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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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閑話:美咲、甘さと痛みのあいだで

 夜のモールは、土曜らしく人であふれていた。

 仕事帰りの人たちの表情には疲れが混じり、家族連れの子どもは風船を振り回し、

 カップルは手をつなぎながら同じ方向へ歩いていく。

 甘い匂いを漂わせる店が集まるフロアは、

 ちょっとした祭りのようにざわざわと温度を持って揺れていた。


(……こんなに賑やかだったっけ、ここ)


 仕事終わりに来るときはたいてい夜で、モールはもっと静かだった。

 でも今日はちがう。

 みんな何かを期待しているみたいに、表情が明るい。

 この空気の中に、あの子を連れてくる直輝くん……そう思うだけで苦笑が漏れた。


 エスカレーターを降りながら、ガラス越しにふたりを見つける。

 ベンチの端、ほんの少し窮屈そうに腰掛けている小さな背中。

 帽子を指先でつまみ、視線は下。

 いかにも、世界に対してまだ身構えている、そんな座り方だった。


(あの子が……リヴちゃん)


 直輝くんから送られてきたメッセージには、「訳ありの外国の子で……」とだけあった。

 彼の説明は昔から簡潔というより、“足りない”ことのほうが多い。


(それにしても、本当に来たんだね)


 少女の空気は、遠くから見ても分かった。

 怯え、覚悟、緊張、それでも逃げる気配はない。

 まだ幼いのに、自分でちゃんと決めてここに座っている。


「くる?」

「来るよ、あと少し」


 直輝くんの声が、昔より少し低くなった気がした。

 あの頃よりずっと、大人の声だ。


(変わったなぁ……直輝くん)


 時間の流れを感じながら、エスカレーターを降りきった。

 私はわざと明るく手を振る。


「おーい、直輝くん!」


 リヴの肩が、びくっと跳ねるように揺れた。

 その怯え方は、ただの引っ込み思案とはちがった。

 世界の輪郭そのものが違う場所から来た子――そう直感した。


「今日もちゃんと生きてた?」

「ギリギリです」

「ギリギリでも合格」


 昔からのやりとりを挟んで、私は少女を見る。


「この子が……リヴちゃん?」


 帽子の影から出てきた瞳は、不思議なくらい澄んでいた。


『はじめまして……ミサキ』


 発音は少し硬くて、言葉の音が揺れていた。

 けれど、その揺れの奥には嘘がなくて、まっすぐ私を見ていた。


(ああ、この子……偉いな)


 緊張していて、こわくて、でもきちんと目を見て挨拶する。

 それだけで大したものだ。


「名前呼んでくれてありがとう。会えてうれしいよ」


 彼女は小さく頭を下げた。

 声が震えているのに、背筋はすっと伸びている。

 簡単には折れない芯がある子だと思った。


 そして、スイーツバイキングの店に入った瞬間――


『……あまい……なにか……くる……』


 妖怪でも見たみたいに怯えて、袖をつまむ。

 でも、ケーキの海を前にすると、その表情はほんの数秒でほどけていった。


 プリンを一口食べれば動きが止まり、

 ホイップを食べれば椅子に沈み、

 レアチーズケーキを食べれば、目が潤む。


 びっくりするほど素直で、驚くほど無防備だった。

 しかも、それが全部“甘さに心を動かされただけの表情”なんだから、たまらない。


(こんなの……可愛いに決まってるでしょ)


 直輝くんの袖をちょこんとつまむ仕草も、

 肩にもたれるときの体重の預け方も、

 全部、迷子の子どもみたいで――

 それでも「もう一度、同じ味を知りたい」と思わせるような顔をしていた。


 あの子の感情は、表情と体温に全部出る。

 嘘がつけない。

 人を好きになれば、そのまま溢れる。


(恋をしてる顔だ)


 他人の感情を読むのは仕事の一部みたいなものだ。

 だから分かる。

 あの子は、甘いものよりも――直輝くんを食べるみたいに見ていた。


(……完全に落ちてるじゃん、この子)


 私が抱きしめたとき、

 リヴの肩の力がふっとほどけたのを感じた。

 あれは安心したときの反応だ。


(頑張り屋で、素直で、まっすぐで……なるほどね)


 別れ際。

 私はふと、振り返らずにはいられなかった。

 ガラス越しに見えたのは、直輝くんの袖をつまむリヴの姿。

 甘い物の余韻じゃない。もっと深くて静かな温度がそこにあった。


(……外国の子、ねぇ)


 直輝くんの説明は、やっぱり曖昧だった。


 聞いたことのない言語。

 文化差では埋まらない“初めて”の感性。

 そして、直輝くんのいつもの「まあ色々あって」的な省略。


(……まあ、直輝くんだし。普通じゃない出来事の一つくらい、今さら驚かないわ)


 だけど。


(この子、本当に直輝くんが好きなんだな)


 それだけは、どんな説明より確実だった。


 エスカレーターを降りたあとも、人混みはしばらく続いた。

 私はモールの外へ向かうふたりの後ろ姿を見送りながら、胸の奥がほんの少しだけ痛むのを感じていた。


(……ああいう子、好きにならないほうが難しいよね)


 嫉妬ではない。

 もっと落ち着いた、別の種類の痛みだった。


 あの子は、嘘がない。

 まっすぐで、素直で、まるで“初めて世界を知る子ども”みたいなのに、

 直輝くんを見る目は、ちゃんと少女のそれだった。


 自分の大事な人に会うのが怖くて、

 でも逃げたくなくて、

 震えながらも“ちゃんと向き合おう”と決めて席にいた。


(あれは強さだよ……大人でもなかなか出来ない)


 そして、スイーツを食べるたび、

 初めて知る甘さや驚きに目がきらっと開いて、

 迷子みたいに直輝くんを見てくる。


 あの無防備さは、計算では絶対に作れない。


(あの子は……ちゃんと恋してる)


 誰が見ても分かる。


 直輝くんの袖をつまむあの手。

 なにもかも初めてで怖いのに、

 それでも隣にいたいと思っている距離の取り方。


 あれはもう、隠せる感情じゃない。


 私は階下へ降りていきながら、胸の奥で小さく息をついた。


(……まあ、直輝くんだし。気づかれないようにしてるんだろうけど)


 彼は昔からそうだ。

 人に寄りかかるのが下手で、

 優しいのに、その優しさが時々“鈍さ”に変わる。


 そして、必要以上に「俺なんか」と思ってしまう癖がある。


(そのくせ、誰かのことを助ける時は迷いがないんだから……ほんと、変な子だったな)


 病棟で同じ夜勤をしていた頃の彼を思い出す。


 夜中のナースステーション。

 眠気と疲れで胃が痛むような時間帯に、

 彼が静かに缶コーヒーを差し出してくれたことがあった。


「美咲さん、これ飲んでください」

「あんた、気まずい時だけ差し入れするのやめな」

「たまたまですよ」

「はいはい、ありがとね」


 そんな、なんてことない会話が妙にしみた日だった。


(あれは恋じゃなかったけど……でも、良い時間だったな)


 私の心に、ほんの少しだけ残っている温度。

 それを壊したくないから、

 あの子を敵だなんて思う気持ちは欠片もなかった。


 ***


 次の日の職場は……まあ、地獄だった。


「ねえ美咲〜〜〜〜!!!」

「なに」

「昨日さぁ! 見たよ? 直輝くんと女の子!!!」

「……見てたんだ」

「見たよ!? めっちゃ距離近かったよ!?」


 同僚の千春は、好奇心と騒ぎたい気持ちの塊だ。


「どこの国の子? かわいかった!?」

「リヴちゃんっていうの」

「名前覚えてるの!?」

「インパクト強かったからね」


「で? 関係は?」

「居候の……訳あり外国の子」

「訳ありってどっちが?」

「両方」

「両方はもう“事案”だよ!!」


 うるさい。


 そこへ、他の同僚たちが集まってくる。


「ねえねえ見た私も! 帽子の子でしょ!? めっちゃ可愛いじゃん!」

「目がきれいだったー!」

「どこの国のモデルさん?」


「だから、詳しくは言えないって……ほんとに訳ありの子なの」

「美咲さんさ、その子のこと……敵じゃなくて守りに入ってたよね?」

「守ってないよ」

「でも抱きしめてたよね?」

「必要があったの」

「なにそれ優しすぎじゃん……」


「で?」

「はい出ました“で?”」

「直輝くん、その子のこと好き?」

「……気づかないふりしてるけど、分かってるでしょうね」


「やっぱり!!!」

「うわー! 青春だ!!!」

「推しカップル誕生!!」


「推すな。病院で推すな」


 まったく……。


 騒ぎがおさまって、私はようやく一息ついた。


(ほんとに……あの二人、悪い未来がぜんぜん見えないのよね)


 人柄の相性とか、感情の向き方とか。

 仕事柄、そういう空気には敏感だ。


 リヴの素直さは、直輝くんの孤独な部分に自然と寄り添うし、

 直輝くんのあの優しさは、リヴの不安を溶かせる。


(ああいう形って……壊れにくいんだよ)

(見てて分かる)


 私の役割は、外側から見守ることだけだ。


 ***


 仕事を終えて家に帰ると、

 静まり返った部屋が、さっきまでの騒ぎが嘘みたいに落ち着いていた。


 鍵を置き、バッグをソファに放る。

 ため息がゆっくりと漏れた。


(ほんとはね……)


(直輝くんの隣にいた時間、嫌いじゃなかったよ)


 夜勤明けの缶コーヒー。

 休憩室でふたりだけになった静かな朝。

 たまに交わす、なんでもない会話。


 それが消えてしまっても、

 私は別に“奪われた”とは思わなかった。


 その代わり。


(あの子が隣にいるほうが、自然なんだよね……)


 リヴのあの目。

 袖をつまむ指。

 喉の奥に溜めて言えずにいた言葉。


 あの子はちゃんと恋をしている。

 そして――

 直輝くんも、気づかないふりをしているだけで、

 あの子を大事に思っている。


「……幸せになりなよ、二人とも」


 声に出したら、胸が少しだけ締めつけられた。

 でも、その痛みは嫌いじゃなかった。

 大人になると、こういう痛みと折り合いをつけていくものだから。


(直輝くん。ほんと、手……離さないであげてね)


 窓から差し込む月明かりの中で、

 私はそっと目を閉じた。


(あの子、本当に……いい子だったな)


 胸に残る痛みは、静かで、やさしいものだった。


 お風呂上がりの湯気がまだほんのり部屋に残っている。

 鏡に映る自分の頬が少し赤いのは、湯のせいだけじゃない。


(……なんか、疲れたな)


 今日一日のことが、まざまざと思い返される。

 リヴちゃんの震える指先、はにかむ笑顔、必死で言葉を探す目。


 そして、あの子が見せた“恋をしている顔”。


(あんな素直な恋って……久しく見てなかったな)


 ふっと息がこぼれる。


 若い子の恋は綺麗だ。

 汚れがないとか、そういう単純な意味じゃない。

 何も知らないからこそまっすぐで、

 怖いのに踏み込もうとして、

 それでもちゃんと誰かを好きになる。


 あれは、嘘がない。


 私はタオルで髪をまとめながら、静かな部屋を見渡した。

 夜勤のある仕事をしていると、家の静けさがやけに胸に染みる日がある。

 今日はその強い日だった。


(……あの子、本当にいい子だったな)


 思い返すと、胸がじんわりあたたかくなる。


 最初の一声は震えていたのに、

 プリンを食べた瞬間に顔がほどけて、

 甘さに溺れかかったときも、

 困ったように直輝くんを見上げて。


 恋の色が、全部そこにあった。


(でも……その中にちゃんと“自分”がいたのも、良かったな)


 あの子は直輝くんに寄りかかるだけじゃない。

 彼の大切な人を尊敬しようとしていた。

 自分が“そこにいていいのか”を悩んで、

 それでも一歩進んで、

 少し泣きたくなるほどの勇気で、笑っていた。


(あれは……自分の足で立とうとしてる子の顔だよ)


 恋をすると、人は子どもにもなるし、大人にもなる。

 その両方を揺れながら、初めて“誰かを大事にする”形ができていく。


 リヴちゃんは、その真ん中にいた。


 私はベッドに座り、ぼんやりと自分の膝を眺めた。


(直輝くん、ほんと……ちゃんと向き合いなよ)


 心の声のつもりだったのに、少し口に出てしまう。


 彼はいつも自分を低く見積もる。

 優しいのに、優しいって自分で言えない。

 助けたいのに「俺なんて」って思ってしまう。


(でもね、直輝くん。あんた、あの子の世界では“特別”なんだよ)


 あの子が袖をつまんで見上げる瞬間の、あの瞳。

 あんな目を向けられるのは、一生のうちでもそう多くない。


 あの子は、ただ甘いものに驚いていたんじゃない。

 世界に触れていた。

 嬉しいことも、怖いことも、心が震えることも、全部初めて味わって、

 その全部を直輝くんに受け止めてほしくて、

 だから彼を見る。

 彼を呼ぶ。


(あの子にとっての“初めて”が、全部直輝くんなんだよ)


 そこに気づいたら……

 彼はきっと、逃げられない。

 逃げる必要もない。


 私はそっと窓を開けた。

 夜風がカーテンを少し揺らす。


 春の手前の、少し湿った匂い。


(……ああいう恋、守ってあげたいな)


 それは過干渉じゃなくて、

 大人としての、自然な気持ちだった。


 恋をしている子が迷ったら、少しくらい背中を押してあげたい。

 あの子なら、きっとただの甘やかしにはならない。

 ちゃんと受け止めて、ちゃんと成長する。


 私は、手すりに指を置いて、夜空を見上げた。


(リヴちゃん。あんたの“がんばる”は、多分すごく強いよ)


 あの子が最後に見せた、小さな決意の目を思い出す。

 恋の色が混じっていて、

 でも子どもの不安もあって、

 それでも前へ進もうとする揺れ。


 私にできるのは、見守るだけだ。


(私は、私の場所で頑張るよ)


 仕事では、誰かを救う立場で。

 私生活では、大人として、後輩たちに胸を張れるように。


(あの二人の未来が、少しでも穏やかでありますように)


 祈りにも似た気持ちで、窓を閉めた。


 部屋の灯りを落とすと、今日見た光景がふわっと甦る。

 甘さに溺れて泣きそうだったあの子の顔。

 袖をつまむ指。

 照れ隠しで真っ赤になった頬。

 そして――


『……ナオキ……だいすき……』


 あの声。


(……青春だねぇ)


 私は布団に潜り込みながら、ひとりで小さく笑った。


(二人とも、いい恋しなよ。大事にしなよ)


 その願いは、

 誰に届かなくてもよかった。


 ただ静かに胸に置いて、

 そっと目を閉じた。


 今日の痛みは、やわらかい。

 未来を祝福するための痛みだ。


 その痛みを抱えたまま、私は眠りについた。

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