『表』と『裏』の交錯点
こんにちは! 夢宝です!
さて、「約束の青紅石」も早もので二二話! そして、この章もすでに七話目! なのに、今までの章に比べて進展が遅いと感じた読者の皆様、すみません(汗)
ただ、この章では、さまざまな方面の世界に住む登場人物の心情とかを細かく書いていきたいという意向がありまして、今までよりも長めになってしまいました。それと、今まではほとんど触れていなかった恋愛方面にも触れているため、いろいろ複雑な章になっているわけです(笑)
というわけで、今後もお付き合いいただけるようお願いします!
それでは本編のほうもお楽しみください!
そして、卓と美奈はタクシーに乗っていた。
運転手は先ほどから大事そうに美奈が手に持っている一枚のお札が気になるようで、チラチラとバックミラーで見たりしている。
しかし、それでもよく分からなかったのか、出来るだけ気にしないように運転に集中した様子だ。
というのも当然である。
美奈が手に持っているのは、『妖霊の巫女』である彼女が振るう特殊な力、『術式・七星』で使われるお札だ。そんなある種、非現実的な物を一般人が理解できる方がおかしい。
今は、てだまを誘拐した犯人たちを、『術式・七星、星導』で追跡しているため、逐一その情報はお札を持つ美奈に流れ込んでいる。
「どうだ? あいつらの目的地、割り出せそうか?」
どこか落ち着かない様子で、卓が美奈に尋ねる。しかし、美奈は首を横に振って、
「ううん。まだ特定は無理そう。ただ、東に向かっているってだけ。まあ、恐らくは『取引』するつもりがあるのなら、人気の少ないところを選ぶでしょうけど、そこらへんは私より卓の方が詳しいんじゃない?」
美奈に聞かれて、少し考え込む卓。
この辺は自分が通う、私立聖徳高校を少し過ぎたあたり。そして、この辺で、誘拐の取り引きを行うのにうってつけの場所とは。
「あ、そういえば、この先には今はもう使われていない引っ越し業者の格納庫があったような……」
「格納庫、確かに使われていないんだったら可能性はありそうね。でもま、行ってみてハズレでしたってのは得策じゃないし、もう少し様子を見て、といった感じになるかも」
あくまで、運転手に聞こえないボリュームで話す二人。
運転手も、若いカップルが今後の予定を話し合っている程度にしか思っていないだろう。まあ、カップルと思われて何ともないかと言えば、嘘になるが。
「しっかし、本当に、何なんだろうな」
ふいにそんなことを呟く卓。
美奈は首を傾げて、
「どういう意味?」
「いやさ、相手の正体が分からないっていうか。だって、てだまちゃんを美奈の血族だと分かってて誘拐したんだろう? それに、警察との連絡手段まで断つことができるほどの力を持っている相手だぜ? 当然、誘拐のための準備だって万端なはず。ということは、それだけ情報を得ることに長けた敵ってことじゃないか?」
「あ、確かに」
というのも、てだまは本来、厳密に言えば美奈の家族ではない。つい先日に起こった『月下通行陣』の一件から、ある事情で美奈が育てることになった少女なのだ。
本当の年齢は不明だが、恐らくは美奈よりも年上の可能性も捨てきれない。ただ、『妖霊』に飲みこまれて歳月が過ぎたために、成長がそこで止まっているだけなのだから。
そして、『月下通行陣』の事情まで知っているかはともかくとして、そんな、『最近、家族になった者』まで完全に把握しているのだ。損所そこらの犯罪グループとは訳が違うのだろう。
「ま、何にしても、必ずてだまちゃんを取り戻さないとな」
「……卓、ごめんね」
突然、美奈が言う。
「どうした?」
「なんか、卓にはいつも助けられてばかりでさ。私にはよく分からないけど、『討伐者』としての戦いっていうのもあるんでしょ? それなのに、私たちのことばかりでも大変なことなんだし」
そこで、卓は軽く美奈の額を小突いた。
「だーかーら。そういうのはナシだって。俺達は友達なんだから、困った時はお互い様だろ? それに、俺だってこれから美奈の助けが必要なわけだし」
「???」
美奈はその言葉に首を傾げた。
今はそれどころではなくなったが、元はと言えば、卓は美奈に『聖徳蔡』でライブイベントをやってもらおうとお願いするために会いに来たのだ。
「まあ、それはこの一件が落着してからお願いするよ」
よく事情を知らない美奈は頭上で『?』を浮かべている。
しかし、すぐに美奈の表情は動いた。
「相手の動きが止まった……? うん、卓の言うとおり、使われていない格納庫みたいね」
「なるほど、決まりだな」
それだけ言うと、タクシーは真っすぐ、東にある格納庫へ向って走り出した。
柳将也と三上は、今は使われていない引っ越し業者の格納庫前に白のワンボックスカーを停車させた。
すでに、何年も使われておらず、市内では何度か取り払いの話が持ち出されていたが、実際にそれには金の理由もあって今日まで実行されることはなかった。
そして、それをいいことに、今ではすっかり不良グループ、『落第巣窟』の溜まり場になっている。不良グループといっても、ただバイクを乗り回して騒音を撒き散らしたりする集団ではなく、万引きや引ったくりなどの犯罪に手を染めている、言ってしまえば犯罪グループだ。
将也は、ワンボックスカーの後部座席から、今回の事件の核となる少女、茶髪のセミロングで、頭のてっぺんからアンテナのようなアホ毛を生やすてだまを背負った。
てだまは今は薬で眠らされていて、身体の力は完全に抜けていた。こんな小さな少女でも、意識を失っているとこんなにも重たいのか、などの感想を抱きながら、将也と三上は格納庫の横開きの大きな扉をくぐった。
「おっ! 帰ってきたぜ!」
格納庫の中から、誰ともなくそんな声が聞こえてきた。
格納庫内は数本の蝋燭で照らされているだけで、とても薄暗く、星空の輝く外の方がかなり明るいと思えるほどだった。
「今帰ったぜ」
三上は迷わずに、格納庫の奥へと歩き出す。
周りには、正方形の金属コンテナがいくつも積まれていて、天井には電源も入らないクレーンや、電球だけ抜き取られたものが吊るされている。
三上の後に続いて、てだまを背負った将也も奥へと進む。
蝋燭の光だけでは何とも言えないが、その場に集まっているのは十人ほどの厳つい男ばかりだ。
そう、『落第巣窟』のメンバーだった。
金髪に髪を染めたり、ピアスで穴だらけになった耳だったりと、見た目からもあまり言い印象を受けない彼らは、どこかで盗んだ酒瓶を囲み、適当につまみに手を伸ばしていた。
「お、柳も久しぶり!」
一人の男が将也の姿を確認して手を振った。
将也は両手がふさがっているので、言葉で、
「ああ、久しぶりだな」
と返す。
そして別の男が、
「ん? その後の女の子が今回の?」
将也はそれに頷いて肯定する。
ここにいるメンバーも、実は今回の誘拐と、その目的は三上から連絡を受けて知っている。そして、それに協力してくれるということでここに集まっているのだ。
「しっかし、柳もしばらく見ないうちに世界を動かすほどにビッグになっちまうとはな」
冗談混じりで男が言う。
それに対して、将也は不機嫌な調子で、
「冗談じゃないぜ。俺は今回の出所でもうこの世界から抜け出すって決めてたのによ。それにこんな小さな子を巻き込んじまうなんて」
「昔から、お前は女の子には異様に優しかったからな」
三上がからかうように言う。
別の男は、酒瓶を手に持ったまま、将也の背中で眠るてだまの顔を覗きこんで、
「こりゃ、将来が有望なことで。でもまだこんなガキってのが俺は悔しいよ」
それに反応したのは、つまみを何種類も口に頬張る別の男。
「いやいや、小さいからこそいいんだぜ? こりゃ絶対、締りがいいって! 俺は余裕でイケるけどな!」
下品な笑いを浮かべる男たち。それを制したのはやはり将也。
「いい加減に下衆な会話は止めたらだうだ」
怒り、というよりは半ばあきれた様子で言う。そして、元々『落第巣窟』の首脳の位置にいた彼の言葉には、なぜか皆が従う。
基本的に、学力の面で落ちこぼれた彼らにとって、その面で優秀、というより、なぜここにいるのかが不思議なくらいあらゆる才能を持った彼の存在は、それだけでイレギュラーなものになっている。しかし、彼の存在は他の『落第巣窟』のメンバーを挑発するようなものではなく、むしろ頼りがいのあるリーダー的存在になっていた。
そして、三上を含め、十数人のメンバーを静め、てだまをコンテナの横に敷いた毛布の上に寝かせた後、将也はゆっくりと口を開く。
「いいか、今から行う『取引』は今までのとは訳が違う。文字通り、『世界の命運』がかかっていると言ってもいい。そして、今から恐らく戦争に関与している人物がここに来ることになる。そこで、今誘拐してきた少女を使って交渉するわけだが」
そこで一旦言葉を区切ると、ワンボックスカーから持ちだしたアタッシュケースをドンと床に置いた。
そして、それを慎重な手つきで開けると、中に納まっていた一丁の拳銃を取り出す。
「「おおー」」
数人のメンバーが感嘆の息を漏らした。
やはり、こういった世界に住む彼らにとっても、法的に所持を禁止される拳銃は憧れなのだろう。
しかし、実際に手にした将也は重々しく、
「正直、拳銃を使うつもりはないが、何分、相手は戦争に関与する者だ。何が起こるかは分からないし、敵も武器を持っているとみていいだろう」
将也は、だが、と付け加えて、
「決して、誘拐した少女を傷つけることはしない。これは絶対だ。彼女は戦争なんて言葉すらろくに理解していない幼い子供。そんな子を本来、こんな『取引』に使うことさえ本望ではないんだ。その上傷つけたとあっては俺達にまともな未来はない!」
「柳がそこまで言うんだったら、俺達はそれに従うまでだよな」
三上が他のメンバーに言う。そして、メンバーも各々頷いてそれを快諾した。
彼らにとっても、これほどまでに『大がかりな犯罪』というは初めてだろう。普段なら何か不具合が起きればその問題を無理矢理にでも解決するということが出来るだろうが、今回はそれが出来ない。
将也もそうだが、彼らも『戦争』という単語を聞かされて、それを具体的に思い浮かべることはできない。
よく、映画やドラマで見るが、本当にあんな感じなのだろうか。いや、もしかすれば、科学が発展した今の方がさらにおぞましいことになるかもしれない。
そこらへんの認識は曖昧だが、一つだけ分かることがある。
もし、今回の件で、自分たちの安全確保のためだけに勝手な動きをすれば、それがそのまま戦争の引き金になりかねない、と。
将也が『電話の相手』から依頼された仕事、というのはそれほどに重いものになっていた。
しかし、それでも。
親にすら関心の目を向けられなかった自分を受け入れてくれたこの街を、そう簡単に見捨てるわけにはいかなかった。
たとえ、関係の無い小さな子供を巻き込んでしまってでも、だ。
だからこそ、また、いや以前よりも深い闇へと足を突っ込むことを決意したのだ。
正直、今は『電話の相手』が何者なのかはどうでもよくなっていた。どうせ、考えたところで自分の知らない世界の人間なのだから。
ならば、そんな分からないことを考えるより、今は目の前の自分に関係する問題をどうにかするほうが先だろう。
くだらない詮索をするほど、今の自分に余裕がないことは痛いほど感じている。
一刻も早く、この小さな子をこんな汚れきった世界から解放してやりたい。
そんな思いだけが、胸の内からグツグツと湧きおこってくる。
そして、その瞬間はすぐに訪れた。
バンッ!! と。
勢いよく、大きな横開きの扉が開く音が、格納庫の中に響き渡った。
「来たっ……!」
将也は咄嗟に拳銃をズボンのベルトの間に差し込み、扉の方へと身体を向けた。
他のメンバーも、各々警棒や鉄パイプなんかを手に持っている。
彼らの視線の先には、月や星の逆行を浴びて、完全にシルエットになっている姿が一つ。しかし、それでも分かった。
そのシルエットこそが、今回の目的の人物であると。
そこで眠っている小さな女の子を取り戻しに来たのだと。
その上で、将也は一歩、また一歩とシルエットに近づく。
いつの間にか、事なきを得ようという考えはなくなっていた。今はただ、
荒々しくとも、この街を救うための『取引』を始めようとしているだけだった。
アメリカ、ロサンゼルスの外れにある城塞。
荒野の中にポツリとあるそれは、どこか景色から浮いている存在だった。東京ドーム数十個分は優にあるであろうその巨大な金属の塊は、浮いている存在ながらも、揺るぐことなく荘厳に聳え立っている。
特に、周りに民家があるわけでもなく、荒野に同調するように、一本道の車道がある程度で、こんな大規模建造物があっても、なくても周りへの影響などほぼ皆無なのだろう。
見た目は、本当に味気ない、その意味の通り、『金属の塊』だった。
銀色の金属は、『自在伸縮性金属』と呼ばれる特殊金属で、外装だけでなく、この城塞の内部も全てそれで造られている。
そして、それと合わせて、討伐者側の特殊技術、『全自動制御型装甲』から繰り出される予測不可能な罠から、『道なき城塞』と呼ばれている。
しかし、そんな山のような城塞も、先日、二人の襲撃者によって、万全の状態にはなっていなかった。
『全自動制御型装甲』の特性上、半壊状態だった城塞はわずか二日で、かなり修復されているが、それでも未だに壊滅状態の部分があるのも事実。
そして、そんな『道なき城塞』の一室。
銀色の金属で作られた空間は、とても冷え冷えとしたもので、正直、生活感なんてものは一切感じられない。部屋はそれなりに大きいのだが、何分、金属の空間にあるのは、どこにでもあるようなオフィスデスクと、簡易チェアのみ。
殺風景、という言葉がこれほどに似合う部屋もそうそうあるまい。
そして、そんな簡易チェアに、どこか退屈そうに腰掛ける人物が一人。
金髪に、青い瞳の男。詳しい年齢までは分からないが、スーツに身を包むその男は見た目で言えば、二〇代前半、もしくは一〇代後半というほど若い。
オフィスデスクの上には、携帯電話と、それとは別の端末、ペーパークリップでまとめられた資料がいくつか置いてある。
机を挟んで、向い側には、もう一人の男が経っていた。こちらも見た目でいえば二〇代といったところだろう。
黒のハットをかぶり、カウボーイのような民族衣装に身を包むその男は、ミオルグ=ケティ。
ケティに向けて、極めて適当な調子で、男は口を開いた。
「ところで、ピラーの調子はどうです? 先日、『絶対強者』に襲撃されたときはどれほどの被害かとも思いましたが、よもやこの程度で済んだことにはある意味驚きではありますが、それにしてもピラーの容態は決して芳しくはないのですよね?」
「……はい。正直、俺の受けたダメージよりも遥かに重傷です。見た目で言えばそれほどではないと思っていましたが、報告によれば、内臓がいくつかやられたみたいで」
ケティは苦々しい口調で答えた。
それに対して、男はふむ、と相槌を打って、
「まあ、ピラーはしばらく休息、ということでいいでしょう」
「ありがとうございます……ところで、指揮者、話は変わるのですが、どうして交渉にそのような若者を?」
ケティは机の上に置いてあった資料に視線を移した。
そこには、東洋人だろうか。一〇代後半といったところの青年の写真と、プロフィールが書かれていた。
名前は、柳将也というらしい。アルファベットで書かれているため、ケティでも読むことができた。
その質問に、指揮者はようやく、どこか楽しげな表情を浮かべた。
「解せない? どうして戦争を阻止するための重役を、こんな若者に、しかも討伐者とは何も関係のない一般人を起用したことに」
口調も変わっていた。さっきまでの、ですます口調ではなく、まるで友達と話すような気軽な口調。いや、彼にとってはこちらがデフォルトなのかもしれない。
「……はい。こう言っては何ですが、そんな人材で本当に交渉になるのですか?」
「ハハッ! なるはずがないよ。大体、討伐者の中でもトップの権力者である『先導者』ですら、それを成し遂げることは出来なかったんだよ? それなのに、討伐者とは無縁の、少し優秀なハッカー程度が交渉を成立させられるはずがないだろう」
「なら、何故?」
その質問に、指揮者は迷うことなく切り返した。
「少し、知りたくてね。城根卓という討伐者のことを。どうやら、『先導者』も彼のことを気にしているようだし、それに俺も興味がある。討伐者に成り立てで、冥府の使者を打ち負かしたという彼に、ね」
意味ありげな笑みを浮かべる指揮者。それを見たケティは背中に寒気を感じた。
しかし、出来るだけ平然を保ちつつ、
「だとして、どうして柳将也なんですか? それこそ、城根卓という男との関連性は皆無でしょう?」
指揮者は静かに首を横に振った。
「いや、そうでもないんだよ。確かに、直接的に城根卓との関連性はないが、間接的にはある。城根卓の父親繋がり、という点でね。だからこそ、今回はこの二人が対峙するという構図をわざわざ作りあげたわけ。それに、俺はどうにもこの二人には似たものを感じてならないわけだよ。やはりこの人選は間違いではなかったようだし? これで城根卓という男の人格も少しは分かってくるだろう」
ケティは心の中で思っていた。
今目の前にいる自分の上に立つ、指揮者。そして、ヨーロッパ支部を統括する先導者がそれほどまでに気にする城根卓という男は何者なのだろう、と。
確かに、討伐者になったばかりで、魂玉だけでなく、冥府の使者を討伐したというのは、驚くべき功績であるし、ケティにだって、そんなに容易くできるようなことではないと自覚していた。
それに、先導者は、城根卓だけでなく、そのパートナーである少女の方も気にしている様子だったが、目の前にいる男は、完全に城根卓のみに目標を定めている。
その理由が分かるはずもない。もしかすれば、本人も明確な理由があるわけでもないのかもしれない。
しかし、城根卓という男には何かがある、そんな『漠然とした何か』だけはハッキリと感じ取ることができた。
何かを期待しているのかもしれない。
城根卓という男が、何か大きなことをしてくれる、そんな期待を抱いているのかもしれない。
自分の目の前にいる男が、こんな回りくどい方法で、何かを探る、なんてことは今までなかった。しかし、この状況で、『戦争』という言葉がいつでも日常的に使われそうなこの局面で、そんな面倒なことをし出したのだ。
何かがある。
そう思うのはむしろ必然だろう。
ケティは、詳しい討伐者の歴史を知らない。もしかすれば、本当に大昔からあったのかもしれないし、案外、最近出来たのかもしれない。
けれど、そんなものは関係なかった。
今まさに、今までにはない、大きな変革が起ころうとしている。そんな漠然としたものを感じ取ってしまう。
『絶対強者』や『頂』が動いたからかもしれない。いや、それはあくまで『変革』という言葉の後からついてきた結果なのかもしれない。
今まで、水面下で息をひそめていた陰謀やら、策謀がついに本格的に動き出す。
『世界移転計画』にしたってそうだ。
虚無界側もいつそれに向けて動き出すか分からない。いや、すでにもう動いているのかもしれない。
ともすれば、この世界は、内側からも、外側からも大きな戦いを強いられることになる。
(一体、この世界はどうなっちまんだよ……)
ケティはふとそんなことを思う。
卓と美奈を乗せたタクシーは、今はもう使われていない引っ越し業者の格納庫前に停まっていた。
運転手は、どうしてこんなところに? といった疑問を表情に出していたが、美奈からもらうものをもらうと、すぐにその場を立ち去った。
「この中にいるわ」
美奈はそう言って、扉が閉まっている格納庫に近づく。しかし、それは卓が肩を掴んで止めた。
「美奈は、格納庫の上で待機していてくれ」
「えっ!?」
てっきり、一緒に突入するものだと思っていた美奈は首を傾げた。しかし、卓は極めて落ち着いた口調で、
「相手が何人いるか分からないし、警察との連絡手段さえ奪ってしまうほどの相手だ。どんな武器を持っているか分からないだろ」
「なら、なおさら一緒に行った方が――」
卓は美奈の言葉を遮るように、
「だからって、むやみに俺達は力を使えるはずもない。だったら、ここは応用が利く力を使える美奈が待機して、チャンスを狙った方が得策だろ?」
「だけど、卓はどうするの?」
「俺だって、一般人相手に刀を振りまわすようなことはしねーよ。けど、ある程度、石の力で肉体強化すればそこそこ場持ちはするだろうさ」
正直、石の力っていうのが具体的にどんなものなのか、美奈は理解していなかった。けれど、この人は信用出来る。
心からそう思えた。
だから、
「分かった。でも、くれぐれも気をつけてね」
それだけ言い残して、美奈は格納庫の上で待機することに決めた。
「ああ。んじゃ、行きますか」
美奈と一時、別れた卓は、横開きの格納庫の扉に手をかけて、それを一気に開けた。
バンッ!
という音が格納庫内に響く。
一瞬、中にいた十数人にざわめきが起こった。
そして、自分の方へ、一人の男が歩み寄ってくる。
跳ねた茶髪の男で、年は自分とそう変わらない、けど見た目だけで判断してもどこか自分よりも遥かに大人びている感じがした。
卓は、すうっと息を吸って、そして格納庫の奥の方、蝋燭に照らされたところにてだまが寝かされているのを確認すると、ゆっくりと口を開いた。
「そこの女の子を取り返しに来た」
それを聞いて、格納庫内がしんと静まり返る。自分に歩み寄ってきた男もピタリと足を止めた。
そして、次にその静寂を破ったのは、目の前の男、柳将也だった。
「俺達が、タダで人質を返す、なんて思ってはいないんだろう? 順序が逆だ、先に『取引』だろうが」
(……やはり、そうなるよな)
卓は向い合う男から視線を外すことなく、
「内容は?」
あっさり受け入れたことが意外だったのか、後ろで待機している十数人の男たちがざわついた。しかし、目の前にいる男は至って冷静に、
「取引内容は至って簡単だ。お前達の組織が企てている『戦争』の阻止。それだけだ」
一瞬、時が止まったような感じがした。
組織、というのは、おそらく『討伐者』のこと。だが、どうして目の前の男はそれを知っている? それに、今、彼の口から発せられた『戦争』という単語。
「何を、言っているんだ……」
卓はふいにそんな言葉を漏らしていた。
誘拐犯の要求が理解できなかった。予想としては、身代金か、あるいはアイドルである美奈自身。だからこそ、美奈を待機させたうえで自分だけで乗り込んできたというのに、今、突き付けられた要求は一体何だ。
「聞こえなかったか? 『戦争』を事前に防げ、と言っているんだ」
「戦争……何だよ、それ」
そこでようやく、将也は怪訝そうな表情を浮かべた。
シルエットから聞こえる声は、想像以上に若々しいというのもあった。それはそうだろう。『戦争』なんていう世界規模の喧嘩に関係している人物だ。それこそある程度の年は行っていると思ったし、普通はそうである。そして、もう一つ。彼の声から察するに、おそらく嘘を吐いていると思えなかった。確証はないが、こういった裏を知っている将也は直感でそれを悟った。
(コイツ、まさか関係者じゃないのか……? だとしても、誘拐してきた子の知り合いであることは間違いないようだし……くそっ! 一体どうなってやがる!?)
予測していない事態が起こった。
次第に将也の内から焦りが生じるのを感じる。
対して、誘拐犯が黙ったのを気にした卓は今度は口を開く。
「おい、その子を返してもらうぞ。訳のわからないこと言いやがって」
そして、卓は一歩ずつ、格納庫の奥へと足を進める。奥にいた誘拐犯たちはそれぞれ警棒や鉄パイプを構えた。
そこで、将也を含め、彼らは気が付いた。さっきまでは夜空の逆行を浴びているからかとも思っていたが、違った。
今、誘拐した子を取り戻しに来た奴の身体は、何やら蒼い光に包まれている、と。
(――ッ! マズイ!)
ふいに将也が動いた。
走って、再び卓の前に立ちふさがる。もし、このまま人質を取り返されてしまったら、『戦争』を止めるための交渉材料がなくなってしまう。
そうなれば、ここまでして救いたいと思った街をみすみす見捨てるということになりかねない。将也はそれだけは絶対に阻止したかった。
思わず。
ズボンのベルトに差し込んでいた拳銃を引き抜き、卓にその銃口を向けた。
「ッ!?」
思わず卓はその足を止めた。
当然だろう。いきなり目の前で銃口を突き付けられたのだから。
「まだ、話し合いは終わってないだろうが」
将也は極力、動揺を悟られないように声を押し殺したが、それでも拳銃に引き金に引っかけている指の震えは止まらなかった。
卓は卓で、慎重になっていた。
いくら石の力を得ていると言っても、それで強化されるのは、基本的に筋肉。移動速度を速めたり、移動範囲を広げたりする程度で、『銃弾を弾き返すような肉体』までは手に入れられていない。
また、長刀を使えばこの場を切り抜けられるかもしれないが、それも出来ない。一般人にそんな人間離れした力を行使すれば、敵は間違いなく即死レベルだ。
(くそっ! これじゃまともに動けねーか)
卓は忌々しそうに舌打ちする。
下手に動けば、鉛玉をぶち込まれる。向こうは未だに交渉を希望しているようだから、動かなければその間は多分、安全なのだろう。
出来れば卓もそうしたかった。
しかし、何分、交渉内容が意味不明なのだ。応じる、応じない以前に、交渉の内容が理解できない。
一体、『戦争』というのは何のことだろうか。何かの暗号、という考えもあったが、初対面の相手にいきなり暗号を使うなんてことはまずあり得ない。ともすれば、その言葉はそのままの意味、つまり、歴史の教科書やドラマなんかで見るあれと一緒なのだろう。
けれど、今の日本が戦争と関係しているとは思えない。大体、戦力の保持を認められていない日本がそもそも『戦争』なんて出来るはずがないのだから。
だったら、目の前の誘拐犯は何を言っている?
「交渉に応じろよ! お前なら『戦争』を未然に防げるんだろう!?」
動きを見せない卓に対して、将也は声を荒げた。それだけ余裕がなくなっていたからだろう。
「話が噛みあわねーな、さっきから。大体、俺は気に入らないんだよ」
卓は声のトーンを少し下げた。それが意図的なものかはさておいて。
そして、そのままのトーンで続けた。
「お前の要求が、その『戦争』を止めることだとして、そのための交渉を取り付けるためにその子を誘拐していいはずがないだろうが!」
その言葉に、将也は歯ぎしりした。
「俺だって! 好きでこんなことしているわけじゃないんだよ!! 誰も好きでこんな無関係な小さな子を誘拐したわけじゃないに決まってるだろうが! けど、なら、どうすればいいんだよ!? このまま黙って『戦争』が始まるのを待って、この街が沈んでいくのを見てろっていうのか! 仕方ないだろうが! こうでもしないと、『戦争』を防ぐことは出来ないんだよ!!」
そうだ。自分だって本当は平穏な日々を送ろうとしていた。
出所したばかりで、こんな子供を誘拐するつもりなんてなかった。それというのも、訳のわからない電話一本で、知りたくもない世界を知らされて、巻き込まれてしまった。
この街が危ないということを知ってしまった。
自分の居場所を守りたい。その気持ちを抑えることができなかったのだ。
しかし、
「ふざけるんじゃねぇよ」
目の前に立ち塞がって、銃口を突き付けられた男は尚も、動こうとはしない。
「そんな理由で、自分たちのやったことを正当化しようなんて思ってるんじゃねぇよ! そんなのはただの逃げでしかないだろうが!」
最近、卓自身、それを思い知らされた。どうあっても、戦いを正当化することなんてできないんだってことを。
「子供を誘拐しないと止められない? それはお前が他の方法を考えることを放棄したからだろうが! お前は喧嘩を止めるためには関係ない人を巻き込まないと出来ないのかよ!? その子が実際に『戦争』を起こそうって言っているわけじゃないんだろうが! だったら、自分の手で何とか出来る方法を捜す努力くらいしてみろよ!」
自分でも、何を説教じみたことを言っているんだろう。そんなことを思っている。こんな偉そうなことを言えた立場じゃないってことも。
けど、どうしても耐えられない。
目の前で、傷つく子を見て見ぬふりは出来なかった。
もし、この誘拐犯が言っていることが本当だとして、もし『戦争』を止めるために、俺をおびき出したとして、そのために関係のない子供を巻き込んだ彼らを許すことはできない。
別に、自分の行いが正義なんて思わない。むしろ、場合によっては悪なのかもしれない。俺がここで彼らからてだまを奪い返したことで、『戦争』が勃発するのかもしれない。
それでも、だ。だからといって、てだまを諦めることの理由にはなり得なかった。
だが、相手も引くことはなかった。
「うるせぇよ。うるせぇんだよぉおおおおお!! 偉そうなことを言いやがって! お前に事の重大さが分かっているのかよ! 俺達にはここしか居場所がねぇんだ! それを奪われようとしているのに、正しい道もくそもあるかよ! ……ああ、分かったよ。ここまで来たら、何が何でも交渉を取り付けてやるさ。そうだよ、最初から、甘ったれた考えだったんだよ俺はよぉ」
グッ! と。
拳銃にかける指に力を込めた。そして、その様子を後ろで待機する『落第巣窟』のメンバーは固唾を飲んで見守る。
パンッ!!
銃口から、鉛玉が放たれた。
格納庫内が薄暗いということもあってか、それを肉眼で確認することは出来なかったが、卓は自分の右腕にかすめたということは分かった。
少し、血も流れた。
「!!」
すぐさま、卓は石の力で強化した脚力で真横に飛び退いた。
「!? なんて速さだよ!」
後ろで待機していたメンバーの一人がそんなことを言った。
格納庫内は薄暗いと言っても、卓は蒼の光に包まれているため、その動きは光で確認できる。しかし、それも残像となるほどの速さだ。
人間の動きではない。
「畜生がっ!」
将也は構わず引き金を引く。
パン、パパン。
次々と銃弾が卓を捉える。しかし、肉眼で捉えられないそれらを、卓は的確に小刻みに移動することで完璧にかわす。
甲高い音が格納庫内に響く。
コンテナに銃弾が直撃した音だった。
「俺たちも行くぞ!」
待機していたメンバーも、各々武器を振りまわして卓へと向いはじめた。
(マズイって! さすがに逃げ回るだけじゃいずれやられちまう!)
卓は銃弾を避けるためにコンテナの裏に回った。
将也は、銃弾が切れると、すかさずズボンのポケットからマガジンを装填して、再び拳銃を構える。
そして、コンテナの裏に回った卓を追いつめるのは鉄パイプや警棒を持った残りのメンバーだ。
「クソっ! 数が多いだろ、さすがに」
思わず毒づく卓。そうしている間にも、コンテナの両サイドから数人に囲まれた。
そして、なんの躊躇いもなく振り下ろされる鈍器。
ゴンッ、という鈍い音が格納庫内に響いた。しかし、それは卓が発した音。地面を勢いよく蹴りあげて、コンテナの上を跳んだのだ。
「「!!??」」
『落第巣窟』のメンバーはそのあまりにも人間離れした動きに目を剥いて唖然と立ちつくす。
だが、跳び上がった先で卓を捉えていた者がいた。
「どういう原理かは知らないけどな、そんな力を持ってるんだ、『戦争』の関係者ってのはあながち間違いじゃねーのかもな」
将也だ。
拳銃の銃口を、空中で身動きの取れない卓へとしっかり定めていた。
「ちっとばかし、痛いかもしれないが、我慢してくれよなぁあ!」
そして、格納庫の上で待機する美奈は。
「い、今のって、銃声!?」
誘拐犯と交渉しているはずの卓がいる中から、何発もの銃声が聞こえてきた。
「仕方ない! 少し乱暴なやり方だけど――!」
そう言って、美奈は巫女装束の裾から、七枚のお札を取りだした。
術式・七星。
『妖霊の巫女』である彼女が得意とする術式の総称だ。
そして、夜空の下にそれらのお札を投げ出すと、
「術式・七星、却火!」
ボワッ! と。
空中に放り出された七枚のお札が燃え上がったように見えた。そして、それらは全てがハンドボールほどの大きさの火の球となって、夜空の下を明るく照らす。
美奈はすうっと静かに片手を空にかざして、
「いっけぇええ!」
それを振り下ろす。
すると、火の球は美奈の腕に連動したように、勢いよく格納庫の天井部分に降り注いだ。
将也が卓に標準を定めて、いざ引き金を引こうとした瞬間。
ゴバッ! と、格納庫の天井が同時にいくつも突き破られた。
「ッ!?」
将也は何が起きたのか理解するまでに数秒のラグが必要だった。具体的な理論までは分からないが、小規模隕石、あるいは火の球が降り注いできたという事実を把握するのに、それほどの時間は必要ない。
思わず、銃口を卓から降り注いだ火の球へと変更。そして、迷うことなく引き金を引いた。が、当然、そんものでどうにかなるものでもなかった。
他のメンバーも騒ぎ出し、その場で屈みこんだりする者もしばしば。
しかし、火の球が直接人に当ることはない。
格納庫の床や、コンテナを打ち抜き、そこで小規模爆発を起こす程度で済んだ。だが、そこから火が燃え盛り、薄暗かった格納庫内は一瞬のうちに明るく照らされた。
(今がチャンスっ!)
卓は床に着地するなり、まるでスケートで滑るような動きで格納庫の奥に寝かされているてだまの元へと駆け寄った。
「柳がここまで頑張ったんだ、そう簡単に取り返されちゃ困るんだよ!」
同時、てだまの横にいたスポーツ刈りの男、三上が鉄パイプを勢いよく振り下ろすところだった。
しかし、それよりも先に卓の拳が三上の顔面を抉る方が早かった。
「寝ぼけたことを言ってるんじゃねえ!」
卓はそのまま拳を振り切った。
「ごっ! ばっ!?」
三上は脳を直接揺さぶられたような感覚を覚えながら宙を跳んだ。そして、そのままの勢いで床に叩きつけられる。
口の中に広がる血の味に違和感を覚えながら全身から力が抜けて行き、最終的には気絶。
卓は急いでてだまを背中に乗せると、そのまま出口へと素早く向う。
石の力で筋力強化しているためか、元々てだまが軽いのか。おそらく両方だろう。とても軽々しく動けた。
コンテナの中には何も入っていなかったのだろう。二次爆発も起きることなく、普通の火災のように格納庫は炎上している。
「よしっ、もうすぐだ」
外からの光が差し込む、もうほとんど出口前まで来たところで、一人の男が立ち塞がった。柳将也。
ズボンのポケットからまた新しいマガジンを取り出して装填。そしてすぐに拳銃を卓に向けた。
「このまま黙って帰すわけがないだろうが」
静かにそう言い放ち、周りが炎上していることにもほとんど構わずにまっすぐ銃口を向けてくる。
卓は、ゆっくりとてだまを床に寝かすと、拳を握り、再び将也と向き合う。そして、唇をゆっくり動かして、
「通してもらう」
それだけ言った。
その時に、将也はようやく卓の姿を明確に見た。どこかの学校の制服。ということは高校生だろうか。
適当に予測する将也。だが、だからといって、銃を引き下げるわけにはいかない。
「通すはずがないだろ。俺は何としてもこの街を救うって決めたんだからな」
そう。
通せ、と言われて素直に引き下がれるほど、諦めのいい生き方は知らない。知りたくもない。だから、ここで立ち塞がる。
「なら、俺だってそうだ。俺は今はこの子を守りたい。だから、そこを通してもらう」
卓は床に寝るてだまを見て、そして銃口を捉える。
将也は思った。どうしてだ? と。
思わず口にしてしまうほどに。
「どうして、お前はこの街を救うための力があるんだろう!? なら、どうして救ってくれない!? 俺にはこの街はかけがえの無い大切な居場所なんだよ! だったら、その子を救うように、俺も救ってくれよ!!」
もう、自分で何を言っているのか分からないところまで来ていた。
何、年下にみっともなく助けを乞う。どうしてこんなことを言っている。
決めたはずだった。自分の手でこの街を守ると。
けど、誰も傷つけないと決めた自分のルールすらも満足に守れず、そんなクソ野郎が街を守るなんて出来るのか?
そんな自問自答を繰り返す。
そんな中、目の前の、戦争を止められる力を持っているであろう少年が口を開く。
「だったら、最初から助けを求めろよ」
静かに、しかし力強く。
「俺がいつこの街を見捨てるなんて言ったんだよ」
そう、つい先日に、卓は一度、鳴咲市を救った。いや、本当は美奈という友人を救ったのだろう。そしてその結果、この街を救った。
けど、卓にとっても、この街はとても大切なもの。
決して、見捨てていいものなどではない。
「どうしてこんな方法しか選べないんだよ! いいだろうが! 自分の守りたいものを、自分だけの力で守れないなら、助けを求めたって! 人なんて、一人で守れるものには限界があるんだよ! だから仲間がいるんだろ!? だから信じられる人がいるんだろ! だったら、みっともなく助けを求めればいいじゃねぇか!」
それは、真理と出会って、卓が討伐者になって、いろいろな強敵と戦ってきて導きだした答えでもあった。
一人ではどうしようもない。そんな戦いばかりだった。一人で切り抜けられた戦いなんて一度もなかった気がする。どうしようもなく、自分の弱さを思い知った。
けれど、そんなとき、いつも隣には真理が、蓮華が、美奈が、他にもたくさんの信じられる人たちがいた。
そして、彼らと力を合わせて戦いを切り抜けてきたはずだ。
別に、一人で得る勝利じゃなくてもいいはずだ。
カシャン! 拳銃が地面に叩きつけられた音だった。
卓が振り落としたわけではない。将也が自ら投げ捨てたのだ。そして、代わりに、持てる全ての力を拳に込めた。
「昔から孤独で生きてきた俺は一体誰に助けを求めればいいってんだよ!」
将也は叫びながら、拳を構えながら卓に突っ込んだ。
卓は逃げ出すこともせず、しっかりと将也を見据えて、
「だったら、あいつらは何なんだ?」
ふと、格納庫内で武器を持つ十数人の『落第巣窟』のメンバーを見た。今にも崩れ落ちそうな格納庫なのに、誰一人として逃げ出す者はいない。
しっかりと、将也と卓の対峙を見ていた。
卓も拳を構えて続けた。
「あいつらはお前の仲間じゃねぇのかよ! こんなことに協力してくれる仲間じゃないのか! だったら、お前は孤独なんて言っていい人間じゃないだろうが! お前を心配してくれる人がこんなにもいるんだから!」
その言葉、昔、誰かにも言われた気がする。
『もう馬鹿なことはするな。お前を心配する人間なら、ここにいる』
(ああ、そういえば、城根さんもそう言ってたっけか)
だが、将也は足を止めることはなかった。そのまま、減速することなく卓へと拳を向ける。
「俺はそうやって、自分に言い訳して、俺の大切な人を傷つけたお前を許さない!」
卓もついに足を動かした。
二人が同時に迫る。
すでに、卓の全身を石の力が覆っていることはない。普通の高校生の動きだ。
「俺も、それだけの力を持っていて何も知らないと言うお前を許さない!」
将也は叫ぶ。
そして、ついに二人の拳と拳が交錯するとき、二人は同時に、
「「くたばれぇえ! このクソ野郎がぁああああああああ!!」」
それは、相手に放った言葉なのかもしれない。反対に、自分自身に投げかけた言葉なのかもしれない。しかし、それを判断する前に――
ドゴッ! 片方の拳が、相手の顔面に入った。
周りにいた『落第巣窟』のメンバーは言葉を発することを忘れているように、周りが燃え盛っていることすらも忘れたように、その様子を呆然と見ている。
勝敗は決した。
炎の中で、片方の影が床に崩れ落ちた。
格納庫が燃えていたからかもしれない。
九月の夜空の下がやけに涼しく思えた。星も綺麗だった。そして、そんな夜空の下を、眠ったままのてだまを背負った卓と、巫女装束に身を包んだ美奈が歩いていた。
「卓、本当に大丈夫?」
美奈は卓が負った軽傷を見てそんなことを呟く。
「ああ、これくらい問題ないって。ぶっちゃけ、美奈に襲われた時の方が怖いくらい」
「ッ!! 失礼ね!」
ガンッ! と脛を容赦なく蹴る美奈。卓は痛みのあまり言葉すら出なかった。と同時に、美奈の反応がどんどん真理に似てきたような気もしていた。
それから二人はしばらく無言で夜道を歩いた。そして、その静寂を破ったのは美奈の方だった。
「でもさ、結局のところ犯人たちは何が目的だったんだろう。『戦争』だっけ? でもそんな話聞いたことがないよ」
「……でも、適当なことを言っているようにも思えなかったしな。もしかしたら、俺達は知らない動きがあるのかも」
「それって、『討伐者』って意味で?」
しかし、卓は首を横に振った。
「分からない。少なくともあいつらは討伐者じゃないだろうし、関係が無いのかも。ただ、何かがある、ってことは確かだろうな」
「そっか、……ねえ、そのときはまた卓は戦うの?」
「えっ?」
ふいに投げかけられた質問に、卓は足を止めた。そして美奈は振り返り、
「また卓は困っている人がいたら戦うのかなって」
その質問に、卓はほとんど考えることなく、
「戦う、と思う。多分、今日のアイツが困ってても、そのために戦うかな。別に自分が正義の味方、なんて思ってるわけじゃないけど、自分のためなんだろうな。困っている人を助けるってのは結局自分のためなんだと思う。だから、俺はこれからもそのために戦うさ」
それを聞いた美奈はふっと笑顔を見せて、
「ほんっと、卓のそういうところ参っちゃうわよねー」
「なっ!? 別に美奈が参ることじゃないだろ!」
美奈はもう一度歩き出し、卓に聞こえない程度の小さな声で、
「参るわよ。そんな熱すぎるほどの優しさに触れちゃったら、ね」
「え? 何か言った?」
卓はてだまを背負っているためか、美奈の少し後ろを歩きだす。美奈は悪戯っぽく、
「何でもないわよー。あ、そうだ! 卓、私に何か用があったんじゃなかった?」
「あっ!」
いろいろ騒ぎがあってすっかり忘れていたが、美奈に会いに来たそもそもの目的を思い出した卓は、歩きながら用件を美奈に話した。
自分たちの学校でやる学園祭で、スケジュールに変更があったから、そこで、美奈のライブをやってほしい、という旨を伝えると、
「いいわよ!」
とても、びっくりするほどあっさりと快諾していくれた。
「え? でも、美奈のスケジュールだってあるし……」
むしろ、頼んだ卓の方がたじたじになるほどだった。
「大丈夫、その日はお仕事もないし、日曜日なら学校もないから。そ・れ・に! さんざん私を助けてくれた卓の頼みなんだもん。断る理由がないと思うなー」
アイドルの可愛らしいウィンクを飛ばす美奈。
思わず見とれてしまいそうになる卓だが、そんな邪念を振り払って、
「マジか! いや、めっちゃ助かるよ! やっぱ美奈に相談してみて良かった!」
「ちょ、そんなに喜ばれるとこっちまで恥ずかしくなるじゃない」
頬を赤らめて指をモジモジ動かす美奈。そんな些細な動きまで様になるのはアイドル故だからだろうか。
いや、多分、真理や蓮華でも様になるんだろうな。などと勝手な感想を抱く卓。
「ま、まあ。これでとりあえずは一安心だ。あ、今後の詳しい内容は分かり次第に伝えるよ。その時は美奈の家に行った方がいいよな?」
「うん、そうしてもらえると助かるかも。あ、でも仕事で東京に出ている日もあるから、そのときはメールか電話で連絡するね?」
「おう。本当、ありがとうな」
卓が言うと、美奈は振り返り、人差し指を卓に唇にそっと触れさせると、
「そういうのはナシ! でしょ? 私たち、友達なんだから当たり前だよ」
本当に、アイドルというだけの理由では説明できないほど魅力的な笑顔を見せてきた。
出来るだけ、平然を保ちつつ、卓は、
「そうだったな。俺達はもう友達、なんだから」
鳴咲市の東にある格納庫。
先ほどまでは炎上していたが、突然屋根から降り注いだ水で見事に消化された。もちろん、『討伐者』とも、『妖霊の巫女』とも無関係の彼らが、それが『術式・七星』によるものだと知るはずもないのだが。
「ん、ん……」
すでに使われていなかった格納庫も、さらにオンボロになってしまい、そんな床で気を失っていた将也が目を覚ました。
「柳! 大丈夫か!?」
『落第巣窟』のメンバーが自分の顔を覗きこんでいる。その中には、自分と同じく、顔面を殴られたのか、顔が腫れあがった三上の姿もあった。
「あ、ああ。大丈夫だ」
まだ少し頭がグラグラしていたが、それほど構わずに将也は上体だけを起こす。
そして、周りのメンバーを見るが、彼らの表情も決して芳しくはない。
ぱっと見、三上以外の連中はほとんど無傷だが、問題はそこではなかった。
「失敗、しちまったよ」
三上が重たい口調で言う。そして、他のメンバーも視線を床に向けていた。
どうやら、そうらしい。
「俺は、負けちまったのか」
記憶を辿るまでもない。ハッキリと覚えている。
拳銃を捨て、自分より年下の少年と真っ向から拳を交えた。そして、自分の拳が少年に届くことはなく、代わりに少年の拳が自分に届いた。そして、そこで記憶は途切れていた。
分かってはいた。ハッカーである自分は、率先して、前で戦うことを知らない。実際に武器を取って戦うことも、ましてや拳を交えることなんてなかった。
あくまでも、後方で電子的に戦うことしか得意ではないのだ。
そんな男が、真っ向から喧嘩して勝てるはずもなかった。
けれど、それが分かっていながらも、あそこで拳銃を使うことは、自分で自分を許せなかったのだ。
「けど、負けちまったら意味はない、か」
どこか虚空を見つめるように将也は言った。しかし、それを否定したのは三上。
「いいや、これで良かったのかもしれないな。もし、お前が拳銃でアイツを傷つけてたら、今頃お前は自分で自分を殺しかねないほどに後悔していただろうぜ。俺は知っている。お前は平気で人を傷つけられるような人間じゃないってことをな」
ニッ、と笑って見せる三上。
きっと本心から言っている。そんなことは将也にも分かっていた。
「けど、これで『戦争』を止めることも出来なくなっちまったよ……俺は自分の救いたものさえも、満足に救えなかった」
「本当にそうなのか?」
「えっ?」
突然の三上のその言葉に、将也は三上を見た。そこには真っすぐに自分を見据える三上の姿があった。
「本当にもう救えないのか? まだ、俺達が考えていないようなやり方でこの街はいくらでも救えるんじゃないのか? それこそ、無関係な人間を巻き込まずに済む方法ってやつでよ。そんな簡単に諦めていいものじゃないだろ?」
「三上……」
「俺達は半ば人生を諦めてたよ。だから平気で犯罪に手を染めたし、それを咎められても何とも思わなかった。『落第巣窟』はそういう輩で出来あがった集団だった。けど、お前は違うだろう? お前は人生を諦めて俺達の仲間になったわけじゃない。自分の居場所を探して、そして、こんなくだらない仲間を居場所だと思ってくれた。俺たちは嬉しかったよ。こんなクソ野郎共でも、必要としてくれる人間がいるんだ、ってな。だったら、お前はそう簡単に諦めないでくれよ。お前が諦めないうちは俺らも諦めない。お前が守ろうとする居場所を、俺たちにも守らせてくれよ」
その言葉は将也の胸に突き刺さった。
そうだ、今ここで諦めるってことは、こんなにも思ってくれる仲間を見捨てることにもなるんだ。
そのことを実感させられる言葉だった。
もう一度、『落第巣窟』のメンバーを見回す。
正直、見た目から受ける印象は最悪だ。それはそうだろう。世の中で、不良というレッテルを貼られ、無闇に蔑まれてきた連中だ。
けど、それでも自分の居場所となってくれた大切な仲間。この街と同じくらいに大切なものだった。
そんな仲間が単なる落ちこぼれ扱いされるのはウンザリだ。
これほどまでに輝いている仲間を見つけられる人なんてそうそういないだろう。そして、そんな仲間と大切なものを守るために立ち上がれる。これほど幸せなことはない。
だったら――
「俺は『落第巣窟』から完全に抜ける」
将也はゆっくり立ち上がって言った。
瞬間、その場が騒然となった。
「何を言っているんだ――」
三上が何かを言おうとしたが、将也がそれを遮った。
「いい加減、こんな底辺から抜け出そうぜ。いつまでも周りの連中から『落ちこぼれ』なんて思われるのも嫌だろう? どうせ街を救うなら、それなりに這い上ってやろうじゃねーか。お前達が『落ちこぼれ』と馬鹿にしてきた奴らだって、街を、大切なものを救うことくらいは出来るって見せつけてやろうぜ!」
動揺を見せていた『落第巣窟』のメンバーの表情は一変、確かな目標も持ったそれになっていた。
そして、将也は、
「今日から俺たちは『落第巣窟』なんかじゃねぇ! 今日から俺たちは『這い上がる者』だ!」
次の瞬間。
格納庫に『落ちこぼれ』から抜け出した若者たちの歓喜の声が響き渡った。
人は何かの目標を持つことで頑張ることができる。それは彼らとて例外ではない。
周りから蔑まれた彼らも、今まさに目標を手に入れたのだ。
『戦争』を食い止める、という大きな目標が。例え、それが闇に突っ込むことになろうとも、もう彼らが止まることはない。
「ただいまーっと」
美奈とてだまを神社まで送ってから、卓は自分の家に帰ってきた。
そこでふと玄関を見ると、同居している真理の靴とは別にもう一足。
卓は玄関に飾ってある母、城根結衣子の写真に挨拶すると、リビングへと向かった。
すると、
「おかえりなさい」
キッチンから蓮華が顔を出した。
「おう、蓮華来てたのか」
卓はリビングに置いてあるソファにカバンを放り投げると、ダイニングのテーブルに着いた。
「うん、たっくんもしかしたら遅くなるかなーって思ってご飯作っておいたの」
「わざわざ悪いな」
「ううん、それはいいんだけど……」
卓は感じていた。
先ほどから妙に蓮華が落ち着かない、と。そして、今気が付いた。
自分の目の前に座る真理の表情から察するに、一二〇パーセントの確率で機嫌が悪いと。
「え、ええと。二人ともどうかした、の?」
ジロリ。真理の眼球だけが動き、まるで獲物を狙った蛇のように卓を捉えた。そして、口を開いて、
「卓、今日の放課後はどこに行ったの?」
「へ? いや、だから言っただろ? 美奈の家に行って『聖徳蔡』に出てもらうように頼みに行ったんだよ」
「それだけ?」
恐い。
卓は率直にそう思った。それに、何故か今回は蓮華がフォローに回ってくれる様子はない。なぜだろう。いつもなら味方してくれると思っていた。
「そ、それだけ、ですヨ?」
まさか、バレたのではなかろうか。
卓の頭の中に嫌な予感が過る。
バレた、というのはもちろん、美奈の裸を見たこと、だ。
しかし、そんな思いとは裏腹に、
「嘘! 私たち見たんだから! 卓と美奈が一緒にタクシーでどっかに行くところを!!」
「……はい?」
少しの沈黙があった。
そして、それから真理と蓮華が今日あった出来ごとを信じるまで説明すること三〇分ほど。
てだまが誘拐されたこと、そしてその目的なども事こまかに説明し、最終的には、右腕に負った傷を見せたところでようやく信じてくれた。
「戦争、ね……」
真理は卓からの事情を聞いた後で、呟いた。
「何か知ってるのか?」
卓が尋ねるも、真理は首を横に振った。蓮華は蓮華でどこか神妙な表情だ。
「あ、でも明日お兄ちゃんたちが鳴咲市に来るみたいだからその時に聞けば何か分かるかも」
「え? 謙介さんたち日本に来てるのか?」
それは蓮華も初耳だったようで、卓と顔を見合わせて驚いた。対して真理は半ば呆れたように、
「そうなのよ。なんか急ぎの用事があったみたいでね。私も詳しくは知らないんだけど。それでその用事が済んだから久しぶりにってことで来るみたい」
「そっかぁ! 確かに久しぶりだよな」
「私も、楽しみ!」
卓と蓮華のテンションと真理のテンションは若干の温度差があったものの、とりあえず、明日久しぶりの再会にそれぞれ胸を膨らませる三人だった。
これが、世界が確実に動き出すという事実が明かされる前触れだということに、このとき気が付いた者は当然いないのだが。
第一回Q&A!!
Q:卓たちが通う『聖徳高校』って市内でもトップのほうの進学校なんですよね? 卓や真理、蓮華の学力はみんな高いので納得いくのですが、陽介の学力で入れたというのが理解できません。もしかして、『聖徳高校』ってそんなに学力高くないんですか?
A:この際ですから、具体的な『聖徳高校』の偏差値を暴露しちゃいます! 偏差値は67とかなり高めなんです。ただ、どうしてそんな進学校に陽介が入れたかというと、『聖徳高校』の女子のレベルが高いという情報を入手して、中三から、それはもう死に物狂いで勉強したそうです。そして、ギリギリの成績で受験に臨み、結果は『補欠合格』。そして入学してからの成績は知ってのとおり、悲惨なものになっているわけなんです。
結論を言うと、陽介が卓たちと同じ教室にいるのは、ある種の奇跡! というわけです!