022 私ここに住む
(決めた……)
『なーにー? むぐ』
メルルは昼食として出されたチキンにナイフを通しながら重く決意を固めた。
ファリーダはメルルの横で切られたチキンをメルルのフォークから受け取り口に入れている。
彼女の前には二人分の食事が綺麗に盛り付けられて並べられており、周囲には給仕するためのメイドや家宰のトマスが控えている。彼らはファリーダの存在に気付かないので『メルルがあっという間に二人分の料理を食べている』ように見えている。
とんでもない健啖家が来た、と思われていることだろう。貴族令嬢としては少々不名誉な印象だ。
けれど、メルルはそんなことにかまけている場合ではないのだ。そっと皿から目の前へと視線を向け、より重々しい(心の)声で続けた。
(私、ここに住む。永住する。ここに骨を埋めます)
『えっ、そうだね……?』
それは現在進行形で達成してることだよね……? とファリーダの懐疑的な視線がメルルに向く。その視線には、さっきおうちかえりたい、とか言ってたよね……? という懐疑も大いに含んでいた。
ビネガーとはちみつをベースに味付けされた照り焼きチキンはさっぱりとした口当たりだが、噛めばしっかり甘味や肉の旨味が感じられる。
一緒に出されているバタールを千切って口に入れる。肉の旨味とバターの風味の組み合わせを、よく味わった後に胃の中に収めた。しっかりとした満足感がある。
ただ、メルルを満足させているのは、食事内容だけではない。
(いや~、さっきまでおうちかえるとか思ってたけど、絶対帰らない。だって……リベリオスの食べる姿、美しくない!?)
長いテーブルを挟んでメルルの対面に、リベリオスが座っている。
彼もメニューの内容は一緒だが、食べ方がとにかく美しい。
チキンを切るナイフの動かし方も、パンを千切る所作も、マナー講座のお手本として動画を撮影しておきたい。こんなお手本を前にすると、なんとか伯爵令嬢として恥ずかしくない所作、というメルルは月とスッポンのスッポンである。
ただ、メルルは自分を省みる以上に目の前の光景があまりに『美味しく』て、さり気なくガン見していた。
『このチキンおいしーい』
(ねぇちょっと聞いてるファルちゃん!?)
『このお野菜もしゃきしゃきで新鮮~!』
(リベリオス、意外と口が大きいんだ……一口ががっつりなのに唇につけずに食べてる。男らしくてかつ優雅ってどういうこと……? 存在が優雅ってこと!? わかる~~!)
ファリーダがあえて無視していたのを逆に無視したメルルに、ファリーダは呆れかえった目を向けた。
『……繊細なドレス嫌なんじゃなかったの?』
(リベリオスが選んでくれたドレスが嫌なわけないじゃないですかぁ)
『……緊張するからリベリオスにもっと離れて欲しいんじゃないの?』
(0距離の推しが味わえるのは、命の危険がある仕事を受けたご褒美じゃないですかぁ)
若者の屁理屈としか言えない語調で返事をするメルルだが、さすがにファリーダの顔は見られなかった。分かっていてなんとか誤魔化したいと思っている。
『……メルル知ってる? そういうの、人間の言葉で掌返しとかゲンキンって言うんだよ』
(はい、ごめんなさい。でもリベリオスを目の前にしたらなんか、全部どうでもよくなっちゃってぇ……)
『相棒になってから今が一番メルルのことがわかんない』
(本当にすみません)
『うん、メルルも疲れてるの分かるけどさ??』
(反省しています)
人目があるため食事の手を止めるわけにもいかず、美味しいチキンと添えてある新鮮なグリーンサラダを口に運びながらファリーダに心の中で土下座をする。
思い返せば今日一日、ファリーダはメルルを励ましてくれていたのだ。それらがすべて無駄な苦労に感じられているのだろう。
後でちゃんとお詫びをしなければいけない。夜のデザート全部あげるから許して欲しい。
ただ、人間が思うことなど、大抵儚く流動的なもの。初めて直面する不慣れな現実の連続に疲れたらおうちかえりたいにもなるが、精神がごほうびを貰えばそこに骨を埋めたくもなる。
ファリーダさんには人間のそのあたりを一段深くご理解いただきたい、と添えたかったが、いわゆるジト目というものでメルルを見上げる相棒を見て、メルルは心の声を吞み込んだ。
明らかに今回は自分が悪い。心配をかけてしまった。
(ところでこのチキン美味しいね)
『美味しい! ファルこれ好き! サンドイッチにしたーい』
(あ、いいねぇ。今度作って貰おう)
『美味しいもの食べてたら短絡的に落ち込まないよね?』
(ウッ、ハイ……)
露骨な話のそらし方では、掌返しをスルーしてはくれなかったようだ。
ちょっぴり酢が目に沁みる気がする。
だが、少し視線を上げれば目の前でリベリオスが葉物野菜を口に入れる所が視界に入り、メルルの心は彼にもっていかれる。
リベリオスは視線を感じて顔をあげ、ちゃんと野菜を飲み込んでから口を開いた。
「メルル嬢、口に合うだろうか?」
「はい、とても美味しいです!」
料理もですが景色が最高です、と言う思いを込めた声は実に弾んでいる。
「そうか。……貴女の好きな料理は何だろうか?」
「え? そうですね……」
(リベリオスが好物を食べているところを見ながらの食事ならガチガチの黒パンもご馳走だけど……)
『ファルはねー、ウサギのシチュー!』
(お母様の? あれ美味しいよね、特別な日にしか食べられなかったし)
『そー!』
ファリーダの言うウサギのシチューは、確かに美味しかった。
メルルや兄、父が狩ってくる獣は保存食にしたり領内の村に運ばれることが多い。領民を飢えさせないことが第一であり、そのおこぼれを領主一家は食べているのだ。これが貧乏貴族の実態である。
よって、ウサギのシチューが食べられるのは家族の誰かの誕生日くらいだ。
母は薬草の扱いに長けており、ハーブやクルミなどの木の実で臭みを取り下味をつけ、柔らかくなるように肉を煮込むのが上手い。
思い出したメルルも、今別の料理を食べているのに口の中にじわりと涎が溢れた。
「なんでも美味しく食べますが、ウサギのシチュー、ですね」
「……ウサギはピクシリア領で食べていたのか?」
「えぇ、そうです。そういえば学園では当たり前に出てくるものではありませんでしたね……ジビエは王都だと高級品ですし」
意外そうにさらに聞かれて前提を思い出した。
確かに実家を離れてからは食べる機会がなかったものだ。
「あぁ、あまり食卓に上がらないな」
「森が多い領地だったので平原が少なくて……畜産は肉よりも乳や卵を得るためにしておりました。ですので、肉は狩猟で得るのがピクシリア領では一般的だったんです」
常に野生の獣肉を調理している者の調理方法と、特別に食べる地域の者の調理方法は違ってくる。
肉の鮮度や何を食べている獣かでジビエはだいぶ味が違うのもある。
調理方法が研究されず雑に食べている地域も多いが、メルルは王都で食べていた畜産肉の料理よりも、ウサギのシチューを好物としてあげた。その地で食べるのが美味しいタイプの方だろう。
それらを一瞬で考えたリベリオスの口元が緩む。
「土地柄か。きっとピクシリア領で出るウサギのシチューは、私が知っているものとは違うのだろう。いつか食べてみたいものだ」
「私も王都の高級店のシチューは知らないので……いつか食べ比べてみたいですね」
「あぁ、落ち着いたら一緒に行こう。王都の店も、ピクシリア領も」
「えぇ、是非」
ウサギのシチューデートだなんて、想像したら自然に笑みがこぼれた。
実家のウサギのシチューの美味しさは前世基準でもかなり上位だ。
ここは乙女ゲームの世界で、料理はかなり美味しいものが多い。不思議な歴史を経て醤油や味噌もある。
舌に馴染んだ味以上に、ウサギのシチューが好きだと思う。特別な日のご馳走で、それにたくさんの思い出があるからかもしれない。
その大好きな味や思い出をリベリオスが丁寧に拾ってくれたのが、メルルは嬉しくて気恥ずかしくもあった。
(まるで本当に婚約してるみたいな会話……! 女遊びしたことないってコール卿は言ってたけど本当か~~?)
『普通に受け取ってあげなよ……!』
(リベリオスは宰相だから、いずれピクシリア領に視察に行く事はあると思うし、まるきり嘘だとは思ってないよ。その時はウサギ、狩ってこないとね。百匹くらい)
自覚なく燥いでいるメルルの言葉に、ファリーダは程よい冷水をかけておくことにした。この場合、リベリオスは本気でピクシリア領までメルルと一緒に行く気であり、この燥ぎ方が現実になると一時的にウサギが獲れなくなる可能性があるからだ。
こういう所で止めてやるのが相棒の勤め、と思っている使命感のある顔をしている。
『メルルが狩りに行くとは思ってもないんだろなー、バレたらビックリするだろね!』
(……内緒でお願いします)
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