パチャダオライスを知っているか?
太陽が西に沈みかかる頃には、ハフナーの歓楽街が酒と食べ物と香水の匂いで満ちていく。
いつもなら。
いつからか、だれが言い出したのか、併合記念日の前々夜あたりからは厳かに過ごす、というのが習慣になった。
大切な人たちと平和に過ごせる喜びをイューロピアに感謝して――
ラウンジ夜半の凱旋は、少々わかりにくい場所にあった。
訪れる客の大抵は誰かの紹介だ。
美しい女性キャストとの会話とおいしいお酒が楽しめる。価格も基本良心的。
今夜も厳かに営業中だ。
「ただいま戻りました」
アーチーは黒いスーツに着替え、フロアに出てきた。
夜半の凱旋は、洗練された上品さのある店だった。
インテリアや店内のBGMなんかにも、こだわりが見える。
”場末のラウンジ”感はあまりない。
店内には1組の客がいた。
「おう、妙な連中が来てるぜ」
先輩が1組の客を指さして言った。
「妙……?」
アーチーは1組の客の方を見た。
客は3人組の異国人だった。
僧侶のような出で立ちの男、喋り方がそうな男、囚人服の男。
オージ、クイン、ダンだ。
「パチャダオライスを知っているか?」
ダンが妙な発言をした。
オージとクインは、また始まったという顔をしている。
「パ……? どういう意味~?」
キャストの女の子の反応は当然だろう。
「そのままの意味だ。パチャダオライスを探している」
店には妙な空気が流れた。
「その、パチョ……ライスは何? 食べ物なわけ?」
違う女の子が会話を続けた。
「そう……パチャダオライスは老若男女に世界中から愛されている食べ物だ」
ダンは両手を顎の下で組んで話し始めた。 妙に深刻な表情をしている。
「あの黄金色に輝く濃厚な色合い、食欲を刺激する香り、コクと深みのある味わい、手が止まらなくなる美味しさ……まさに至高の一品!」
ダンの話す見たことも聞いたこともない食べ物パチャダオライスに、店にいた全員が興味をそそられ始めていた。
「あの味を知らないなんて、人生だいぶ損してるぜ」
そこへトドメの一言を放った。
「えー! なにそれ食べてみた~い!」
「確かに……すごく気になる!」
店の中が妙な盛り上がりを見せていた。
ダンの話はまだ続く。
「あぁ、俺も食べたい……だがな――」
深刻さが更に増した表情をしている。
「ないんだ……ないんだよ……どこを探しても誰に聞いても、ない、知らない……」
ダンは興奮気味に続ける。
「おかしいだろ!? あのパチャダオライスだぞ!? ありえない……なのに、みんな知らないって言うんだ! まるで最初から存在していないかのように言うんだ!」
ダンは興奮していた。
「おかしい! みんなおかしい! この世界はおかしいんだ! 食べたい! パチャダオライスが食べたい!」
「はいはい、そうね~ほら、水飲みなさい」
見かねたクインが水を差しだし、オージはため息をついた。
豹変したダンの狂気じみた言動に女の子たちは席を立った。
アーチーはネクタイをただし、3人組の席に向かった。
「では当店――夜半の凱旋に、ご依頼なされませんか?」
アーチーの提案に店中が注目する。
「夜半の凱旋って……この店のことよね?」
ダンをなだめながらクインが聞く。
「はい。私どもは、ラウンジ経営の傍ら小遣い稼ぎ程度に面倒ごとを請け負っているのです」
アーチーは渾身の営業スマイルを見せた。
「へぇ~、例えばどんなことをするの?」
「どんなことでもです。まぁ、その……お客様次第、にはなりますが」
「客次第?」
「えぇ、例えば……」
そう言って、アーチーは歩き出す。
「今回の件、お聞きする限り少々難しい事案とお見受けします……なんせ、ご存じなのはあなただけだ」
ソファに座るダンの後ろに立ち――
「ラジュワルドの囚人である、あなただけ」
首にある刻印を確かめるように見る。
刻印は、ダンがラジュワルドの囚人である証だ。
その場の空気が一瞬にして張り詰めた。
「まじかよ……」
先輩はカウンター裏に隠してある、銃の位置を確認する。
近くにいた事情をわかっていない女の子が、先輩に尋ねた。
「ねぇ……ラジュワルドの囚人ってなに? そんなにやばいやつなの?」
「まあな……」
先輩の表情から、珍しく緊張がうかがえる。
「ラーマン刑務所の地下には、全面青い石で作られた特別な房があってな。そこに収監されてる特別凶悪な罪人――それがラジュワルドの囚人だ」
そう言って、ちらりとダンの方を見た。
「おまけに特別過酷な獄中生活のせいで囚人たちは、みんな正気を失ってるとか……」
先輩の説明が聞こえたのか、ダンは静かに立ち上がった。
そして、アーチーの方へ向き直った。
アーチーは190を超える長身であったが、ダンはそれよりも高かった。
「それは……俺が正気じゃない、と言いたいのか……?」
ダンは静かに問うた。
「いえいえ、そうではありません」
アーチーは訂正し、ダンに着席を促した。
「私が申しあげたいのは、難しい案件なのでお値段も少々高くなる……ということでして」
どこからともなく飲食メニューとは別のメニューブックを取り出すと、ダンに提示した。
「こちら、特別プランのご案内です」
ダンとクインはメニューブックに目を通した。
メニューブックに書かれていたプランは1つのみ。
”夜半の凱旋コース”
お値段のほうは……
「高っ!? ぼったくりどころじゃないわ!」
クインが叫んだ。
「まさか、適正価格です」
アーチーはそう言い切ると
「小遣い稼ぎ程度とは申しましたが、この手の界隈で当店の右に出る者はいない――と自負しております。」
パフォーマンス感強めの、ボウ・アンド・スクレープを披露する。
そしてお辞儀を終えると、ダンの瞳をまっすぐ見た。
「あなたが正気じゃないのか、あなた以外が正気じゃないのか、みんな正気じゃないのか……お値段に見合った成果はお約束しましょう」
アーチーは渾身の営業スマイルを見せた。
「ご依頼なさいますか? お客様次第です」
先立つものは金である。
「金を貸してくれ」
ダンに迷いはなかった。
「待て脳筋」
オージが制止する。
「どう考えても怪しいだろ。見ろこの笑顔! 胡散臭い!」
オージはアーチーの渾身の営業スマイルを指さした。
「いいか? こういうよくしゃべる見てくれのいい男は、ろくな奴じゃないんだ!」
個人の意見です。
それはそうと、今更ながらではあるがアーチーの見てくれはいい方である。
黒髪の長髪、褐色の肌、琥珀色の瞳……端正な顔立ちといえる。
「何が目的だ……? こいつが馬鹿なのをいいことに、カモろうとしてるのか?」
そう言ってアーチーに詰め寄った。
ダンは少しムっとしているが、オージに悪気はない。
「はは、まさか」
アーチーは両手を挙げて他意がないことを示した。
「高貴な方のお連れ様に、そのようなことは致しませんよ」
オージの眉がピクリと動いた。
「なに……?」
アーチーは両手を挙げたまま、スマイルを崩さない。
「ふぅ~ん」
成り行きを見守っていたクインがアーチーに尋ねた。
「ねぇ、あなたお名前は?」
「アーチー・スミスです」
「アーチーね! あたしはクイン、こっちはオージで、そっちはダンよ」
クインは簡単に紹介を済ませ、店内を見渡した。
「ねえアーチー、併合記念日が近いから客はあたし達だけよね?」
そして、慣れた手つきで水割りを2杯作り
「返事は一旦保留にして、一緒に飲みましょうよ」
「おい……」
「いいでしょ? どうせここでノオを待たなきゃいけないんだし」
オージとアーチーに渡した。
「それに……あたし達、知り合う必要があるんじゃないかしら? アーチー」
「……そうですね、クイン」
探り合うような微笑みを交わした。
夜半の凱旋で妙な親睦会が始まろうとしている。
メイン通り近くでは事件が起ころうとしている。
併合記念日を2日後に控えたハフナーの夜は、ふけていく。




