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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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はじめてのおしゃれ

 朝の光がカーテンの隙間から静かに滑り込み、部屋の片側を淡く照らしていた。

 起きたばかりの空気はまだ少しひんやりしていて、私は手の中のコーンスープがすっかり冷めていることにも気づかないまま、ただテーブルの上のスニーカーの箱を眺めていた。


 白くて、軽くて、昨日の帰り道の全部を思い出させる靴。

 見ているだけで胸の奥がそっと温かくなる。


「……ナオキ」


「ん?」


 食器を拭いていたナオキの手が止まった。

 私は胸の奥に引っかかっていた言葉を、思わずこぼしてしまった。


「きのう……ミサキ……かわいかった」


「まあ、先輩だからな」


「……私も……かわいくしたい」


 言った瞬間、自分でも驚くほど心臓が跳ねた。

 胸の奥の、小さな灯りを誰かに見せてしまったみたいで、息が少しだけ浅くなる。


「かわいいよ、普通に」


「普通にって……なに……?」


「いや……その……」


 ナオキが言い淀む。

 私は鏡の前に立ち、髪を結ぼうと両手を上げた。


 その瞬間だった。


「おい待て!!」


 跳ねるような声が飛んできて、私はびくっと肩を震わせる。

 髪が上がった下、隠れているはずの耳の付け根がしっかり見えていた。


「……で、でた……?」


「完全に出た。ポニテはまだ無理だって」


 慌てて髪を下ろし、帽子を深くかぶり直す。

 胸の奥がひゅっと縮まる。


「……すこし……すっきりしたかっただけ……」


「かわいいけど、耳がバレるからな」


「……バレたら、こまる……」


 肩がしゅんと下がる。

 そんな私を見て、ナオキは息を吸って静かに言った。


「じゃあ今日は帽子も買おう。耳が絶対隠れるやつ」


「ぼうし……もっと、かえるの?」


「帽子なんて無限にあるぞ。似合うやつ探そう」


 その言葉だけで胸がぱっと明るくなった。


「……みてみたい」


「よし、行くか」


 白いスニーカーを履いて外に出ると、ふわっとしたクッションが足裏を押し返してくれたようで、心まで持ち上げられる気がした。

 帽子を押さえながら歩いていると、ナオキが苦笑した。


「そんなに押さえたら逆に怪しいって」


「……でも……耳が……」


「大丈夫。誰も見てないよ」


 その声だけで、こわさの半分がほどけた。


 ショッピングセンターに着くと、ナオキは迷わず帽子売り場に向かった。

 壁いっぱいの帽子たちを見て、私は思わず固まる。


「……これ……全部、ぼうし……?」


「全部だよ」


 目で追いきれないほどの形と色。

 私はそっと、つば付きのニット帽に触れた。


「……やわらかい……」


「試してみな。耳も隠れる」


「……うん……そっと……」


 人目を気にしながらかぶると、耳がすっぽり隠れた。

 鏡に映った私は、まだ“こわい”けれど、ほんの少しだけ“なりたい自分”に近づいた気がした。


「お、似合ってる。かわいいぞ」


「……ほんと……?」


「ほんと」


 帽子の影からのぞく自分の目が揺れているのが分かった。


 ナオキは次に、バケットハットを手に取る。


「これなんか自然でいいだろ」


「……ふわってしてる……かわいい……」


「よし、それも買おう」


「ふたつも……?」


「似合ってるからいいだろ」


「……にあってる……」


 胸の奥がくすぐったくなり、私は帽子をぎゅっと抱きしめた。


「次、化粧品コーナー行ってみるか。見るだけな」


「みる……がんばる」


 昨日より少しだけ力のある“がんばる”だった。


 だが、化粧品売り場に入った瞬間、私は息を呑んだ。


 煌びやかな光。甘い香り。無数の小さな瓶や箱。

 頭がくらっとする。


「……きらきら……ながい……なんか……いっぱい……」


 帽子を押さえながら身を縮めていると、店員が近づいてきた。

 私はびくっと体を震わせる。


 声は優しいが、突然の距離に心臓が跳ねた。

 日本語はまだ不安で、場所の空気にも飲まれそうだった。


 その瞬間、ナオキが前に出て私の前に立った。


「友達に化粧品見せたくて」


 その声が壁みたいに前に立ったことで、胸が少しだけ軽くなる。


「お肌すごく綺麗ですね。ハーフの方ですか?」


 心臓が跳ね上がる。

 帽子の端から耳の付け根が見えていたのだろう。


(ばれた……?)


 けれど、店員の表情には疑いなど一切なかった。

 ただ褒めただけ。


「本当に綺麗ですね」


 緊張していた胸の奥が少しだけゆるむ。

 ナオキがすぐに話をそらした。


「いや、ちょっとシャイで。日本語もまだで」


 私は帽子を押さえ、売り場を離れるまでほとんど喋れなかった。


 外に出ると、やっと呼吸ができた。


「……ナオキ……ばれた……?」


「いや、全然。外国のハーフかって意味だよ」


「……こわかった……」


「よく頑張った。ほんとすごいよ」


 そっと手を握られる。

 その温度で、張りつめていたものがゆっくり溶けていく。


 廊下を歩きながら、胸の奥の緊張がゆっくり落ち着いていくのを感じた。

 人混みのざわめきや、エスカレーターの音さえ、さっきより少しだけ静かに聞こえる。


「ね、ナオキ……」


「ん?」


「……私ね……ほんとは……髪も、かわいくしたかった……」


 言った瞬間、胸がまたぽっと熱くなった。

 昨日までは思いもしなかったことを、今日の私は当たり前のように言っている。

 その変化が少し怖くて、でも嬉しくて、息がうまく整わない。


 ナオキは歩きながら、少しだけ照れたように目線をそらした。


「知ってるよ。朝、鏡の前で何度もやってたろ」


 その一言で、心がぐっとあたたかくなる。

 見られていたことが恥ずかしくて、嬉しい。


「だって……ミサキ、きれいで……

 ナオキ……にこってしてて……

 だから……私も……すこし……」


 そこまで言って、言葉が詰まる。

 胸がぎゅっとなって、その先を言うのが怖い。


 けれど、止まれない。


「……かわいくしたい。ナオキに……」


 耳まで一気に熱くなる。

 言った瞬間、自分で自分に驚いた。

 こんなことを言うなんて、昨日の私は考えもしなかっただろう。


 ナオキは一瞬固まったように見えた。

 けれど、時間をかけて声を絞り出す。


「いや……変じゃないよ。むしろ……うれしい……」


 震える声だった。

 その震えが、私の胸までゆっくり温める。


「ね……耳、かくしたまま……かわいくできるやり方……いっしょに探して?」


「ああ。探す。全力で」


「私も……がんばる」


「はいはい」


 軽い返事なのに、安心がすっと胸に落ちた。

 いつもの調子なのに、いつもより優しく聞こえる。




 買ったばかりのバケットハットをかぶり直す。

 鏡がなくても分かる。

 さっきより少し表情が明るくなっている。


「ね……ナオキ」


「どうした?」


「……今日の私……すこしだけ……かわいい?」


 胸がぎゅっとして、足が止まりそうになる。


 その答えを、私は人生でこんなに必要としたことがあっただろうか。


 ナオキはゆっくりと私を見て、少しだけ笑った。


「かわいいよ。ちゃんと」


「……ほんと……?」


「ああ、本当」


 胸の奥で、静かな音がしたような気がした。

 少しあたたかくて、少しくすぐったい。


(もっとかわいくなりたい)


 帽子の影で、自然と口元がゆるむ。




 外に出ると、夕方の風が少し冷たかった。

 私は帽子のつばをそっと触れながら、ナオキの横を歩く。


「……ナオキ」


「ん?」


「この帽子……へんじゃない……?」


「全然。似合ってるよ」


 その声があたたかくて、胸の奥がすっと軽くなる。

 けれど、外に出るとどうしても落ち着かない。


(見られてる……?)


 そんなはずはないのに、自分が変わったことが気になって仕方ない。


「気にしすぎると余計に目立つぞ。ほら、少し力抜いて」


「……ぬく……むずかしい……」


「まあ、少しずつな」


 言われた途端、肩の力がすっと抜けた。

 ほんの少しだけ、風の音が柔らかくなる。




 駅前のガラスに、自分の姿が映る。

 私は思わず足を止めた。


(これ……私……?)


 帽子の影で輪郭が柔らかくなり、視線は前より上向きだ。

 姿勢も、昨日よりほんの少しだけまっすぐ。


「どうした?」


「……みえた。わたし……ちょっと……かわいい」


 ぽつりとこぼれた言葉に、ナオキは少し驚いて、それからゆっくり笑った。


「そうだよ。ちゃんとかわいいよ」


「……ほんと……?」


「ほんと」


 胸がぽっと熱くなる。

 自分の姿から目をそらした。




 帰り道。

 ゆるい坂道の影の中で、私はまた言っていた。


「ナオキ……」


「ん」


「わたし……もっと……きれいになりたい」


 その言葉が出た瞬間、胸の奥が少し震えた。

 恐怖じゃなく、前に進むための震え。


「いいことだよ。そう思えるの、大事だ」


「……うん。でも……がんばれるか……わからない」


「分からなくていいよ。できる分だけで十分だ」


 その穏やかな声が、胸をいっぱいに満たす。

 なんでもない言葉なのに、泣きたくなるほど優しい。


「ナオキ……すき。そういう……ことば」


「はいはい。分かった分かった」


 照れ隠しみたいに笑いながら、小石をつま先で蹴るナオキ。

 その横顔が、夕方の光で少し柔らかく見えた。


 アパートが近づくころには、空は濃い藍色に変わり、街灯の光が道に長く落ちていた。

 夕方の風が帽子のつばをそっと揺らすたび、胸の奥で少しだけ勇気が揺れた。


 階段の前で私は足を止めた。

 スニーカーのつま先を見つめ、指先で帽子のつばをなぞる。


「ナオキ……」


「ん? どうした」


 私は胸の前で小さく手を握った。

 今日、何度も聞いた言葉を、もう一度だけ口にした。


「きょうのわたし……すこし……かわいい?」


 自分で聞きながら、胸がぎゅっと縮む。

 三度目でも慣れない。

 でも、この問いを投げられるようになった自分が、昨日とは違って見えた。


 ナオキはしばらく私を見つめ、それからゆっくりと息を吐いた。


「かわいいよ。ほんとに」


 その声は嘘がつけない人の声だった。

 だから胸の奥がふわっと広がる。


「……よかった……」


 そのまま階段を上った。

 今日は、段差の一つ一つが軽かった。

 帽子を押さえる手も、もう震えていない。




 部屋に入ると、温かい空気がふわりと迎えてくれる。

 明かりがともった瞬間、今日はもう終わるんだと胸が少しだけ締めつけられた。


 スニーカーを脱ぎながら、私はそっと言った。


「ナオキ……

 あしたも……がんばる。

 おしゃれ……もっと……したい」


 その言葉が自分の口から出たことが、自分でも信じられなかった。

 昨日の私は、こんなこと思いもしなかった。


 ナオキは靴箱の横に手を置き、少し困ったように、でもほんの少し嬉しそうに笑った。


「いいよ。ゆっくりでな。

 急がなくていいから」


 私は小さくうなずいた。


「……うん。ゆっくり……」


 胸にそっと触れる。

 今日一日で生まれた気持ちの形を、そこに確かめるように。




 そのあと、私は買ったばかりのバケットハットを紙袋から取り出した。

 ふわふわした布地が指に優しく沈む。

 店の光の中よりもずっと柔らかく見えた。

 それはたぶん、私の気持ちが少し変わったからだ。


 帽子をそっとかぶり、鏡の前に立つ。

 耳はちゃんと隠れて、髪も落ち着いている。


「……へんなの、かな……」


 つぶやいた途端、背後から近づく気配。


「変じゃないよ。似合ってる」


 ナオキの声が、余計な不安をすっと拭う。


「朝より、ずっといい顔してるぞ」


「ひょうじょう……?」


「そう。ちょっと、自信ついた感じ」


 自信なんてまだ全然ない。

 でも、言われた瞬間、胸の奥がじんわりと温まった。


「……もっと、かわいく……したい」


 ぽつりとこぼれた声に、ナオキは驚いたように瞬いた。


「リヴがそう思えるなら、それだけで十分だよ。

 いくらでも付き合うから、ゆっくりな」


 私は小さくうなずく。


「……ゆっくり……うん」




 ナオキがポーチから小さな色見本を取り出した。

 淡い色、小さなチップ、色の違い。

 全部、私にはまだむずかしい世界だ。


 でも――。


「リヴの肌は明るいし、こういうあたたかい色、合うと思う」


「……きれい……」


 その色を見て、胸がふわっとした。


「最初は分からないもんだよ。俺も全然分からんしな。

 だから、焦らなくていい」


 私はそっとナオキを見上げる。


「ナオキ……いてくれるから……できる」


 その言葉は、胸の奥から勝手に出てきた。


 ナオキは一瞬だけ固まったが、すぐ柔らかく笑った。


「そりゃよかったよ。

 リヴが嬉しいなら、それでいい」


 体の力がゆっくり抜けていく。




 鏡に映る自分の姿を見ながら、私はもう一度だけ尋ねた。


「ナオキ……

 この私……すこしだけ……かわいい?」


 ナオキはまっすぐ私を見て、静かに言った。


「かわいいよ。

 今日のリヴは、ちゃんとかわいい」


 その声だけで、胸の奥に花がひらくような気がした。




 夜。

 帽子をそっと机の上に置き、部屋の灯りを少し落とす。

 今日のすべてが胸の奥でゆっくり息をしていた。


(もっと……かわいくなりたい)

(もっと、胸を張ってナオキのそばにいたい)


 その願いが、今日の私を作った。


 明日、また少しだけ前に進める気がした。


(あしたも……がんばる)


 その小さな決意は、誰に見せるわけでもないけれど、

 帽子の影より静かに、確かに心の中で灯っていた。

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