コンビニ探検
自動ドアが静かに閉まった瞬間、外の夜気はふっと途切れた。白い店内の光だけがふたりを包む。ガラスの向こうでは月も街灯もまだ夜を続けているのに、この小さな店に踏み込んだだけで別の世界へ移ったように思えた。
リヴはその場に固まり、胸の前に手を添えて店内を見渡した。棚の列、冷蔵ケースの明かり、揚げ物の香り、紙とプラスチックの匂い。それら全部が、ひとつの世界を作って渦のように迫ってくる。
「……これ……ほんとにお店……? なんか……光りすぎてる……」
横で様子を見ていたナオキが小さく声をかける。
「大丈夫か」
「だいじょうぶ……でも胸が忙しい……」
「緊張してるんだな」
「うん……こんな場所、初めて見る……」
ナオキは少し笑いながら店の奥を指した。
「ここは便利なところなんだよ。狭いけど、ほとんど何でもある」
(なんでも……? なんでもって……どのくらい? 世界ってそんなに圧縮できるの……?)
リヴは心の中で混乱したまま、ナオキの背中を頼りに歩き出した。
入り口から左へ進んだとき、リヴの足がぴたりと止まった。
「……これ……絵じゃないよね……ぜんぶ本物みたい……」
棚には色とりどりの雑誌。笑っている人、料理、海の写真、都会の夜景。どれも紙とは思えないほどくっきりしていた。
「写したものだよ。現実をそのまま紙にするんだ」
「写す……? 絵師が描くんじゃなくて……?」
リヴは雑誌をそっと手に取り、慎重にページをめくった。紙は薄いのに鮮やかで、生きているようにすら感じた。
「この紙……ヴェルンなら宝物だよ……高級サロンの壁に飾られるレベルだよ……」
「ああ、まあ……」
そこまで言ったところで、リヴの目が横へずれた。次の瞬間、表情がぴしっと固まる。
表紙いっぱいに水着の女性が笑っていた。ほぼ布がない。
「な、ナオキ……これ……外で着るの……?」
「まあ……海なら普通だな」
「ふ、普通……? 普通……? 守備力ほぼゼロだよ……?」
リヴは袖をちょんと引っ張った。
「ねぇ……ナオキ……こういうの……すきなの……?」
「落ち着け落ち着け! 違うって! 広告だよ広告!」
「ほんとうに……?」
「ほんとだって。安心しろよ」
(よかった……ほんとうによかった……でも地球のお店こわい……)
リヴは胸に手を当て、こっそり息を整えた。
雑誌棚を離れた瞬間、空気が変わった。頬にひやりとしたものが触れる。
「ひゃっ……なにこれ……? 冷たっ……」
飲料ケースの冷気だった。
ガラス扉の向こうには、青い水、緑茶、透明なスポーツドリンク、派手なエナジー飲料。光を浴びて整然と並んだボトルは、まるで宝物の棚のようだった。
「飲むものが……こんなに……?」
「まあ……種類は多いよな」
(多すぎるよ……選べないよ……まず名前も意味わからないよ……)
リヴの視線が、炭酸水のボトルにとまる。中で小さな気泡がきらきら昇っていた。
「これ……瓶の中で星が生まれてる……」
「ああ炭酸だな。振ると噴き出すから気をつけろ」
「ひっ……爆発するの……!?」
「蓋が飛ぶくらいだから」
「それでもこわいよ……!」
(やだ……地球の水って……爆発するんだ……)
リヴはそっと手を引っ込めたが、炭酸の星はどうしても気になるようでたびたび視線を送っていた。
冷気の棚を過ぎると、空気が少しあたたかさを取り戻した。そこには袋に入ったパンが整列している。
リヴはひとつを両手で持ち、そっと押し込んだ。
「……焼きたてじゃないのに……生きてるみたい……やわらか……」
「工場で作るからな」
「こうじょう……料理人の軍団が……昼夜問わず働いてる砦……?」
「まあ……だいたい合ってる」
(いや合ってない気がする……でもナオキが言うなら……)
リヴはまだ納得していない顔だったが、クリームパンの絵を見つけた瞬間、ぱっと目を輝かせた。
「あっ……ウロで食べたやつ……!」
「好きだったよな」
弾むような声に、ナオキはやわらかく笑った。
パン棚を離れると、ほのかに温かい空気が流れてきた。レンジの音や、出入口とは違う独特の匂いが漂ってくる。
そして――弁当棚が現れた。
整然と並ぶ箱の列。その中には、彩りのいい惣菜や米、揚げ物がぎゅっと集まっている。リヴはそっと近づき、箱の中をのぞき込んだ。
「……ナオキ……これ……料理の箱……?」
「ああ。ひとつで一食分になってる」
「お肉も……煮ものも……野菜も……全部……?」
「全部」
「ひとり分……?」
「ひとり分」
返事をするたびに、リヴの目が見開かれていく。
「料理って……家で作って家で食べるものでしょ……? こんな……箱に入れて……外で売るなんて……祭りの日だけだよ……?」
「ここでは毎日だな」
「ま、毎日……!? 夜なのに……? 家で火を使わずに……?」
「工場でいっぱい作って、車で運ばれてくるんだよ」
「こうじょう……。料理人の砦……」
リヴの頭の中で、巨大な調理施設の妄想が暴走していくのが分かった。
(絶対に炎とか飛んでる……きっと料理の神殿だ……)
「旅人が布に包んで持ち歩く食事と違う……箱の中で……ごちそうが待ってる……」
「便利ってやつだな」
「地球の便利……台所に住む精霊がやってる……」
「いないよ」
「いるよ……絶対いるよ……」
完全に思い込みモードだったが、ナオキは否定しきれず困ったように笑った。
ふと横を見ると、ひときわ派手な棚がある。リヴは近づく前から顔をしかめていたが、近づくにつれてさらに眉が寄る。
お菓子棚だった。
赤、黄、緑、紫。袋の絵が元気よく跳ねているようで、棚全体がうるさく感じられるほどだ。
「なっ……なにこれ……絵が全部叫んでる……! なんでこんなに主張してくるの……?」
袋菓子。チョコ。クッキー。グミ。飴。
異世界では見たことのない色と量。
リヴは震える手で、小さな袋を取り上げた。動物のイラストがこっちに笑いかけている。
「これ全部……食べ物なの……?」
「だいたい食べ物だよ」
「だいたい!? なんでだいたいなの……!? 甘い? しょっぱい? これ何の色!? 地球の人……毎日が祭りなの……?」
「言われてみれば……まあ……そんな気もするな」
「わたし帰るまでに何個か味覚が迷子になりそうだよ……」
(お菓子怖い……でも気になる……でも怖い……)
リヴの心は激しい攻防戦をしていた。
最後の棚へ辿りついた瞬間――
リヴは足音も忘れて吸い寄せられる。
そこには、小さな三つ入りプリン、大きめのカッププリン、二層プリン、生クリーム入り、瓶に入った高級プリンまで並んでいて、棚は一面やさしい黄色に輝いていた。
「ナオキ……これ……全部プリン……?」
「全部プリン」
「ぜ、全部……!?」
リヴの目が、完全に丸くなる。
リヴは一つずつ手に取り、確かめていく。
『……ウロで食べたの……この小さいやつだよね……?』
『そうだな』
大きいプリンを持つと、ずしりと重さが伝わる。
「お、おおきい……味が……いっぱい入ってる……?」
「いっぱい入ってる」
瓶プリンを持ち上げる。
「ひゃっ……これ……ガラス……!? どうして瓶!? これ……神殿の供え物じゃん……!」
「高いんだよそれ」
「た、高い……!?」
(買っちゃ……だめなやつ……! 高すぎて壊しちゃいけないやつ……!)
リヴは瓶プリンをそっと棚に戻し、しかし視線は外せない。
右へ。
左へ。
また右へ。
そしてまた瓶へ。
どのプリンを見ても「これがいい」「でもあれもいい」が顔に全部出る。
ついに涙目になりながらナオキを見る。
「ナオキ……助けて……選べない……全部ほしい……」
「ひとつだけだぞ」
「ひとつ……? 全部は……だめ……?」
「だめ」
「うぅ……」
声が今にも泣きそうに揺れた。その顔が本気すぎて、ナオキは真剣に考えてから、棚の中央を指した。
「今日はこれにしよう。ウロで食べたやつより大きいし、本場の味だ」
リヴは大きめプリンを両手で抱きしめた。
「これ……食べたい……ナオキと……いっしょに……」
「ああ」
その答えを聞いた瞬間、リヴはぱっと笑った。
「地球……すごい……こわいけど……すっごくたのしい……」
ナオキも笑うしかなかった。
プリンをしっかり抱えたまま、リヴは名残惜しそうに棚を振り返りながらレジへ歩いていった。足取りは軽いのに、視線だけはあちこちへ飛び続けている。
「……あっちまだ見てない……こっちも……」
「リヴ。まずは会計だぞ」
「うん……でも……でも……」
(見るところ多すぎるよ……気を抜くとまた迷子になるよ……)
そんな心の声が見えるようだった。
レジの前に立つと、リヴは急に固まった。レジ横のカゴ菓子、ホットスナック、見慣れない形の調味料。誘惑が多すぎて、目が忙しい。
「リヴ。プリンをここに出して」
「は、はい……」
両手で抱えていたプリンをそっとカウンターに置くと、こんっと控えめな音が響いた。その瞬間、リヴは驚いて肩を跳ねさせる。
(音がする……なんで音がするの……? 壊れてないよね……?)
心配する表情でプリンを睨みながら、レジの店員の手元を凝視した。
ピッという音と共にバーコードが読み取られる。袋に詰められていく。その動きは機械的で流れるようだった。
「……魔法……じゃないよね……?」
「機械の仕組みだよ」
「機械……また新しい種類が増えた……」
(地球の仕組み、どんどん増える……脳が追いつかない……)
リヴは頭を抱えたくなっているようだが、なんとか気丈に立っていた。
支払いを済ませ、商品を受け取ると、リヴは両手で袋を抱えながら深く頭を下げる。
「ありがとう……」
店員は微笑んで会釈しただけだが、リヴにとっては大儀式を終えたような達成感があった。
店を出ると、静かな夜がふたりを迎えた。さっきまでの店内の明るさとは違い、月と街灯だけの薄い光がふたりの影をのばしていく。
「……さっきまでの場所……すごかった……」
「そうか」
「うん……小さいのに……世界がいっぱいあった……」
リヴは袋を胸に抱え、プリンの重さを何度も確かめるように揺らした。
「疲れたか?」
「疲れた……でも、ぜんぶ楽しかった……」
リヴは振り返り、コンビニの光が遠ざかっていくのを名残惜しそうに見つめた。
「飲み物の……あの星が出るやつ……こわかった……」
「炭酸だな」
「お菓子の棚はもっとこわかった……なんであんなに色が叫んでるの……?」
「まあ……あれは……派手だよな」
「でも……ちょっと気になる……でも……こわい……」
(戦場より派手……たぶん勝てない……)
リヴの表情は複雑だが正直だった。
「でも……プリンは……すごくうれしい……」
「よかったよ」
「ナオキが選んでくれたの……うれしい……」
鼻先を少し赤くして笑うリヴの姿は、夜の静けさにふわりと浮かび上がるようだった。
ふたりの影が並び、伸び、また寄り添う。風が弱く吹き、リヴの髪が揺れた。
「ナオキ」
「ん?」
「地球……こわいところもあるけど……やさしいところもある……」
「そうだな」
「ナオキがいるから……そう思える……」
その言葉に、ナオキはゆっくり目を伏せた。
「……ありがとな」
ただの一言なのに、静かに響く。
リヴは微笑み、足元の影を見つめる。ふたりの影はまた寄り添う。
「これ……家で……いっしょに食べよう……」
「ああ」
短い返事でも、やわらかい響きだった。
コンビニの光が完全に見えなくなった頃、ふたりは静かな路地をゆっくりと歩き続けていた。袋の中のプリンが小さく揺れ、それに合わせてリヴの胸の鼓動も少し弾んでいるように見えた。




