025 状況と役割
「魔物が出たぞ!」
馬車が止まってすぐ、外からそんな声が聞こえた。
だんだん騒ぎが大きくなる。窓の外を見れば、周囲の馬車も止まって動かない。西門の方に向かって走っていく人が多い。衛兵もそちらに向かっている。
対応に向かった衛兵や冒険者、状況を見ている西門付近の商人や住人の流れを邪魔しないよう、馬車は停車して暫く動かないだろう。
この状況で下手に移動を続ければ、万が一魔物が第三区域に入り込んだ時に避難の動線を塞ぎかねない。
(ありゃー、これかぁソラールさんの警告)
『たぶんそだねー。くんくん……外にいるのは、フォレストウルフの群れとゴブリンが数十体』
(さっき衛兵が小隊単位で出て行ったし、今も冒険者がぞろぞろ西門に向かってるから対応は迅速、問題ないね)
『昨日の新聞にもあったし準備してたのかもー?』
(そうだね、なんでこんな近くに出るまで対応できなかったのかが不思議だけど……だから新聞に載ってたんだろうなぁ)
窓の外を確認してからファリーダと見解を話し合っていると、その視界に馬を駆ってアイザックが割り込んできた。
「見て来ましょうか?」
そう尋ねられて首を横に振る。
というかやめて欲しい。この状況で外についている護衛が離れたら、火事場泥棒みたいな人間に狙われる可能性がある。地味とはいえ、見る者が見ればこの馬車が上等なものだと分かるのだ。
「えー、つまんな~。どうせ守る価値がない女だし王都防衛に行った方がまだ有益じゃん?」
エイリックがニヤニヤしながら発した言葉に、メルルは彼に視線を向けて首を傾げた。
この態度に言葉で返してやる気はない。
静かな表情で動揺もせずに、エイリックに向かって目を向けるメルルが気に入らないのか、エイリックは薄ら笑いのまま鼻の頭に皺を寄せる。
「なんだよ文句あんの? この態度が気に入らないんですか~ぁ?」
メルルの膝の上に乗っていたファリーダが呆れかえった顔でエイリックを眺めている。
メルルとしてもそういう顔をしたいが、それだと明らかな喧嘩になる。喧嘩をするのは本意ではない。後でリベリオスの手を煩わせるだろうし、心労もかけてしまう。さらにいえば、処分されるのはメルルではなく護衛双子の方だ。
(はぁ~……少し釘をさすかぁ)
『がんばれメルル、負けるなメルル! やっちゃえ!』
(少しやります……ほっといたらリベリオスが処分しなきゃいけなくなるもん)
『リベリオスのためなら頑張れるなんてさすがメルル! ファルがここで応援してるよ!』
メルルは気合いを入れるためにため息を一つはき、姿勢を正してまっすぐにエイリックを見つめた。
表情をあえて全て消し、視線にだけ力を籠める。
「んだよ、なんかあるなら口で言えっつーの。その口は飾りか?」
メルルは内心で「よし!」と拳を握った。
「ならば言います。王都近郊に生息するのはスライムやホーンラビットです。それらを餌にする魔物はいますが、基本生息域は王都から遠くにあります。この辺りですと、馬車で半日以上かかるジェーレナの森やキュレイアの泉です」
「は? 何急に、そんなのガキでも知ってる一般常識だろ」
エイリックがいよいよ薄ら笑いをやめて低い声になった。苛立ちが募っているのだろうが、メルルは表情も声のトーンも変えない。
「ただし、繁殖期に餌が必要になればフォレストウルフやゴブリンは王都付近の草原に出てきます。最近は新聞に取り沙汰されており、王都側でも準備をしていたのでしょう。先程西門の方へ第三騎士団の小隊と冒険者が出て行ったのが見えました」
「……それでぇ?」
「さらに、最悪のケースとして想定されるのはフォレストウルフやゴブリンを餌にする大型飛行魔獣のグリフォンやワイバーンの出現。ハーピーの群れが南下してきた場合ですが、その場合もっと王都内は騒然となります。草原で餌を狩るより、壁の中にもっと狩りやすい人間がうじゃうじゃいるんですから。……上空からの攻撃はここからでも目視できるでしょう。今日はあてはまりません」
メルルの言葉は乱れもなく、教科書を読み上げるように『当然の情報』を並べている。
ただしそれは、貴族令嬢が停車した馬車の中で組み立てられる理論、ではない。
常に戦場に身を置く貴族令嬢ならば有り得るだろうが、もう貴族令嬢が前線に立つような緊張状態ではないのだ。
そのうえ、メルルは『魔力無し』で、戦場など知らないはずの存在である。
エイリックは険しい表情のまま口を引き結んでいる。
(お、アイザックに顔そっくり。いやもともと顔はそっくりだったけど)
『双子ってそーゆーものだもんね』
(もうちょっと畳みかけて終わりにしよう……今はちゃんと話聞いてるし)
『……聞いてるっていうか、口挟めないんだと思う』
「王都は第三城壁に設置された魔導具により結界で守られています。上空からの襲撃を幾度となく防いできました。それらの歴史から、ここ百年は王都に直接『餌目的』で襲撃をかける魔物はいなくなりました。魔物は出ているが上空は静かなことから、草原にも王都にも驚異的な攻撃が加えられている段階ではないと判断できます」
メルルはここまでを前提として語った。これらは、魔物と戦う職業の者なら知っている基礎知識や予測できる状況判断の材料でしかない。
メルルに対してとにかく挑発や攻撃をしたいエイリックは頭に血が上っていたようだが、今はメルルの話で外の状況にいちいち納得しているところだろう。その納得をもたらしたのがメルルだということが気に入らないと顔に書いてあるが、反論はしない。
「つまり今問題になっている魔物はフォレストウルフかゴブリンの群れであり、対応に第三騎士団の小隊と冒険者が向かいました。王都を、人里を守護する役目の者が、充分対応できる戦力が、向かったのです。――さて、あなたの仕事は何ですか?」
「チッ、んだよ……」
「エイリック卿」
悪態をつきながらメルルから視線を外したエイリックに対し、メルルは硬い声で彼の名前をもう一度呼んだ。
貴族の声音だ。呼ばれたら応えなければいけない、そういう圧のある声である。
「あなたの仕事は、なに?」
メルルは怒っていない。なじったりもしていない。
ただ現在の状況を滔々と述べただけだ。
そして、エイリックの役目を尋ねている。難しい質問ではない。
ただ、先程まで無意識に逸脱していた彼にとっては、非常に答えにくい質問だろう。
「……令嬢の護衛です。職務から逸脱した言動、お許しください」
「謝罪は受け取ります。アイザック卿もいいですね?」
メルルは頷くと、扉の横に馬をつけて一緒に話を聞いていたアイザックにも視線を向けた。
「……はい。無礼をお詫びします」
「受け取ります。状況が落ち着いて馬車が動き出すのに任せましょう。特に急ぐ必要はありません」
「はい」
「かしこまりました」
護衛双子は表情を改め、姿勢を正し窓の外や周辺を警戒し始めた。
職務を思い出したらしい。
メルルはこの二人に外の警戒は任せ、目を伏せた。
(……やっちゃった~……)
『おつかれさま! メルル間違ってないよ! 大丈夫だよ!』
(リベリオスの騎士が、外であんまり阿呆なことしたり、態度悪いままなの絶対やだったんだもん……だから私の『かわいげ』を犠牲に引き留めたんだもん……リベリオスに迷惑かけないためだもん……)
『だいじょぶだよ! メルルかっこいいから! それにいっぱいかわいいよ! だいじょぶだいじょぶ!』
尻尾を振ってファリーダはメルルを一生懸命励ましている。
メルルは今『筆頭公爵の婚約者』という役割にあるのだ。今の行いは役割の逸脱とは言えないにしても、『護衛騎士』という戦うことが本分の相手の領域に踏み込んだ行いではある。
身分や権力、立場という武器を持っているだけならあまり気にしないが、それを振りかざした後には、しっかり消耗するのである。
ファリーダは嫌いな双子がやりこめられて気分が良さそうだ。その分いっぱいメルルを労わってくれている。
(……まぁ、でもここで一回釘させて、良かったよね……)
『うん?』
(このあと、もっと大変なことが待ってるから……)
『…………がんばって?』
(ファルちゃんも一緒にお願いね!?)
ファリーダはメルルの膝の上で身体を丸めて聞こえないふりをした。
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