森の子と下着の話
プリンを食べ終えても、ふたりはテレビをつけたまま他愛ない話を続けていた。画面の中では深夜番組がにぎやかに笑っているが、部屋の空気はどこか柔らかい。気づけばもうすぐ日付が変わろうとしていた。
「……今日は、ここに泊まってもいい?」
リヴがスプーンを置き、少し緊張したように尋ねた。
「もちろん。布団は一組だけど、どうにかなる」
「ふとん……ナオキの世界の、ふかふかの床……」
言葉を言い終える前から頬が緩んでいた。目的がどちらなのか少し疑いかけたが、ナオキは飲み込んだ。
「じゃあ、とりあえず風呂な。テレビで見ただろ?」
「ふろ……! あの、あたたかい大河のやつ……!」
目がきらきらしている。完全に風呂が本命らしい。
ガスの捻り方、シャンプーとボディソープの違い、湯温の調整を丁寧に説明する。
「じゃ、ゆっくり入ってこい」
「うん……入ってくる……」
浴室の扉が閉まり、すぐに水音が聞こえ始めた。
「……あつ……でも……きもち……」
「……あわ……ふわ……すご……」
断片的に聞こえる声は、どうやら無事に楽しんでいる様子だった。
ナオキはテレビのニュースを眺めながら、どこか落ち着かない気分でいた。
(異世界ハーフエルフ、初めての日本の風呂……聞いただけでイベント感が強いな)
そう考えているところで浴室の扉が開いた。
湯気の中から出てきたリヴは、濡れた髪をタオルで軽く押さえ、頬が少し赤い。肩にバスタオルを掛け、足元を慎重に運んでいる。
「泡、花みたいな匂いした。森とは違うけど……やわらかい匂い」
「それならよかったよ」
リヴは洗面所に置いた自分の服に視線を落とした。
「……ぬれた服は、どうするの?」
「このカゴに入れてくれ。あとで洗濯する」
「せんたく……川でこすってたのと似てる?」
「まあ、機械に任せてるけどな」
服を抱え上げた瞬間、紐と布を結んだだけの簡素なふんどしが見えた。森での生活をそのまま写したような布切れだ。
(……そりゃ擦れるよな)
そのまま見つめるのは悪い気がして、ナオキはそっと視線を逸らす。
「……そういうの、見られたくないだろ」
「え? 見られたくないもの……あった?」
ナオキは固まった。
「いや……その、下着とかさ。恥ずかしいだろ?」
「ただの布だよ? 村の川で干すとき、みんな普通に見てるよ」
「……文化の差って、すげぇな」
逆にリヴが首をかしげる。
「じゃあ、ナオキの下着がカゴにあるのは……恥ずかしい?」
「……聞くな」
「じゃあ、ナオキの世界の下着のほうが“恥ずかしい布”なんだね」
「言い方」
リヴはナオキのTシャツと短パンを借り、そのまま布団に潜り込んだ。背中までぴったり布団に沈み、天井を見たまま小さく息をこぼす。
「……ふか……ここ好き……」
「完全に布団目的じゃねぇか」
「ちが……寝る準備……」
声が小さい。ほぼ布団に負けていた。
部屋が静かになると、ナオキの頭だけが妙に冴えてきた。
(リヴの下着……森じゃあれが一番なんだろうけど、長く歩くにはつらそうだよな。擦れるし、紐もすぐずれそうだ)
(こっちのショーツなら動きやすいし、少しは楽になるはずだ)
スケベではない。生活改善だ。
強く自分に言い聞かせながら、ナオキはスマホを取り出し、通販サイトを開いた。
綿素材。装飾少なめ。淡い色。
サイズは……たぶんM。無難なところだ。
(……真夜中に女物の下着選んでる男って、字面にすると終わってるけど……必要経費だ)
リヴ用に数枚。森の仲間にも試せるよう数枚。
注文を確定した。
(これで少しでも楽になるなら……悪くない買い物だろ)
静かな部屋に、寝息がひとつ。
ナオキはスマホを伏せ、そっと電気を落とした。
数日後。
森の拠点に戻った頃、天気はよく晴れ、木の葉の間から優しい光が差していた。風の音も軽い。日常へ戻ったという安堵が胸に広がる。
荷を降ろし、拠点の机の上に置いていた小さな袋を手に取る。中身は、届いたばかりのショーツ数枚。柔らかい綿布が、まだ新品らしい静かな香りを保っている。
(さて……どう渡すか……これも妙に緊張するよな)
リヴが薬草の仕分けを終え、振り返った。
「ナオキ。どうしたの?」
「見てほしいものがある」
「また新しい罠?」
「違う。安全なやつだよ。こっち」
リヴへ袋を差し出すと、首を少しかしげて開けた。
そして、中身を取り出した瞬間、指先がぴたりと止まった。
淡い色のショーツ。
ふわりと柔らかい綿布。
縁には控えめなレース。
前には小さなリボン。
「……えっ……これ……」
震えを含んだ声が漏れた。
驚き、戸惑い、そして少しの照れが混ざる。
「きれい……」
レースにそっと触れ、目を落とす。
触れた指先がきゅっと小さく震えた。
「……ナオキ、これ……服……? 飾り……?」
「いや……それは、その……下に着るものなんだよ。こっちの世界の下着」
「下着……? ふんどしみたいな……?」
「役目は近いけど、こっちのは身体に沿うように作ってある。
歩いてもずれにくいし、擦れにくい。森だと、あっちの布は横に寄ったりしてただろ?」
リヴは目を瞬かせた。
「……寄る……。
木に登る日なんて……すぐ片方に寄っちゃう……」
視線が下に落ち、さらに小さな声。
「……月の日も……ずれたらすぐ匂いが広がる……。
獣に気づかれるから……奥のほうには行けない日がある……」
ナオキは静かにうなずいた。
「このショーツなら、当てる布もしっかり挟める。
身体に沿うから、動いても落ちにくいと思うよ」
リヴははっと顔を上げる。
「……ほんとうに……?
ずれないなら……森の奥まで……行ける……」
「無理はするなよ。でも……少しでも楽になるなら、そのための道具くらい用意する」
リヴはショーツを胸の前でそっと包むように持ち、
まるで大事なものを抱えるように目を細めた。
「なんで……こんな細かい模様……糸で描けるの……?
森の織り機じゃ……絶対できないよ……」
「こっちでは普通の仕立てなんだ。機械で細かいところまで作れる」
リヴはリボンに触れ、首をすこし傾けた。
「……下に着るのに……こんなかわいい飾り……?」
「下着は飾り付きでもいいんだよ。見えない場所でも、自分のためにかわいくしていいって文化なんだ」
「……かわいくしていい……」
その言葉をゆっくり転がすように言い、
リヴの頬に淡い色が差した。
「……こんなの……身につけていいの……?
ふんどしは“働く布”って感じだったけど……
これは……なんか……“大事にされてる布”って感じがする……」
ナオキは少し目を細めた。
「使ってみてほしい。たぶん、そのほうが楽だ」
「……うん……」
リヴはショーツを胸に当て、少し照れながら笑った。
「……かわいい……
これ……身につけたら……わたしも、ちょっときれいになる気がする……」
(きれいだよ。もう十分だって)
その言葉は喉まで出かかったが、ナオキはそっと飲み込んだ。
翌朝。
森は早朝の冷たい空気に包まれていた。露が光り、小さな虫が草を揺らす。
支度を終えたリヴが、すこし照れた顔で立っていた。
「……今日、試してみる……」
「無理すんなよ」
「無理じゃないよ。歩くの、好きだから」
そう言って、いつものように森の斜面へ消えていった。
きのこ、薬草、罠の確認。軽い小走り。いつもの朝だ。
一方でナオキは街のサロンで、工具を確認しながらどこか落ち着かないまま過ごしていた。
(どうだったかな……)
(少しでも楽になっていればいいけど)
夕暮れ。
森の拠点に戻ると、焚き火の前でリヴが待っていた。
炎の明かりで頬が赤く照らされている。
「……ナオキ」
「どうだった?」
リヴは汗を拭いながらも、嬉しさを隠しきれない目で言った。
「今日、一日歩いたのに……ふともも、全然擦れなかった」
「それはよかった」
「いつもなら……昼すぎには“あ、擦れたな”ってわかるんだよ。
帰るころには赤くなって、斜面の日は痛いぐらいで……」
ショーツのあるあたりに自然と視線が落ちる。
「でも今日は……ぜんぜんならなかった。
布がずっと同じところにいてくれた。
紐のやつみたいに歩くたび横に寄らなかった」
そして、声を少し落とす。
「月の日にも使いたい。
当て布がずれなかったら……匂いで獣に追われないし……
森の奥まで……入れると思う」
ナオキは静かに息を吐いた。
「無理はするな。でも……行ける場所が広がるなら、そのための道具くらいならいくらでも用意する。そうだ、地球の生理用品も試してみてもいいかもな」
「……生理用品……?」
リヴの目がぱちっと開いた。
聞き慣れない言葉に、焚き火の光がそのまま吸い込まれるようだった。
「なにそれ……月の日の布の、仲間……?」
「まあ、仲間……だな。こっちの世界だと、月の日用の道具が何種類もあって……布より安定するんだよ」
「安定……? 落ちないの……?
歩いても……跳んでも……ずれない……?」
「ずれない。ちゃんと身体に合わせて作られてる。
匂いも広がりにくいし、替えるのも簡単だよ」
リヴは小さく息をのんだ。
「……そんな道具、あるの……?
わたしたち、布を挟むだけだよ……。
朝、広げて乾かすときも……風が吹くと飛ぶし……」
「飛ぶのか……」
「飛ぶよ……。崖の下に落ちたこともある……」
「それは……大変だったな……」
「大変だよ……!
拾いに行くの、危ないし……恥ずかしいし……」
リヴは膝の上で両手をぎゅっと握りしめた。
「……でも……落ちないなら……
それだけで、月の日が楽になる……」
「使い方は少し教える必要があるけどな。
難しくはないよ。痛いわけでもないし」
「痛くないの……?」
「痛くないよ。柔らかいからな。
あと、肌が擦れないように作ってある」
リヴは焚き火の明かりを見つめたまま、胸の前で小さく息を吸った。
「……ナオキの世界って……
月の日のことまで、楽にする道具があるんだ……」
「ある。必要なら、いくつか持ってくるよ。
無理に使わなくてもいい。選べばいいんだ」
「選べば……いい……」
リヴはその言葉をそっと反芻した。
(選んでいい……
月の日まで、怖がらなくていい……
そんな世界……本当にあったんだ……)
目を伏せると、まつげが焚き火の影をやわらかく落とした。
「ねぇ……ナオキ」
「ん?」
「……わたし、ちょっとだけ……泣きそう……」
「泣かなくていい。大丈夫だよ」
「だって……楽になるって……こんなに嬉しいって思わなかった……」
ナオキは火の側へ一歩近づき、リヴの肩にそっと手を置いた。
「こっちの世界の道具は便利なだけだ。
でも、それでリヴの毎月が少し軽くなるなら……それでいい」
「……うん……」
リヴは小さく頷き、火を見つめた。
その頬はほんのり赤く、焚き火の色と同じくらい温かかった。
「月の日って……怖くて、痛くて、森に入れなくて……
でも……ナオキが……“選べばいい”って言うと……
なんか、守られてる感じがする……」
「守ってるわけじゃないよ。困ってることを一緒に減らしたいだけだ」
「それが……守られてるって言うんだよ……」
ナオキは返事を失い、少しだけ目線を落とした。
言い返す言葉が見つからず、焚き火の音がそれを埋めた。
(……やっぱり、持ってきてよかったな)
静かな夜がふたりの周りに降りてくる。
リヴは焚き火の明かりの向こうでふわりと笑った。
「……ナオキの世界の道具って、たまに変だけど……」
瞳が、森の夜よりやわらかく細まる。
「……すごい。かわいいし……便利だし……
身につけるのが、ちょっと楽しみになる……」
火がぱち、と弾けた。
夜風がふたりの間を静かに通り抜ける。
(……持ってきてよかったな)
ナオキは胸の内でそっとつぶやいた。
森の奥では遠くで獣の声が響き、
焚き火の光の中で、ふたりの影が寄り添うように揺れた。揺れていた。




