守るべきもの
こんにちは! 夢宝です!
さて、今回で「妖霊の巫女」編も最終話です!
1月中に終わらせることができてとりあえず一安心といったところですかね(笑)
ここらでもう一度「妖霊の巫女」編を読み直していただけると作者としてもうれしいわけですが!
とりあえず、第15話をお楽しみください!
「馬鹿な…………」
老婆は無人のオフィスビルに佇んでいた。いや、その場に『ある』というのが正しいのかもしれない。半ば放心状態で、立っている。
ポタリポタリと、腕から次々と血が流れ出ている。それが、オフィスビルの屋上に血で描かれた術の陣と混同する。
先ほどまではその陣から凄まじい光が放たれていたのだが、今はごく普通の星と月が照らす夜空の下に不気味に存在しているだけだ。
「ぁぁああ……」
老婆は嗚咽にも似た声を漏らす。そして、今はもう陣の面影すら見当たらない夜空を虚しく見上げる。
(何故だ! 何故だ! 何故だぁあああああああ!)
老婆は全身に走る激痛から、大声は出せない。しかし、その代わり心の中で思いっきり叫ぶ。
老婆の命はもう長くは持たない。それが『月下通行陣』という超大規模術式を発動してしまった者の末路なのだ。発動こそ失敗に終わったが、問題なのは、それまでの『過程』にある。術が発動してから、その効果が現れるまでは、継続的に術者の寿命を削っていく。つまり、老婆も『月下通行陣』を発動している間、寿命を削られていたわけなのだ。
老婆の呼吸は荒い。正直、立っているのもやっとだという状態だろう。本来ならすぐにでも病院に運ばないと危険な状況だが、生憎なんの皮肉か、老婆が『月下通行陣』を発動したため、中心街にある病院はほとんどが機能を停止していた。まあ、仮に病院が機能していたとしても、今の老婆がそんなところに行けるはずもないのだが。
「期待して損しちゃったよ」
コツンとオフィスビルの屋上に足音が響いた。
「!!??」
老婆は痛みに耐えながら足音の方に振り返った。すると、そこには笑顔で立つ青髪の青年の姿があった。
「あーあ。全く、あんだけ準備してあげたのになー」
棒読みに近い感じで青年は言う。しかし、表情は笑顔を保っていた。
老婆は無言で青年を見据える。それに対して、青年はクスリと笑って、再び口を開いた。
「ゲームオーバーだ! さ、死ぬ準備は出来たかい?」
「なっ!」
老婆は目を剥いた。しかし、青年は軽い口調のまま、
「おいおい、驚いたふりなんてするなよ! 言っただろ? これは俺にとってはゲームと同じ、エンターテイメントなんだって! ゲームオーバーのないゲームなんてないだろ!?」
「ふっ! ふざけるでないわ!」
「ふざけてなんかないさ! ただ、俺はストックのある命が大っきらいでね! 俺のゲームにコンティニュー機能はいらない! ゲームオーバーはそのままの意味、『終わり』になるゲームが好きなのさ!」
すると、青年は、オフィスビルの屋上の端に投げ捨てられた包丁を手にした。刃は長方形のギロチンを縮小したようなもので、使い方次第では人の首すらも斬り落とせるほどのものだ。
青年はその包丁を自分の胸の前まで持ち上げると、舌舐めずりしてほほ笑む。
包丁の刃は下の中心街が燃え盛る赤い炎に照らされ、まるで血を帯びたような色に光っていた。
「お、お願いだ! 止めてくれ!!」
老婆はその場に崩れ去り、そのまま身体を引きずるように後ずさりしていく。青年はそんな老婆をまるで滑稽だとでも言いたげな表情で、ゆっくり一歩一歩近づいて行く。
「何度も言わせるなよ。ゲームオーバーだ!」
「ひっ! ひぃいいいいい!!」
「そうだ! せめて死に方くらいは選ばせてあげよう! じっくり死にたい? それとも瞬殺?」
老婆はそんな質問に答えることなく、必死に青年との距離を広げようとする。しかし、『月下通行陣』の影響と、腕からの大量出血で、身体が思うように動かない。それどころか感覚すら失われつつある。
「答えてくれないなら、俺が選ぶよ? そーだなー、少しは痛みを知ってもらうとするかな!」
そう言って、青年は包丁についた老婆の血をペロリと舌で舐め取った。
「さあ、罰ゲーム、スタート!」
「!!」
ビシュュュオオオオ!
刹那。老婆は自分の腕が切り落とされ、そこから勢いよく血が噴き出すという自分の状況を把握するのに少しの時間を要した。
「くはぁ! いいねぇ!」
青年はいつの間にか老婆の背後に回り込んでいた。そして、またも舌舐めずりをする。
この一瞬で、手に持つ包丁で老婆の腕を切り落としたのだ。しかし、青年は返り血の一滴も浴びていない。それだけで、今の青年の移動速度がどれだけのものか分かるだろう。
「ぐ! ぐががあああああああああ!」
遅れて老婆の悲痛の叫びが屋上に響く。
「まだまだ、死なせないよ!」
青年はそう言って、苦しむ老婆に向き直り、そして、
「!!」
今度はまた反対側に一瞬で移動する青年。老婆は目で追い切れていない。しかし、青年の持つ包丁は何かを貫いていた。
「これは、肝臓かな?」
青年は包丁を空で振り切ると、包丁に突き刺さっていたそれはベチャリという音を立てて屋上の床でつぶれた。
「ガギカカァア……」
老婆はゆっくり自分の腹部を見る。すると、自分の腹には穴が貫通して、そこから滝のように血が吹き出ていた。
「うん、いい感じ! そろそろ罰ゲームも終わりにしよっか!」
「まっ――」
老婆の声が最後まで聞こえることはなかった。
ドスン……
鈍い音が屋上に響き渡った。その直後、
ブシャアアアアア!
血が噴水のように上に向って飛び出た。
「期待はずれもいいとこだよ」
青年はそう言って、屋上に落ちた何かに包丁をドスッと突き刺した。
包丁の刃が突き刺さっているのは、老婆の頭部だった。そう、今老婆の首から上は一瞬のうちに切り落とされ、その付け根から大量の血が噴き出したのだ。
「さて、次は真面目に例の『データ』の入手に向うかな! あの単細胞女には任せてられないしっ」
青髪の青年は、もう一度、無残な老婆の変わり果てた姿を一瞥し、無人のオフィスビルを後にした。
その下では、未だにあちこちのビルから火の手が上がり、そんな街を敵を見失い、どうしていいか分からなくなった人間型兵器が徘徊している。
鳴咲市の西部にある山、その麓で、美奈は卓たちと合流していた。卓たちがいたところからここまではそれなりに距離があるのだが、人の目がないことを理由に、それぞれ石の力を使い、肉体強化したため、これだけの速さで移動することが出来たのだ。
「美奈、身体の方は大丈夫か?」
卓の心配に、美奈はこくりと軽く頷いた。
「大丈夫、普通にしている分には問題ないわ」
その言葉に、卓だけではなく真理も蓮華もほっと胸をなでおろす。だが、すぐにまたそれぞれの表情は険しいものへと変わる。
「『月下通行陣』は何とかなったけど……」
蓮華言い淀む。しかし、それだけでその場の4人は意思疎通が出来た。だからこそむーと唸ることになるのだが。
『問題』というのが残っている。『月下通行陣』がなくなっても、鳴咲市(主に中心街)の被害まではなくなってはいないのだ。妖霊がいなくなった今、これ以上被害が拡大することはないだろうが、それでも今現在でも十分すぎるほどに大惨事になっているのだ。
卓たちがいるところまでビルが崩れ落ちる音や、炎はパチパチと燃え盛る音が聞こえる。そして、時々、人間型兵器の駆動音までもが聞こえる。
「どうするか……」
真理は手を顎に当てて、考え込んだ。
美奈も困り果てていた。美奈の使う『術式・七星』には生憎この状況をどうにかする便利なものはない。
4人が手詰まりになっている時、ふと人の気配を感じた。それは4人がほぼ同時に感じたものだ。そして気配の方を向くと、同時に気配の主は声を発した。
「後始末なら私にお任せください」
声の主は綺麗に整えられた黒髪のショートヘア、その細身はスーツに纏われ、キリッとした井出達で立っていた。
「あなたは、榎本冬音さん……」
真理がポツリと呟く。
卓はえっ? と真理の横顔を見るも、真理はただ彼女を見ていた。蓮華も、小鉄から話には聞いていたが、実際に見るのはこれが初めて。美奈にいたっては完全に知らない人だった。
そんな戸惑う4人に構わず、冬音は端的に、あくまで事務的な口調で続けた。
「この街に入るのに少々てこずりましたが、本部から『それなりの者たち』を連れてきましたので、街の後処理及び、この件についての世間に対する情報操作はお任せください」
「あの、」
真理が何かを言おうとしたが、それを冬音はさらに続けることで遮った。いや、真理が言おうとしたことが分かったのだろう。
「具体的にどうするのかと言いますと、複数の討伐者でこの街全体に『時空調整』を使用します」
『時空調整』とは、贈与の石を使うことで発動できる力の一つ。しかし、それは『時空』そのものを歪めてしまう力。だからこそ、そんなものを使える討伐者は一流であり、当然、卓や真理には使えない。
『時空調整』を使えば、いかに一流と言えどもそれなりの副作用があるのだが。
しかし、冬音はそんな人間ならざる力を使える討伐者を『それなりの者たち』と表現するのだから恐ろしい。
「でも、どうして本部が?」
今度こそ、真理は冬音に質問を投げかけた。すると、冬音は一瞬眉をピクリと動かすが、しかし凛とした表情は変わらない。そして口を動かした。
「今回のことは、『中心』こそ、虚無界には関係ありませんが、『側面』で、少々私たちに関係していまして。具体的に申し上げるにはまだ情報が足りませんが、『頂』が関係しているのです」
「!?」
真理は言葉を失った。卓と蓮華、もちろん美奈は『頂』なんて言葉は初耳だから首を傾げるだけだが。
「また正確な情報が入ってきたらその都度連絡いたします。ところで、この街に配属になった三浦小鉄ですが、鳴咲市の中央総合病院に入院しています。一度落ち着いたらお見舞いに行ってあげてください」
「小鉄さんがっ!?」
今度、冬音の口から出たその名前は真理だけでなく、卓も蓮華もよく知る人物のものだった。だからこそ驚きを隠せずにいた。
「詳細は本人から聞いて下さい。では私はこれで」
冬音は軽く頭を下げると、炎上する中心街の方へと足を向け、その場を立ち去った。
「一体、何がどうなってるんだ」
卓がポツリと呟く。
その横で、真理は無言で、しかし怪訝そうな表情を浮かべていた。蓮華もどこか不安げな表情。状況を理解していない美奈だけが唯一、頭上に疑問符を浮かべていた。
「ところで、『月下通行陣』について書かれた書物は?」
蓮華がふいに尋ねると、美奈は首を横に振る。
「おばあちゃんの居所が分からないから……それにもしかしたらもう……」
美奈の口調は随分と沈んだものだった。それを感じた卓たちはお互いに顔を見合わせるだけで、特に何も言わなかった。
だが、事態はそこまで深刻ではない。なぜなら、卓たちは知らないが、(美奈は恵美の死については知っている)『月下通行陣』を発動することが出来る、『椎名家』はもはや美奈しか残っていない。つまり、仮に『月下通行陣』について書かれた書物が見つからなかったとしても、それを使って、今回みたいに『月下通行陣』を発動させられるものはいなのだ。
「とりあえず、美奈を家まで運ばないと」
「だな」
真理の提案に、卓も便乗する。
美奈は今は普通に立っているが、魑魅魍魎との戦いで、重傷を負って大量の出血によって貧血状態にある。このままずっと立ち話なんて出来る身体ではないのだ。
家と言っても、今4人がいる山の入り口を登ればすぐに美奈の実家である神社がある。
卓は膝を曲げて、屈む姿勢になると、口を開いた。
「ほら美奈、おぶされよ」
「へっ!?」
不意にそんなことを言うものだから、美奈な目を丸くした。その隣で、真理と蓮華も驚きを隠せずにいた。
「そんな身体でこの長い階段を登るのはつらいだろ?」
「でっでも!」
美奈は顔を赤らめもじもじしている。普段強気なだけに、意外な一面だな、なんて卓は思っていた。
「遠慮するなって」
卓は美奈の心境を知る由もなく、無邪気にほほ笑んだ。それが、美奈に止めを刺したのだろう。少し困ったように、しかし嬉しさから口元は緩んだ表情で、こくりと頷いた。
「いいなー」
蓮華がポツリと呟く。その横では真理も目を細めて卓を見据えていた。
「どうした、真理?」
「べーつーにー」
「??」
卓は真理が不機嫌そうな表情をしている意味が分からなかったから、これ以上怒らせる前にさっさと美奈を背中におぶった。
「ひゃっ!」
その反動に驚いた美奈が卓の耳元でどこかくすぐったい声を漏らす。
(!!!)
卓は卓で、耳元で聞こえてくるその声と、そして、背中に巫女装束越しだが、感触はしかり伝わる胸のせいで、心臓の鼓動を速めた。
「フンッ!」
卓の表情が緩んだのを見逃す真理ではなかった。まさに光速のごとく、勢いよく卓の足を踏んだ。
「!!! 何するんだよ!」
卓は背中におぶった美奈を落とさないように、足に伝わる痛みに耐えながら言う。
「変なこと考えたでしょ!」
真理のその言葉に卓はビクゥ! と肩を震わせた。
「卓?」
背中におぶられた美奈は当然その震えを感じ、後ろから卓の顔を覗き込んだ。
卓は恥ずかしさから頬を赤らめ、そして、
「べっ! 別に何も考えてねーよ! 陽介じゃあるまいし!」
それだけ言い放って、先に階段を登りはじめた。
「絶対嘘ね」
「……うん」
麓に残された真理が呟き、蓮華が苦笑いでそれに賛同した。しかし、真理ははあっとため息をつくと、行こう、とだけ蓮華に行って、二人は卓と美奈の後を追って階段を登った。
卓たちは(美奈を背負っているため、最終的には卓が最後になったが)階段を登り切って美奈の実家である神社、その入り口にある鳥居の下にいた。
「もっ、もう大丈夫だから!」
美奈は卓との密着具合に恥ずかしくなったのだか、足をバタバタと動かした。
「おっおう!」
卓も、真理の視線から一刻も早く解放されたいのか、あっさりと美奈を地面に降ろした。
「さっさと行くわよ」
真理はぶすーとした表情のまま神社のほうに身体を向け、足を動かす。しかし、その足はすぐに止まった。
「どうしたの?」
真理の後ろを歩いてた蓮華がひょいっと真理の横から顔を覗かせた。真理はそれに答えることなく、無言で人差し指で前に続く道を指差した。
鳥居の下から、神社まで真っすぐに伸びる石畳の道。どこにでもあるそんな道の真ん中になにやら布の塊が落ちていた。
「えっ?」
それにいち早く反応したのは美奈だった。そして、ふらつく足取りでその『何か』に近づいた。それを追って卓たちも駈け出す。
「これって……」
卓がポツリと呟いた。
『何か』は赤と白の布で身を包んでいる人間だった。美奈がいち早く反応したのは、『彼女』が身に纏っている赤と白の布が、『椎名家』に伝わる巫女装束だと分かったからだ。
「誰なの?」
真理が美奈に尋ねるも、美奈は顔をしかめて首を横に振った。
「分からない」
美奈も初対面なのだ。
石畳の道に転がる『彼女』は、その身長は130センチほどととても小柄で、明るい茶髪のセミロング、そして、頭のてっぺんからピョーンとアホ毛が立っていた。
「うっ……」
巫女装束に身を包む『彼女』が小さな呻きをあげて、もぞりと動いた。
「「「「!!」」」」
卓たちはほぼ同時に半歩ほど後ずさる。すると、『彼女』はゆっくりとした動きで状態を起こし、石畳の道にチョコンと座りこんだ。
「あの、君は……」
美奈はゆっくと少女に近づいた。顔を見れば、その顔つきはとても幼く、小学生のような成だった。そんな少女は目を手の甲で擦って、美奈たちを目をパチクリさせて確認すると、口を開いた。
「わちき、お腹空いたー!」
元気な声だった。無邪気な声は小学生そのものだ。
「わちき?」
美奈が少女の口から出てきた聞き慣れない単語を復唱した。すると少女はにっこりほほ笑み、
「わちきは、てだまって名前だよ!」
と言う。
「君、苗字は?」
美奈の質問に、一瞬てだまと名乗る少女のアホ毛がはてなマークを作ったが、すぐに笑顔に戻り、答えた。
「椎名!」
「!!」
美奈の疑念は確信に変わった。
「美奈、この子って」
「うん」
卓も、卓だけでなく、真理も蓮華も分かったのだろう。この『てだま』と名乗る少女の正体を。
ただ、一つだけ疑問が残る。今は『椎名家』は3人しかいない(しかし今回の件で、老婆も恵美も死亡したため、今は美奈一人だが)。なのに、どうして彼女がここにいるのか。彼女が『椎名家』の者だというのはその身に纏っている巫女装束を見れば分かるが、彼女がここにいることが問題なのだ。
美奈たちが怪訝そうな表情を浮かべていると、それを察したのかどうかは分からないが、てだまはまた口を開いた。
「わちき、遊んでたら妖霊に食べられちゃったんだー」
なんとも軽い口調でとんでもないことを言い放つ小学生のような見た目の少女。しかし、これで美奈の疑問は一気に解決へと駈け出す。
椎名てだまは妖霊に食べられたと言う。しかし、妖霊の身体の作りは人間とは違う。つまり丸呑みされたからといって、胃液で解かされるなどということはないらしい。だからこそ、彼女は無傷で今ここにいるのだ。そしてその理由は『月下通行陣』にあった。
『月下通行陣』の発動条件の一つ、『多数の妖霊の命』が関連している。卓たちも実際に目の当たりにしたのだが、妖霊たちは『月下通行陣』に次々と吸い込まれて行った。しかし、それは妖霊のみに対して発動するもので、人間や人間型兵器などには通用しない。つまり、妖霊に呑みこまれていても、彼女は『月下通行陣』に『人間』として認識されたため、彼女を呑みこんだ妖霊だけが消滅し、その中にいた彼女だけがここに取り残されてしまったというわけだ。
そこまでを美奈は理解した。
(この子には頼れる人がいない……)
その事実が、美奈の胸をぐっと痛めつけた。過去に辛い思いをしたから、自分の支えになっていた大切な人を失った今だから、その辛さをよく知っていた。
美奈はぎゅっと拳を握って、そしてふわっと拳を解く。
「私、この子を育てるわ!」
「「「えっ!?」」」
当然、卓たち討伐者組は驚きを露わにする。てだまはキョトンとした表情だ。美奈は卓たちにしっかり向き直って続けた。
「こんな小さな子が寂しい想いをするなんていいわけがないのよ! お金なら大丈夫!これでも一応結構有名なアイドルなんだから!」
美奈は少々強引に笑顔を作って見せる。しかし、卓たちに美奈の感じる不安はハッキリと伝わってきた。
お金のことで心配ないというのは本当なのかもしれない。少なくとも、今の美奈は日本でのトップアイドルで、言うだけのお金くらいは稼いでいる。しかし、本当に問題視するのはそこではない。美奈はまだ16歳。一人でに小さな子を育てられる年でもない。学校だって、仕事だってある。現実的に考えればそんなことは不可能だ。
「でも、そんなの」
卓が口を開くも、すぐに美奈の言葉にそれを遮られる。
「無茶なこと言ってるっていうのは分かっているわ。でも、だからといってこの子を放っておくわけにもいかない!」
美奈の言葉に、卓たちはそれぞれで顔を見合わせ、肩をすくめた。しかし、討伐者組の表情は笑顔だった。
「分かった。でも、一つだけ約束してくれ」
「何?」
美奈が尋ねる。卓は真理と蓮華の顔を見て、彼女たちが頷くと、卓も頷いて再び美奈に向き直り、その後に座るてだまを見て、続けた。
「もし困ったことがあったら、ううん、少しでも手伝いが欲しいときは遠慮なく俺達に言うこと。絶対に一人で抱え込まないこと!」
一瞬、美奈は目を丸くして、それからすぐに申し訳なさそうな表情で口を開く。
「でも、それじゃ卓たちに迷惑を――」
「そういうのはナシ!」
美奈の言葉を遮ったのは真理だった。そして、美奈が言葉を止めると、真理は一歩前に出て、
「私たち、もう友達でしょ? そういう遠慮はいらないと思う。それに、私たちだって美奈に助けられたし、今度からはお互いに手を取って行こうよ」
真理の後ろで、蓮華と卓もうんうん、と頷いている。
「真理……」
美奈の瞳からじんわりと涙が込み上げてくる。しかし、流れる寸前で、それを堪えると、後ろに座るてだまを両手で起き上がらせ、自分の身体の前で抱いた。
「うん! 分かったわ! これからもいろいろよろしくね!」
満面の笑みを見せる美奈。それに対して、卓、真理、蓮華も満足そうな笑顔を見せて返す。そして、
「わちき、お腹すーいーたー」
美奈の顔の下からのんびりとしたてだまの声が聞こえてくる。
雰囲気を無視したてだまの声に、卓たちは一瞬ポカンとするも、すぐに高笑いした。
二日後、土曜日。『月下通行陣』による騒ぎから二日だ。昨日は金曜日だったが、さすがにあの騒ぎの後だ。会社も学校もあるはずもなく、中心街は完全に機能を失っていた。だが、今は『月下通行陣』の一件など無かったかのように普通に機能している。
当然、普通なら在り得ないことだ。しかし、あくまで『普通なら』という話で、その裏には『普通ではない』ことがある。
『月下通行陣』を卓たちが止めた後、討伐者日本総本部の榎本冬音を中心に、有能な討伐者多数で、贈与の石を使った『時空調整』により、中心街を始めとした、今回の件で破損した部分を直したのだ。いや、『直した』というのは語弊があるのかもしれない。厳密に言うなら、『時空調整』は壊れた物を『直す』のではない。時空を操ることで、壊れる以前の状態に『巻き戻す』のだ。これは物にしか使えず、命あるものは対象外になる。
そういった『討伐者側』の事情によって、普通ではありえない速度で、街の修復が行われたのだ。
しかし、そんな『討伐者側』の事情が今回の件で巻きこまれた一般人に知られてただで済むわけがない。普通の人間ではありえないそれだけのことを知ったら、それこそ、今回の件以上の騒ぎだって起きかねない。だが、実際は今一般人はそんなことに違和感を覚えず、普通に街を行きかっている。実を言えば、これも『討伐者側』の仕業なのだ。詳しくは分からないが、石の力を使って、この街の住民になんらかの『記憶操作』を行ったらしい。これは冬音が言ってるだけで、卓たちはその詳細を知らない。そして、街の外に対しては『生物研究技術の偶発的な暴走』という形で情報を流出させている。(これももちろん『討伐者側』が関係している)
今の鳴咲市は普通に快晴の下で、それこそ普通の街として存在している。あちこちから人々の雑踏や、車や公共交通機関の駆動音が鳴り響く。
そんな賑やかな鳴咲市にある、中心街から少し外れたところに位置するところに『鳴咲市中央総合病院』は存在する。
なぜ、中心街から少し外れているのかと言えば、中心街は多くの会社や、店などが立ち並び、それこそ公共交通機関もたくさんある。そんなことろで、緊急の時に救急車が走るにはどうしても制限がかかってしまう。そのため、少し人気の少ない(それでも周りにはいろいろな施設があり、過疎状態というわけではないが)場所に建設したのだ。
そんな『中央総合病院』の一室に討伐者である三浦小鉄はいた。いつもはその高校生のどこか幼い顔立ちとは裏腹にきっちりとしたスーツに身を包む彼だが、今はまるで寝巻のような材質の、薄緑の病人服に身を包み、ベッドに身を乗せている。
小鉄がいるのは入院患者用の部屋で、大きな窓から暖かな日差しが差し込む。しかも一人用の完全個室。ベッドは上体部分が、ボタンで電動式に角度四五度ほどまで持ちあがるもので、小鉄はそれを三〇度ほど持ち上げていた。
病人服からはみ出る胸元部分には三つほどの電極が貼られ、右腕には点滴が刺されていた。
そんな完全個室の病室のドアがガララと空いた。内と外に六〇センチほどの鉄製の取っ手が設置されていて、緑色のそのドアの中心にはクリアではない四方均等のガラスがはめられている。そんなドアが、キャスターによってスムーズに横に動く。
「お邪魔します」
そんな声と共に入ってきたのは卓だ。そしてその後から真理と蓮華も続いて入ってくる。
「わざわざ来てくれたんですか。ありがとうございます」
小鉄はベッドの上体部を起こしながら読んでいた小説をパタンと閉じると、けが人とは思えないほど爽やかな笑顔で出迎えた。
「怪我は大丈夫なんですか? あっこれお見舞いです」
そう言って卓は和菓子が入った箱をベッドの横にある小さめの台に乗せた。
「どうも」
小鉄は置かれた箱を一瞥し、そして続けた。
「怪我自体が完治するにはまだ少し時間がかかるみたいだけど、痛みは大分楽になりました」
「それならよかったです」
卓はそう言って、ベッドの横にある簡易チェアに腰掛けた。卓に続いて、真理と蓮華も同じような椅子に腰かける。
そして、真理は小鉄を見て口を開いた。
「一体何があったんですか?」
それは卓も蓮華も気になっていたことだ。特に、卓に至っては小鉄がどれだけ優秀な討伐者かは実際に手合わせしたからこそよく知っている。だからこそ、そんな彼がこんな重傷を負う理由が気になっていた。
小鉄ははあっと重い息を吐くと、苦笑いを浮かべ、口を開いた。
「まあ、この怪我自体は僕自身がやったことなんですけどね」
「「「??」」」
小鉄の言葉の意味を理解出来ずに、卓たちは首を傾げた。それもそうだろう。一体どんな状況なら自分でこんな大怪我をしなくてはならなくなるのか、普通の人に理解できるはずもない。もちろん3人は『回路の暴走』のことなど知らない。つまり、この反応は無理もない。
そのことは小鉄は重々承知だ。だからこそ、必要な情報だけを口にする。
「単刀直入に言えば、『頂』と接触しました」
その一言に、真理はピクと眉を動かす。卓と蓮華に至っては、先日、冬音の口からも出た聞き慣れない単語に疑問符を浮かべるしかない。
「青髪の男。特殊な武器を使ってきましたね。正直、僕では歯が立たないほどに強いです」
小鉄は淡々と告げる。しかし3人はギョッとした。3人にとって小鉄は『強い』という認識がある。その『強い』が歯が立たないと言うのだ。それがどれほどのものか、想像するだけで背筋に悪寒が走る。
「……あの、『頂』っていうのは?」
卓が出来るだけ表情を戻し、尋ねた。小鉄は一瞬キョトンとしたが、納得したような笑みを浮かべて続けた。
「『頂』というのは公式的に認められていない、『討伐者』同士で組まれた小規模組織の名称のことです。その目的、行動内容は明確には分かりませんが、大まかに言えば、『九鬼』の思想を尊重し、彼の目的のために無償で動く組織と言ったところでしょう」
「九鬼?」
今度は蓮華がポツリと呟いた。真理はまたもギョッとした表情を浮かべるも、卓と蓮華は初耳の名前が増えただけだ。それに気が付いた小鉄はまたも説明を付け足す。
「九鬼というのは、現在の世界中にいる討伐者の中で最も強い、つまり最強の討伐者の名前です。二つ名は『絶対強者』。しかし、彼は『討伐者』として、いいえ、人間としてとても危険な思想を持っているのですよ」
「と、言うと?」
卓の質問に、小鉄は息を吸って続けて口を動かす。
「具体的にはまだ分かりませんが、噂によれば『虚無界』との繋がりもあるとか。そしてこれも噂ですが、『世界移転計画』を推奨、そしてそれに力を貸しているとか」
「「「!!??」」」
卓たちは驚きを露わにする。それは小鉄の口から出た一つの単語のせいだ。『世界移転計画。この単語は3人も知っている。一カ月程前に激戦を繰り広げた『冥府の使者』の一人、『魂の傀儡子』の口から聞いたものだ。
詳しくは知らないが、どうやら、卓たちのいる『こちら側の世界』と『虚無界』を入れ替えるといった計画らしい。詳細が分からないと言っても、それが自分たちにとってマイナスにしかなり得ないことはよく分かっていた。だからこそ驚きを隠せない。
「どうしてそんなこと……」
蓮華の声は震えていた。
「それは分からないですね。しかし、『九鬼』が僕たちにとって脅威であることに間違いはないでしょう。そして、『頂』が本格的に動きだしたことはその脅威が動きだすことを示していると言っても過言ではありません。今回の一件、詳細は分かりかねますが、それにも『頂』が少なからず関わっていることは十分あり得ます。その目的までは分かりませんがね」
小鉄は軽い調子で肩をすくめる。それとは対照的に、3人はごくりと生唾を呑みこむ。
「すぐに『頂』と接触するということはないとは思いますが、一応、気を付けて下さいね」
小鉄はやはり怪我人とは思えないほど軽い笑顔を浮かべた。
鳴咲市西部にある山、その少し登ったところには神社がある。『椎名家』の所有するものだ。(とは言っても、今は美奈だけだが)
大きな鳥居の向こうには外見も普通の神社がある。だが、その裏には横にある玄関から入れる美奈の住む家がある。玄関は神社には似つかわしくない洋風のもので、複雑な構造のカギが3つも設置されている。
卓と真理、蓮華はそんな神社に似合わない玄関の前に立っていた。すると、
ガチャーン!
と、何かが激しく床に落ちる音が聞こえてきた。
そして、その数秒後、ドタドタと廊下を走る音が聞こえてきて、ガチャリと中から玄関のドアが勢いよく開いた。
「わちき、悪くないよー!!!」
茶髪のセミロングで、ピョーンと伸びるアホ毛をピコピコ揺らしながら、身長130センチが勢いよく外に飛び出した。
「うおっ!」
危うくぶつかりそうになる卓がすかさずそれを避けると、飛び出してきた少女はキキーッと足にブレーキをかけて振り返った。
「あー! にぃにだ!」
テケテケと小さな歩幅で、スキップのように少女は卓達の元まで戻ってくる。
この『ヤンチャ』という言葉を具現化させたような少女は『椎名てだま』。とある事情から美奈が育てている子だ。その正確な年齢は分かっていない。(見た目は小学生だが、妖霊に呑みこまれた時代が分からないため、正確な年齢が分からないのだ)
真理と蓮華がお互いに顔を見合わせ困惑し、卓が近寄ってきたてだまの頭を撫でていると、
「こらー! てだまぁあ!」
家の中から美奈の叫び声が聞こえてきた。そして、玄関から向って左側の一番手前の部屋から少し大き目のTシャツの上からエプロンを着た美奈が飛び出してきた。
「えっ……」
美奈はてだまが逃げた先の玄関に、卓と真理、蓮華いるのを確認すると、石像のようにピタリと動きを止めて硬直した。
同時に、卓たちも硬直した。それは勢いよく飛び出してきた美奈の姿に原因があった。
美奈はただのエプロン姿ではなく、頭から小麦粉を被っていた。綺麗な赤髪は白く染まっていて、顔もまるで京都の舞妓さんのように白い。
「ど、どうして……」
美奈は自分のとんでもない格好を見られた恥ずかしさから、顔を赤らめ(小麦粉でハッキリとは分からないが)、瞳を潤ませた。
「い、いや、ちょっと様子を見にって言うか……」
卓は卓で、どう反応したらいいかで戸惑っている。
何故、卓たちが美奈の家に訪ねたのかといえば、実際に美奈のことが気がかりだったからだ。単純に、てだまの世話が大変だろうから手伝いをということもあるのだが、先日の『月下通行陣』の一件で、妹の美奈、そして祖母を失った美奈の手伝いを少しでも出来たらいいなということもある。
ちなみに、妹の恵美については昨日、美奈から直接聞いていて、祖母については同じく昨日、美奈と卓たちが一緒にいるときに警察官からの連絡で知っていた。
「にぃに! 聞いてよー! わちき、お手伝いしようとしたんだよ? それなのに美奈お姉ちゃんが怒るのー」
卓に抱きついたような格好になっているてだまは見上げるようにそんなことを言う。それに対して、真理と蓮華は苦笑いを浮かべるも、美奈は、なっ!? と同様している。
「何言ってるのよ! てだまがホットケーキ食べたいっていうから作ってあげようとしたのに、小麦粉の入った袋を投げつけてきたんでしょうが!」
美奈が怒鳴ると、てだまはわざとらしく悲鳴をあげてさらにギュッと抱きつく。
「まあ、小さな子だし、そんなものだろ」
卓が宥めるように美奈に言うと、美奈は目を細めて、
「卓はてだまの味方するんだ」
などと、唇を尖らせて言う。
「い、いやそういうわけじゃないけど」
「もういいわよ!」
美奈はそっぽを向いて、今出てきた部屋の向いにある扉を開けてその中へと姿を消した。そして勢いよく扉を閉めると、中から声が聞こえてきた。
「とりあえず、今からお風呂入るから、私の部屋で待ってて」
その言葉に卓はほっと胸を撫で下ろす。とりあえずそこまで本気で怒っているわけではないようだ。
卓たちはてだまを先頭に、美奈の部屋にあがった。元は和室であるその部屋は床は畳で、洋風のデスクとベッドの辺りには絨毯が敷かれていて、正直、和室の原型は取り付けの襖くらいしか残っていない。
てだまはピョンと美奈のベッドに飛び乗り、蓮華と卓は絨毯の上に、真理はデスクの前に置かれたキャスター付きの椅子にそれぞれ陣取った。
それから3人はてだまの相手をしながら待つこと30分ほど。美奈の部屋の扉が開く。
「……さっきは取り乱してごめんなさい」
美奈は湯上りだからだろうか、照れからだろうか、どちらにせよ頬が赤くなっている。そして、同時にフワッとシャンプーのいい香りが一気に部屋に充満した。
「いや、気にしてないよ」
卓はにっこりほほ笑んだ。すると、美奈も少し表情を和らげる。
日本の首都である東京にそれはある。『討伐者総本部』。轟々(ごうごう)たる外観の建物で、敷地はざっと東京ドームの5倍ほどだろうか。
それだけの敷地に手入れの行き届いた鮮やかな緑の芝生。その合間には茶色のレンガで敷き詰められた歩道がある。噴水もいくらかあり、夜になればライトアップもされるのだろうか、噴水の水の中にいくつもの電球が設置されている。
そして、一番の存在感は、それだけの敷地の半分以上を占める荘厳な本部。見た目はアメリカの『ホワイトハウス』にも似たデザインで、白い。
そんな豪奢な建造物の一室に『総帥』はいた。
天井にはかなり大き目のシャンデリアが吊るされていて、その下には床一面に絨毯が敷かれ、高級感溢れる家具、漆が塗ってあるのか、シャンデリアの放つ光を反射する木製の机に、それとセットになっているだろう同じく木製で、肘掛付きの椅子に『総帥』は腰掛けていた。
見た目は普通の老人、いやある種の独特のオーラは放っているが、そういう面を除けば普通の老人だ。顎に長い髭を蓄え、それを大事そうに撫でながら椅子に座っている。
その正面には、『総帥』直属の秘書である榎本冬音の姿がある。『総帥』とは対照的に、キリッとした姿勢で、身体の前で両手を置き、礼儀正しく立っている。
まだ夏の残暑が残っているため、室内には弱冷房が稼働しているため、そこまで熱くないのか、冬音は黒いスーツに身を包んでいた。
その部屋は何故か、どこか重々しい沈黙で制圧されていて、天井に設置されたエアコンの駆動音だけが静かに響いていた。
冬音はすうっと軽く息を吸って、沈黙を破るように口を開く。
「総帥、今回の件があってもなお、『頂』を放置すると言うのですか?」
冬音の声には少し苛立ちに似たものが感じられる。しかし、当の『総帥』は無言で自慢の顎鬚を撫で続ける。
冬音は少しむっとした表情をすると、再び口を開く。
「単刀直入に申しましょう。もう『頂』は黙認出来る域をとうに超えています。つい先日、ドイツのフランクフルトで『聖者』に対して襲撃を謀る、及び、鳴咲市にて三浦小鉄を襲撃しています! 何故、討伐者同士でこのような争いが行われなくてはならないのですか!」
総帥は、ふむと息を吐き、重たい口をゆっくりと動かした。「
「冬音君、『頂』は我々討伐者にとって大きな戦力になるのだよ」
「どうしてそこまで『単なる強さ』にこだわるのです!? 『頂』はいくら強いと言っても、他の討伐者たちにとって脅威にしかなりえないでしょう!」
冬音が、珍しく感情的に吠える。しかし、総帥はそこまで驚くことなく、続けた。
「考えたことはあるかね? どうして一般社会とは無縁の『討伐者側』が、この総本部を含め、世界中にその大規模な施設を建設できているかを。そしてそれを維持出来ているか」
「……」
冬音は黙り込んだ。それは総帥の言葉の意味が分からないからではない。総帥の言葉の真意が分からないからだ。それがどう『頂』を黙認することに繋がるのか分からない。
「答えは簡単じゃよ。一般社会にも流通する組織、『政府』からの流金じゃ」
「!?」
冬音は表情を動かした。
『討伐者』という世界各国にある、言ってみれば世界規模の組織。その実態は異界である『虚無界』、そしてその住人である『魂玉』や『冥府の使者』の討伐。当然、そんな組織が一般社会、表舞台に上がることはない。そんな組織がこれだけ世界にあるということは、つまりそれだけの大金が絡んでくるということになる。そして、その大金を総帥は一般社会の大規模組織、『政府』から得ていると言う。まさかこんなところで、『表』と『裏』が繋がっているとは冬音も予想だにしない。『総帥』直属の秘書とは言え、この情報は初耳だった。
「しかし、我々は決して表には立たない、立ってはいけないとされている。つまり、『政府』側も秘密裏に維持費を我々『討伐者側』に流していることになる。そうなると、ある一定の金額を超えれば、当然、一般社会にも大きな支障を来す。そうなれば解決策は一つ、『一般社会に影響が出ない程度の金額の流出』だけとなるであろう? だが、それではいずれ『討伐者側』の維持費は途絶えてしまうのじゃよ」
「! まさかっ!」
総帥がそこまで言うと、冬音も何かに気が付いたのだろう。それを見た総帥は満足そうに頷く。しかし、冬音は逆に顔から血の気が引いた。
「そうじゃ、『討伐者側』の維持費を上げ、なおかつ、これからも継続的に受け取るには我々も『表』に立つ必要があるのじゃよ。 しかし、それには単純な『力』がいる。そのために『頂』を黙認、いや、それ以上に拡大を計画しているわけじゃ」
「馬鹿なっ! 総帥! それがどう意味かは分かっているのですか!?」
「当然じゃ」
総帥は即答した。
冬音はごくりと唾を呑んで、黙りこくった。
総帥が言う、『討伐者側』が『表』に立つということ。それは考えてみればとんでもないことなのだ。
というのも、『討伐者』が一般社会に浸透するには、二つ、『討伐者側』の日常に一般社会を引きずりこむか、『討伐者側』が一般社会に溶け込むか。しかし、これも考えてみれば分かることで、『冥府の使者』などという得体の知れない者たちと戦う組織が、一般社会に溶け込めるはずもない。自衛隊や海軍、陸軍とはわけが違う。そもそも戦う相手が、文字通り、世界が違うのだから。
ともなれば、残る道は一つ。『討伐者側』の日常に一般社会を引きずりこむ。少々どころか大いに強引な方法だが、これが一番効果が期待できるうえ、手っ取り早い。そうなれば、『討伐者側』は世間的に公表された組織になり、『国の安全を守るため』などという名目で、国費を今より多く、さらに無期限で支給されるだろう。
さて、ここで問題だ。『裏』の世界にある『討伐者側』が『表』の世界で認められるようになるのに一番の近道とはなんであろうか。
武力の行使。
その一言が、答えであると言って間違いないだろう。そもそも、こんなことが話し合いでどうにかなるなら、とっくにそうなっている。いや、話し合いで今の現状に持ってこれただけマシなのかもしれない。しかし、今のままではいずれ金が尽きる。そうなれば『討伐者』の維持は難しくなる。
なら、力づくで、『表』を制圧し、『裏』の色に染め上げるのが一番簡単であろう。それは何を意味するのか。
冬音の脳裏に浮かんだ単語は『戦争』。いや、もはや石の力を持った討伐者を相手にするなら『戦争』という言葉は成り立たないのかもしれない。それこそ、『一方的な侵略』になりかねない。
それだけのことを踏まえた上で、総帥はそれを実行しようと言ってるのだ。
「そのために『頂』を……」
「その通りじゃ。そうでもしないと『討伐者』の維持など成し遂げられないのじゃよ」
「あり得ません! そんなこと、許せるはずがないでしょう!」
冬音はバンッ! と木製の机を両手で叩く。しかし、それでも総帥は動じない。
「冬音君が許せなくとも、これは私の決めたことじゃ」
「ッ!!」
冬音の怒りは絶頂に達した。軽蔑の眼差しで総帥を睨みつけると、そのまま無言でその部屋を出て行った。
バンッ!
という扉を閉じた大きな音が冬音の怒りを表すように響いた。
冬音は総帥のいる部屋を出ると、ズカズカと長い廊下を歩く。
この廊下も、床には赤い絨毯が敷かれ、その下には大理石が、そして、天井には一定間隔でシャンデリアが吊るされている。
(まさかあんなことを考えていたなんて! 早急になんとかしなくてはっ!)
冬音は焦りから、次第に歩く速度が増して行く。
すると、スーツのポケットからバイブの振動が冬音の身体に伝わってきた。
冬音は足を止めて、ポケットからバイブの根源である、折りたたみ式の携帯電話を開く。ディスプレイにはいくつかの番号が一列に並ぶ。
「はい」
冬音は少し低いトーンで電話に出る。
『冬音さんですか?』
電話の向こうから聞こえる、爽やかだが、どこか新のある声。篠崎謙介だ。
「はい。どうかしましたか?」
『あの、冬音さんの方こそ何かありました?』
いつもよりトーンの低い声は謙介にも伝わっていた。どこか恐る恐るといった感じで尋ねると、冬音は重い息を吐く。
「ええ。いやーなことが。それより、そちらの用件は?」
『ああ、はい。その、ヨーロッパ支部の『先導者』を連れて、そちらに明日、向おうと思います』
「えっ? いや、しかし、まだ日本の空港は一部制限がかかっていて」
冬音の言葉を遮るように謙介は続けた。
「ですから、『先導者』の私有する飛行機で向います。まあ密入国にはなってしまいますが、状況が状況なので。一刻も早く総帥と話をしたいそうで」
謙介のその言葉は、冬音にとっても朗報だ。自分では意見することが出来ない総帥。しかし、ヨーロッパ支部のトップである彼女ならば、あるいは。
そう考えた冬音は迷わず答える。
「分かりました。では、密入国に関する情報操作はこちらで何とかしましょう。その話は私にとっても良い方向のものですから」
『??』
正直、断られるか、散々迷うなどという反応を見せると思っていた謙介は、意外すぎるほどにあっさりと快諾してくれた冬音に少々の疑問を感じるも、順調に話が進むことに悪いこともないので、深く首を突っ込まずに電話を切った。
鳴咲市中心街。高層ビルや、オフィスビル、さまざまな店舗が立ち並ぶ東京の新宿にも似た光景の街。
買い物客や、友達同士で遊びに来ている学生たちで賑わっているそんな街の一角にあるカフェ。比較的アットホームな雰囲気のカフェだが、値段もお手軽で、サイドメニューも豊富なことから、学生から、婦人まで幅広い年代層から人気のあるそのカフェに、ピンク色のセーラー服、ここ中心街にある私立光陵学園の制服に身を包む少女たちが二人、それぞれカフェラテとマキアート、そして、サンドウィッチやクッキーといった軽食を並べた席に座っていた。
マキアートとクッキーの並ぶ前には長い茶髪、先端がカールされていて、白い肌の少女が座っている。そして、向い側にはカフェラテとサンドウィッチを注文する、死んだ魚のような目の、金髪ショートヘアで、前髪をヘアゴムで止める少女がファッション雑誌を適当に捲りながら座る。
店内にはどこか心が落ち着くクラシック風の音楽が流れ、大きなショウウィンドウのような窓からはビルの隙間から差し込む太陽の光が店内を照らしている。
茶髪カールの少女の名前は白木雪穂、そして向いのやる気のなさフル全開の少女が潮波くずり。
彼女らは光陵学園の敷地内にある学生寮のルームメイトにして、中学時代からの付き合いだ。
くずりは雑誌に視線をやりながら、ズズッとカフェラテを口に含む。そして、雑誌をパタンと閉じ、外をぼんやり見ながら、ボソリと呟くように言う。
「全く、私たちまでこの街の修復作業を手伝わされるなんて参ったわよねー」
くずりのその言葉に雪穂は苦笑いを浮かべる。
「で、でも、それだけの被害に収まって良かったんじゃない……かな」
「そういう考え方もあるのかー。さすがは雪穂」
くずりはそう言ってまたカフェラテを一口飲む。雪穂も可愛らしい小皿に並べられたクッキーを一枚手に取って齧る。
「まあ、今回はこの程度で済んだけどー? 正直、これから面倒なことが起きる予感しかしないのよねー」
「『頂』……」
雪穂は不安そうな口調でそれだけを呟く。
「全く、あのおじいちゃんは何が目的なんだかー」
「くずりちゃんは恐くないのっ?」
「ん? どっちかと言えば面倒かなー。正直、『頂』と真っ向から戦う気なんてさらさらないし? 戦ったところである程度結果は見えてるでしょ。でも、『討伐者』である以上、そこそこ面倒なことは押しつけられるから鬱よねー」
「本当に戦わなくて済むのかな……」
雪穂はくずりにも聞こえないほど小さな声でぼそりと呟く。
くずりはそんな雪穂をサンドウィッチを頬張りながら首を傾げて見る。
鳴咲市の西にある美奈の家である神社。その裏にある美奈の実家の一室に、卓、真理、蓮華、美奈そしててだまの5人はいた。
和洋混同の美奈の部屋で、床に卓と蓮華、ベッドの上に美奈とてだま、そしてキャスター付きの椅子に真理がそれぞれ陣取っていた。
先ほどまでてだまは無邪気にはしゃぎ、4人がその相手をしていたが、今はてだまは美奈のベッドの上で、クーと寝息をたてながら横たわっている。そして、その横に座る美奈は優しい手つきでてだまの頭を撫でている。
「なあ、美奈……」
それまで、美奈のそんな様子を見ていた卓が少し気まずそうな感じで口を開く。
卓だけでなく、真理も蓮華も美奈のことを心配して、今ここにいるのだ。しかし、実際に当の本人にそれを言うのにはかなり気が引けた。
「ん~?」
美奈はてだまの頭を撫でながら返す。卓は真理と蓮華と一瞬だけ顔を見合せて、再び口を開く。
「あの、さ。……その、これからのことだけど」
「うん。卓たちが今日来てくれたのって、私を心配してくれたからだよね。知ってたよ」
美奈は卓たちの考えとは裏腹に満面の笑みを浮かべた。
「美奈ちゃん、」
蓮華はふいに美奈の名前を口にしていた。素直に感心していたのだ。突然家族を失ったのに、これだけの笑顔を作れる美奈の強さにだ。
「確かに、今回の一件で、恵美もおばあちゃんもいなくなっちゃったけど……大切な人を失ってショックが無いって言ったらウソになるし、今でも辛いよ?」
美奈のその言葉に、卓と真理、蓮華は胸を痛めた。しかし、かける言葉が見当たらない。どんな言葉をかけても、それが直接美奈を救うことにはならないということを分かっていた。それでも何か気のきいた言葉を言えればよかったのだが、そんなことを出来るほど3人とも器用ではない。
その代わり、また美奈が口を開いた。
「でもね? 今回の件で失ったものはとても大きいけど、それと同じように、かけがえのないものも手に入ったんだと思う」
美奈はそう言って、横で眠るてだまを見て、そして、真理、卓、蓮華をも見る。
「私は今度こそ、てだまを守るし、それに卓や真理、蓮華も」
どこか照れくさそうな美奈のその言葉は語尾になればなるほど小さくなる。しかし、静かなその部屋ではしっかりの聞こえ、だからこそ、卓と真理、蓮華は笑った。
「ちょっ! どうして笑うのよ!」
美奈は慌ててそんなことを口走る。すると、笑いながら真理が答えた。
「だって、美奈可愛いんだもん! でも、その通りだと思う。私たちにとっても美奈との出会いはかけがえのないものだし、守りたい人」
卓と蓮華も強く、何度も頷いた。
それを見て、美奈は感極まって、瞳を潤ませる。
アイドルになる前は、自分が『妖霊の巫女』という他の人とは違う、変わった力を持っていたせいで、苛められ、人並みの楽しい学校生活を送ることさえ許されない状況だった。正直、口にはしなかったものの、自分の持つこの力、苛めの原因を恨んでいないはずがなかった。何度も何度も、普通の人に生まれたかったと懇願した。無論、そんなことが叶うはずはないと分かっていた。けれど、願わずにはいられない。それだけ美奈は追いつめられていた。
しかし、今は違う。『妖霊の巫女』としての力を恨みなどしない。
アイドルになってから、いきなり苛めが無くなったかといえば、ノーである。アイドルになれば、それはそれでまた別の苦悩が待ち受けていた。
そんな最中、今回の件が動きだし、美奈はこの鳴咲市に戻ってきた。そして、美奈の通う高校で、雪穂という友達に出会い、さらには、卓、真理、蓮華という、今回一緒に戦ってくれたかけがえのない友達も出来て、ずっと美奈の心の支えだった実の妹、恵美を失ってしまったが、てだまという守りたいと思える存在が現れた。
ここ数日は、美奈にとって大きな変動が何度も訪れるものになったが、それは必ずしもマイナスになるとは限らない。
現に、美奈は今幸せを感じていた。こんな仲間が出来たこと。また守りたいものが出来たこと。人から見れば、家族を失った不幸な少女に見えるかもしれない。いや、事実そうなのだ。しかし、美奈自身は自分のことを不幸な少女などとは思わない。思えなかった。
今までに友達と呼べる存在がいなかったからこそ、本当の『友達』、『仲間』という言葉の意味を知っている。そんな彼女が心から、『友達』と思える人たちに出会えたのだ。それがどれほどの幸せか。
そんな今を『不幸』などと言えるはずがない。
「私、なんてお礼を言えば――」
「何もいらねーよ。俺たちは好きで美奈と一緒にいるんだぜ? だからこそ、そんなお礼なんていらねーんだよ」
卓はにっこりとほほ笑む。
「そうだよ。私も美奈ちゃんに会えてすごく良かった。そしてこれからも一緒にいたいな」
蓮華も柔らかい笑顔を美奈に向ける。
そして、真理も。
「美奈、もう私たちは友達。変な遠慮はナシよ?」
笑顔で言う。
もう美奈は瞳から流れる涙を堪えるのに必死だった。
別に堪えなくてもいい涙のはずだ。しかし、昔から、大切な人の前では涙を見せないようにしていた美奈はそれが癖のようになっていた。でも、そんな美奈でさえ、もう涙を堪えることは出来そうにもなかった。
「我慢もしなくていいんだ」
卓が放ったその一言。それを聞いた美奈がついに瞳から涙をこぼした。
「美奈の涙も全部、俺達は受け止めてやるからさ」
「……ッ!」
美奈はそれから、数分の間、声を上げて泣いた。
いろいろな感情が込み上げてくる。
妹の恵美を失ったショック、今まで苛められていながらも耐え抜いてきた涙、そして、こんなにも自分を受け入れてくれる仲間に出会えたこと。
喜び、悲しみ、悔しさ。いろんな感情が混じり合った涙だった。
美奈のその様子を、卓と真理、蓮華は温かい眼差しで見ている。
てだまは起きはしなかったものの、何度か寝言のような言葉をポツリと呟きながら、何度か寝返りをうった。
美奈は一通り泣くと、ティッシュで涙を拭いながら、そして思った。
(絶対にこの仲間たちを失うことだけはしない)
9月6日。ドイツ、フランクフルト国際空港。日本を始め、各国に直通の便をいくつも携える大規模な空港だ。とはいっても、今は日本着、日本発の便に制限がかけられているため、その分は少なくなってはいるが、それでもざっと見るだけでも飛行機の数はかなりある。
ターミナルは2つに分かれていて、その距離がけっこうあることから、ターミナルをつなぐモノレールがある。そのほかにも、車で移動可能な立体駐車場や、ターミナル間を行き来するためのエスカレーターなども完全装備といった空港。
そこそこ大きな空港ならどこにでもあるラウンジ。もちろん、このフランクフルト国際空港にも、それらはあり、ビジネスマン用の一般的なラウンジ、そして、さらに上の階級、こちらはそれぞれが完全個室になっているもので、プライバシーというものを尊重しているような感じのラウンジだ。ただ、どちらにも共通して、軽食がバイキング形式で並べられ、ドリンクバーも備えてある。(クラスによって、その内容に多少の違いはあるのだが)
そして、その完全個室型のラウンジに、二人の美女と一人の美男がいた。
3人にしてもかなり広めの個室で、茶色のシックな皮で出来たソファが二つ置かれ、その目の前にはこれまた程良い高さのガラス製のテーブルが置かれている。
テーブルにはラウンジのバイキングでとってきたスープやサンドウィッチ、ソーセージが豪勢に並べられていた。
そして、それらの豪勢な軽食に負けず劣らず、彼らもそれぞれ目立つような容姿。(いい意味で)
3人掛け用の大きなソファに一人で陣取っている細身で、ふわっと広がるピンクのロングヘアーの女性。薄手の純白のワンピースの上から、これまて薄いストールを肩からかけている。
彼女は討伐者ヨーロッパ支部のトップ、先導者こと、フィアルミ=ロレンツィティ。
フィアは平型の皿に乗っているソーセージをナイフとフォークで一口サイズに切り分け、口に頬張った。
そして、テーブルを挟んで、その向い側。こちらも3人掛け用のソファだ。そして、それに腰掛ける美男美女。
こちらはヨーロッパ支部弐〇騎士の二人、『聖者』の二つ名を持つ討伐者、篠崎謙介、そのパートナーであり、『鎖牢の女帝』の二つ名を持つ、和服美人という言葉が似合いそうな東条要。
「まさか、私有の飛行機をこんな普通の空港で飛ばすとは思いませんでしたよ」
謙介は苦笑いにも似た表情で、嬉しそうにソーセージを頬張るフィアにそれとなく声をかけた。すると、口に含んでいたソーセージをごくん、と飲みこんだあと、フィアが軽軽とした感じで返す。
「普段はここのプライベート倉庫に置かせてもらっているですよ。正直、飛行機なんて家にあっても、邪魔でしょう?」
「でも、よく飛行許可取れましたね」
今度は要がそんなことを呟く。
今は日本は『月下通行陣』の影響で、一部飛行機便が制限されているにも関わらす、これから3人はフィアの私物である飛行機でその日本に飛び立とうというのだ。そもそも、私有の飛行機がこんな大規模な国際空港を使えるわけもないし、それに一般の便ですら制限をかけている日本に向うなど在り得ないはずなのだが。
「どうやって、そんな無茶な要求を呑ませたか、ですか? 気になります?」
フィアは要の考えを完全に読みとり、そしてその上で幼さが残る顔で妖艶な笑みを見せてそんなことを言う。
「い、いえ。遠慮しておきます」
正直、要も謙介も知らなくていい、いや、知らない方が幸せなんだろうなと薄々は感じていた。
要のたじろぎぶりに満足したのか、フィアは妖艶から一変、無邪気な笑顔に変わり、頷いた。
「しかし、フィア様。今回の目的はそう簡単にはいかないのでは? 下手をすれば数週間日本に滞在することにも」
謙介がどこか不安げに口を開く。対してフィアは人差し指を唇に当てて、
「そうですねー。最近はあらかじめ予約しておかなければ『回転ずし』を食べることも困難と聞きますからね」
などと口走る。
ラウンジの個室に一瞬の沈黙が訪れ、そして謙介がほぼ無意識に口を開いた。
「は?」
「100円という格安なのに関わらず、とても美味な寿司を提供してくださる、『回転ずし』は素晴らしいものです」
「いやいやいや! それはついででしょ! 総帥との対談についてのことを言っているんだよ!」
フィアの態度に、つい謙介も『ヨーロッパのトップ』に対する言葉遣いも忘れ、怒鳴るように言った。
しかし、そんなことをフィアは気にも留めず、コロコロ笑いながら、
「冗談ですわよ。まあ『回転ずし』に行きたいという願望は本当ですけど」
と悪戯な笑みを浮かべた。そして、少しだけ表情を引き締めて、続けた。
「総帥との対談が穏便に済めば、それに越したことはないのですがね。しかし、私も実を言えば、総帥の考えをなんとなくではありますが知ってはいるのです。そのための『頂』ということ、『九鬼』であるということも」
フィアの意味ありげなその言葉に、謙介と要は互いに顔を見合わせる。
「しかし、知っているからこそ、ここで動かないわけにはいかないのですよ。当然、話し合いで納得するような相手ならとうに解決しているとは思いますが。それでも、偵察ということも兼ねて行く意味くらいはあるでしょう?」
謙介と要は無言で頷く。
そして、フィアはフッと顔から力を抜き、また元の軽い調子で、
「謙介の妹さんと、そのパートナー、ええっと名前は――」
「卓、城根卓です」
即座に謙介が答えると、フィアはそうそう、とポンと手を合わせ続ける。
「その卓さん。あの『魂の傀儡子』を倒したという新人にも是非会ってみたいものですからね。あなたたちが絶賛する討伐者ならそう思うのも仕方ないというものでしょう?」
そして、フィアはソーセージの横にあるカップを手に取って、それに注がれた紅茶を一口飲み、ポツリと呟くように言った。
「序章の終わりを告げる鐘が鳴り止まぬうちになんとかできればよいのですが」
「約束の蒼紅石」第15話いかがでしたでしょうか?
全7話になった「妖霊の巫女」編も終わり、次話から新章突入!となるわけですが、今回は「魂の傀儡子」編のようなきっぱりとした終わり方ではなく、次章に続く形となってしまったのは勘弁していただけるとありがたいです。
というわけで、短いですが今回はこの辺で。
次話でまたお会いしましょう!