閑話:生理的なお話
月が変わる少し前の朝。
森へ向かう支度をしながら、ナオキはリヴの歩く速度がわずかに落ちていることに気づいた。
普段のリヴなら、鳥のようにひらりと木の根を飛び越え、罠から罠へと軽快に動く。
しかしその日は、歩幅が少し小さく、腰の動きも重い。
(……これ、だいたい月に一度だよな)
季節をひと回りした頃には、ナオキにも周期が見えていた。
「今日は、もう戻るか?」
声をかけると、リヴはきょとんとしたあと、ふわっと笑った。
「……やっと気づくようになってきた?」
「何が?」
「月。たぶん、あしたか明後日。“そっち”」
リヴはそっと腰を押さえた。
焚き火を囲んで簡単な夕食を終えた後。
ナオキは火の番をしながら、リヴの動きを観察した。
座るたびにリヴはわずかに顔をゆがめる。
足を投げ出す動きや、膝を抱え込む姿勢もいつもよりゆっくりだ。
(やっぱり……しんどいんだよな)
地球ではナプキンもカイロもある。
けれど、この世界では布一枚と川の水しかない。
(ショーツは渡した。擦れは減ったけど……血そのものの問題は残ってる)
「リヴ。月の日ってさ……森の奥は、やっぱ怖いか?」
リヴは枝で地面をなぞるのをやめ、声を落とした。
「血のにおい、獣が寄る。
あと……冷える。布が濡れて……ずっと冷たいまま。
腰も、お腹も……重い。
行けるけど……行きたくない」
(“行けるけど、行きたくない”……)
森で暮らすリヴの生活にとって、それは大問題だった。
「前に言ったけどさ。地球のほうには“月の日の道具”があるんだ」
リヴは小さくうなずいた。
「ナプキン、でしょ?
はじめて使ったとき……わたし、ほんと感激したよ。
布の冷たさも広がるのもなくて……“あ、こういう世界があるんだ”って思った」
「でも、買えるのは地球だけだ」
「うん。わたし一人ならまだしも……街の女の人みんなには無理だよね」
「なら、作るしかない。
ナプキンをそのままは無理でも、原理なら真似できる」
「原理……?」
「“布の中に、血を吸って留める力を持つ何かを入れる”んだ」
リヴは瞬きをした。
「……そんな“何か”って、この世界にある?」
「たとえば――スライム」
「スライム!? あのぬるぬるの魔物!?」
ナオキがスライムを例に出すと、リヴは眉を寄せながらも真剣に考えはじめた。
「……スライムって、こわいし気持ち悪いけど……
水を吸って膨らむ性質は、すごく強いよね」
「うん、そこなんだよ」
リヴは小さくうなずき、続けた。
「薬師さんがさ……あれを“冷やす湿布”に使うことがあるんだって。
傷の熱を取ったり、腫れを引かせたりするのに。
だから……性質だけなら、利用できると思う」
ナオキは驚いたようにリヴを見つめた。
「湿布に……? 湿布に使える実績があるなら、人の肌への安全性もあるな」
「うん。あれ、うまく処理すると“水を引き込む力”が残るの。
ぬるぬるは扱いづらいけど……乾かしたりすれば、使い道あるかもしれない」
リヴは森の子らしく、魔物の性質をよく知っている。
その知識が、月の日を助ける道具につながるかもしれない。
ナオキは、焚き火の光の中でゆっくりうなずいた。
「……リヴの知識、助かるよ。
その性質、まさに欲しかったやつだ」
リヴは照れくさそうに視線をそらした。
「そ、そんな……たいしたことじゃないよ。
ただ……森で生きてれば自然と覚えることだもん」
「でも、その“自然と知ってること”が大事なんだよ」
リヴの耳がじわっと赤くなった。
「……それで、ナオキの“月の日を軽くする道具”ができるなら……
わたし、なんでも手伝うよ」
「使い道次第だよ。
ただの魔物も、“役に立つ素材”に変わることがある」
リヴは目を細め、焚き火越しにナオキを覗きこんだ。
「……じゃあ、スライム探す?」
「頼りにしてるよ」
リヴはくすっと笑って、背筋を伸ばした。
「もちろん。森の子だもん」
「頼りにしてる」
「もちろん!」
翌朝。
森の湿り気が増す方向へ歩きながら、リヴが振り返った。
「スライム探し、今日は本気だよ?」
「材料が要るからな」
「新米冒険者でも倒せるけど……一般人には危険だよ?
足に触れたら赤くなるし、靴も溶ける。
“近づいちゃダメな魔物”って教わるやつ」
「だから誰も素材にしないんだよな」
「うん。得がないし、臭いし、腐るし、持ち歩けないんだよ。
薬師が冷やす湿布に使うくらいで……それも変わり者だけ」
リヴは肩をすくめた。
「でも、ナオキが“使い道ある”って言うなら手伝うよ。
わたし、森のスライムの住処全部知ってるし」
「頼りにしてるよ、森の子」
「えへへ……うん」
木々の間を抜けると、薄い霧の立つ湿地帯へ出た。
リヴの耳がぴくりと動く。
「……いた」
ぬるり、と半透明の塊が水面から出てくる。
「……ほんと、地球のゲームより怖いな」
「でしょ!?」
黒い核を胴に揺らしながら、ドロリと迫ってくるスライム。
地面に触れるたび、べちゃりと湿った音を立てる。
「ナオキ、動かないでね!」
「了解」
リヴは杖を構え、短い詠唱。
「《風刃》!」
風の刃が走り、スライムの外側だけがスパッと裂けた。
核は無傷で、スライムは弱りながらも形を保っている。
「核残すんだ?」
「うん。“体だけ取る”のって、ちょっと技術いるから……
このくらい弱らせれば簡単だよ」
リヴは枝を器用に使い、ゼリー状の体だけを持ち上げた。
「ほら、核に触れないように……こうやって採取するの」
「すごいな……」
「慣れだよ。森の子だからね!」
木皿にゼリーを乗せながら、説明を続ける。
「これね、普通は誰も素材にしないよ?」
「そんなに?」
「すぐ腐るし、臭いし、持ち運ぶと袋溶かすし。
冒険者も“倒して終わり”。核壊して燃やして終わり」
「だからこそ、誰にも邪魔されず作れるわけだ」
「そういうことだね。……変な使い道だけど」
さらに奥へ進むと、三体のスライムがずるりと出てきた。
「繁殖期だね。まとめてやる!」
「無理すんなよ?」
「ナオキのためなら余裕!」
リヴは軽やかに地を蹴り、魔力を放つ。
「《風断》!」
空気の刃で外側だけ削ぎ落とす。
核が露出したスライムに、続けて光の糸を投げた。
「《束縛》!」
糸が核に絡み、きゅっと締まり――ぱきん。
核が砕け、スライムはゼリーとなって崩れる。
「討伐完了。素材拾うね」
リヴは枝でゼリーを丁寧に集めて木皿に置いた。
「……なんか、もったいないよね。
今まで全部、森に捨てられて終わってた素材なんだよ?」
「使い道が見つかるまでは、そんなもんだよ」
森の匂いを含んだ風が、二人の間を通り抜けた。
拠点に戻ると、ナオキは小鍋を火にかけた。
リヴが木皿のゼリーを枝でつまみながら、ふと首を傾げた。
「……これ、煮るの……?」
「煮るとどうなるか、薬師が言ってたんだよな?」
リヴは小さくうなずき、少し眉を寄せた。
「うん……薬師さんがね、
“スライムは煮て干すと粉になる”って。
怪我のときの湿布に使う人、たまーにいるんだって」
「え、粉になるのか?」
「なるみたい。……ちょっと変わり者だけどね、その薬師さん……」
「否定はしない(変わり者なのはわかる)」
ぽちゃん、とゼリーが鍋に落ち――
ぶくぶくぶくぶくっと泡立ちはじめた。
「わああああああ!?
なにこれ!? 鍋が生きてる!!」
「跳ねるから近づくなよ!」
鍋はぐわぐわ震え、白い泡を弾かせる。
湯気は少し酸っぱい匂いを含んでいた。
「え、え、これ本当に粉になる……?」
「なる。……らしい」
リヴは目を細め、鍋の中をじぃっと見つめる。
スライムは煮られるほどに縮んでいき、
やがて“どろり”とした濃いゲル状になった。
「……匂い、だんだんマシになってきたね」
「水分が飛んでるからだな」
煮詰まってきたゲルは粘りを帯び、
皿に移すと、ぷるつくペーストのようになっていた。
「これ……干すの?」
「干す」
「……なんか、罪悪感ある」
「見た目に引っ張られてない?」
「見た目に引っ張られてる!!」
リヴは木板の上にペーストを薄く伸ばし、夕日が差す場所へ置いた。
日が沈むころ。
表面が白く、パリッと乾いている。
「これ、叩くの?」
「叩いて粉にする」
木槌で軽く――ぱりん。
薄い氷が砕けるみたいに、乾いたスライムが割れた。
「……あ、粉っぽくなった!
スライムじゃなくなった!!」
「これが“吸う粉”の候補だ」
ナオキは小瓶に入れ、軽く振った。
灰色と白の中間の、ほこほこした粉。
(見た目は……薬草粉って感じだな)
リヴが興味津々に指を伸ばす。
「触って……いい?」
「だめ! 素手は危険。皮膚が荒れるかもしれない」
「そ、そっか! つい……」
リヴは慌てて手を引き、耳まで赤くなる。
「ねえナオキ。
これ……街じゃ本当に価値ないよ」
「うん。むしろ邪魔者扱いだろうな」
「冒険者も、倒して終わり。
素材として持って帰る人なんていないし……」
「だからこそ、誰にも邪魔されず作れる」
ナオキは瓶を指で弾いた。
「必要な人にだけ渡せばいい。
商人に独占されるほどの価値は、今はない」
リヴは粉を見つめ、そっと息をついた。
「……ほんとに、誰も使わなかった物が、役に立つんだね」
「使い道を見つければ“宝”になる」
リヴの耳がぴくり揺れて、わずかに赤くなる。
「……ナオキ、そういうとこ好き」
「え?」
「なんでもない!! 次いこ!」
リヴがぱっと立ち上がり、誤魔化すように木皿を抱えた。
ナオキは布を広げ、粉を中心に置いた。
「よし……次はこれを布に仕込む」
リヴが横に座り、興味深そうに身を乗り出す。
「包むの?」
「ああ。袋状にして真ん中に集めるんだ」
手縫いで縫い閉じると、楕円形の“試作品1号”が生まれる。
「……なんか、“つよそうな布”って感じ」
「吸うかどうか、大事だからな」
「これ、わたし着けてみても……いい?」
「粉の量がまだ不安だから、1号はテストだけにしよう。まず水で試す」
木皿に置いた試作へ水を垂らす。
じゅわっ。
「わあ……沈んだ……!」
「粉が水を吸って、芯になるんだよ」
「おおおーーー……!
……でも、ちょっと固い?」
「だな。2号は粉をもっと細かくする」
翌日、二人はスライムをさらに細かく砕き、均一にした粉を作った。
リヴが小瓶を振りながら目を輝かせる。
「昨日より……さらさらしてる」
「これが2号用だ」
布を三層にし、真ん中に粉袋を入れて縫い合わせる。
昨日よりはるかに滑らかで、厚みも均一な“試作品2号”が出来上がった。
リヴはそっと指で輪郭をなぞった。
「形、昨日よりきれい……」
「さすがに手が慣れてきたからな」
夜。
リヴは2号を月布と併用して、身に着けた。
(……重くない。
冷たくない……?
あ、ずれてこない……)
森の寝床で、リヴは胸の奥がじんわり軽くなるのを感じた。
翌朝。
薄い朝霧をくぐり、リヴはそっとショーツを下ろす。
「……うわ……」
真ん中だけが――
赤く、しっかりとした“ふくらみ”になっている。
(広がってない……)
いつもなら太ももまでべたっと冷えが伸びるのに、今日は違う。
中央だけで止まり、シミーズの汚れもごく小さな点だけだった。
「……洗うの、楽だ……」
森の水場で布を洗いながら、リヴは思わず笑ってしまった。
こんな朝は、初めてだった。
拠点へ戻ると、ナオキが焚き火の前で道具の手入れをしている。
「どうだった?」
リヴは枝をつつきながら答えた。
「……楽だったよ。
冷えも、いつもの半分くらい。
擦れもほとんどなかった」
ナオキの肩が、わずかに安堵で落ちる。
「本当に?」
「うん。
……怖くなくなった。森の奥も」
ナオキは焚き火越しにリヴを見て、静かに微笑んだ。
「作った意味があるよ」
リヴは薪をぽきっと折り、小さく言う。
「……月の日に、森が“遠くなくなる”って……
わたしには、すごいことなんだよ」
ナオキはゆっくりうなずいた。
「それだけで十分だよ」
リヴは少し照れたように顔を伏せ、それから冗談めかして続けた。
「……ほんとにすごいよ、ナオキ。
“股の布の問題に、本気で向き合う男”なんて、他に見たことないもん」
「その言い方やめろ」
リヴがくすりと笑い、森に温かさが広がった。
ナオキはひと息ついて、火の先を見つめる。
「……リヴ。一度、地球に戻ろう」
「え? なんで?」
「この布、街で量産するには“型紙”が必要だ。
正確な形を作るには……あっちのほうがずっと早い」
リヴは小さく息を吸って、こくんとうなずいた。
「……うん。行こう」
二人は肩に触れた瞬間、光の粒に包まれた。
――六畳の部屋の空気が帰ってきた。
リヴは窓の外を見て、ほっとしたように笑った。
「……やっぱり、ここの空気、落ち着くね」
ナオキはクローゼットから白いケースを取り出す。
ぱちん、と留め具を外すと、小型の家庭用ミシンが現れた。
リヴの耳がぴょんと立つ。
「え……? これ……箱じゃなくて、道具?」
「縫う道具。針が自動で動く」
「じ、自動で!?
ナオキ、それ魔道具じゃなくて!?」
「魔道具じゃないよ。電気で動くんだ」
コンセントをさした瞬間、ピッ、と電子音。
リヴがバッと跳ねる。
「ひっ……なんか言った!!」
「言ってないよ。電源入っただけ」
リヴは完全に怯えつつ、興味津々だ。
ナオキは布を重ね、ミシンにそっと入れた。
ペダルを踏む。
タタタタタタッ!!
「!!?
な、な、なにそれーーーっ!!
はやっ!? はやっ!!
手より百倍はやいよ!!?」
「まあ、手よりはね」
「“よりはね”じゃないよ!!
こんなの、絶対工房に欲しい!!
でも……電気が……ない……」
「そう。だから工房には使えない。
これは見本を作るための道具」
リヴは針を凝視し、震えた声でつぶやいた。
「……ズルいよ……ナオキの世界の道具……」
ミシンで縫い上げられた布は、市販品のように整った楕円形。
リヴはそれを手のひらに載せ、そっと抱きしめた。
「……街の女の人たち、絶対よろこぶ……
月の日に泣く子……減るよ……」
ナオキは小さく頷く。
「これを見本にして街の工房で作ってもらう。
最初は手縫いで十分だ」
「手縫いなら……たくさん雇えるよね?」
「そう。それが大事なんだ」
ナオキはミシンの針を見ながら続ける。
「縫い子にできる人は多い。
困ってる女の人、子供、働き口のない子……
全部雇える。しかも“日払い”で給金を渡せる。
俺が出せるなら、賄いの食事もつけたい」
リヴの瞳がぱっと輝いた。
「……それ、すごくいい!
街には、働きたいのに働けない子、いっぱいだよ。
家が貧しくて学校に行けない子も……
でも、針仕事ならできる子、ほんとに多いの!」
「だから最初は手縫いでいい。
需要が増えて、布と糸の質が整って――
そのあとで“足踏み式ミシン”だ」
「昔あったって言ってた……足で動かすやつ?」
「そう。設計図を描けば作れるかもしれないけど……
鉄と木を使うから高いし、街の鍛冶じゃ精度が難しい」
「じゃあ……段階的に、だね」
「その通り」
リヴは試作品を胸に抱き、少し照れくさそうに微笑んだ。
「“月の日が怖くなくなる女の人”が増えて……
“働く場所ができる子”も増える……
二つ一緒に助かるって……なんか、いいね」
「街の未来が変わるよ。
工房が大きくなるほど、雇える人数も増える。
布ナプキンの品質も上がる」
「……すごいよ、ナオキ。
本当に“月の日を軽くする道具”ができちゃったね」
「まだ途中だよ。もっとよくする」
リヴは真っ直ぐナオキを見つめ、そっと言った。
「……いっしょにやろ?
森の子として、月の日が怖くない世界、作りたい」
六畳部屋の静けさの中。
ミシンの横で、リヴの瞳はまっすぐ未来を見ていた。




