032 導師メルル
「秘かに愛し合う二人の間に割って入る政略結婚の相手、というシチュエーション……そんなに簡単に捨ててしまって、よろしいのですか?」
「……! ……もう少し、詳しく話してくださる?」
かかった。メルルの目が鋭く光る。
ここで声を大きくして熱量をいきなりあげてはいけない。
努めて熱量を抑え、寝る前に本を読むように、ロゼリアの耳に美味しいシチュエーションを届ける。
「もちろんですわ。いいですか、王妃様。今のシチュエーションは大変『美味しゅう』ございます。この情勢では、放っておけば陛下とリベリオス様はいくらでも執務室にお二人で籠る事ができます」
「そうね……レイが落とした書類をリベリオスが拾おうとして触れる指先や、徹夜続きでうっかりレイの前で居眠りしてしまうリベリオスの寝顔、それを起こしもせずに嬉しそうに眺め続けるレイ、という状況がいくらでも続くでしょうね。最高だわ」
ロゼリアの口から今どんな妄想が彼女にとって美味しいのかが語られる。
メルルもまた、寝落ちリベリオス眺めるシチュ最高じゃん私もやりたい、と内心で悶えた。ファリーダは狸寝入りを続けている。
「私がいなければ、たしかにあと数年はそのシチュエーションを擦り続けられると思います。箱の中に猫がいるかいないか、開いてみるまでは確定しない……執務室の扉を開くまでは、シュレディンガーの王と宰相が、いくらでも」
なお、この世界でもこの猫の話はシュレディンガーさんが提唱したことになっている。乙女ゲーム世界だからか、ゲームシナリオに関しない部分は前世で見知った要素がちりばめられているのだ。
「そうよ! あと数年くらいリベリオスは独身でも良いじゃない、リベリオスだってそのうち結婚することは私も分かっているけど、あと数年くらい!」
「お気持ち、よく分かります。公式カプが出てきたら、腐も夢もやや憚るところがありますものね」
「フモユメモ?」
「なんでもございません」
メルルは淑やかに目を伏せて一拍置き、すっと目を開いてロゼリアに視線を向けた。
その草色の瞳には、魔力の輝きはなくとも理知の輝きが宿っている。
「ですが。……あと数年同じシチュエーションを擦り続けるより、関係のスパイスがあった方がより芳醇な味わいがすると思いませんか?」
「はっ……!」
『ごはんの話?』
(ううん、メルル語の話だよ)
『ご飯の時間になったら呼んでね』
(分かった)
単語につられて膝の上で丸まっていたファリーダが顔をあげるも、あっさりと引き下がった。そのまま寝息を立てはじめる。相変わらず薄情な相棒である。
「片や義務としての結婚をした国王陛下、片や国の為に望まぬ契約婚約をしてしまった宰相。そんな二人はこれまで通りにはできず、ぎこちない会話を重ねるようになる……」
「なんてこと……!」
メルルの語りは静かだが、それは嵐の前の静けさそのものだ。
彼女の言葉がロゼリアの頭の中に、鮮明にレイラードとリベリオスの姿を描く。
ロゼリアは白絹の手袋をはめた手で口元をさっと抑えた、目は興奮に見開かれ、頬に朱が上る。。
「しかし……そのぎこちなさこそが、長年秘かに互いを想って来た、主従や友情を超えた感情を、二人に自覚させるのです!」
「まぁまぁまぁ!」
充分な間をとってから、メルルは再度淡々とした静かな声で語る。
学生時代にやった、歌劇場で行われる劇のナレーションのバイト経験が活きている。
「執務中に婚約者の話をする宰相、動揺して普段は落とさない書類を落とす陛下……」
「まぁ!」
「妻への贈り物を相談されて、無自覚な嫉妬に心が乱され報告書をさかさまに読む宰相……」
「まぁまぁ!」
興奮したロゼリアは「まぁ」と鳴くしかない生き物になっている。
この高まった興奮を逃さないよう、メルルは静かだが熱のこもった声でとどめを刺しにいく。
全ては、任務の無事な継続と推しをできるだけ長く眺めていたい下心によって紡がれた妄想である。
「自分の感情を認められずに愛してもいない伴侶の話を出し互いを傷つけあうものの、結局は互いこそを大事に思っていると伝わってしまう二人……夜の執務室……何も起こらないはずもなく!」
「まぁあああああ!!」
興奮は最高潮に至り、応接間には静寂が落ちた。
ただ、メルルとロゼリアの瞳にだけ、共通の見えないなにかを映す間が落ちる。
執務室で互いの気持ちを確かめ合うレイラードとリベリオスの見えないなにかである。
「……ということで、契約婚約の間、私の事はスパイスとして受け入れていただければ、と愚考いたしました」
『愚考って言葉が本当に愚かな考えな時ってあるんだね』
(ねぇファルちゃん実はメルル語分かってるんじゃない?)
『ご飯の時間になったら呼んでね』
熱を収めるように淡々と『自分の役割』を告げたメルルへ相棒が冷たい声で口を挟む。挟むだけ挟んで、耳を伏せて聞こえないふりまでしだした。
ロゼリアはその間、姿勢を正して目を伏せ考えに耽っていたが、何かに気付いたようにカッと目を開く。
「素晴らしい妄想、恐れ入ったわ……! あなたも同士……いえ、発想の柔軟さ、即座に無限の可能性を説いてくれる語り口……導師なのね!?」
「同士でも導師でもありませんが、一緒に想像することに抵抗はありません」
地雷の少ないオタクで本当に良かった。
メルルは己の性癖に強く感謝した。導師ってなんだ。
「そうなの!? 一体あなたはどれだけのポテンシャルを秘めているのかしら……」
「恐縮です」
少しだけ誇らしげな『恐縮です』になってしまうのは、自分の妄想が誰かに刺さった時に感じる喜びのせいだろう。
(腐女子のみなさんには前世であらゆるシチュエーションのリベリオスを摂取させていただいたからね……今世は私がお返しする番だわ)
『リベリオスには内緒にしといたげるね』
(ありがとファルちゃん。……公式に妄想をぶつけるのは、公式もオタクもお互いに傷付く最大のタブーの一つだから内緒にしておいてね)
深い哀愁と歴史の重みを感じさせる心の声で念を押されて、ファリーダは面倒くさそうに顔を歪めた。
『そこは分かっててもやるんだ……』
(息をするように妄想するのがオタクって生き物なんで……)
「……私、間違っていたわ」
そして、重々しい声を発したのはメルルだけではなかった。
「メルル・ピクシリア。あなたに別れろと言ったことを撤回し、心から謝罪します。本当にごめんなさい」
「えっ!? いえ、そんな、おやめください!」
背筋を伸ばして座っていたロゼリアが、座ったままとはいえ深く頭を下げる。
慌てたメルルが腰を浮かせて止めると、ゆっくりと顔をあげる。
勝気なアーモンドアイに光る理知と計算の光りに、メルルはぎくりと身をこわばらせる。
「リベリオスとあなたが結婚すれば、あなたは筆頭公爵夫人。私が頻繁にお茶に招いても、公務の際に席を一緒にしても、全く問題がないわ」
「ん?」
嫌な予感がする。筆頭公爵夫人になる予定はないんですが、と口に出せるような状況じゃない。
「あなたという素晴らしい友人を近くに置く以上に大事なことがあって? いいえ、ないわ! リベリオスにはなんとしてもさっさとあなたを法的に縛って欲しいものだわね!」
「お、王妃様?」
今日の登壇は王妃ロゼリアのようだ。メルルが怯えた表情でソファの背もたれに縋りつく。これ以上物理的に距離はとれない。
「半分は、危険な任務だからずるずる引きずらずにさっさと危ないところから離れて欲しい気持ちだったのだけれど、気が変ったわ。あなたとは密なお付き合いがしたいの。ねぇ、リベリオスと結婚するのはお嫌かしら?」
「滅相もございません! でも、えーっと……陛下とリベリオス様のことはよろしいのですか?」
リベリオスとの結婚が嫌かと聞かれれば明確に否だ。しかし、あらゆるしがらみを考えると身を引きたい気持ちもある。
この場でのしがらみは、ロゼリアの推しカプである。
「いいの、現実がどうあれ私の妄想は止められない、むしろ現実があるからこそ妄想がうまれるのだと、あなたに教えられたわ」
「そ、そうですか……」
石油王になった腐女子は望む展開を金を積んで公式に描かせようとする、というのは前世のオタク界隈で知られた考えだったが、それはあくまで妄想であって本当に公式を歪めたい人間はほとんどみかけたことはない。
ロゼリアは今日の会話を経て、公式にはノータッチ、という価値観を得たらしい。
ただその、得た価値観を語る圧が、熱が、メルルの腰を引かせている。
『ミラママそっくり』
(うん、血筋を感じてる……)
『つまり、逃してくれないってことだと思う』
(わぁ……元悪役令嬢が腐女子ってだけでもびっくりなのに……まさかオタ仲間を囲ってくるタイプだとは……)
『メルルまた取り入っちゃったね』
(……今回ばかりは言い逃れできないな、あえてじゃないから許して欲しいわ……)
「時間は有限よ、次にお招きできるのはまた先になってしまうもの。存分に語り合いましょう!」
王妃はティーカップを持ってメルルの隣の席に移ると、リベリオスが迎えに来るまで、メルルと共にレイラードとリベリオスの妄想を語り合った。
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