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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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溺れる森の子

 入口の前に立った瞬間、甘い匂いがドアのすき間からふわっと漏れてきた。


 その匂いは、ただの香りではなかった。温度を帯びた気配として、鼻先から胸の奥へまっすぐ押し寄せてくる。


 リヴはその一撃だけで、見えない波に押されたみたいに後ずさった。


『……あまい……“なにか”が……押してくる……』


「押すね。今日は甘い店だから」


「ほら二人とも、入るよ。時間制限あるから」


 美咲に背中を軽く押され、リヴは声にならない小さな悲鳴をこぼしながら店内へ押し出された。


 足を一歩踏み入れた瞬間、世界が変わる。


 白いクリームの山。つやつやのプリン。ふわふわのスポンジ。

 ガラスケースにはタルト、パイ、ロールケーキ、ミルクレープ、ベリーケーキ、モンブラン、チーズケーキ。


 奥のコーナーではチョコレートの滝がとろりと流れ、果物ゾーンには葡萄、メロン、マンゴー、イチゴ、パイナップル、オレンジ。

 プリンは三種類、シフォンケーキは二種類。アイスは八種類。

 焼き菓子棚に並んだマドレーヌ、フィナンシェ、クッキー、パウンドケーキ。

 さらに、甘い匂いをまとったクロワッサンとロールパンが温かい空気をまとわせている。


 視界のすべてが甘さで埋まり、リヴはその場で完全に固まった。

 口が開いたまま閉じない。


『……あれ……全部……食べられる……?』


「全部だよ」


『ぜんぶ……? あれも……? これも……?』


「そう」


『む、無理……お腹じゃなくて……心が……無理……』


「心の容量の問題なんだ……」


 美咲は皿を取り、店員より早い手つきでケーキを次々と拾い上げていく。


「リヴちゃん、プリンとケーキ好きだよね? クリーム多いのは控えめにしてあげる」


『……み、みさき……つよい……』


「強くないよ。慣れてるだけ」


 最初の皿がリヴの手に渡った。


 なめらかに揺れるカスタードプリン。軽いホイップ。ベリーのミニタルト。ひと口サイズのチーズケーキ。


 リヴは震える指で皿を抱えた。


『……これ……わたしが……?』


「食べてみな。ゆっくりでいいから」


「全部、攻撃力高いから覚悟して」


『こうげ……き……?』


「いいから食べて」


 リヴは慎重にスプーンを持ち、プリンをすくった。

 つやつやと光る表面が、スプーンの先でわずかに揺れる。


 そして、一口。


 静寂が落ちた。


「リヴ? 止まった?」


『………………』


 まるで時間が止まったみたいに固まり、瞳だけがじわっと揺れ始める。


「……どう?」


『……これ……くちの中で……すぐいなくなる……』


「プリンだからな」


『いなくなるのに……味は残る……なんで……なんで……』


 ほとんど涙目でホイップを口に運ぶ。

 白いふわふわが舌に触れた瞬間、


『あ……あ……』


 膝から力が抜け、そのまま椅子へしずむように座り込んだ。


「美咲先輩、これ大丈夫です? 魂抜けてますけど」


「初めての子はみんなこうなるの。はい次ね」


 次はミニタルト。ベリーの甘酸っぱい香りがふわっと広がる。


「ほら、これ。味の流れがきれいだから」


「……なにその説明」


 リヴはそっとタルトを口へ運ぶ。


『……あ……芯が……ある……いちご……ほどける……』


「タルトに芯って概念あるのか……?」


『ナオキ……この赤いのみ……すごくすき……』


「苺な」


『いちご……覚えた……』


 次はレアチーズケーキ。淡い香りがふわりと漂う。


「これ、最初の山場だから」


『やま……?』


「いいから、食べて」


 一口。


『っ……! すっぱ……あま……』


 鼻に抜ける爽やかな香りに、リヴは肩を震わせた。


『こんな……の……初めて……』


「人類の粋だよ」


「言い方よ……」


 レアチーズを飲み込んだばかりのリヴの前に、美咲がすでに次の皿を差し込んでいた。


「はいシフォン。軽いからいけるよ」


『かるい……?』


「空気食べてるみたいなやつだよ」


「説明ざっくりしすぎでしょ先輩……」


 リヴはそっとシフォンを口へ運んだ。


『……あ……しゅわって……きえて……あまい……』


「うん、それで正解」


「語彙がどんどん溶けていくな……」


 続いてモカロール。ベイクドチーズ。

 甘さの方向が違うものが、次々とリヴの前に並ぶ。


 そして――果物用の皿も乗せられた。


「はい、じゃあ次はフルーツね。甘いばっかだと疲れるから」


『つかれる……?』


「疲れるよ。味覚がね」


『あれで……つかれてない……?』


「まだ全然」


『この人……つよい……』


 果物コーナーは、まるで宝石が並んでいるみたいに光っていた。


 イチゴの赤い粒。メロンの淡い緑。マンゴーの濃い橙。葡萄の深い紫。

 氷の上で冷やされたキウイ、ブルーベリー、パイナップル。


 リヴはその景色に目を丸くした。


『……きれい……ぜんぶ……気配がある……』


「食べ物の気配感じる人初めて見たよ俺」


 美咲がメロンをひと口大にすくって渡す。


「はい。これ、最初はこれがいいよ」


『め、めろん……?』


「落ち着いて食べな」


 リヴは小さく息を吸い、そっと口へ運んだ。


 一口。


『っ……! ……みず……? あまいみず……?』


「果汁ね」


『やわらかい……なのに……かたちがある……なにこれ……』


「詩的な説明だなー」


 続いて葡萄。


「これは皮ごといけるやつね」


『かわ……?』


「いいから食べてみて」


 リヴは半信半疑で口に入れた。


『……あっ……はじけた……!』


「それが葡萄」


『ひと粒で……いっぱい広がる……ずるい……』


「ずるいって言われたの初めてだよ葡萄も」


 次はマンゴー。


「濃いの好きならこれ絶対刺さるよ」


『こい……?』


 リヴはマンゴーを口に入れた。


 途端に――


『……っっっ……!』


 肩がびくっと跳ねる。


『なにこれ……くちの中で……おどってる……』


「踊ってないよ」


『おどってる……よ……?』


「踊ってないって……」


 リヴの語彙が溶け続けているのが、ナオキの目にも明らかだった。


 マンゴーの余韻が落ち着いたころ、美咲が腕を組んでうなずいた。


「よし、じゃあ……リヴちゃん。あれ行くよ」


『……あれ……?』


 美咲が指さした先。


 黒くて艶のある滝が、とろりと流れ続けていた。


 チョコレートファウンテン。


『……なに……あれ……』


「チョコの滝」


『た……き……?』


「地球の甘い魔法だよ」


 リヴは滝の前に立ち、完全に呆然とした。


 艶やかに流れ落ちる黒い液体。

 光を受けてゆっくり形を変えながら、絶えず落ち続ける。

 森で見る水の流れよりも、妖しく、甘く、やさしい気配。


『……ほんとうに……流れてる……』


「流れてる」


『これ……たべもの……? ほんとに……?』


「本物」


 ナオキはバナナを串に刺し、ゆっくりと滝にくぐらせる。

 チョコが厚くまとわりつき、艶を増したそれをリヴに差し出した。


「はい、これ」


 リヴは両手でそっと受け取った。


『……これ……すごい気配……』


「また気配で判断してるよこの人」


 小動物みたいに慎重に、リヴはひと口かじった。


 一口。


『――――っ!!!』


 声を出さずに叫んだ。


『すご……っ……あまいのに……すこしにがくて……それがまた……やさしくて……なんで……っ……!』


「チョコの三段階だね」


『さん……?』


「甘み、苦味、香りの順」


『……じゅん……?』


「もういいよ、食べな……」


 チョコを握りしめたまま、リヴはふらっとナオキの肩に頭を預けた。


『……ナオキ……しあわせ……』


「見りゃ分かる」


『からだが……あまくて……うごけない……』


「完全に溶けかけてるな……」


 美咲が次の一手を構える。


「よーし次、アイス行くよ」


「まだ行くんですか……?」


「当然でしょ。ここ、アイス八種類いけるんだから」


「先輩……ほんとに容赦ない……」


 アイスコーナーの前に立った瞬間、リヴはまた固まった。


 冷気がふわっと頬に触れ、淡い甘さが混ざった香りが鼻の奥をなでていく。


 バニラ、ストロベリー、チョコ、抹茶、ヨーグルト、ラムレーズン、メロンアイス、キャラメル。


 色とりどりの冷たい宝石みたいに並んでいた。


『……きれい……こおりの宝石……』


「詩的だなまた……」


「まずはヨーグルトからね。口がリセットされるから」


『りせっと……?』


「要は一回まっさらになるってことだよ」


 リヴはそっとすくって、口に運んだ。


 一口。


『……あ……すっぱ……でも……すっきり……』


「でしょ。じゃ、次バニラ」


『ばにら……』


 ひと口入れた瞬間、表情がふわっとほどける。


『……やさしい……しろい……あまい……』


「説明が抽象画なんだよ……」


「次チョコ」


『ちょ……また……?』


「別腹ってやつ」


『べつ……?』


「甘い物好きの呪文ね」


 チョコアイスを口に入れた瞬間、リヴの背筋が軽く震えた。


『……もう……やだ……あまい……』


「やだって言いながら食べてるよね」


『からだが……勝手に……』


「身体が学習したんだろ。甘さの吸収方法を」


 ラムレーズンでは目がとろんとし、メロンアイスではふるっと肩を震わせ、キャラメルアイスでは胸に手を当てて固まった。


『……あまい……とろける……』


「はいはい、水飲もうな」


「甘い戦場は休憩が命だよ」


「戦場の理論やめてくださいよ先輩……」


 リヴは椅子に沈み、スプーンを握ったまま完全に動かなくなっていた。

 帽子のつばがぐにゃりと指の中で折れ曲がるほど力が抜けている。


『……ナオキ……なみ……またきた……あまいの……』


「うん、顔で分かる」


 美咲が水を差し出した。


「はい、生き返る水」


『……みず……』


 コップを両手で抱え、ほんのひと口だけ飲む。

 その瞬間、表情がふわっと戻った。


『……すこし……もどった……』


「よし、じゃあ次」


『つぎ……?』


「ここでしょっぱさ入れるよ。味変タイム」


 ポテト、唐揚げ、塩気の強いスープ、フライドパスタ。

 不思議な形のサクサクした揚げ菓子まで並んでいる。


『……なんか……強そうな匂い……』


「強いよ。甘さに押されて死にかけてる味覚の救助隊だから」


「言い方が物騒なんだよ先輩……」


 リヴは恐る恐る、ポテトをひと口食べた。


『……あ……あまいの……ひいた……』


「ほらね。甘さで麻痺してただけ」


『まひ……?』


「味覚の神経が砂糖に溺れてたの」


「比喩が医療者のやつだ……」


 リヴはもう一度水を飲み、胸にそっと手を当てた。


『……はぁ……すこし……いきかえった……』


「うん、この辺で第二波行くよ」


『だい……?』


「次はパンケーキの波ね」


『ぱん……けーき……?』


 美咲が指さす先――

 そこには、丸くふくらんで湯気を立てる焼きたてのパンケーキが並んでいた。


 上に乗ったバターがゆっくり溶けて

 生地の表面をすべり落ち、

 甘い香りがほんのり漂ってくる。


 隣にはメープルシロップ、蜂蜜、黒蜜、ホイップ、チョコソース。


『……つよい……』


「気配で分かるのか……?」


『つよい……あまい……あまくなる……もっとあまくなる……』


「甘さの未来予知やめて」


 美咲が軽く笑いながら、控えめにメープルを垂らしたパンケーキを差し出した。


「はい、まずはこれがいい」


 リヴはゆっくりと息を吸い、両手で皿を受け取った。


『……いただき……ます……』


 そっと、ほんの一口だけ。


 ひと口。


『……っ……っ……!』


 胸に両手を当て、瞳がふるふる揺れる。


『……やわらか……なんで……いきてる……?』


「生きてないよ」


『やわらかいのに……しっかり……やさしい……』


「恋愛みたいな顔するのやめてほしいですほんとに」


「純粋に味を受け止めてるだけだよ。いいじゃない」


『……これ……すき……すごく……すき……』


 美咲は満足そうにうなずいた。


「よし、このあとケーキ第二陣ね」


「第二陣……?」


「ナオキくん、はいこれ運んで」


「俺の皿の三倍あるんですけど……」


「私は導く役。あなたは保護者」


「本当に保護者扱いなんだな……」


 ケーキ類が七種類、ずらりとテーブルに並べられていく。


 チーズタルト。

 モンブラン。

 ミルクレープ。

 レモンケーキ。

 ベリーのショート。

 シュークリーム。

 抹茶ムース。


 甘さの第二波。


 リヴはそれらを見つめて、小さく肩を震わせた。


『……ぜんぶ……たべるの……?』


「無理だから気になったやつだけでいいよ。ほら、これおすすめ」


『まだ……あるの……?』


「あるよ、たくさんね」


 リヴは息を整え、そっと指を伸ばした。


『これ……みどりの……きれい……』


「抹茶ムースか。渋いの行くんだ」


 ひと口。


『……にが……でも……やさしい……にがさ……』


「それが抹茶」


『にがいのに……いやじゃない……なんで……?』


「甘さの後だからね。こういうのありがたいのよ」


『……おとなの……あじ……』


「今日二回目のおとな認定だね」


 甘さの波はまだ続いていく。


 だが、ここから先が――

 リヴの“溶け落ちる時間”の本番だった。


 水を飲んで少し息を整えた頃、美咲がまた静かに近づいてきた。

 その手には、どう見ても普通ではない量の皿が積まれている。


「リヴちゃん、そろそろ第二陣だよ」


『……だいにじん……?』


「うん。ここからは“本当に美味しいやつ”が並ぶからね」


「今までも十分本気だっただろ……」


 ナオキの言葉は軽く流され、皿がテーブルに次々と並べられる。

 赤い苺が艶めくタルト、滑らかなチーズタルト、黄色く輝くレモンパイ、キャラメルムース、ふわふわのロールケーキ。

 それぞれに甘さの種類が違い、香りの方向も違う。リヴはもう視線だけで酔いそうだった。


『……まだ……でてくるの……?』


「美咲先輩がいる時点で覚悟しとけ」


「失礼ね直輝くん。私は“導いてる”だけだよ。ほらリヴちゃん、まずはこれね。苺のタルト」


 リヴは震える指でフォークを持ち、そっと苺のタルトをひと口。


『……あ……あぁ……』


 声というより、息が溶けていくような音。


『……いちご……うえにいるのに……したの……すごい……あまくて……さくって……して……』


「タルトを上下で二層解析してる……」


「初回でここまで味わえるのは天性だね」


『……てんせい……?』


「うん。甘いものに対して素直で、受け止める力がある」


『……ちから……?』


「甘さに負けやすいとも言えるけどね」


『……み、みさき……いじわる……』


「可愛いってことだよ」


 リヴはタルトを大事に食べ終え、次のケーキを見つめる。

 その視線は、森の獣が未知の植物を見たときのような警戒と期待が混ざっていた。


「次、チーズタルトいける?」


『……これ……きいろい……やわらかそう……』


「やわらかいぞ。けど味は濃い。覚悟して」


 ひと口。


『……っ……! これ……あたたかい……? ちがう……やさしい……? なんか……まるい……』


「チーズを丸いで説明する人初めて見たよ……」


『でも……まるい……んだよ……』


「味の輪郭を感じてるのかもね」


 美咲が楽しそうに頷く。


「はい次、レモンパイ。これで一回リセットされるから」


『れもん……すっぱ……?』


「すっぱい。でも美味しい」


『……がんばる……』


 リヴは勇ましく言い、レモンパイをひと口。


『っ……すっぱ……っっ……でも……あま……っ……!』


「語尾全部震えてるよ……」


『……すっぱくて……あまくて……むねが……ふわって……なる……』


「それは正しい感想」


 レモンパイを食べ終えたあたりで、リヴはフォークを持ったまま固まった。

 目はとろりとして、呼吸も甘く揺れている。完全に限界が近い。


「リヴ、大丈夫か?」


『……むり……すこし……あまい……の……まわってる……』


「甘さが回るって何だよ……」


『……あたま……ぽよぽよ……』


「擬態語が幼児化してるな」


 美咲が慣れた手つきで水のグラスを差し出す。


「はい、少し飲んで。甘さに飲まれちゃだめだよ」


『……のまれる……?』


「甘いもので溺れると判断力なくなるの。ほら飲んで」


 コップを両手で包んで飲む姿は、もう明らかに容量オーバー気味だった。

 だが、その顔は幸せそうで、頬はほんのり桜色に染まっていた。


 数分休ませてやると、少しだけ表情に人間味(もともと人間ではないが)が戻る。


『……ナオキ……』


「うん」


『いま……わたし……どうなってる……?』


「甘さで溶けてる」


『やっぱり……』


「自覚あるのか」


『……あまいの……おそってくる……』


「表現が物騒なんだよ……」


 それでも美咲は微笑む。


「でもさ、溶けるほど幸せって滅多にないよ? いいことだよ」


 リヴは胸の前で手をぎゅっと組み、小さく息を吐いた。


『……こんなに……しあわせ……いっぱいくると……すこし……こわい……』


「甘さが?」


『ちがう……しあわせ……が……』


 ナオキはそっと隣に座り直す。


「怖いくらいの幸せってのは、ちゃんと受け止めていいやつだ。

 今日のリヴは、驚いた顔も嬉しい顔も……全部ちゃんと見せてくれたよ」


『……みせて……?』


「うん。俺に」


 リヴの肩がふるりと揺れた。

 帽子の影に隠れるように、両手で頬を押さえながら顔を下げた。


『……ナオキ……だいすき……』


 静かに落ちたその声は、小さなベルみたいだった。

 美咲が即座に肘でナオキを突く。


「ねえ直輝くん、いまの……絶対なんか言ったよね? 内容は一言もわかんないけど、雰囲気は完全にわかった」


「聞こえました。……先輩、本当に黙っててください」


「無理。あの声の落ち方は、どう考えても特別な何かでしょ」


「違いますから……!」


 美咲はにやりと笑い、リヴは顔を覆って真っ赤になった。


「無理。青春だもん」


『……きかないで……』


「内容は全然わかんないけど、言いたいことの方向性だけは察したよ」


『……わすれて……』


「忘れられないね、それは」


 言葉は通じていないのに、なぜか会話の形にはなっている。

 美咲の“察し力”が強すぎるのだ。


『ナオキ……』


「はいはい」


 完全に甘さとは別種のとろけ方をしている。


 美咲は満足そうに椅子の背にもたれた。


「いやあ、いいもの見たわ。甘いケーキより甘いふたり。こっちの方がカロリー高いよ」


「先輩ほんと黙っててください……」


「やだよ」


 その軽口に、リヴは少しだけ笑った。

 甘い世界の中で、ようやく呼吸が戻ってきた表情だった。


 やがて美咲は立ち上がり、二人へ手を振った。


「今日はここまでね。リヴちゃん、また来たいときは直輝くんに言うんだよ?」


『……うん……』


「でもひとりでは来ちゃだめ。倒れるからね」


『……だめ……』


「うん、よく言えました」


 美咲が去っていき、店のドアが閉じる。


 リヴはそっと息を吸い、ふわりとナオキの腕に寄りかかった。


『……あの人……やさしい……つよい……』


「分かったろ?」


『……こわいけど……にがくない……』


「甘いからな、美咲先輩は」


『……あまい……』


「甘い人に、甘いもの食べさせられたら……そりゃ溶けるよ」


 ナオキが笑うと、リヴは帽子をつまんで照れたように俯く。


『……ナオキ……きょう……すごく……たのしかった……』


「うん。俺も楽しかったよ」


 モールの外へ出ると、夜風が甘い余韻をすっと撫でていく。


 リヴの頬はまだ淡く色づき、胸の奥には甘さが残っているのが、ただ隣にいるだけでわかる。


『……ナオキ……』


「何?」


『……また……いっしょに……たべよう……?』


「うん。ゆっくりな」


『ゆっくり……』


 リヴは静かに頷いた。

 その表情は、甘い世界をひとつ歩き終えた子どものように満ち足りていた。


 こうして、甘さの海で溺れた一日は、やわらかい風の中でそっと終わった。

 帰り道の風は、砂糖よりもやさしかった。

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