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はじめまして、ノオ

 


 その日の朝は静寂を切り裂く、けたたましい警笛から始まった。


 パトロール中だった憲兵が、メイン通り近くの路地でそれらを発見した。

 眉間を撃ち抜かれている遺体と、イューロピア帝国の国旗。

 国旗は赤い液体で染められ、遺体の傍に吊るされていた。


 大勢の憲兵が現場に駆けつけ、様子をうかがおうと街の人たちが群がっている。

 辺りは、騒然としていた。


「これは……まずいことになったぞ……」


 群衆の1人が言う。


「急いでアーチーに知らせろ」


 ウーバを含む、周辺諸国では、電話の普及が進んでいない。

 官庁や憲兵隊屯所などの主だった施設と金持ちだけが所有しているシロモノだった。

 その為、緊急を要するときは走るしかない。


「承知しました!」


 使者が夜半の凱旋に向かって走り出す。


 ぽたり、ぽたりと滴る赤い液体が地面に染みを作っていた。

 併合記念日を明日に控える朝のことであった。


 

 ***



 夜半の凱旋は匂いだけで酔いそうなほどの酒臭さだった。

 フロアは空き瓶だらけで踏み場がない。

 昨晩の親睦会は、おおいに盛り上がったことだろう。

 アーチーたちは、そのままソファで眠っていた。


 ダンと先輩のいびき2つと、1つの足音が聞こえる。

 足音は空き瓶を避けながらゆっくりと歩き、アーチーの前で止まった。


「……フロ……ン……ト」


 足音の主は、消え入りそうな声でそう呟いた。

 ゆっくりとアーチーに向かって手が伸びる。

 あと数センチで触れるその時――


「誰だ」


 伸びてくる手を掴み、アーチーは飛び起きた。

 店内は薄暗かったが、窓から差し込む光がその人物を暴いた。

 女だった。女は、いきなり手を掴まれ驚いている。

 サイズの合っていないヴィンテージというにはボロがすぎる廃棄間際のデニムジャケットの下には、仕立てのよさそうな服を着ている。

 ホワイトブロンドの長い輝く髪、美しい紺青の瞳……には、なぜか涙があった。


「え……?」


 アーチーも驚いている。

 2人の間に、ほんのわずかな時間が流れた。


「ふあぁぁ〜、あら? ノオ〜! 来てたの?」


 近くで寝ていたクインが、物音に気づき目を覚ました。

 ノオと呼ばれた女はアーチーの手を振り払い、クインに気づかれないよう涙を拭った。


「酒くさい」


 近寄ってくるクインを言葉で制する。


「そんなに臭うかしら? っていうか、あんたが遅かったからみんなで夜通し飲んでたのよ? おかげですっかり仲良くなっちゃった!」


 ノオに拒否されたクインは、アーチーの肩に腕を回す。


「ねぇ、アーチー」

「えぇ、クイン」


 アーチーも肩を組み返した。

 親睦は深まったようだ。


「アーチー……?」


 ノオは怪訝そうな顔をした。


「アーチー・スミスです」


 アーチーは笑顔で返した。


「はじめまして、ノオ」


「……」


 返されたのは笑顔ではなかった。

 ノオは、ただ真っ直ぐにアーチーを見ている。


「ノオ? どうかした?」


 クインが尋ねたその時、入口の扉が勢いよく開いた。


「アーチー!」


 使者の男が、息も切れ切れ店に飛び込んできた。


「大変だ! すぐ来てくれ!」


 使者の声に、店で寝ていた全員が起こされた。


「なんだよ朝っぱらから騒々しい……」


 目が半分も開いてない先輩にアーチーは声をかける。


「先輩、急いで支度してください」


「コーヒー飲む時間は?」


「ありません」


 アーチーたちは現場に急いだ。



 *** 



 メイン通り近くの路地では憲兵たちが現場検証を行なっていた。

 アーチーたちが到着した頃には、路地の入り口に規制線が張られ、人だかりと騒々しさが増していた。

 遠巻きにしか状況を確認できなかったが、壁にもたれ座ったまま死んでいる男と、その頭上に吊るされている赤く染まったイューロピアの国旗は見ることができた。


「確かにこれは大変だ……あの赤い液体は血か? あんなことしちまったらイューロピアの不興を買うどころの騒ぎじゃないぜ……なぁ?」


 アーチーに反応はなかった。


「アーチー?」


 アーチーは呆然と立ち尽くしていた。

 その表情からは驚きと動揺が見える。

 アーチーはこの光景を見たことがあった。

 10年前に――。


「殺しだそうだ、アーチー」


 そう話しかけてきたのはアーチーを呼んだ人物だった。

 その人物に促され、アーチーたちは現場から少し離れた人気のない路地へと移動した。


「……殺されたのはエブソン商会の会長ですね? 市長」


「あぁ……方々から恨みを買ってた男だ。容疑者はこの街にいくらでもいるだろう」


 市長は殺害現場の方を見やった。


「だが……あの殺され方……眉間に1発……赤く染められた旗……あれは……!」

「いずれにせよ」


 市長が何か言いかけたのをアーチーは遮り、路地の奥に目をやる。

 人の姿はないように見える。


「国家叛逆罪は、免れないでしょう」


「あぁ、当然そうだ……」


 市長はひどく、顔色が悪い。


「とにかく時間がない。言うまでもないが、今年の併合記念日は特別だ。明日の式典は()()()にご臨席賜るんだ。それまでになんとしてでも事態をおさめたい……わかるな? アーチー」


「承知しました」


「……頼んだ」


 そう言って市長は足早に去って行った。


 はぁ〜と、ため息をはいて先輩は頭をかいた。


「あの人は厄介な依頼しか持ってこない。特別料金に上乗せして請求しようぜ」


「えぇ、搾れるだけ搾り取りましょう」


「市長、破産しちゃうんじゃない?」


 いつの間にか来ていたクインに驚いたのは先輩だけだった。


「盗み聞きですか? いいご趣味をお持ちで」


「たまたまそうなったってだけよ。ねぇ、そんなことよりアーチー! 犯人捜し手伝うわ!」


 クインの唐突な申し出にはアーチも少し驚いた。


「……いきなりですね」


「だって、併合記念日まで時間もないし、人手は多い方がいいでしょ? イューロピアに()()()喧嘩の売り方しちゃったんですもの。早く犯人見つけないと……」


「粛清が始まるな」


 いつの間にか来ていたオージが言った。


「だが、俺らには関係ないだろ? お節介野郎。むしろ巻き込まれる前に街を出るぞ」


「関係ないわよ……でも、ほっとけないわ! イューロピアの横暴さはあんたもよく知ってるでしょう? 見て見ぬふりなんてできないじゃない!」


 クインは、人情に厚いタイプのようだ。

 オージは面倒くさそうな顔をしている。


「ねぇ、ノオ! いいわよね!?」


 ノオとダンもいつの間にか来ていた。


「私はかまわないよ」


 ノオはそう言うと、アーチーの方を見た。

 アーチーは、軽く息を吸った。


「せっかくのお申し出ですが、お気持ちだけ頂戴します」


 丁寧な笑顔でアーチーは答えた。


「……どうして」


「どうして……そうですね、クイン。そもそも私たちが捜すのは犯人ではありません」


 朝の日差しがだんだんと強くなって、路地に差し込む。

 影に立つアーチーたちの表情は見えにくくなった。


「私たちが捜すのは”犯人役”です」


 クインはアーチーの言った意味を理解するのに時間がかかった。


「犯人……役……?」


「えぇ、考えてみてください。市長が望むのは、併合記念日までに事態をおさめること。そして横暴なイューロピアが望むのは、犯人――でしょうか?」


「見せしめだね」


 淡々と答えるノオにアーチーはうなずく。


「そう、犯人を見つける必要はないのですよ」


「それじゃあ、何? 犯人を仕立て上げるってこと……!?」


 ようやく理解できたクインが問う。


「はい、ですからお気持ちだけ頂戴しますと申し上げました。まぁ、もっとも……その()()を買っていただけるっていうことでしたら大歓迎ですが」


 冗談めかして答えるアーチー。


「正気なの!?  反逆罪は極刑よ!? 無実の人間に罪を被せて殺すってこと!?」


 光と影のコントラストが強くなっていく。

 影に立つアーチーたちの表情は見えなくなった。


「そうですが……そんなに驚くことですか?」


 冷淡な声がとどく。


「1人の犠牲で街が救えるのです。当然の選択では?」


 クイン達は、黙り込んだ。

 路地には少しの間、沈黙が流れた。


「言ったろ? ”ろくな奴じゃない”って」


 オージはクインの肩を叩く。


「行くぞ」


 そう言って、路地を後にする。


「……そうね」


 クインもそれに続く。

 ノオとダンは、とどまっていた。


「行くわよ! ノオ、ダン!」


 ノオは動かず、表情の見えないアーチーの方をじっと見ている。


「出直そう」


 ダンは小さく声をかけた。


「……」


 ノオはそれに従い、2人も路地を後にした。



 異国人4人が完全に見えなくなると、先輩はアーチーの背中を優しく叩いた。


「お前は本当に、アーチーだな」


「どういう意味です?」


「不器用が過ぎる」


 ニヤつく先輩にアーチーは眉をひそめた。


「けど、良かったのか? あいつらのこと何もわかってないのに」


「えぇ……状況が変わった今、周りをうろつかれると面倒です。まぁ、引き続き見張りはつけてますが……」


 引き続き――アーチーはいつから異国人たちに見張りをつけていたのだろうか。


「何者なんだろうな」


「さぁ……?」


 アーチーはノオとのことを思い返していた。

 ノオは、ソファで眠っていたアーチーを「フロント」と確かにそう呼んだ。


 フロント。フロント・アレイ。

 この街の人間なら誰もが知っている名前。

 この街の人間から消し去られた名前。

 10年前、アーチーが自ら殺した名前。


 そんな名前をノオは呼んだ。

 紺青の美しい瞳に涙を浮かべながら。


「アーチー?」


 先輩の声でアーチーは我にかえった。


「すみません……一旦、店に戻りましょう」


「了解」


 アーチーと先輩は夜半の凱旋へ向かった。




 



 

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