙を堪える真理。
今泣いたら駄目だ。
こんなことで卓を嘘つきにしては駄目だ。
そんな思いから来た動作だった。真理は自分でも驚くほどに感情が高ぶっていた。けれど、一番辛いのは、自分に勇気がないということ。
戦いで冷静な真理でも、こういうときには冷静でいられなくなる。自分が自分でなくなっていくようだ。
負けたわけではない。
まだ、蓮華と卓が付き合っているわけではない。今ならまだ間に合う。残りの時間で勇気を振り絞って、自分も卓に想いを伝えることを決心することが出来れば。
真理は、グッと拳を握り、流れそうになった涙を手の甲で拭いとると、
(私も、もう引き下がらない! 卓に想いを伝える。好きだって言ってやる!)
表情を引き締め、先ほど別れた蓮華と合流するために、一歩を踏み出す。
同時。
一瞬のうちにして周りの雑踏が消えた。『聖徳蔡』を楽しむ大勢の人たちの姿も声も。
賑わっていたはずの校舎が静寂に包まれた。
真理は知っている。この現象を。
世界から切り離された空間だということも。
嫌な胸騒ぎがする。
この空間で、まともなことはない。
この空間にいるということは一つの意味をなしていた。
戦いの始まり。
(断絶っ!?)
戦いの狼煙が上がったのだ。
第4回ぶっちゃっけトーク!~永遠の謎~
卓「今回は、懐かしいあの人が登場! それではどうぞ!」
スミレ「はーい! みんなお久しぶり!! 私のこと覚えているかな~? 不安だよ!」
卓「もし分からないという人がいたら、本編の『魂の傀儡子』編を読み返してくださいね!」
スミレ「ちゃっかり宣伝だね☆」
卓「あの、そういうことは言わない方向でお願いします」
スミレ「えっ? あ、なんかごめんね!」
卓「いえ、いいですけど。それではさっそく本題に入りましょう!」
スミレ「おー!」
卓「思ったんですけど、スミレさんって、『魂の傀儡子』の回想のときと、俺たちの前に現れたときって、身長違いましたよね?」
スミレ「うん! 大きくなったの!」
卓「それでその、質問なんですけど、人間って死んでから成長するものなんですか?」
スミレ「……」
卓「!? 何であからさまに視線を外すんですか!?」
スミレ「少年よ。世の中には触れてはならないことがあるのだよ」
卓「口調が変わった!? え、何!? そんなに突っ込んじゃダメだったの!?」
スミレ「いいじゃない! 感動的に終わったんだからそれでさー! 何でこんなに後になってから思い出したように掘り返すの!?」
卓「……なんかすみませんね」
スミレ「女には知られてはいけない秘密があるの! そういうことにしておきなさい!」
卓「……はい。(全然納得できないけど)分かりました」
スミレ「それじゃ今回はここまで! バイバーイ!!」
卓(はあ……ここまで何も解決しなかったことって今までなかったよな……?)