002 宰相閣下は『壁の草』に跪く
新連載2話目です、今夜もう1話投稿があります!
メルルがさり気なく声の方へ視線を向けると、数人の貴族令嬢が扇子で口元を隠してこちらを見ている。……嫌な目だ。
ねっとりと、人を観察し、見下し、嘲笑するための目。
彼女達に視線を留めず通り過ぎ、メルルは中二階とは反対側の壁へと視線を移す。
「王宮にまで入り込むなんて……草って本当にどこにでも生えますのね。うちの庭師も困っておりましたもの」
「えぇ本当に。それにあのドレス……あれは、ドレスですの? 苔ではなくって?」
「一応ドレスのような形はしていますわ。どこの骨董品かは知りませんけれど……古すぎて苔がはえたのかもしれませんわね、ふふ」
決して声を張り上げているわけではないのに、メルルに聞こえるように言っていると分かる独特の発声。
嫌味を言うための発声練習でも礼儀作法にあるのだろうか。
あいにく、メルルはそのようなことを実家でも学園でも習いはしなかったのだが。いや、実家は貧乏だから母親からの指導だけだが。
(こんなめでたい日にまでよく飽きもせずにまぁ~~……、なんて。言い返したいけど出来ない……っ!)
メルルの髪はどう頑張っても艶の出ない灰色がかった緑色。
この髪色のせいで壁の花ならぬ『壁の草』などと不名誉なあだ名をつけられている。
色もそうだが、この髪がもつ意味は、メルルがそれを言われるのを黙認せざるを得ない特徴でもある。
不名誉極まりないが――この国では受け止めねばならない。
(……今日でもう実家に帰るんだし、ドレスのことくらいは言い返そうかな)
しかし、ただでさえ悪い立場がこの上「気が強い」だの「性格が悪い」だの言われては奇跡がもっと遠のいてしまう。
(……いや、ドレスのことは正直うまいなって思ったんだよね。つまり、なんにも言えないわ)
『ファル、あの人達嫌ーい』
(私も嫌ーい)
『メルル、こんなに綺麗なのに!』
(それは精霊の欲目だわぁ、でもありがと)
メルルは自分に向けられた嘲笑の数々をスルーと決め、壁のダマスク柄を数え始めた。
『金獅子の間』の壁は金色、床は赤に金の装飾の、豪華な広間だ。
薄金色の壁に硬質な金色のダマスク柄が整然と並んでいる。
(いーち、にーい、さーん……)
『ファルもやる~! よーん!』
メルルは二着しか夜会用のドレスを持っていない。
一着は働いて去年買った既製品のドレス。デザインは今時だが、お給料でかろうじて買える価格帯なので色は流行りとは言えず、生地もぺらぺらで『格が落ちる』もの。
そして今着ている、母がそのまた母の母から受け継いだ、生地の良いドレス。
確かに深すぎる緑の、光沢のある天鵞絨は苔と言われたらそのように見えるのも分かる。
王宮の夜会に着てこられる『格』のドレスは、残念ながらこれしかない。
兄がもしこの場にいれば「そのドレスは博物館に寄贈したほうがいいんじゃないか?」と言ったに違いない。その後すぐに「代わりのドレスを仕立てる金がないから無理か」と笑ったはずだ。
兄のことを考えただけでメルルは少々苛立ち、同時に兄の悪戯な笑顔が浮かんで寂しくなった。
決して料理の卓の向こうから「頭に草が茂ってる」「自然にお還りになったらどうかしら」などと言われているせいではない。
(は~、無視無視! 今日の夜会が終わったら……もう、会うこともないんだから気にしない!)
こういうのは視線を向けても、反応して俯いたりしても、相手を調子に乗せてしまう。
どうせこの料理卓を乗り越えてまで文句を言いにはこないし、何か直接危害を加えられるわけでもない。
メルルは一心不乱に柄の数を数えた。
今は三十五個目で、端から四列目に入ったところだ。ファリーダは飽きて自分の顔を洗っている。薄情な相棒だ。
それにしても、薄金色に金色の柄は、魔導具のシャンデリアで光量は充分でも少々見えにくい。
よく見ようとするうちに顔が険しくなってしまう。
模様を数えるのに夢中になっているうちに、いつの間にか嘲笑は止み、代わりに周囲がざわついているのだが、彼女は気付けなかった。ダマスク柄が悪い。
「見つけた……ピクシリア伯爵令嬢」
「はい? ……っはい!?」
うっかり険しい顔で振り向いたメルルの目に、そのざわつきの原因が飛び込んできた。
思わず二度見してしまう。
(…………うそ)
声の主は長い紫紺の髪を頭の後ろで一つにまとめた、メルルが前世からよく知る青年だ。
髪と同色の衣装には銀糸の刺繍が上品に走っている。背は高く肩は広いが、鍛えている体つきではなく細身だ。下手をしたら痩躯とも言えるが、堂々とした立ち居振る舞いが彼をレイピアのような鋭く凛とした印象にまとめ上げていた。
声は低く豊かなのに、純金の瞳には金属質な重い輝きがあった。
(な、な、な、ななな、なんで……)
メルルが寄せていた眉間の皺も、数えていたダマスク柄の数も、何もかもが一気に吹き飛んで消え、残ったのは純粋な驚きで。
灰色混じり緑色の瞳が極限まで丸く見開かれる。
その中には、目の前の紫紺の青年だけが映り。
右手を胸に当て、彼は軽く礼を取る。
「私はリベリオス・フォン・ボウウェイン。急ですまないが、どうか少しだけ、貴女の時間を私に頂けないだろうか?」
声をかけてきたのは元攻略対象で前世の最推しである、リベリオス。
ボウウェイン公爵家当主であり、この国の若き宰相で、メルルと同い年のニ十歳。
だが、メルルよりずっと大人びて見える。
王立学園の同級生でクラスも同じだったが、接点はゼロ。話したこともない。
彼もそれを分かっていて、今メルルに名乗ったのだろう。
「……ッ、あ」
とにかく返事をしなければと自分の固まっている舌を叱り飛ばす。
礼を返すこともできなかったが、それを自覚することすらも今のメルルには難しい。
「ボウウェイン、宰相、閣下……っひゃいっ、もちろん、ですっ」
当然のように噛んだ。
『メルル噛んだ! 心臓ばくばくっ! だいじょーぶ!?』
(ファルちゃんいまちょっとメルルはむりかもだめかもしぬかも)
『なんて?』
心配するファリーダへ心の中で返事はするが、視線は動かせない。
瞬き一つも、許されない。
「ありがたい」
「ひぇ……」
メルルの返事を受けたリベリオスは片手を胸にあてたまま、優雅な仕草で膝を折った。
片膝をついてメルルへと左手を差し出し、憂いのある顔を向ける。その目の下には薄くない隈があり、表情も厳しいものだ。
思わず身構えるメルルへ、お構いなしにリベリオスは言葉を紡ぐ。
もはや周囲は息を飲んで事の成り行きを見守っていた。
「私は……どうしても、貴女が欲しい。ピクシリア伯爵令嬢、どうか私と婚約してくれないか」
「は……、は?」
「貴女が欲しい、婚約してくれ、と言っている」
はい、と言うにはあまりに突拍子がなく、現実味もない。
間の抜けた声を上げるのが精一杯だったが、とにかく何か返さなければ、と思う間もなく、別の場所から声があがった。
「イヤーーーー!」
「嘘……」
「お、おい、しっかりしろ!」
「だ、誰か手を貸してくれ! 二人倒れた!」
周囲で成り行きを見守っていた令嬢たちから絹を裂くような悲鳴があがり、気を失う者まで出る始末。
(……な、な、な、なん、ななな、なんっ……あ、むり)
『メルルーー!? 死んじゃやだーー!!』
「令嬢!?」
当然のように混乱を極めたメルルも、意識がふと遠のいた。
ファリーダの絶叫と、倒れゆく体を誰かが支えてくれた感覚だけは辛うじて分かったが、意識はそこでスイッチを切るように落ちてしまい。
『金獅子の間』は、しばし混乱に包まれた。
楽しんでいただけましたら、ブクマや星、リアクションで応援してくださると励みになります!




