007 メルル語のやつ
メルルの冷静な言葉にリベリオスも頷く。
あのプロポーズは、パフォーマンス。
そう頷かれることで、メルルの胸はちくりと痛んだ。
(……バカね)
バカと結婚したいと思っていたはずが、バカは結局自分だったようだ。
リベリオスが本当にメルルに夢中で、同じ夜会に出席したこの機会を逃すまいとプロポーズをしてきた……なんて奇跡みたいなシナリオ、あるはずもなかった。
それでもほんの少しだけ、心の隅で夢を見てしまっていたと、胸の痛みが教えてくる。
――これは、偽装婚約だ。きっと必要な仕事が終われば破棄される。
結局メルルは『壁の草』だ。リベリオスはその草の『効用』に目をつけた。
それだけだ。
ただ、最推しに……しかも今は、生きた人間として目の前にいる彼に頼られることが、その痛みの何倍も、何万倍も嬉しい。
自分は間違っていなかったと、誇らしさすら感じる。
胸に手をあてて微笑んだメルルがそっと口を開く。
「分かりました。そのお話、お受け……」
「いや、少し待ってくれ」
「はい?」
リベリオスはソファから立ち上がり、メルルのすぐ横に移動した。
流れるように膝をついてメルルを見上げ、再度乞うように左手をそっと差し出す。
(ぎえ……!)
『かえる潰れた!? ……なんだメルルか』
やくしおのスチルでだって、こんなシーンは何度もなかった。
しかも、跪かれるのは本日二回目。過剰なファンサである。
メルルの心臓がぎゅうと締めあげられ、自然に顔に血が上る。
「改めて乞おう。――貴女が欲しい、どうか私のものになってくれないだろうか?」
どっ、と耳の中で何か大きな音がした。
遅れてそれが心臓の音だと分かる。速い拍動が、メルルの内から背を叩く。
今度は切実そうに、懇願するように彼はメルルを見つめている。
もちろん話を聞いたうえで、今後の人生のためにも、推しのためにも、国のためにも受けるつもりだった。だがそんな余計な思考が全て吹き飛ぶ。
黄金の瞳はただメルルだけを映して、わずかに拒絶を恐れて揺れる。
その揺らめきがろうそくの火のように見えて、メルルは息をするのも忘れて見入ってしまった。
『メルル、息! 息してーー!!』
(はっ……!)
ファリーダに言われて呼吸という存在を思い出したメルルは、真っ赤な顔のまま胸に手をあて、心臓の存在を確認しながら(爆発したかと思ったのだ)、彼の左手に右手をのせた。
「……はい。このお話、喜んでお受けします」
「……! ありがとう、ピクシリア伯爵令嬢。君を、必ず大事にする」
リベリオスの引き結ばれた唇がわずかに綻ぶ。
夏の先駆けに硬く閉じた薔薇の蕾がほんのりと解ける、そんな見つめていたくなる美しさがあった。
(ぎぇえ……か、勘弁勘弁勘弁~! いやありがとうございます、一生この思い出で生きていけます、ありがとうございます、ありがとうございます! ……リベリオスかっこよ~……! 微笑み美~!)
『メルル? メルル、今のどこの言葉? それに早口すぎてファルわかんないよ!? もっかい言って!』
(今のはオタクの独り言だから聞こえてなくて大丈夫だよファルちゃんむしろ忘れて欲しいな)
『わかんないけどわかった! たまにやってるメルル語のやつね!』
(……うん、そうだよファルちゃん)
ファリーダの声に現実に引き戻されながらも、そろそろ手を引いた方がいいだろうか……とメルルが僅かに手を引こうとしたが、彼の左手は彼女の手を優しく包む。
そのまま、綻んだ唇がそっと甲に当たった。
今度は世界の音が、空気の流れが、なにもかもが一瞬止まった。
現実時間にして一秒、メルルの認識でははるかに長い時間を置いて、今度は全身がゆで上がったように熱くなる。
「あ、あ、あの、閣下? これは……あの、契約、ですよね?」
偽装、と言ってしまうのも憚られて、契約、と尋ねたメルルに、彼は右手を緩く握ったまま微笑んだ顔を向ける。
「だが、婚約の形ならばこれが正しい契約の作法だ」
「そ、それは、そうなんですが……っ!」
(仕事のための偽装婚約なのに!? ご褒美すぎません!? ファンサが手厚い! 最高! 生きててよかった! これが私のお給料!)
『……んー……?』
メルルが内心で歓喜の叫びをあげている横で、ファリーダが彼女とリベリオスを見比べ、首をひねった。メルルは一切気付く余裕もなかったので、ファリーダもそれ以上は何も言わず口を噤む。
「話はまとまったかな?」
そこに、コンコンというノックの音と同時、軽やかな声が響く。
部屋の入口を見れば、現国王レイラードと王妃ロゼリアが並んで立っていた。
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