016 ファンディスクは終わらない
(ひょえ~~……)
『家! おっきーーーーいっ!!』
馬車を降りたメルルとファリーダは、屋敷の外観を見上げて目を丸くした。
洗練された造りの、城と見まごうような大きな屋敷。目の前の棟の他、左右にも棟が見える。
実家も古くて大きいと思っていたが、こちらは古いのではなく歴史があり、かつ、巨大だ。実家が四つ入りそうな建物である。
『お庭もひろびろだねっ!』
(ピクシリア領の村、三つくらい入りそうだよね……)
『メルルの実家はほとんど森だもん、森も含めたら実家の圧勝だよ!』
(う~ん、未開発地域含めちゃうなら今度はボウウェイン領の領地と比較になってボロ負けかなぁ……?)
『じゃあメルルの負けだね』
(ウン……差がありすぎて悔しい気持ちとか一ミリも湧かない……)
同じ王都にありながら、ウェルゴー公爵家のタウンハウスから筆頭公爵家の屋敷に着くまで馬車で一時間かかった。
実際は、ボウウェイン公爵家の門までは三十分程だ。門から屋敷までが道と同じ程かかっている。
朝の出来事が強烈すぎてメルルの体感はほぼあてにならない上に、外もろくに見ていなかったのだが、建物がない道を走っているな、ということだけは認識していた。
後で聞いたところ、敷地がかなり大きいらしい。森や木立、家で使う野菜の畑や果樹園なども含め、相当な土地を王都に有している。この王都貴族街で広大な敷地。
それだけでメルルは気が遠くなりそうだった。とんでもない場所に住むんだと実感してしまう。
「おかえりなさいませ」
(ひっ……!)
『人! 多ーーーーいっ!!』
今度はエントランスに入った所で、男女の使用人や執事、侍女がお出迎えだ。
広々としたエントランスに整然と並び、一糸乱れぬ動きで頭を下げている。
中央には三人の男女がいて、リベリオスとメルルを笑顔で迎え入れた。
「おかえりなさいませ、若様。そちらがご婚約者の……?」
「あぁ、メルル・ピクシリア伯爵令嬢だ。……私の大事な人だから、くれぐれも無礼の無いように」
中央にいた三人のうち、初老の執事らしき男性とリベリオスのやり取りに、メルルは微笑んで軽く頷いた。お仕事なのでオタクモードは引っ込めているが、心の中では精神的な厚遇にしっかり驚いている。
(大事な部下と念押ししてくれるなんて、福利厚生が手厚いな……)
『メルルそれもうわざとでしょ?』
(なんのこと??)
肩に乗ったファリーダが疑念を向けるが、メルルは本当になんのことか分からないらしい。
既に固定された価値観を説明や説得で修正する労力を思って、ファリーダは素早く諦めた。これはリベリオスの責任であり、矯正もリベリオスがすべきことだ。
『……なんでもない。リベリオスが悪い』
(リベリオスは悪くないよ!?)
『あ、うん……』
疲れたファリーダは二度とこの話題にさわるまいと決めてそっとメルルから目を逸らした。
いつか機会があれば、リベリオスに教えてやろうと思う。
――これまでファリーダも気付くことができなかったが、メルルが超ド級の恋愛音痴だと。
「メルル嬢、紹介する。家宰のトマスと侍女長のロナだ。彼らが君の世話をする。必要なものがあればなんでも言ってくれ。こっちは私の側近のイアソンで、私が不在の時は彼に相談して欲しい」
中央にいた三人のうち、最初に声をかけてきたの初老の男性が家宰のトマス。隣の、四十代くらいの、厳しい顔つきの女性が侍女長のロナ。ロナはメルルの服装を見て眉間に皺を寄せている。見た目の印象が悪いのはメルルも自覚しているので、その視線も特に気にならない。
その隣にいた、リベリオスより年上の青年が側近のイアソン。服装は文官のようだが、腰には剣を下げている。立ち方からして暗器も持っているようだと、メルルはにこやかな顔のままさっと見てとった。
リベリオスとは対照的に表向きは愛想がよく柔らかな雰囲気だが、細い目は抜け目無くメルルをさっと視線で値踏みした。似た者同士かもしれない。
(うん、リベリオスはちゃんと、苦手を補う側近がいるんだね。いいことだぁ)
『……メルル、値踏みされたよ? やじゃないの?』
(警戒されるのは当然だから全然いいよ。明らかに馬鹿にした目じゃないし)
『それもそーかも、だってメルル初対面だもんね』
(そ~、そのうち無害って分かってくれると思う!)
彼らが自分を警戒することを当然、むしろリベリオスが愛されてて最高、とすら思っているメルルは、心からの微笑みを浮かべて彼らに挨拶した。
警戒されるのは構わないが、舐められては困る。余計な邪魔をされてリベリオスの痕跡に萌える時間がなくなってはいけないし、彼に手間をかけさせるのも嫌だ。
「はじめまして、トマス、ロナ、イアソン。本日から世話になるわね。メルル・ピクシリアよ」
伯爵令嬢かつ筆頭公爵家当主が求婚した相手として、仕える人間にへりくだった態度は逆効果だ。
かといって、自分の服装が明らかに『安物』なのは否めない。財産狙いで取り入った、という方向に誤解されるのも困る。
表情は愛想よく、声音は柔らかく、言葉は堂々と、微妙なニュアンスを調整した。
これがメルルの、場に相応しい振舞いを一瞬で読んで実践する『社交術』だ。婚活では発揮する機会もなかったけれど。
「ようこそいらっしゃいました、ピクシリア伯爵令嬢。家宰の任を頂いているトマスです。なんでもお申しつけください」
「侍女長のロナです、ピクシリア伯爵令嬢。誠心誠意お仕えいたします」
どうやらこの二人には及第点を貰えたようだ。形だけでも頭を下げてくれた。
一方イアソンは警戒の色をほんの少し濃くした気配がある。やはりメルルと同じタイプの振舞いが得意なようで、この場ではどうにもならないのだろう。
男の趣味も合うので、メルルとしてはそのうち仲良くなりたい。そしてリベリオスのプライベートについて情報を流して欲しい。
「若様の側近、イアソン・コール子爵です。何事も、ご遠慮なくお申しつけください」
それでも胸に手を当てて慇懃に礼をしたところを見るに、メルルについては経過観察、といったところだろう。
リベリオスもイアソンがメルルを警戒しているのは気付いているだろうが、今は何も言わない。彼の行いがこの場の言葉だけでどうこうなる類のものではないと知っているからだ。
「ありがとうコール卿。色々ご面倒をおかけするだろうけれど、よろしくね」
(主にリベリオスの情報とかね!)
メルルは彼らとの挨拶を済ませ、リベリオスが三人とこの後の細かな打ち合わせをしている最中、さっとエントランスに居並ぶ使用人たちを見回した。
顔をあげて待機していた彼ら彼女らのうち何人かの顔は険しく、メルルの髪や目の色を見てバカにしたように口元を歪めている者もいる。
(あ、やっぱり面白くなさそうな人もいるな……)
『よてーちょーわ?』
(うん、こればっかりはね。そういう風潮が長かったから、なんでこいつが、って思われるのは仕方ないや)
服装は貧乏丸出しのペラペラドレス、しかも桃茶色(酸化した桃の果肉の色)でセンスも疑わしい。そのうえ、髪や瞳に魔力の輝きが無い、自分達より下の存在。
今日からそんなメルルに形だけでも仕えることになる。
主の前で表情に出てしまう若い使用人の中には、筆頭公爵からお手付きの一回でもあればお手当を貰って楽に暮らせるのを狙っていた者もいるだろう、とメルルは邪推する。現実的な予想でもある。
そういった欲どしい者も、これからはメルルがリベリオスの隣にいるのを見て働かなければならないのだ。
そりゃあ面白くないだろうな、とメルルは受け止めた。
この場合、平然とした顔や微笑みを崩さない方が『よくできた使用人』なのである。
「部屋に案内する前に、一度書斎に来てくれるだろうか?」
「はい、もちろんです。ロナ、この花を部屋に飾ってちょうだい」
「かしこまりました」
リベリオスに声をかけられて、メルルは微笑んで頷く。馬車から運んでもらったリベリオスからの花束を示してロナへと預け、リベリオスとイアソンの後ろを付いて行った。
執務室は落ち着いた色味に統一されている。広く、大きな窓があり、立派な装飾の施されたデスクに壁の一面は本棚だ。反対側にはどこかに繋がる扉もあるし、応接用のソファとテーブルもある。
実用一辺倒でもないが、過度な装飾はない。
リベリオスの洗練されたセンスが光る書斎に、メルルは聖地に降り立った心地だった。
「……今朝はすまなかった、不格好なところを見せてしまったな」
「え? なんのことでしょうか……?」
リベリオスの書斎でソファの対面に座り、彼の後ろにイアソンが控える眼前で、メルルは素で困惑の表情を浮かべた。今聖地を観察して目に焼き付けていたところだったからなおさら謝罪には困惑した。
今朝の事を素早く思い返すが、全てがファンディスクになったらディスクが擦り切れるまで見返すようなご褒美イベントだった。ちゃんと考えてみても、本当に心当たりがない。
(ほんとになんのこと……? 全部が全部ご褒美だったけど……何か都合のいい夢でもみてた……って、コト!?)
『たぶん転びそうになったことじゃない?』
「あれはご褒美だよ」
「ん?」
ファリーダの補足に思わず声が出てしまい、怪訝そうにリベリオスがメルルを見た。
あわてて口元を片手で隠し、そそと笑ってごまかす。
「あっ! いえ、あの、違うんです、何も不格好なところはなかったので……すみません、あの手のことに不慣れすぎて、思い出して動揺してしまいました」
「……本当に可愛らしいのだな」
「ひゃい……!?」
ご褒美ディスクの内容はまだ続いているようだ。
リベリオスが表情を緩めメルルの態度を可愛いなどと言うせいで、メルルはまた舌が絡まる。先程の堂々とした伯爵令嬢としての振舞いは、早速イアソンの中では瓦解していることだろう。
「学園ではいつも凛としていただろう。あらゆることに動じず、余裕のある態度だった。こうしていると……」
リベリオスは立ち上がり、メルルの隣に移動して彼女の顔を間近で覗き込む。
推しの顔面至近距離にメルルは目を回しそうだった。肌が陶磁器のように滑らかで綺麗だが、顔つきや背もたれにかかった手は男らしい線を描いている。
思わず腰が引けて自然に両手で彼との間に壁を作る姿勢を取ってしまう。
「あ、え、あの、リベリオス様……!?」
「実に初々しく愛らしい。……この顔が見られるのは、婚約者の特権だ」
「……ッ!」
『メルル、呼吸! 息して! 心臓動かして!』
(はっ……!?)
今日だけでもう何度死にかけていることだろう。
なんとか自分の体に生きる事を思い出させたメルルだが、間近にあるリベリオスの顔を直視するとすぐに忘れてしまいそうになる。体が。
真っ赤な顔のメルルを悪戯っぽく視線でからかう彼に、何か言おうとするも言葉にならず口だけがはくはくと動いて終わる。余計に酸素が逃げていった。
そんなメルルの窮地を救ったのは、今日はファリーダではなく別の声だった。
「若様、そこまでです。令嬢が死にかけてます」
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