次なる一手
こんにちは! 夢宝です!
お久しぶりです! なんとかテスト期間中ですが、更新することが出来ました(汗)
大分更新が遅れてしまったことを改めてお詫び申し上げたいと思います。
さて、新章に突入して3話目にして、ようやく主人公などメインキャラクターが登場になります。いままでの章とは少し違ったスタイルで始まりましたが、どうか温かい目で見守っていただけたら幸いです。
それでは、本編のほうもお楽しみください!!
9月7日。
ロシア上空にそれは飛んでいた。
AM-790。討伐者ヨーロッパ支部のトップである『先導者』、フィアルミ=ロレンツィティの私有する飛行機だ。
外観は旅客機のそれと同じで、大きさは国際線のジャンボジェットを一回り小さくしたもの。それでも個人が私有できる規模を遥かに凌駕していた。
本来、このAM-790は9月6日にドイツ、フランクフルト国際空港を離陸したのだが、何せ日本までの飛行時間は約12時間。当然日をまたぐことになる。
そして、今は永遠陸続きのロシア上空を静かに飛んでいるAM-790。
「それにしても、ロシアとは相変わらず無駄に広いですわね」
薄手の純白ワンピースに高級そうなストールの組み合わせで搭乗しているピンク色のロングヘアーの女がポツリと言う。
本当に飛行機の中なのか? という疑問が真っ先に浮かびあがりそうな豪華な造りの機内。
天井にはガラス製のシャンデリア、床は動物の毛で造られた絨毯に、その上には木製のテーブル、その高さにぴったりの茶色の皮製ソファが二つずつ、テーブルを挟んで向かい合わせに設置されている。
目隠しをされて機内に連れてこられたら、えっ? ここはどこの5つ星ホテル!? と言ってしまいそうなレベルだ。
そんなソファに腰掛け、そしてテーブルに並べられた巨大なステーキをフォークとナイフで切り分けながら次々と口に運ぶピンクヘアの女。
彼女こそが、ヨーロッパ支部『先導者』こと、フィアルミ=ロレンツィティ。実年齢は明かされていないが、見た目で言えば20代前半といったところだろう。それに、童顔でもある。
そして、そんな彼女の向いに座るのが、ヨーロッパ支部弐〇騎士の二人、篠崎謙介と東条要。
「相変わらずって、ロシアがコロコロと面積が変わったら、それこそ大騒ぎでしょうが」
呆れたように言うのは謙介。
しかし、フィアは特に気にした様子もなく、頬をほころばせながらステーキを口に運ぶ。
食事一つとっても、とても機内食とは思えないほどで、どっかのブランド品の食器に、これまたブランド品の肉。備え付けの野菜なども全部無農薬で作られたもの。実際にレストランで食べたら一体いくらになるのかと冷や汗ものの品ばかりだ。
「それで、後どのくらいで日本に到着するのでしょう?」
『そうですね、あと5時間と言ったところでしょうか』
フィアの質問に答えたのは謙介でも要でもない。
機内の天井部分に設置されたスピーカーから聞こえてきた機長の声だ。
この機長というのも、フィアが特別に雇った者で、かなりのベテランらしい。
「あと5時間ですか。では、それまでこの食事を楽しみたいものですね」
パクパクとステーキを食べ進めるフィア。
「よくそんなに食べれますね」
それを見た要が感心したように言う。
実は、フィアは搭乗前に空港のラウンジで大量のソーセージとサンドウィッチ、そのたもろもろのサイドメニューを食べつくしていたのだ。
それなのに、今はまたこの巨大ステーキをどんどん食べ進める。もちろん、これ以前にも離陸直後に機内食(このときは肉ではなく魚だった)が出ており、そちらも綺麗にたいらげたフィア。
この細身のどこにそれだけ入るのだろう? などと勝手な感想を抱く要。
「ところで、フィア様。到着してから翌日に対談になっていますが、事の進め方は大方出来あがっているのですか?」
謙介が自分のステーキを切り分けながら尋ねる。
フィアはもぐもぐと口に含んだステーキを呑みこんでから、ゆっくりと口を開いた。
「いえ、あちらの出方がいまいち把握出来ないうえ、正直『総帥』のような老人とまともな会話が出来るとは思えないので、ほとんど考えていませんのよ」
「……あの、一応尋ねておきますが、自分が面倒だったから、なんてことはないですよね?」
謙介の念を押すような態度に、一瞬ビクッ! と身体を硬直させるフィア。しかし、
「そ、そんなことあるわけがないでしょ? 大体、それなら最初から対談をしようなどと言って日本に出向いたりもしないでしょう?」
「お寿司が食べたかったから、とか」
ほとんど独り言のように要が呟く。
だが、それが効果抜群だったようで、ビクビクゥ! とさらに身体を強張らせる先導者。
「……ちょっと、本当に頼みますよ?」
謙介が目を細める。
フィアはそれをごまかすように、
「しょ、食事中のおしゃべりは厳禁ですのよ!? ぱくっ」
「いつも楽しむ食事を推奨するアナタが何をおっしゃいますか。というか俺のステーキを勝手に食べるなコノヤロウ!」
謙介は、あまりに自然な流れで自分の切り分けたステーキを口に運んだフィアの皿から今度はフィアのステーキを奪い返そうとフォークを伸ばす。
しかし、ガキィ! という金属と金属のぶつかった甲高い音が、エンジン音もほとんど聞こえない静かな機内に響いた。
「いくら弐〇騎士といえど、まだまだ甘いですわよ?」
「このっヤロウ」
謙介のフォークを、フィアは一瞬で自分のフォークを使ってその動きを封じ込めたのだ。
今もまだガキガキィと金属同士が鍔競り合いをしているように、テーブルの上で争いが続いている。
「はぁ……」
その様子を、要は手を額に当てながら呆れたように見て、一人冷静に自分のステーキを口に運ぶ。
(本当に、大丈夫なのかしら)
要の不安を乗せて、AM-790はロシアの空を行く。
同日。鳴咲市にある私立聖徳高校。
まだお昼過ぎのこの時間に、とあるクラスは授業ではなく、クラスメートたちは教師もいない教室で、メイド服を作成したり、段ボールを切り抜いて、なにやら装飾品などを作っていた。
「外のゴミ捨て場からもっと段ボールを持ってきてください!」
一人の女生徒の声が響いた。
聖徳高校は冬は男女ともにブレザーで、夏服はワイシャツに男はズボン、女子はスカートといたってシンプルな制服。
今は9月なので、男女ともに、ズボンとスカートの違いしかない。
そんな彼らがなぜ昼時に教室でせっせとそれぞれ作業をしているのかといえば、二週間後に迫る大規模行事、『聖徳蔡』が待ち構えているからだ。
9月19、20日の二日間にかけて催されるこの行事は、聖徳高校の関係者だけでなく、地域の人たちにも一般公開しているもの。
それだけの大きな行事が待っているのだ、自然と生徒たちも盛り上がる。
「委員長―! 段ボール持ってきたよー」
先ほどの女子生徒の指示を受けた男子生徒数名がそれぞれ折りたたまれた段ボールを重ねて教室に入ってきた。
「ありがと、それじゃあそこの装飾係に渡してきて」
男子生徒たちはういーす、などと返事をして、指示された場所まで段ボールを運んでいく。
委員長、と呼ばれた女子生徒は次々に忙しなくクラスメートたちに指示を与えて行く。
「寿奏。我が1年2組の学級委員長」
そんなクラスメートたちが作業に取り組む中、伊勢陽介は指をカメラのレンズのように丸くし、そこから的確な指示を与える委員長を覗いていた。
「陽介……いいからこっちの作業やれよ」
その横で、城根卓はため息交じりに、自分の担当である装飾作業を進めている。
ちなみに、真理と蓮華、春奈を始めとする、クラスの女子ほとんどはメイド服作りに配置されている。
「身長は約150センチ、その低めの身長なのにあのリーダー気質。それに加えて艶やかな黒髪ボブ!」
そんな卓の言葉などお構いなしに陽介は鼻の下を伸ばしながら委員長、奏を覗き見ている。
成績優秀で、性格も表裏ないことから、男女問わずかなり人気があるらしい彼女を女好きな陽介が見逃すはずもない。
「陽介、知ってるか? 委員長は実は好きな人がいるらしいぞ?」
ガラガラガシャーン!!
卓のその言葉を聞いて、陽介はわざとらしく椅子から転げ落ちた。
男子は大体が床で作業をして、女子が机をいくつかくっつけてメイド服の作成に取り掛かっている中、何もせずに椅子に座って委員長を覗いていた陽介はただでさえ目立っていたのに、そんな余計なことをするものだから、クラス中から冷ややかな視線が送られる。
「あ、嘘だけどな」
仕返しとばかりに、卓は作業をする手を止めることなく転げ落ちた陽介に言い放った。
「卓ぅ~! 貴様ぁ!」
よろよろと起き上がる陽介。卓はそれを一瞥して、すぐにまた作業を続けた。
「これに懲りたら少しは手伝えって。大体、メイド喫茶をやろうって言いだしたのはお前じゃねーか」
「ああそうだとも! だが! それに賛同した男子生徒たちに、卓! お前も含まれているんだぁあ!」
「グッ……」
卓は珍しく陽介に押された。
夏休み直前に、ホームルームにて多数決でクラスでやる出し物を決定したのだが、陽介が候補に挙げたメイド喫茶。
1年2組の男子生徒は一人として例外がなく皆これに投票したわけだ。
例外がない、というのはもちろん卓もだということ。
(確かに、あのとき真理や蓮華のメイド姿を見たいと思ったのは事実だが、なんか陽介に言われるのは負けた気がする……)
「フフフッ! 貴様の願望を叶えるための手伝いをしたんだ! 俺の分も働いたって罰は当たらないと思うぜ?」
卓が苦虫を噛み潰したような表情を読み取り、陽介は得意げに言う。
(ちっ! 何か仕返ししてぇ!)
卓がそんなことを考えていると、一人の男子生徒がチョンチョンと卓の肩を指でつつく。
「?」
卓がそちらに顔を向けると、男子生徒は親指を立てて、卓に一冊の雑誌を手渡した。
(これはっ!)
卓が男子生徒から受け取った雑誌。それは毎日教科書を忘れてでも持ってくる陽介の私物だった。
雑誌の表紙には赤髪ショートヘアのアイドルが大きく写っていた。
「……陽介」
「おう? ……ッ!?」
陽介は生意気な表情から一変、目を丸くした。
ポイッ!
卓はそのまま受け取った雑誌を自分の後ろに投げ捨てた。
そう、後ろで机といくつかくっつけてメイド服を作成している、真理、蓮華、春奈のいる方へ。もちろん偶然などではない。
「俺のミイナちゃんぅぅぅううう!」
陽介は宙で弧を描くように飛んでいく雑誌を必死で追いかける。
前には春奈がいることに気が付きもせず。
「!! ちょっ! こっちに来るんじゃないわよ!!」
気持ち悪い形相で迫る陽介に気が付いた春奈が護身体勢に入った。
しかし、雑誌のみだけを捉える陽介は気が付かない。
「来るなって、言ってんだろうがぁあああああああ!!」
「……へっ?」
その雄たけびでようやく陽介は気が付く。も、時すでに遅し。
ドゴッ!!
春奈の上段回し蹴りが陽介の頭部にクリーンヒットし、陽介はその場で崩れ落ちた。
「必要な犠牲だよ」
雑誌を手渡した男子生徒が満足げに言う。
それに対して、卓や他の生徒たちもウンウンと頷いていた。
床に倒れ込む陽介を、春奈を始めとして、クラスの女子は冷ややかな視線を送り、春奈と一緒に作業していた真理はまるで興味がないように黙々とメイド服を作り、蓮華は苦笑いを浮かべていた。
「ちょっと! 遊んでいないで手を動かしなさい!」
委員長の奏は腰に両手を当てて騒ぎの中心である陽介たちの元に来た。
「悪いな委員長、ウチのバカが迷惑をかけて」
卓は笑いを堪えながら、そんなことを言う。
ノックアウトしていた陽介は、誰がウチのバカだ、などと言っていたが、卓も奏もそんな言葉は耳に届いていなかった。
「もう聖徳蔡まで時間がないんだからっ」
奏はそう言って教室を見渡す。
今まで陽介たちの騒ぎを見ていたクラスメートたちも再びそれぞれの作業に戻る。
「まったく」
奏ははあっとため息をつく。
「委員長!」
すると、一人の男子生徒が奏の元に駆け寄って来た。
両手にスプレー型のインクがいくつか抱きかかえられている。
「どうしたの?」
「それが、インクが無くなって」
「予備の分は?」
奏が尋ねると、男子生徒は首を横に振り、
「他のクラスに貸し出していてもうないみたいで」
「それは困ったわね」
奏は人差し指を顎にあてて考え込む素振りを見せた。そして、教室で段ボールに装飾を施す男子生徒たちを一瞥すると、段ボールをまっすぐどころか、どうやったらそんな蛇行のような軌道でカッターを使っている卓を視界に捉える。
「城根君? 悪いんだけど、私と一緒にインクの補充に来てくれないかしら?」
「??」
突然を声をかけられた卓はキョトンと首を傾げるも、その後で空のスプレー缶を持つ男子生徒を見て納得したのか頷いた。
「了解、委員長。それでどこに買いだしに?」
「そうね、中心街のショッピングモールならインク以外にも必要な物は一通り揃えられそうね」
「確かに」
そう言うと、委員長は他のクラスメートから必要な物をリストアップするため、一旦卓と分かれた。
「卓、どこか行くの?」
先ほどまで教室の反対側でメイド服を作っていた真理がいつの間にか目の前にいた。
「ああ。なんかインクが無くなったみたいだから、委員長と買い出しにな」
「……私も行くわ」
真理は目を細めて言う。
「? まあ別にいいけど」
「それにしても卓、裁縫だけじゃなく、こういうのも不器用なのね」
真理は今まで卓が作っていた段ボール製の装飾を見てそんなことを言う。
まだ段ボールの茶色という味気ないものだが、問題なのはそこではなく、蛇行に蛇行を重ねて切り抜かれた装飾は星型なのにそれが星だと認識出来なかったり、円なのか多角形なのか認識できない不可思議な形だったりといろいろだ。
「そんなことはないぞ!? これはピカソ的芸術センスなんだって!」
「……」
ムキになって反論する卓を、真理は変わらぬ冷ややかな視線で見る。
そんな様子を、今もまだメイド服を作る作業に打ち込む蓮華がどこか羨ましそうに見ていた。
「お待たせ、それじゃ行きましょうか?」
真理と卓がそんなやりとりをしていると、一枚のメモ帳に、クラスの出し物に必要な追加物資をリストアップした物を片手に、委員長の奏が戻ってきた。
「委員長、真理も連れて行っていいか?」
「篠崎さんも? ええ。確かにこの量だと3人くらいがちょうどいいかも」
問題なく委員長の了承を得られた真理も、卓と一緒にショッピングモールに行くことになった。
ちなみに、学校なのに学校外に出られるのも、聖徳蔡の準備期間によって、特別に教師からも認められているので問題なかったりする。
教室から出て行く3人を蓮華は超羨ましいそうに見送っていた。
鳴咲市の中心街から少し外れたところに位置する『中央総合病院』。
小児科、外科、内科、整形外科など、様々な医療施設が一カ所に集まった、いわゆる医療の推移が集まった機関。
緊急病棟もあり、入院施設も充実している。
そんな医療機関の一室、完全個室型の入院患者部屋に、一人の男はいた。
ベッドの上半身部分が、電動式に四五度まで持ちあがるものに身を乗せ、少しベッドを起こしながら連続ものの小説を読む男の名は三浦小鉄。
彼もまた、卓たち同様に討伐者なのだが。
普段は高校生のような顔立ちの彼はそれに加えてきっちりとしたスーツに身を包んでいるのだが、さすがにこんな施設でそれはありえない。今は薄緑の病人服に身を包んでいた。
(こんなよい天気の日にベッドの上で読書とは)
小鉄は大きな窓から差し込む柔らかな日差しに顔を向けると、苦笑いにも似た表情で息を吐いた。そして、再び手に持つ小説に視線を落とす。
小鉄はこれでもかなり優秀な討伐者で、『神器』と呼ばれる特殊な武器を駆使し、ヨーロッパ弐〇騎士にも勝るとも劣らずの実力の持ち主だったりするのだが、それだけの男である小鉄がなぜ入院しているのか。
先日起こった『月下通行陣』の一件に大きく関連しているある男との死闘で敗北したからというのが答えだろう。具体的に言えば、その男に直接的にやられたわけではないが、男の攻撃を防ぐために、自分で自分をここまで追い込むしかなかった状況を踏まえると、『敗北』という言葉は間違いではない。
小鉄自身、今までここまで追い込まれたこともないし、自滅することでしか自分の生きる道を見出せないということに悔しさに似た、けれど、明確にそれとは違う何かの感情を抱いている。
今はこんなにも平和な晴天が広がるこの街も、事実、数日前に壊滅寸前まで追い込まれた。
それ自体は異界である『虚無界』とは関係ないが、その『虚無界』だって、いつこちら側を壊滅しようと攻め込んでくるか分かったものではない。
少なくとも、今、着実に良からぬ方向に何かが動きだしていることは小鉄も嫌というほど理解している。
(本来ならば、僕が先陣を切って戦いに参加しなければならないのに、こんなところでいつまでも寝ているだけとは、甚だ笑い話にもなりませんか)
小鉄は小説をパタンと閉じて、先日自分と刃を交えた青い髪の青年のことを思い返す。
自分と同じ、『討伐者』という立場でありながら敵対し、それこそ本気で自分の命を奪いに来た一人の男のことを。
『月下通行陣』の件にしても(小鉄は発動前に意識を失ったため、実際に見たわけではないが)、自分がベッドの上にいるときに、卓たちがこの街を救ったのだ。
自分は何もできなかった。いかに周りから優秀という言葉で褒められても、そんなものは何の意味も成さない。
(こんな体たらくでは、謙介さんたちに顔向けできませんよね)
静かな病室に、小鉄のどこか虚しい乾いた笑いだけが響いた。
すると、病室の横びらきのドアがガラガラとキャスターの転がる音と共に開いた。
看護師かなと小鉄がそちらに顔を向ける。
「失礼する」
しかし、入り口に立っていたのは、看護師でもなければ医者でもなかった。
まだ残暑が残る九月上旬に、真っ黒で、ストライプのスーツに身を包み、しかし、それでも体格の良さは伝わってくる、重圧にも似た雰囲気の白髪交じりで顎鬚を蓄えた男だった。
小鉄は初めて見る男の登場に困惑の表情を浮かべていると、男は入るぞ、と言って、病室のドアを閉めるなり、ベッドの横まで歩いてきた。
「あ、あのどちらさまで?」
小鉄は少し自嘲気味に尋ねる。
「これは失礼、挨拶が遅れたな。私は鳴咲警察署の城根というものだ」
言いながら、男はスーツの内ポケットから一枚の名刺を小鉄に手渡す。
そして、確認のためか、警察手帳も続けて提示した。
「あの、もしかして僕を病院に運んでくれた……」
看護師から話だけで聞いた名前だった。それを確認する上でも小鉄が尋ねると、男はあっさりと首を縦に振る。
「そうでしたか。その節はどうもありがとうございます」
小鉄がベッドに座ったまま、それでも深く頭を下げる。
「いや、別にお礼を催促したわけではないさ。それよりも、その様子だと大分良くなったみたいだな。正直、大けがどころではなかったから心配したのだがね」
「ご迷惑をおかけして」
「迷惑ってことはないが、そうだな。もし私に恩を感じているのであれば、少しばかり話に付き合ってもらおうか」
「……?」
小鉄は少し首を傾げた。
それはそうだろう。
警察の人との話。もしかしたら自分の怪我について事件性を見出して、事情聴取といった感じなのかもしれない。そう考える小鉄だったが、
「君は『ただの一般人』ではない、という解釈をしていいのかな?」
予想と反し、いや、斜め上をいった。
男は小鉄の手首にあるブレスレッドにしてある水色の贈与の石を指差してそんなことを言った。
そして、もう一つ。
『ただの一般人』という表現。これはつまり、一般人ではない何者かを知っているからこそ出てきた表現なのだろうと、小鉄は予想する。
「それで間違いないのだな?」
小鉄が沈黙していると、再度男は確認を取る。
小鉄は静かにコクリと頷いた。
すると、男はふっと息を吐いて、
「そうか。やはり君も――いや、私も詳しくは知らないのだがね。大まかに『私たちとは違う立場』ということで理解しているだけさ」
「あの、あなたは一体……」
「ただの親だよ。警察である以前に、二人の息子と、愛する一人の女性を持った普通の父親さ。まあ、今は愛する妻を失い、息子の一人の行方も知らない、家族を守れなかった愚かな父親になり下がったのかもしれんが」
その貫禄のある男の表情に、少し寂しさのようなものが見え隠れしていた。
その言葉を黙って聞いている小鉄を一瞥すると、男は続けて、
「しかし、まだ守らなければいけない息子が一人いてね。しかし、これもまた厄介事に巻き込まれているようなんだが。そう、君と似た立場だと思うのだが」
「――ッ!?」
小鉄は言葉を失った。そして、同時に、先ほど男が名乗った『城根』という名前を頭の中で繰り返す。
(城根、どこかで……!!)
そこで小鉄は自分の知っているもう一人の城根という男を頭に思い浮かべた。
(この人、城根卓の……)
そこまでの考えに辿り着くと、小鉄はゆっくりと口を開いた。
「あの、貴方は城根卓君の親族、という解釈をしてよろしいので?」
「息子の知り合いか。いや、なんとなくそんな気はしていた。だからこそ、君を助けたのだがね。少し聞きたいことがあって」
「……なんでしょう?」
小鉄はごくりと唾を呑みこんだ。しかし、男は、
「いや、そんなに緊張しなくていい。今さら君たちが『何者』なのかということは問うまいよ。そんなことを聞いたところで、我々一般人が理解出来る範囲を超えているのだろうからな。そんな無意味なことは聞かない……ただ、父親として、聞いておかなければならないことがある」
男はそこで一旦言葉を区切り、そして、
「卓は、自分の意思で行動しているのか? 何かに強制力を働かされてそちら側にいるわけではないのだな?」
男のその言葉に、一瞬キョトンとする小鉄。しかし、すぐに自然と笑みを浮かべて、
「その点は心配ありません。彼も、彼なりに自分の守りたい者のために戦っているのです。彼には以前の僕とは違い、ハッキリとした自分の意思を持ち合わせていると思います。それはとても羨むべきものであり、彼自身、そして貴方も誇れるものではないでしょうか?」
「……そうか。いや、それを聞けて安心したよ。もし卓が強制的にそちら側にいるのであれば、わざわざ救った君を殺してでも連れ戻すつもりだったのだ。すまないな」
殺す。そんな不穏なワードにも、小鉄は一切表情を歪めなかった。
「いえ。それが親として、貴方が取るべき行動なのかもしれません」
「そうだといいんだがな」
男のその一言を聞き、小鉄は少し躊躇いつつも、
「一つ、こちらからもお聞きしてよろしいでしょうか? 先ほどおっしゃった行方不明のもう一人の息子について、ですが」
「……こちらの質問に答えてもらった以上、それを受け入れるのが礼儀と心得た」
「行方不明、というのはいつごろの話でしょうか? 当然ながら、城根卓君からそのような話は一度も聞いていなかったもので」
その質問に、男は病室の虚空を見つめながら答えた。
「もう二年前になるか。妻が他界して、それからだったよ。卓はとくに兄を慕っていたから、それだけショックも大きかったようだが」
「……それは、何かの事件に巻き込まれてということですか?」
小鉄の言葉に、男は首を横に振って否定する。
「私も仕事柄そう言った情報はすぐに手に入るが、事件性はゼロではないにしろ、極めて低い。何せ、自分の財布やら携帯電話などの必需品は全て無かったしな」
「そう、ですか……あの、よろしければお兄さんのお名前をお伺いしても? 貴方が警察という公的組織であるのに対して、我々も世界規模の組織でして、もしかすると、情報を手に入れるくらいのお手伝いは出来ると思います。今回、僕の命を救っていただけたのです。これくらいしかお力になれないかもしれませんが、何もしないというよりはよろしいかと」
「ならばここは素直に甘えさせてもらうとしよう。名前は城根竜」
男は一枚のメモ用紙に、内ポケットから取り出したボールペンでその名前を書いて小鉄に渡した。
「分かりました。では、何か分かり次第こちらに連絡させていただきます」
そう言って小鉄はさきほどもらった名刺を指差した。
「ああ、お願いするよ。それともう一つ。これは親としてこんなことを頼むのはどうかしていると思うが、愚かな父親の哀れな頼みと思って聞き入れてほしい……息子を、卓をどうか頼む」
男はあまりに完璧に、腰を九〇度曲げて、まるで教官に敬意を払うように頭を下げた。
そして、頭を上げると、そのまま無言で病室を後にする。
「息子を頼む、ですか。愛する者のために年下に関係なくあれだけ深く頭を下げられた貴方はそれほど愚かな人間にはとても見えませんでしたよ」
一人になった病室で、小鉄はポツリと呟き、手元の名刺に視線を落とす。
「……僕の方が貴方の息子にいろいろ教えられています、というのを言いそびれてしまいましたね。まあもっとも、こちらは実際に態度で示すことにした方が良さそうですが」
今、自分の目の前に現れた男は、自分のような『特殊な立場』の人間ではなく、ただの一人の父親。
そんな父親が、自分の息子が危険なことに晒されていると感じ、それに関連した人物を見つけた。
どんなに温厚な人間でも、一発は殴るだろう。そう思っていた小鉄だったが、実際は殴るどころか罵声すら浴びることもなかった。
しかし、それは彼が単に人を傷つけられない人間だった、というわけではない。その証拠に彼は小鉄に向けて『殺す』という言葉を突き付けた。
だが、それに対して、小鉄は不快感を覚えることもなく、むしろそれが親が親であるべき在り方なのだと受け入れた。ここで、銃弾の一発を喰らわされても文句は言うまい、そこまで覚悟していた。
彼は引き金を引いただろうか?
本来ならば、銃口を向けたいところである自分に、引き金を引くどころか、頭を下げて頼みごとをした。
これだけのことを出来る人間なんて、そういるものなのだろうか?
少なくとも、小鉄はこれまでにこんな人間はほとんど見たことがない。
(とても強い方です。あの親にしてこの子あり、というわけですか。本当に、城根家には、いろいろ教えてもらってばかりですよ)
小鉄は自然と笑みをこぼし、暖かな日差しを迎え入れている大きな窓に顔を向けた。
鳴咲市の中心街。
ショッピングモールを始め、レジャー施設や工業施設など、必要な物はほとんどここで揃えられるというほど賑わった場所に、一つの教育機関はあった。
私立光陵学園。
日本全国で見ても、指折りの名門女子高で、希望制の学生寮もあり、中高一貫校ということもあってか、敷地は普通の高校よりも遥かに大きかった。どちからといえば大学のキャンパスに似た大きさだ。
人工芝は正門を彩り、赤茶のレンガが校舎までの道を作り、広場のような場所には上品な音を奏でる噴水が一つある。
校舎は校舎でヨーロッパの宮殿のような豪奢な造りで、とても未成年のための教育機関とは思えないほどだ。
そんな静かな午後を印象付ける名門女子高も、今は昼休みなのか、校舎内のレストランを始め、至る所がピンクのセーラー服の女の子たちに占拠されている。
「お待たせ。紅茶とクッキーだよ」
光陵学園の高等部の校舎。その教室の一つ、1年五組からそんな声が聞こえてくる。
教室のドアの上にはクラスプレートが取り付けられている。しかし、これも名門校からなのか、プラスチックケースに印刷された紙を入れているのではなく、漆加工されている木材に直接彫られているものだ。
「ありがとぉ雪穂!」
茶髪のロングヘアで、先端部分がカールされている大人しそうな女生徒は三つのカップに、紅茶の入ったポット、そして、金色の模様が刻まれたプレートに並べられた一口サイズのクッキーが乗ったお盆を持ってきた。
床に固定されているため、自分の机を他の人の机まで運ぶことはできないが、そもそも、机自体が広いので、さして問題はなかったりする。
雪穂は、ショートで赤い髪の少女の机にお盆を丁寧に置く。
「やっぱり、雪穂がブレンディ委員会に入ってくれて良かったよ!」
「そ、そうかな?」
雪穂はカップに紅茶を注ぎながらどこか照れくさそうに頬を赤らめる。
「おーもう始めてるのかー」
二人分の紅茶を入れ終わったところで、教室のドアの方からのんびりと言えば聞こえはいいか、どこかやる気を感じさせない声が聞こえてきた。
「くずりちゃんの分もあるよ」
すぐに、残りのカップにも紅茶を注ぐ雪穂。
「こりゃどうもー」
くずりと呼ばれた少女は、金髪ショートヘアで、前髪をヘアゴムでまとめている。
誰かのか分からない椅子を適当に二人のところまで運んでくると、クッキーを一つつまんで口の中に放り込んだ。
「それじゃ、みんな揃ったし、ここで一つ私から」
雪穂とくずりも椅子に座ると、赤い髪の少女はパンと手を合わせて、
「このたびは本当にありがとうっ!」
頭を下げた。
「き、気にしなくていいよ!?」
「そうそうー。どうせ昼間私たちの部屋に入れてあるだけだしー?」
それに対して、雪穂は何故かおどおどし、くずりは紅茶をズズズとすすりながら適当に言う。
「ううん。それでもすごく助かってるから」
この二人、白木雪穂と潮波くずりは光陵学園の希望制の寮に住んでいる。
くずりは雪穂とは違うクラスだが、中学生のころから寮のルームメイトだ。
そして、赤い髪の少女、椎名美奈が何故、この二人に頭を下げているのかと言えば、
「そ、それにしても驚いたよっ。美奈ちゃんにあんなちっちゃい妹さんがいるなんてっ」
「まあ、正確には親戚なんだけどね?」
「あれだけ小さいと家に留守番、ってわけにもいかないしねー」
今現在、美奈は鳴咲市の西にある神社に住んでいるわけだが、先日の『月下通行陣』の一件で、一人の少女、名前は椎名てだまを引き取ることになった。
しかし、てだまはまだ小学生ほどの小さな子供で、さすがに美奈が学校に行っている間、家で一人で留守番をさせるわけにもいかず、クラスの友達である雪穂と、彼女のルームメイトであるくずりに頼んだところ、学校のある昼間だけ、寮の部屋を貸すことを了承してくれたのだ。
光陵学園の学生寮は学校の敷地内にあり、何かあればすぐに駆け付けられるうえ、昼休みなんかも様子を見に行けたりといろいろ都合がいいのも美味しい話だ。
「本当は、一人で何とかするつもりだったんだけど、迷惑をかけて……」
「め、迷惑なんかじゃないよ!? そ、その、私たち友達、でしょ?」
「雪穂……」
美奈はこの学校で初めて出来た友達である雪穂の言葉に瞳をうるわせる。
その横では、くずりがクッキーをモシャモシャと口に頬張る。
同じく、鳴咲市の中心街にそれはあった。
大型のショッピングモール。ゲームセンターや雑貨店、スーパー、アクセサリーショップ、映画館など、ここだけで一日中遊びまわれるほど充実した施設だ。
そこに、卓、真理そしてクラス委員長である奏はいた。
学校からはバスで移動出来るため、距離があってもそこまで時間はかからなかった。
「まずはインクからね」
奏はさきほどクラスメートから必要な物を聞いて書きだした買い物リストを見て確認を取る。
「インクって言うと、工具店か?」
卓は上の階に繋がっているエスカレータの横にある案内板を見ながら言う。
「工具店は三階みたい」
真理も卓の横から案内板を覗きこみ、見つけるなり、人差し指でトントンと案内板を叩く。
「それじゃまずはそこから行きましょう」
奏の後に続き、真理もエスカレータに乗る。だが、卓はなかなかエスカレータに乗ってこなかった。見方によってはぼうっとしているようにも見える。
「? 卓、どうしたの?」
「……えっ? あ、ああ」
二人が先に行っているのに気が付かなかったのか、卓も慌てて真理の一つ下の段に乗った。
「どうかしたの?」
真理は一段上にいるからか、卓を見下ろすように質問する。
「いや、もう元通りなんだなって」
「あっ……」
卓のその言葉の意味を真理は瞬間的に理解した。
卓の目線の先にはショッピングモールの二階フロアがある。
そう、一か月ほど前、五年ぶりに卓と真理が再会した場所だ。
蓮華と買い物に来て、そして突然『魂玉』と呼ばれる怪物に襲われ、命の危機を真理が助けてくれた場所。
実はあの時、このショッピングモールは少し破損し、警察沙汰にまで発展したのだが、今はそんな面影すら見ることも出来ず、ただ普通に営業しているショッピングモールだった。
「俺と真理の再会からいろんなことがあったよな。この1カ月でさ」
「……嫌だった?」
真理は少しビクビクしていた。もちろん、卓にそんなことは伝わらないほどに。
そして、卓は真理のその言葉をあっさりと否定する。迷う時間など微塵もなかった。
「まさか。楽しかったさ。辛いこともあったけど、それらも全部含めて、真理と再会出来て、一緒に過ごせた時間が全部楽しかった」
「……卓」
「つっても、まだまだ俺はお前との『約束』を果たせてないし、これからもっと頑張らないといけないんだけどな」
卓は苦笑いにも似た笑顔で頭を掻く。
そんなことを話しているうちに二階に着き、三人は次のエスカレータに乗り換える。
さきほどから委員長こと奏は何度も念仏のように買い物リストに書き出されたものを読みあげている。きっと忘れ物をしないための配慮なのだろうが、傍から見ると少し怪しく見える、という印象を受けたというのは言わない方がいいのだろう、と思う卓。
「ところで、委員長。買うのはいいんだけど、お金の方は大丈夫なのか?」
数段上の段に立つ委員長を見上げるようにするも、危うくスカートの中が覗けそうなのと、真理の肘打ちが飛んできそうだったので、すぐに視線を反らす卓。
「……」
そして、卓の質問に、予想と反して委員長である奏は唇を引きつらせていた。
卓と真理は顔を見合わせ、
「もしかして、忘れてた……とか?」
卓が恐る恐るその一言を発する。
奏は俯いたように、コクリと頷いた。
「……なんといいますか、委員長はあれだな。意外なギャップがあるんだな」
「ちっ! 違うのよ!? いつもはこういうことはしっかり管理しているんだけど、きょ、今日はその……たまたまなの!」
顔を赤らめて反論する奏。卓は、分かったから、と宥めると、
「じゃあ、俺一階にあったATMで金降ろしてくるよ」
三階まで着くと、そのまま今登ってきたのとは逆に稼働するエスカレータに乗ろうとする。
「ちょ、私が行くわよ!」
奏もエスカレータに乗ろうとするも、卓が片手でそれを制した。
「委員長は口座とか持ってるの?」
「へ? ……あっ!」
真理の言葉に、冷静になってその事実を確認した奏。そしてさらに表情は茹でダコのようになる。
「これくらい気にしなくていいから。真理と委員長は先に行ってて」
それだけ言い残すと、卓は再び下のフロアへと降りて行った。
「それじゃ、行こう」
三階に残された真理は委員長を連れて工具店へと足を運んだ。
工具店と言っても、さすがにショッピングモールの雰囲気をぶち壊しにするような職人臭の漂う店ではなく、明るい蛍光灯に照らされ、金属のラックに丁寧に工具が並べられている、外観だけで見れば、特に浮いたような店でもなかった。
「スプレー式のインク、スプレー式のインクっと」
工具店に入るなり、奏は手に持つメモ用紙と、ラックに並べられているいろんな種類のインクを見比べ、カニのように横歩きで商品を確認していく。
真理は真理で、金槌や、鋸などが置いてあるコーナで、目配せしていた。
(こういう工具でも、石の力を使えばある程度は役に立ちそうかも)
などと、本来の目的とは大きくズレた見方で商品を手に取る。
どれもこれも、一般的な工具で、木材を切り分けるための普通のサイズの鋸だし、木材や壁に釘を打ち込むための金槌なのだが。
だがしかし、現実問題、卓と真理が討伐者として使っている刀は、ある程度『名刀』と呼ばれるようなものなのかもしれないが、それにしても、普通の世界に行きわたっている、これまた普通の刀なのだ。蓮華や小鉄のような特殊な物、『神器』などではない。
けれども、そんな普通の刀でさえ、贈与の石の力を与えれば、『冥府の使者』だって、街一つ吹き飛ばしてしまうような大規模術式にだってある程度は対抗出来てしまう。
つまり、金槌や鋸を武器の代用品として使えるかも、という真理の考えは案外的を射ているのかもしれない。
(どれもこれも値段はお手軽だし、これが武器として使えれば便利かも)
どちらにせよ、普通の女子高校生が考えるようなことではないが。
「篠崎さん、何か必要な物あった?」
真理が工具をいくか手に持っていると、両手にいくつかのスプレー式のインクを持った奏がやってきた。
こちらの委員長といえば、普通の女子高生だ。
真理が工具を手に持っていても、まさか『異世界の住人と戦うために必要な武器をちょっとね』などという台詞が返ってくるとは夢にも思うまい。
そんなことは真理も重々承知している。
「ううん。それより、そっちはもう大丈夫なの?」
だから、真理は手に持っていた工具を金属のラックに戻した。
「ええ。この店で買うのはこのインクだけだから。あとは城根君が戻ってくるのを待つだけ」
「そう」
真理がそれだけ言って、また別の工具に視線を移すと、奏がゆっくりと口を開いた。
「あの、篠崎さん。一つ聞いてもいいかしら?」
「何?」
真理は特に振り返ることなく、いくつかの工具を手に持ったりしながら適当に返事する。
「篠崎さんって、城根君と仲いいよね? 一緒に住んでるくらいだし……結構前から知り合いだったの?」
「ええ、卓とはもう大分昔から――」
真理の声はそこで遮られた。
バォ!!
という、何かが爆発したような音が店の外、つまりショッピングモールの通路から聞こえてきたからだ。
「何!?」
「――ッ!」
奏はその轟音に動揺していたようだが、真理は工具をラックに戻すと、全速力で店から出た。
「キャァアアアア!」
「な、何だあれ!?」
ショッピングモールにいた人々は様々な反応を見せて、しかし皆が同様に避難していく。
(あれは……魂玉っ!?)
真理は逃げ惑う人々の合間から、一つの青白い光を確認した。
「篠崎さん!? どうしたの!?」
騒ぎが気になったのか、スプレー式のインクを持ったまま、奏も店の外に出ようとする。しかし、真理の方が早かった。
「我、この世界との断絶を命ずる!」
詠唱と同時、真理の右手首になったブレスレッド加工されている紅の贈与の石が妖しく輝いた。
ショッピングモール一階にて、卓も騒ぎに気が付いていた。
「何だ、今の音!?」
卓はATMで順番待ちしていたが、実際にATMを使っている人たちも動揺していた。そして、少し離れたところで、大勢の人たちが我先へと出口に向かっている。
だが、それもすぐに終わった。
普通ではあり得ないほどの騒ぎに包まれたショッピングモールは一瞬のうちに静寂に変わり、ATMを使っていた人たちも、卓同様に順番待ちしていた人たちも、逃げ惑う人々も全て例外なく消えた。
「断絶!? 真理か!」
そうなった原因を一瞬で理解した卓はそこから全速力で真理のいる三階を目指した。
エスカレータは普通に稼働しているが、人が誰もいないことと、ものすごく急いでいることもあり、動くエレベータを全速力で駆けあがる卓。
「全く! ここに来るとロクなことがねーな!」
吐き捨てるように言いながら、決して足を止めることなく走る卓。
そして、最後のエスカレータを駆け上ると、先ほど真理たちと別れた三階へと辿り着いた。
もちろん、このフロアにも人なんているわけもなく、無人の店と、刀を携えた黒髪長髪の真理、そして、彼女と二〇メートル程の距離を取っている青白い人型の光。
まるで焔のようにユラユラ揺れながら、しかし、その形はしっかり人型だった。
顔部分には幾何学模様のような赤いラインが刻まれている。
「卓!」
卓の存在に気が付いた真理が首だけをそちらに向ける。
「魂玉かっ! 一体だけか?」
「ええ。今のところはね」
「了解」
それだけ答えると、卓は短く息を吸って、手首にあるブレスレッドに手をかざすと、
「具現せよ! 我が剣!」
詠唱に呼応し、蒼の贈与の石は涼しげに光る。そして、石から放たれた光はそのまま卓の右手に集中し、刀の形を形成する。
シュパァ!
という音と共に光がはじけ飛ぶと、そこには一本の業物である長刀が握られていた。
「さぁて、速攻で決めてやるよ!」
卓は唇を吊り上げ、刀を握る手に力を込めた。
そして、それを合図というように、
ドバッ!
同時だった。
卓と魂玉は一瞬のうちに三〇メートル程の距離を詰める。
卓はそのまま横薙ぎに刀を、魂玉の脇腹目がけて振るう。
が、
「卓! 油断しないで!」
真理の声が飛んできたときにはすでに、卓は後方にノーバウンドで飛ばされていた。そして、そのまま重力が働き、床に引きずられるように転がり、壁に激突する。
「かっはっ!?」
一瞬呼吸が止まり、咳込む卓。
「コイツ、そこらへんの魂玉とは違う!?」
あっと今に自分との位置を逆転された真理はそのまま日本刀を握り直し、背後から襲う形で魂玉へと詰め寄った。
「はぁああああああ!」
そして、そのまま勢いを殺すことなく魂玉の背中を斬りつけようとする真理。しかし、その刀身は魂玉へと届くことはなかった。
ゆらり、と関節などを完全に無視したような、人間ではありえない動きでその一太刀を避け、そのまま真理の後ろに回り込むと、手から、まるでドッヂボールのように、青い炎の球を投げつけた。
ドゴォ!
と、真理が日本刀でそれを回避しようと刀身をぶつけた瞬間に、小規模な爆発が起き、その風に巻き込まれた真理は卓と同じ方向に飛ばされた。
しかし、それほどの爆発でなかったことから、真理は靴の底を削るように滑り、勢いを殺して止まった。
「卓! 大丈夫!?」
ちょうど、卓は床に長刀を突き刺し、杖の代用にして起き上がっているところだった。
「あ、ああ。問題ない」
卓の表情には絶望は見えなかった。そこにあったのは、強がりからなのか、本心からなのかは分からないが、確かに笑みだった。
「卓……?」
「ほら、次、来るぞ!」
「!!」
卓の言葉通り、人型の魂玉は床を思いっきり踏みつけ、ロケットスタートのように、あっという間に再び二人との距離を詰める。
「うおおおおおおお!」
卓は咆哮にも似た声で叫びながら、長刀を構え、突っ込んでくる魂玉と迎え撃つ。
「契約の紅、我の刃となって具現せよ!」
その後で日本刀を構えていた真理が詠唱を唱える。
ブレスレッドが再び光って、その光が刀身を纏う。
真理より前に出た卓は、今度は小回りの効く軌道で刀を振るう。しかし、それでも魂玉はゆらり、と身体を捻ることでその一撃を見事に回避する。
「卓! 伏せて!」
その言葉を聞いた卓は、後ろを確認することもなく、その場にうつ伏せになる。
直後、ドバッ! という轟音が炸裂する。
真理が放った斬撃が空を切り裂く音だった。そして、それは卓の頭上を通過し、その上にいる魂玉を切り裂く――はずだったが。
「いない!?」
真理のそんな声が次に卓の耳に届いた。
すぐに卓も身体を起こすと、さきほどまで頭上にいた魂玉の姿はどこにもなかった。
「――! 真理! 後ろだ!」
「えっ!」
真理が振り返ろうとしたのと同時、魂玉の腕が太く変形し、それから放たれた一撃が真理の腹部に直撃した。
「ごっ! はっ!?」
嗚咽を漏らすと、真理はそのまま砲丸投げのように、床に平行に飛ばされる。
「真理!」
自分の方向に飛んでくる真理を受け止めようと、卓も床に着く足に力を込めるが、そんなもので受けきれるほどの速さではなく、真理の身体に触れると同時に、卓も一緒に後方に飛ばされた。
「こはっ!?」
卓はそのまま壁に激突し、そのまま真理と共に崩れ落ちた。しかし、敵から視線を外すことなく捉えていたはずなのだが――
「ッ!?」
先ほどまで魂玉がいた場所に、青白い物体はなく、卓の視界から消えていた。
「横!」
卓の耳に真理の声が飛び込んできた。すぐさま真理が起き上がり、卓もその後に続くが、魂玉の方が早かった。
ショッピングモールの構造上、通路は真ん中が吹き抜けになっていて、左右に分かれているのだが、卓と真理を挟んで反対側に移動していた魂玉はその腕から、まるでハンドボールのように青白い炎の球を投げつけた。
「迎え撃つ!」
真理は紅の光を纏った日本刀を横薙ぎに振るって、歪な形の斬撃を放つ。
ゴバッ!! という轟音が吹き抜けになっている空中で炸裂する。
そして、互いの攻撃がぶつかり合ったことで巻き起こされた爆風によって、卓と真理はわずかに後ろに飛ばされた。
「真理、コイツは……」
卓の言いたいことはすぐに分かったのだろう。
真理は小さく頷き、
「ええ、これまでの魂玉とはレベルが違うわね。見た目だけでは判断できないってのは魂玉にぴったりの言葉よ」
真理は忌々しそうに舌打ちする。
これまで、卓と真理は何度も魂玉と戦っている。自分たちとは背丈が変わらないような人型もいれば、動物の形をしたもの、さらには水を纏って竜の形となって襲ってきたものもいた。
しかし、『冥府の使者』である『魂の傀儡子』の討伐後に、これほどに強力な魂玉はいなかったし、それ以前のものと比べても、レベルが数段違う。
「上等じゃねぇか」
それほどの敵を前にして、卓の放った言葉はそれだった。
忌々しそうな真理とは反対に、強がりにも見えるような笑みを見せる卓。
そして、刀を握る手に力を込め、
「契約の蒼、我の刃となって具現せよ!!」
詠唱を唱えるなり、真理同様に、ブレスレッドの贈与の石が輝きだし、卓の持つ長刀の刀身に纏う。
「契約の蒼、我に躍進の力を与えよ!」
卓はひと呼吸だけして、続けた。
今度は卓の身体を光が纏う。同時、
人型の魂玉は空中に舞う煙を払うように、すさまじいスピードで卓と真理に突っ込んだ。
「このままやられっぱなしってのもつまんねーよなぁ! そろそろこっちからも反撃させてもらってもいいんじゃねぇか!?」
迷うことはなかった。
卓は蒼く光る刀を手に、正面から魂玉とぶつかり合う。
ギギギギィイイ!!
卓の刀身と、魂玉が瞬時に三倍ほど太くした腕がぶつかり、火花が散る。そして、数秒の間、両者の動きが停止した。
「隙ありっ!」
その間に、真理も卓と同じ詠唱を唱えたのだろう。全身、紅の光に包まれた真理が、今度は魂玉の背後から脇腹部分目がけて刀を床に平行になるように振り切った。
だが、しかし。魂玉の斬ったような音も、鍔競り合いのときに起きる甲高い音も響かなかった。
唯一、卓と真理の耳に届いたのは、バッターが空振りしたときに起きる、風を斬る音だけだった。
「えっ……」
目を見開いたのは真理だけではなかった。
卓も、つい一瞬前まで力を競い合っていた敵の消失に動揺の色が見られた。
魂玉は、真理の一撃を受け止めたのではない。かわしたのだ。しかも、身体を捻るとか、姿勢をあえて崩したとかではない。
消えた。比喩でもなく、本当に煙のように真理と卓の前からその姿を消した。
「どこ!?」
真理はすぐに首を回して辺りを確認する。卓は卓で上やら後ろやらを確認するが、その姿を見つけられない。
ズプププ……
泥水に足を突っ込んだような音が二人の耳に飛び込む。
「「ッ!?」」
その音源は足元だ。
二人は即座に足元に視線を落とすと、ショッピングモールの通路が何やら青白く光っていて、その一部からさきほどまでの人型の魂玉の頭部分だけが顔を覗かせていた。
「廊下と、ううん。建物と同化している!?」
真理はより警戒心を奮い立たせて、日本刀を構えなおす。
魂玉の首から下は、廊下に埋め込まれているのか、視界に捉えることはできない。が、一つだけ分かるのは、こんなイレギュラーな存在は今まで卓も、真理だって会ったことがないということだ。
これまでに戦ってきた敵の、どの特徴にも当てはまらない以上、警戒心を極限まで高めて戦うしかない。
「真理! 跳べ!」
「!?」
卓の声は真理の少し上方から聞こえてきた。そして、卓が石の力を使って空中を跳んで、何をするつもりかはすぐに分かった。
卓の刀を中心に、凄まじい量の蒼い光が渦巻いている。
例えるなら、アメリカに発生した巨大なハリケーンだろうか。
そして、それこそが卓の使う広範囲攻撃型の一撃、『蒼波滅陣』。石の力を使い、斬撃そのものを変形させることで、津波のように変え、広範囲を同時に攻め落とせる奥義。
だからこそ、真理もすぐさまその場を離れ、ジャンプするだけで反対側の通路に跳び移った。
「俺の一撃はちょっとばかし避けるのは難しいから、気を付けろよ!!」
卓は空中で刀を構え、それを横薙ぎに振るう。そして、刀の動きに連動するように、それまで卓の周りに渦巻いていた蒼い光は、その形を津波のように変えて魂玉が同化しているであろう通路一帯をあっという間に呑みこんでいく。
ドガァアアアア! というすさまじい轟音がショッピングモールに鳴り響き、三階の通路の一部が完全に決壊していく。
瓦礫がそのまま下の通路に落ち、大きい瓦礫が落ちた場所にはさらに穴が空いて一番したまで被害を及ぼすなど、卓の一撃の規模を物語るのには十分な結果となった。
そして、宙を跳んでいた卓も、決壊した通路から下のフロアにまで落ちた。
「卓!」
真理が吹き抜け部分から下を覗くが、
「大丈夫! 問題なしだ!」
平然とした表情の卓がこちらに手を振っているのを確認出来て安堵の息を吐いた。だが、すぐに表情を引き締め直して、人差し指を額に当てながら、
(他の物体と同化する魂玉なんて聞いたことがないわね……まあ、水を纏って自分の身体の一部としたり、攻撃に転じさせる奴らもいたわけだから、同化するタイプもいるって言われればそれまでなんだけど)
そして、ふと、先ほどまで魂玉が同化していて、卓に破壊された通路に視線をやる。
もはや原型も残っていないし、当然、魂玉と同系色に光ってもいない。
(でも、魂玉はそもそも虚無界に送られた魂が『単体』で形成されたものなわけで、そんな能力があるとは考えにくいのも事実……)
今度は下のフロアにいる卓の方を見て、
(そう考えると、以前に戦った水の竜も、ね。一体どうなっているの……)
真理がそんなことを考えていると、ガタッ! と、瓦礫が踏みつぶされたような音が聞こえてきた。
その音源は、下のフロア。しかし、卓のものではなかった。
「!! 卓! 後ろよ!」
真理の言葉と同時、卓は自分の背後にあるディスカウントショップの方に首を回した。
「!!」
だが、ほぼ同時に、声を出すことすら出来ずに卓は吹き抜けを突破し、反対側の店にあるレジに激突した。
一瞬の出来事に、頭を強打されて、脳味噌をかきまぜられたような感覚で飛ばされた卓には何が起きたのか理解することは出来なかった。
しかし、上からその一部始終を見ていた真理は違う。
突然、ディスカウントショップから現れた人型の魂玉が、腕をまるで鈍器のように太くし、それを棍棒のように、卓に向けて振るったのだ。
(どういうこと!? 通路と同化してたはずじゃ……)
ジロリ。つい先刻卓を吹き飛ばした魂玉は、その幾何学模様のような赤いラインが刻まれた顔を、一つ上のフロアにいる真理に向ける。
ゾワッ! とう悪寒が真理の全身に走った。
考えるよりも先に真理は日本刀を構えたはずだが、その時にはすでに自分の頭上に、ほんの0.数秒前まで下のフロアにいたはずの魂玉は迫っていた。
「まずっ――」
真理が回避行動を取るよりも先に、魂玉の一撃が炸裂した。
両手から放たれた直径2メートル程の巨大な青い炎の球は真理もろとも、その辺の通路を粉々に粉砕した。
バンッ!
真理は崩れ落ちる通路に巻き込まれ、下のフロアの床に背中から叩きつけられた。そして、そのすぐ横には意識はあるものの、全身傷だらけの卓が崩れ落ちている。
「ッ……強い……」
真理は打ち付けられた身体を引きずりながらよろよろと起き上がる。
卓も、床に刀を突き刺して、何とかそれを支えに起き上がるも、二人はすぐに言葉を失った。
二人は崩された通路を見上げる。そして、そこにいたのは――
「約束の蒼紅石」第18話いかがでしたでしょうか?
主人公とヒロインの登場に伴って、久しぶりの魂玉も登場です!
どんどん新キャラが登場する中で、久しぶりに登場するキャラはなんというか、書いていて楽しいです(笑)
キャラが増えてきて、覚えきれなくなってしまう場合は、ぜひ! ぜひ! 今までの話をもう一度読み返していただけるとよろしいかと思います!
本編もですが、SIDE STORYのほうも合わせて楽しんでいただけると幸いです!
では、今回はこの辺で。
次話またお会いしましょう!