これ、落としたよ
青い旗が風にはためいている。
ウーバの青い空、青い海と同じ色の青い旗――
私は、あの旗が大好きだった。
「あと一息だ! ハフナーの拠点を制圧すれば、ウーバ軍も降伏せざるを得ない!」
ベーゼ橋のたもとでは決起集会が行われ、50名ほどの同志とハフナーの街の人たちが大勢集まっていた。
「革命だなんて、そんな大それたことは思ってない」
中心にいたのはクレド。
「食べるもの、寝るところ……そして自由。誰もが当たり前に求めていいもの。ただ、それが欲しいだけなんだ」
その場にいる全員が、クレドの言葉に耳を傾けた。
「愛する人たちとの、そんな当たり前の幸せ――そのために戦おう」
クレドの言葉は、その場にいる人たちの士気を高めた。
私たちに名前はなかった。
クレドは、名前をつけなかったから。
だけど、旗があった。
希望と期待と自由の青い旗。
その旗を私はカイと見ていた。
愛するカイ。あなたの手のあたたかさを今でもずっと覚えてる。
誰もが、光に満ちた未来を信じていた。
鉄の匂いがした。
青い旗は真っ赤に染まっていた。
血で染められ、掲げられていた。
眉間を撃ち抜かれた仲間の遺体のそばに。
「これで4人目だ……ちくしょう! ウーバ軍の奴らめ!」
「ウーバ軍の奴らかな……? だってさ、この場所を知ってるのって……」
「まさか、俺たちの中に犯人がいるってのか……!?」
何かが狂い始めていた。
滴り落ちる赤い血は、疑念と共に大きく広がっていった。
黒煙が立ち込めていた。
青い旗が燃えている。
ハフナーの街が燃えている。
泣き叫び、逃げ惑う人々。
多くの人が大切なもの、愛する人を失い、街は悲しみと怒りで満ちた。
「お前たちのせいだ」
「お前たちさえ、いなければ……」
私たちに名前はなかった。
だけど、街の人たちは私たちを”テロリスト”と呼んだ。
雲ひとつない青空だった。
クレドは処刑された。
ハフナーの街の人が、ウーバ軍に情報を流した。
カイも、ともに戦った仲間も処刑された。
私とフロントだけが生き残った。
そこからのことは、あまり覚えていない。
ただ、これだけは覚えてる。
すべての元凶、アーチー・スミス。
奴の勝ち誇ったような憎らしい笑顔と胸元の紋章。
イューロット王家の紋章。
奴の本当の名前。
ショウ・イューロット――
許せない。何もかも許せない。
私は誓った。必ず報いを受けさせる。
***
ハフナーの繁華街から少し離れたところにある廃屋で、女は銃の手入れをしていた。
「奴は今、ハフナーに入った。時間通りだ」
伝令の男が言った。
「そう……」
手入れを終えて女が立ち上がった。
長い髪を後ろで束ねて、革ジャケットの下には他にも武器を隠し持っている。
とても車いすが必要とは思えない。
「必ず奴を殺す……!」
ヴィヴの瞳は復讐の炎を灯していた。
***
月がきれいな夜は、星もきれいだ。
牢屋の小窓から見えるカシオペヤ座をアーチーは、眺めていた。
遠くの波音がかすかに聞こえる。
夜は少し寒かった。
「寒いですね……床が冷たい」
アーチーは隣の牢の男に声をかけた。
「俺はこの冷たさが心地いいがな。なんだ、安心感というか……懐かしさというか……」
「牢屋の床にノスタルジーを感じる人がいるんですね」
アーチーは素直に驚いた。
「あぁ、ラーマン刑務所の地下は俺の故郷みたいなもんだからな」
隣の牢はダンだった。
「なんか嫌だな、それ」
アーチーは苦笑し、ダンも笑みを浮かべる。
和やかな雰囲気だった。
「……なぁ、犯人はお前じゃないだろ? 誰をかばってる?」
ダンは俯きながら話す。
アーチーは、ぽつりぽつりと話し出した。
「大切な人なんです……彼女はなんていうか……同志で……」
「愛しているんだな?」
「え、いや……同志として大切に想っているってことで……」
「愛しているんだな?」
「……はい、そうです。俺は何に代えても彼女を守りたい」
ダンは満足そうに頷いた。
「まだ、あの女を想っていたとはな」
少し高く、冷たい声が聞こえた。
牢屋の入り口にひとりの男が立っている。
ホワイトブロンドの輝く髪と美しい紺青の瞳、牢屋に似つかわしくない豪華で美しい装飾の服。
ショウ・イューロットがそこには立っていた。
「ヴィヴといったか……お前がそこまで執拗に執着するほどいい女か?」
「執着って……まぁ、俺の片想いだからそうなりますか」
2人は自然に会話を始めた。
ショウがアーチーの牢へ歩き出す。
「久しぶりだなフロント・アレイ」
「ご無沙汰しておりますアーチー・スミス……失礼、ショウ・イューロット殿下」
フロント・アレイとショウ・イューロットは牢の鉄格子を挟んで対峙した。
「今はラウンジで黒服をやっているそうだな?」
「はい、過去を捨て慎ましく生きております」
「どうしてその名前に?」
「あなたはもう使わないでしょう?」
ショウはフッと笑い、フロントも笑みを返した。
「懐かしいな……10年前になるのか」
「……そうですね」
笑顔こそあれ、過去を懐かしんでいる感じはない。
牢には張り詰めた空気が漂っている。
「なぜ、他人の為に自らの命を犠牲にする?」
ショウはフロントに問うた。
「愛する人とこの街が救えるなら、別に俺の命なんて……」
「くだらない」
ショウはフロントの答えを遮り、侮蔑の視線を送った。
「自己犠牲で成り立つヒロイズムなんて、傲慢でしかない。だいたい、この街の人間にどうしてそこまでしてやる? お前は奴らがクレド・アレイにした仕打ちを忘れたか?」
「お言葉ですが、陛下こそお忘れでは?」
フロントは笑みを崩さない。
「誰が、この街の人間にそうさせたのか」
ショウは、眉をひそめてフロントを見た。
「最終的な決断を下したのは私じゃない。いいか? 奴らが我が身可愛さにクレドを売ったのだ」
「街の人を責める気にはなれません」
美しい紺青の瞳は、よりいっそう冷ややかにフロントを見た。
「つまらん男だな。お前のそういうところが昔から気に入らない」
ショウは、牢屋の入り口へと歩き出した。
「刑の執行は明朝8時だ」
ショウはフロントに一瞥をくれ、迎賓館へと戻っていった。
フロントは軽く息を吐いた。
信じられないことに、隣の牢からいびきが聞こえてきた。
「この状況で……」
フロントはダンに感心した。
夜が深まっていく。
牢屋の小窓からただ星を眺めて、フロントは朝を待った。
***
ハフナーのメイン通りを北へ進んだ先にあるハフナー中央広場。
今日ここで併合記念式典が執り行われる。
が、今設置されているのは絞首台だ。
広場にはすでに、たくさんの人が詰めかけていた。
貴賓席にはショウの姿もある。
フロントとダンは絞首台に上がり、罪状が読み上げられていた。
定刻の8時になった。
フロントとダンの首に縄がかけられる。
執行人の手が、床板を落下させるレバーに触れた。
フロントは目を閉じた――その時
「待て」
ショウの言葉に執行人の手はレバーから離れた。
「おろせ」
処刑が急に中止され、広場はざわついている。
処刑台からおろされたフロントは訳が分からず動揺し、不安げな顔でショウを見た。
ショウは冷徹な笑みを浮かべ立ち上がった。
「昨晩、私は襲撃された」
ショウの言葉に悲鳴のような声も聞こえ、広場は騒然としている。
「御覧の通り私は無事なのだが、その襲撃犯こそが今回の一連の事件の犯人と私は考える」
フロントの前に、ムシロで覆われた何かが運ばれてきた。
フロントは何かをじっと見ている。
「襲撃犯……もとい犯人は、憲兵たちにその場で射殺された。よってこの事件は終了とする」
粛清を免れ、広場に集まった人たちは安堵した。
すると、誰かが万歳を唱え始めた。
『万歳! ショウ様万歳!』
『併合記念日万歳!』
『イューロピア帝国万歳!』
広場に万歳が湧き起こる。
ショウはすっと左手を上げ、それを鎮めた。
「犯人についてだが……10年前、この国でテロを起こしたテロリストたちの残党であることがわかった」
フロントは縛られている手を何かへと伸ばす。
「テロリストたちは全滅した。この国には真に平和が訪れたのだ」
震える手で、覆うムシロを外した。
「ヴィ……ヴ……?」
そこには青白い顔のヴィヴがいた。
「――さぁ、みなでウーバの併合記念日を祝おう」
ショウの言葉に、再び万歳が湧き起こった。
『万歳! ショウ様万歳!』
『併合記念日万歳!』
『イューロピア帝国万歳!』
その歓声がフロントの泣き叫ぶ声をかき消した。
半狂乱のフロントの様子をショウだけが見ている。
悦に入った表情で――
フロントとダンの縄は解かれた。
***
中央広場では併合記念式典が始まった。
ハープの音色が響く。
肌に青いペイントを施した美しい踊り子たちが舞を披露している。
イューロピアの起源を表現しているこの幻想的な舞に、広場にいる人たちは見入っていた。
10年前と同じ、雲ひとつない青空だった。
イューロピアの国旗とウーバの国旗が並べて掲げられている。
10回目の併合記念日を皆が祝福していた――
「これ、落としたよ」
式典の様子を離れて見ていたフロントにノオは落とし物を渡した。
「ありがとうございます」
落とし物を受け取ったフロントの目は腫れ上がっていた。
「まったく酷い目にあった……人が食べていいモノじゃないですよ。思わず絶叫してしまいました」
フロントはそう言って、ハバネロをポケットにしまった。
「辛いモノ苦手だもんね」
「……そんなことも知ってるんですか」
ノオの発言に、フロントはもう驚かない。
「とりあえず、戻りましょう。みんな待ってる」
2人は夜半の凱旋へと向かい歩き出した。
なにが事実か。どこからが虚構か。
では、真実を遡るとしよう。




