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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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閑話2:保健所という名の中ボス

 雨上がりの午後、薄い光が倉庫の窓に反射していた。


 ナオキの家の裏手にある、あの十平方メートルの倉庫。

 トタン屋根、隙間の多い床、湿気を吸った木の匂い――

 ここをいつか“調理場”にしたい、とそう思ってから早一週間。


 そして、今日。


「……ナオキ。本当に、電話するの?」


 リヴはスマホを両手で抱えたまま、まるで爆発物でも持っているかのように慎重な顔をしていた。


「うん。今日しかないよ。

 保健所って混むからさ、予約しないと見てもらえないこともあるんだ」


「ほけんしょ……。

 なんか、名前からして強そうだよね」


 強いよ、とナオキは心の中でうなずいた。

 保健所は、ふたりが弁当販売を始めるための中ボスだ。

 いや、もしかするとラスボス級かもしれない。


 開業届や税金の壁は、まだ“知識で殴れば倒せる”相手だった。

 だが保健所は違う。


 現実で殴ってくる。


 床の材質は?

 排水は?

 換気扇の能力は?

 二槽シンクはある?

 手洗い場は別?

 冷蔵庫の温度記録は?

 防虫・防鼠対策は?


 なんなら、壁の色まで指定される。


 異世界最強クラスの魔法少女を連れてこようが、

 保健所には通用しない。


(……ここが、本当の戦いだよな)


 ナオキは深呼吸し、スマホを取り出した。


「じゃあ、リヴ。準備はいい?」


「ま、待って……心の準備が……」


「大丈夫。俺がしゃべるから、リヴは横にいてくれたらいいよ」


「でも、これ……

 “店を作りたいって言う電話”なんだよね?」


「うん、そうだよ」


「なんか、怖いよ……っ」


 リヴは胸の前でスマホを抱えたまま、シーツのしわを伸ばすみたいに両手をぎゅっと握った。


 ナオキは苦笑する。


「保健所は怖くないよ。丁寧だし、ちゃんと教えてくれるところだし」


「……ほんと?」


「ほんとほんと。

 ただ――」


 ナオキはわざと深刻な顔をした。


「“地球の衛生基準”という最強の敵が後ろに控えてるだけで」


「やっぱり強いんじゃない!!」


 リヴが涙目になる。


「あ、でも、リヴ。

 たとえばね、床に穴が空いてたら直してね、とか。

 換気扇がないなら付けてね、とか。

 そんな感じの“当たり前の注意”だよ」


「床……穴だらけだよね?」


「うん、だらけだね」


「換気扇……ないよね?」


「ないね」


「排水……外に流れっぱなしだよね?」


「そうだね」


「…………」


 リヴは、静かにスマホをそっと机の上に置いた。


「……ナオキ。これ、たぶん“当たり前”じゃないよ」


「まぁ……うん、地球の飲食店的には、当たり前じゃないね」


「もう無理なのでは……?」

 泣きそうな声が出た。


「でもね、リヴ」


 ナオキは、その小さく震えた手をそっと包んだ。


「一つずつやればいいんだよ。

 今日やるのは、“状況を説明して、相談する”だけだから」


「相談……なら……できるかも」


「そう。だから安心して」


 リヴはゆっくり息を吸い、うなずいた。


「……うん。ナオキがいるなら、がんばる」


「よし。それじゃ、電話するよ」


 ナオキは保健所の番号を押し、耳にスマホを当てる。


 呼び出し音が鳴るたびに、リヴの背筋が伸びていく。

 まるで“召喚獣を待つ魔法陣”を見ているかのようだ。


(大丈夫だ。怖くない。怖くない……

 いや、ちょっと怖いけど……)


 ナオキまで心臓が早くなる。


 そして――


『はい、〇〇保健所でございます』


 落ち着いた女性職員の声。


 その瞬間――


「ひぃっ!!」


 リヴがナオキの腕にしがみつく。

 ナオキは吹き出しそうになりながら、落ち着いた声で話し始めた。


「あ、もしもし。

 あの……自宅の倉庫を改装して、弁当製造の営業許可を取りたいと考えてまして……」


『はい、承知しました。現在の状況を伺ってよろしいですか?』


「えっと……倉庫の広さは十平方メートルくらいで……

 床は木で少し隙間があります。

 シンクは自宅側に一つ。倉庫内にはありません」


 電話越しに、メモを取る音が聞こえた。


『その場合、床を防水加工に、シンクの増設と手洗い場の確保が必要ですね。

 換気扇や排水の流れも確認しますので、一度、現地を拝見してもよろしいでしょうか?』


 リヴの肩がビクッと跳ねた。


「げ、現地……?

 ナオキ、来るって……!?」


「落ち着いて。視察ってやつだよ」


『ご都合の良い日時を教えていただければ伺います』


「はい……〇日の午後なら大丈夫です」


『承知しました。当日はチェック項目をもとにご案内致しますので、よろしくお願いいたします』


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 電話を切ると同時に、リヴがぺたんと床に座り込んだ。


「……ナオキ。いまの……完全にダンジョンの入口じゃない……?」


「うん、入口だね」


「チェック項目とか言ってたよ……

 絶対……イベントボスじゃん……」


「ま、まぁね……」


 リヴは顔を上げて言った。


「……でも、やる。

 ナオキと一緒なら、わたし、地球の制度にも負けない」


 その瞳は、少し涙目だけど、強くてまっすぐだった。


 ナオキは思わず笑ってしまう。


「うん。一緒にやろう」


 倉庫の静けさの中、二人の決意だけがしっかり残った。



 保健所の相談室での説明が終わり、

 担当者・山中さん(スーツ姿の物腰やわらかな男性)は

 ナオキたちの提出した住所をちらりと確認した。


「では……一度、実際の場所を拝見してもよろしいでしょうか?」


 その言葉に、ナオキとリヴは同時にこくりと頷いた。


 ――ここからが、本当の“山場”だった。


 車を走らせ、ナオキの実家の裏手にある倉庫へ着く。


 トタン屋根、木の床、風の通り道――

 リフォーム前の昭和の空気がしっかり残った建物だ。


 リヴはいつものように微笑んでいるが、

 今日はほんの少しだけ目に緊張の色があった。


「だ、大丈夫かな……?」


「だいじょうぶ、たぶん……」


 “たぶん”が弱すぎて、リヴが余計に不安になる。


 後ろでは山中さんが、静かにチェックボードを取り出した。


「では、拝見しますね。玄関の段差から……」


 リヴの背筋がぴんと伸びた。




 ◆チェック1:床


 倉庫へ入った瞬間、山中さんは足元を見て、

 ほんの一秒だけ動きを止めた。


 その表情は――手慣れた担当者が「これは長い戦いになりそうだな」と悟ったときの顔だった。


「……なるほど。この床は木材ですね」


「はい。昔のままで……」


「食品を扱う場所は“防水・非吸水素材”が必須になります」


「えっと……つまり?」


「水を吸う床はすべてアウトということです」


 リヴの耳がぴょこんと動いた(気がした)。


「ぜ、全部……だめ?」


「はい、この床は……全面やり直しですね」


 リヴは小さく「ひぇ……」と漏らした。




 ◆チェック2:換気


「次に、換気ですね。……換気扇、ありますか?」


「ないです」


「窓は一つ……ですが、網戸がありませんね」


「はい……外してから何十年も……」


「虫の侵入は食品衛生上、重大な問題になります。

 換気扇の設置か、窓に防虫設備の追加が必要です」


 リヴがすかさず天井を見上げる。


「ナオキ……虫が来たらどうするの?」


「追い払うしか……」


「追い払うじゃダメですね」


「ですよね!!」


 ナオキのツッコミが響く。




 ◆チェック3:手洗い場


「続いて、手洗い場は……こちらですか?」


「あ……はい。外の蛇口だけで……」


「こちらは“手洗い設備”としては不足しています。

 温水、石けん、手拭き用設備が必要で――」


「お湯!? 出ないです……!」


 山中さんは淡々としていたが、

 リヴの目はすでにぐるぐると泳ぎ始めていた。


「つまり……手洗い専用のシンクを新しく作る必要がありますね」


「し、新しく……?」


「はい。新設です」


 リヴはナオキの袖をぎゅっと掴む。


「ナオキ……これ……地球の魔物より強いかもしれない……」


「俺もそう思う……」





 ◆チェック4:排水


 倉庫奥の排水溝を見た瞬間、山中さんの目がすっと細くなった。


「ここ、排水の流れ……あまり良くないですね?」


「は、はい……ちょっと詰まりやすくて……」


「厨房は大量の水を使います。

 このままでは排水が逆流して衛生基準を満たせません」


「じゃあ……どうすれば……」


「配管の交換、もしくは新設ですね」


「また新設……!」


 リヴはすでに戦意ゲージがゼロである。





 ◆チェック5:壁・天井


「壁……吸水性のある木材です。

 油や水が付着すると菌が繁殖しやすくなりますから、

 防水パネルを貼る必要がありそうです」


「天井も、埃が落ちる可能性がありますので、張り替えが必要ですね」


「は、張り替え……全部……?」


「全部です」


 リヴは泣きそうな顔でナオキに寄り添った。


「ねぇナオキ……倉庫って……もしかしなくても……」


「うん……」


「“ほぼ全部”作り直し……?」


「正解……」




 ◆担当者の総評


 一通りのチェックが終わり、

 山中さんは穏やかに、しかしどこか同情のこもった目で二人に向き直った。


「結論としては……」


 ごくり、とリヴの喉が鳴る。


「“改装すれば問題ありません”。

 現状では許可基準を満たしていませんが……

 お二人なら、きっとできますよ」


 言葉は優しいが、内容は地獄そのものだった。



 ◆帰り道:無言の二人


 車に乗り込んだあと、十分ほど二人は何も言えなかった。


 静寂の中、最初に動いたのはリヴだった。


「……ナオキ」


「ん?」


「地球の制度……強すぎない?」


「うん。正直、魔王より強いと思う」


「でも……倒すんでしょ? 一緒に」


 その言葉に、ナオキは力のない笑いをこぼした。


「倒す……というか……

 書類と工事で“攻略する”って感じだな」


「ゲームのダンジョン……?」


「そう、地球ダンジョン。難易度ハード」


 リヴの目に、ほんの少し光が戻る。


「……じゃあ、やろう。わたし、やる。

 一緒にだったら、なんとかなるよね」


「なる。絶対なんとかする」


 そう言うと、リヴはふっと微笑んだ。


 ――地球制度という名の中ボス戦は、まだ始まったばかりだ。


 倉庫視察から帰ってきたあと、

 ナオキとリヴはリビングのテーブルに向かい合って座っていた。


 テーブルには、山中さんから渡された

 **「改装のためのチェックリスト」**が置かれている。


 リヴは肩を落としたまま、その紙を見つめていた。


「……これ……全部やるの……?」


「うん……全部やるしかない……」


 リヴはそっと紙に触れた。


「床、防水にする……換気扇……手洗い場の新設……排水管の交換……壁と天井の張り替え……」


 読み上げる声が、だんだん小さくなっていく。


「ナオキ、これ……ダンジョンじゃなくて……災害では……?」


「地球の制度って、ほんとうに容赦ないんだよ……」


 リヴは「ふぇぇ……」と鳴きそうな顔をした。


 ◇見積もりを取ってみた(地獄の始まり)


「とりあえず、工事業者に見積もり出してもらうか……」


 そう言ってナオキは数社に見積依頼を出した。


 そして翌日。


 戻ってきた見積書を開いた瞬間――


 リヴ「……これ、桁、間違ってない……?」


 ナオキ「いや、間違ってない……」


 紙には、堂々とこう書かれていた。


 総額:¥820,000〜¥1,200,000


 リヴ「ひぃっ……!!」


 ナオキ「うん……ひぃ、だよな……」


 リヴは目を潤ませてナオキに寄り添った。


「ナオキ……これ、桁、もしかして……」


「うん、日本円。一万円札が八十枚〜百二十枚分」


「なんで……倉庫を少し綺麗にしたいだけなのに……」


 ナオキはため息をつきながら説明した。


「床全部貼り替え、排水管交換、設備の新設、壁と天井……

 厨房にするってことは、全部プロの材料と基準でやらないといけないんだよ」


 リヴは両手で顔を覆った。


「地球……きびしい……」


 魔法でなんとかできないかと一瞬だけ考える


 小声でつぶやいた。


「ナオキ……天井、全部張り替えでしょ……?」


「うん」


「……魔法で、パッと……」


「絶っっ対にダメです」


 ナオキの即答。


「だって、作れるよ……天井の板くらい……」


「ダメ。魔法で作ったものは強度も素材も“この世界の基準”と全然違うし、

 保健所に見られたら即終了だから」


 リヴはしゅん、と肩を落とした。


「そっか……そうだよね……」


「リヴに“魔法なら一瞬なのに”って思わせるぐらい……

 地球の制度は固いんだよ」


「うん……固すぎるよ……」




 費用の現実に二人はしばらく沈黙した。


 しかし、沈黙を破ったのはリヴだった。


「でも……わたし、やめたいとは思わないよ」


 ナオキは少し驚いて振り向いた。


「え……?」


「だって……お店、やりたいんだもん。

 ナオキと一緒なら、ぜったい楽しい」


 その笑顔は、倉庫の床や壁より何倍も強かった。


 ナオキは深く息を吸い、決意を固める。


「……そうだな。やるか」


「やる!」


「でも一気に全部は無理だから、まず優先順位つけよう」


 二人は紙を広げ直した。


 ナオキ「まず床は必須。これは逃げられない」


 リヴ「うん……床……高いけど……やる……」


 ナオキ「次に手洗い場も必須。温水もいる」


 リヴ「お湯ぅ……」


 ナオキ「換気扇はつけないと虫が入る」


 リヴ「虫ぃ……」


 ナオキ「排水は、状態次第で工事内容が変わる。ここは見積り調整」


 リヴ「排水ぃ……」


 ナオキ「壁と天井は後回しにできる場合もあるから、

 保健所と相談して段階的にやる」


 リヴ「相談ぅ……」


 だんだん語尾が弱くなるリヴ。


 しかし最後にはしっかりと頷いた。


「……大丈夫。やる。ナオキと一緒なら、わたし頑張れる」

「よし。じゃあ“現実攻略ルート”でいこう」


 ナオキは手帳を開き、項目を書き込んでいく。



 しばらく集中したあと、リヴがふっと笑った。


「ねぇナオキ。お店って……こんなに大変なんだね」


「うん。でも……魔王を倒すよりは簡単だろ?」


「地球の魔王のほうがずっと強いよ……」


「……たしかに」


 二人は思わず笑った。


 その笑い声が、倉庫の改装という大仕事に

 ほんの少しだけ光を差し込んでくれた。

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