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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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私の“がんばる”が動き出す日

 朝の空気は少し冷たかった。窓をほんのわずかに開けた瞬間、ひやりとした風が頬をなでていき、淡い眠気の残る体に小さな合図を送った。部屋の静けさは夜の名残を抱えたまま、それでもどこか新しい一日を迎える準備をしているように思えた。


 テーブルには、昨日買ったばかりの白いスニーカーの箱が置かれていた。きれいな光沢の残る外箱に触れた途端、胸の奥に温かく弾むような気持ちが戻ってくる。忘れたくない感情だった。私は箱をそっと抱きしめ、元の場所に大切に戻してから、鏡の前へと歩いた。


 鏡に映った自分が、何か言いたげにこちらを見返していた。昨日のあの瞬間に生まれた気持ち——もっとがんばりたい、と願ったあの思いが、まだ胸の奥で静かに灯っている。小さな火なのに、消えずに残っていた。


「……ナオキ」


 声は自然に漏れた。呼ばれた本人は、洗濯物を畳んでいた手を止めてこちらを振り向いた。


「うん?」


 ただそれだけの返事なのに、胸の奥がくすぐったくなる。いつの間にか、こうした何気ない仕草が心を温めるようになっていた。


「今日ね……髪、すこしだけ……かわいくしたい」


 言いながら、自分の声が少し震えているのが分かった。慣れない願いだった。けれど、それでも伝えたかった。


「お、いいね。どうしてみたい?」


「……うしろで、むすんでみたい。耳……かくして」


「そっか。じゃあ、椅子座ってみ」


 促されるままダイニングの椅子に腰を下ろした。鏡越しに見える自分の表情はどこかこわばっていて、昨日よりも少し背筋が伸びているようにも見えた。


(こわい。でも、やりたい)


 そんな気持ちが胸の奥で混ざり合っていた。


「髪、触るよ」


「……うん」


 ナオキの指がそっと髪に入り込んだ。ゆっくりとすくうように動く指先が頭皮に触れ、その度にふるりと体の奥まで震えが走る。背中に細い息が通るようで、息が浅くなった。


 森で暮らしていた頃、髪はただ束ねるだけのものだった。風で乱れようが、枝に引っかかろうが気にすることは少なかった。誰かに触れられることなど考えたこともない。ましてこんなふうに、大事に扱われるなんて想像もしていなかった。


「リヴの髪って細いんだな。すごくきれいだよ」


「昨日……ミサキにも、いわれた……」


「そうだろうな。ほんと、きれいだよ」


 言葉が静かに胸に落ちていった。どう返せばいいのか分からず、でも確かに嬉しくて、胸がきゅっと締まる。こんな気持ちは初めてに近かった。


 耳の位置を確かめるように髪を包むナオキの指が、そっと首筋をかすめた。呼吸が止まりそうになり、心臓が跳ねる。


「ここ、痛くない?」


「……だいじょうぶ」


 本当は全然大丈夫なんかじゃない。痛みではなく、胸が熱くなって苦しくなるほどだった。


 けれど、その苦しさを不快だと思わなかった。むしろ心の奥のどこかで、その感覚を大切に抱きしめていた。


 やがて髪がまとまり、後ろでひとつの形になった。


「はい、見てみな」


 鏡に映る自分を見た瞬間、思わず声が漏れた。いつもの自分なのに、どこか違う。耳はそっと隠れ、揺れる後れ毛が柔らかい雰囲気をつくっていた。


「……すごい……かわいい……」


「いや、もともとかわいいけどな」


「な、ナオキ……」


 心臓がさらに強く鳴る。体のどこかが熱くなり、手が自然に膝の上で握られた。


「耳もちゃんと隠れてるぞ。これなら外に出ても安心だ」


「ほんとに……?」


「ああ。ほら、昨日買った帽子かぶってみて」


 帽子をそっと頭にのせる。つばが影を作り、瞳が自然に落ち着いた色を帯びたように見えた。自分で言うのもおかしいが、さっきよりもさらに柔らかくなっている気がした。


「……どう?」


 ナオキは数秒、何も言わずに見つめていた。その沈黙が少し怖く、でも嬉しくもあった。


「……やばいな」


「や……ばい……?」


「かわいいよ。すごく」


 その一言に、思わず息を飲んだ。胸に温かいものが広がり、涙が滲みそうになった。


「……ほんと……?」


「ああ。ちょっと自慢したくなるくらいだな」


「じ、自慢……?」


「いや、なんでもないよ」


 耳の後ろを掻いたナオキの仕草が、また胸の奥をそっと揺らす。私は帽子のつばを指先でそっと触れた。


「ナオキ、ありがと。むすんでくれて……。こういうの、してもらったことなかったから」


「いいよ。言ってくれれば、またいくらでもやるから」


「ま、毎日……?」


「やりたければ、ってことだよ」


 けれど胸はきゅっと鳴った。毎日という響きが、どこか特別に聞こえてしまった。


「ねえ、ナオキ」


「うん?」


「今日の私……昨日より、かわいくなった?」


 昨日より街に慣れた自分。外に出るのが怖くなかった自分。かわいくなりたいと思えた自分。ナオキの隣に立ちたかった自分。


 その全部を確かめたかった。


 ナオキは少し照れたように目をそらし、それでも優しい声で言った。


「……ああ。昨日より今日のほうが、かわいいよ」


 胸の奥がきゅっと締めつけられたのに、痛みはなかった。むしろ温かくて、息が深く吸えた。


「……じゃあ……もっと、がんばる」


「いや、もう十分頑張ってるよ」


「もっと……」


「何を?」


「ないしょ」


 自分でも、まだ言葉にはしたくなかった。胸の中の小さな火をそっと守るようにしていたかった。


 外へ出ると、風が髪の先を揺らした。昨日よりも少しだけ強い風。でも心は揺れずに立っていた。


 ショッピングセンターに着く頃には、緊張よりも期待のほうが少しだけ勝っていた。帽子を押さえて深呼吸する自分に、昨日より少しだけ勇気が宿っているのが分かった。


 化粧品売り場の入口。昨日は怖くて立ち止まった場所。けれど今日は違った。私は、自分の意思で足を踏み出した。


 化粧品売り場に足を踏み入れた瞬間、ほんのりした香りが広がった。昨日はその柔らかな匂いですら胸がつまるほど怖かった。けれど今日は、風が流れるように自然に受け取れた。


 ナオキは少し前に立ち、私が迷いそうになる方向をそっと塞ぐように歩いてくれていた。言葉にしなくても、その位置が安心になる。


「この辺りは匂いが弱いよ。肌に強くつくやつじゃなくて、色を少しのせるくらいのものが多いから」


「色、のせる……?」


「そう。おしゃれの入口って感じかな」


 ナオキの声は低くて落ち着いていて、昨日よりも聞こえ方が優しかった。私が緊張しているのを察して、いつもより少しゆっくり話してくれているのが分かった。胸の奥が、じんわり広がる。


 私は棚に並ぶ小さな瓶にそっと手を伸ばした。光を受けてきらりと色が変わった気がして、思わず指先が止まる。


「あ……きれい……」


「うん。似合いそうだよ」


「に、にあ……?」


「リヴがつけたら、たぶんもっときれいに見えると思う」


 そう言われると、こそばゆくて、恥ずかしくて、でも逃げたくはなかった。昨日までの私なら、こんな場所で褒められたらすぐにうつむいてしまったはずだ。それでも今は、聞きたい気持ちと嬉しさが胸の中でそっと手をつないでいる。


 そのとき、店員が近づいてきた。昨日とは違う人だったが、姿を見るだけで緊張が胸をつかんだ。


 私は反射的に体を縮めた。耳を隠した帽子がずれていないか気になり、指がつばに触れる。


 その瞬間、ナオキがすっと前に出て、自然な声で店員に向き直った。


「この子、ちょっと恥ずかしがりでして。日本語も勉強中なので、できれば軽く試せるくらいでお願いできれば」


 驚くほど自然で、私を守るような言い方だった。昨日より距離が近く感じられた。


 店員は柔らかく笑って、小さく頷いた。


「では、手の甲に少しだけ試してみましょう。無理はなさらないで大丈夫ですよ」


 優しい声だった。誰も私の帽子も耳も気にしていない。それだけで胸のつかえが少しずつ溶けていく。


(……こわくない……。昨日よりずっと、こわくない)


 私は小さく頷き、手の甲を差し出した。店員がほんの少しだけ色をのせると、光を受けて柔らかく揺れた。


「……きれい……」


「うん。似合ってる。リヴにすごく合ってるよ」


「……ほんと……?」


「ああ。今日のリヴ、すごくきれいだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が静かに熱くなった。昨日の私が恐れていた売り場で、今日はちゃんと息ができる。そして、褒めてもらえる。


(昨日とは違う。ちゃんと前に進めてる)


 そう思えただけで胸が膨らんだ。


「昨日より……こわくなかった」


 つい言葉になった。


「だよな。すごく頑張ってたよ」


「……がんばったよ、私」


「うん。ほんとに」


 ナオキの笑顔が優しくて、胸の奥がさらに温かくなった。


 売り場を離れても、甲にのった色はまだ残っていた。指でそっとなぞると、少しひんやりしていて、光の角度で表情を変えた。


 私はそのままナオキの袖をにぎった。


「ね、ナオキ」


「うん?」


「今日の私……すこしだけ、きれいになった?」


 昨日より肩をすぼめずに歩けた自分。髪を結んでもらって外に出られた自分。化粧品の前で逃げなかった自分。


 その全部を確かめたかった。


 迷いはなかった。ナオキは穏やかに目を細め、優しい声で言った。


「……うん。今日のほうが、ずっときれいだよ」


 胸があふれそうになる。涙がこぼれそうなのに、泣きたいわけじゃない。ただ、胸の奥が熱くて、嬉しくて、息が深く吸えた。


「……じゃあ……もっと、がんばる」


「はいはい。好きなだけ頑張れ」


「うん……がんばる」


 帽子のつばが揺れた。その影の奥で、昨日より少しだけ深く、胸の中の小さな芽が伸びていくのが分かった。


 家に帰る頃には、手の甲についた色も、帽子の影も、髪の結び目も、全部が今日の私を作っている気がした。


 靴を脱ぎながら、私はそっと振り返った。


「ナオキ……きょうね……すこしだけ、自分がすきって思えた」


 ナオキは驚いたように目を丸くし、それからゆっくりと笑った。


「それが一番だよ。俺は、そうやって少しずつ好きになってくれるなら、それだけで十分だよ」


 その言葉に、胸の奥がじんと熱くなった。


「……うん」


 たった一文字なのに、胸の奥に静かに沈んでいく。


(もっと、自分を好きになりたい。もっと、今日みたいに進みたい)


 その願いは、昨日の私にはなかったものだった。


 結ばれた髪の重さが、今日の勇気をそっと支えてくれているように感じられた。

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