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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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美咲、同席してしまう

 夕方のサロンは、昼間の光がゆっくりと色を変えていく場所だった。

 窓の外には住宅街の影が伸び、風の流れが穏やかに落ち着いていく。

 室内では照明がひとつ、またひとつと柔らかな明るさへ溶けていき、少し甘い香りが静かに漂っている。


 ナオキはカウンター横の棚で、小瓶たちの蓋の向きやラベルの角度を整えていた。

 大したことではない。けれどこの時間帯、こうして手を動かしていると、心が平らになる。

 昼のあわただしさがすっかり抜けきって、夜の気配がゆっくり近づいてくる。

 そのあいだにある、ごく短い静けさ。

 彼はこの“夕方の変わり目”が好きだった。


「……今日は、誰も来ないかな」


 独り言が小さく漏れた。

 来るときもあれば、来ないときもある。

 予定が埋まる日もあれば、ふいに空白が生まれる日もある。

 ただ、どちらでも構わなかった。

 必要な人が、必要な時に来ればいい。

 それがこの場所の在り方だと、ナオキは思っている。


 棚の奥にしまったガラス瓶を取り出し、軽く振った。

 中で揺れた液体がほんの少し光を反射する。

 甘さに少しだけ深い香りを混ぜた、落ち着くタイプの香油。

 夜に来る人はこれを好む。

 仕事終わりの身体が休む準備をはじめるとき、甘すぎない香りが呼吸のリズムを緩めてくれるのだ。


「……今日、なんとなく、これの気分だな」


 瓶の蓋を開けた瞬間、ふわりと空気が変わった。

 ほんのわずかに、部屋の影が柔らかくなる気がする。


 そのときだった。


 カラン。


 扉につけた小さな鈴が軽く震えた。


 顔を上げると、いつものように元気な声が飛び込んでくる。


「直輝くーん、来ましたよー!」


「み、美咲先輩……お疲れ様です」


 元気すぎる声に、ナオキは肩を少しすくめた。

 美咲がサロンへ来る日はわかりやすい。

 扉が揺れた瞬間に空気まで明るくなる。

 職場での疲れがどれほどあっても、美咲は決して沈んだまま来たりしない。

 むしろ、疲れと一緒に笑顔まで連れてくる。


 今日もその例外ではなかった。


「ふふっ、今日も香りいい感じじゃない? いつもより甘い?」


「ええ、落ち着くタイプを少し調合してて……」


「へぇ〜。仕事終わりにはちょうど良さそう」


 美咲は深く深呼吸し、目を細めた。

 その仕草が少しだけ子どもっぽくて、ナオキは苦笑する。


 彼女はナオキの施術を“気に入りすぎている”節がある。

 もちろん、本当に楽になるから通っているのだろうけど、ここ数日は明らかにテンションが高い。

 昨日、彼女が確信を得てしまったあの出来事のせいだ。


(今日は……落ち着いて帰ってくれればいいけど)


 そんな控えめな願いを胸にしまうと、美咲がカウンター越しにぐっと身を乗り出した。


「今日、誰か予約入ってるの?」


「いえ、今は空いてますよ」


「へぇ〜……」


 美咲の声がほんのり弾んだ。

 あの声は危険だ。

 確実に“また何か起こる予感がする時”の声だ。


「なにか、あったんですか?」


「んーん、何にも。ただ……なんか今日、絶対楽しい気がしてさ」


「楽しい、ですか……」


「うん、楽しい。昨日さ……」


 美咲は言葉を続けかけて、ふと口をつぐんだ。

 昨日――あの確信の瞬間。

 ナオキの“ちょっとだけ”の秘密に触れてしまった日。

 彼女もあれを覚えているのだろう。

 軽口よりも、胸の奥が温かくなるような静かな表情をしている。


「……あ、やっぱり言わないでおく。また調子にのるといけないし」


「いや、僕は別にのりませんけど……」


「のるよ? のってるでしょ?」


「のってません……」


 美咲の笑い声に、ナオキはため息をひとつこぼす。

 けれど、その笑い声が妙に心を軽くするのも事実だった。


 彼女が来ると、少し疲れる。

 けれど、それが悪い意味ではない。

 自分のペースを保てないぶん、どこか温かい。


 そんな感情を言語化する前に、再び扉が開く。


 カラン。


「こんばんは……」


 その静かな声とともに入ってきた姿を見て、美咲が目を大きく見開いた。


「……さゆり……?」


 さゆりが戸惑ったように微笑む。


「美咲……来てたんだ。なんかすごい偶然」


「いやいや偶然すぎるでしょ……どうしたの? 最近、眠れてるって言ってたじゃん」


「それが……また少し眠れなくて……来ちゃった……」


 美咲が語っていた“自律神経を崩していた友人”。

 ここに来て初めて眠れたと、美咲が心底安心していたその本人だ。


 さゆりはナオキに深く頭を下げた。


「またお願いしてもいいですか……。すみません、急に」


「大丈夫ですよ。今日は落ち着かない感じですか?」


「はい……胸のあたりが苦しくて……」


「無理せず、来たい時に来てください。それでいいんです」


 その一言だけで、さゆりの目にうっすらと涙がにじんだ。

 安心という感情は、時にあまりにも簡単に溢れる。


 美咲は横からそっとさゆりの背中に手を置き、柔らかく笑った。


「ねぇ……同席しても大丈夫? さゆり、ひとりだと不安なんじゃない?」


「えっと……うん、いてほしい……」


 その言葉に、ナオキは美咲を見る。


 美咲の目が、

 完全に輝いていた。


(……絶対何か見る気満々じゃないですか……)


 とはいえ、断れない。

 さゆりの不安が混ざった瞳の方が、ナオキにはずっと重かった。


「分かりました。同席で大丈夫ですよ」


「やった」


「今、やったって言いましたよね?」


「言ってない言ってない。口が勝手にね」


「絶対言いましたよね……」


 美咲はにこっと笑い、すでに施術スペースの椅子へ向かっている。


 ナオキは心のどこかで、

(あぁ……今日もまた“何か起きる”んだろうな)

 と静かに覚悟した。


 施術スペースへ移動した三人は、それぞれの場所に腰を下ろした。

 照明はいつもより少し落とし、影が広がりすぎない程度の暗さに整えられている。


 ナオキが香油の瓶に手をかけると、美咲がすっと近づいてきた。


「今日はどんな香り? さっきの甘いやつ?」


「そうですね。落ち着く香りを少し強めに」


「ふふ……いいじゃん。さゆりも好きだよね、こういう甘さ」


 さゆりは小さく頷いたが、どこか落ち着かない動きで椅子に座り直した。

 胸のあたりにそっと手を添えて、わずかに呼吸を浅くしている。


「さゆり、大丈夫? 息苦しい?」


「うん……なんか、胸がつかえてる感じ……」


「大丈夫ですよ。無理に深呼吸しなくてもいいです。僕がそばにいますから」


 その声に、さゆりの目がとろんと緩んだ。


 美咲はその表情を見て、すでに“何かが始まっている”と察したようだった。

 横に座りながら、完全に観察者の目になっている。

 医療職が本気で集中するとき特有の静かな鋭さだ。


(いや、美咲先輩……そんなに前のめりに見られると……)


 ナオキは内心で苦笑しながら、香油の蓋を静かに開けた。

 ふわりと甘く深い香りが立ちのぼる。


 その瞬間、さゆりの肩がほんの少し震えた。


「……あ……」


「大丈夫です。ゆっくりでいいですよ」


 ナオキは椅子の後ろにまわり、さゆりの肩甲骨の下あたりへ手をそっと置いた。

 押さない。

 動かさない。

 ただ、手の重みをほんの少しだけ預ける。


 美咲が息を止めたのが、後ろからでもわかった。


 十秒。


 呼吸が浅いまま、静かに揺れる。


 二十秒。


 さゆりの胸が、ゆっくり、ゆっくりと広がっていく。


「……っ……あ……」


 さゆりの喉が、小さく鳴った。

 それは苦しさではなく、押し込まれていた何かがほどけていく音に近かった。


 美咲が椅子から前に滑り落ちそうなほど前のめりになる。


「今、呼吸……絶対変わったよね!? ねぇ、変わったよね!? わたし間違いじゃないよね!?」


「美咲先輩、声……」


「あっ……ご、ごめん! つい……!」


 さゆりは美咲の慌て顔に微笑みかけようとしたが、

 次の瞬間、胸の奥がふわっと広がったような表情に変わった。


「……すごい……なんで……?」


 ゆっくりと閉じていくまぶた。

 さゆりの肩がふっと下がり、そこからさらに深く沈んでいくように脱力していく。


「胸が……勝手に広がって……苦しくない……」


 ナオキはいつもどおりの調子で言う。


「楽になる時は、身体が自分で調整してくれるんですよ」


「ねぇ、ナオキくん……」


 美咲の声が震えた。


「本当に。ただ手を置いただけ、なんだよね?」


「置いただけです」


「置いただけでこれは……反則だよ……」


「反則って言われましても……」


 美咲は目を手で押さえ、ぶつぶつ小声で呟きはじめた。


「これさ……絶対、ただのサロンじゃないよね……?

 ていうか、普通じゃないよね……?

 私いま、医療ドラマの“開始5分で異常に気づく看護師”状態なんだけど……?」


「そんなドラマ見たことないですけど……」


「でもほんとに……すごい……」


 美咲は震える指で指し示すように、さゆりの呼吸のリズムを見つめている。

 さゆりの胸は、さっきより深く、静かに上下していた。

 まるで誰かに“呼吸を返してもらった”ような動きだった。


 そのときだった。


 チリン……。


 風鈴が揺れた。


 美咲の肩がビクリと跳ねる。


「ちょっと……今の……!」


「風鈴です」


「知ってるよ! でもさ!

 なんでこう……ちょうどいい時に鳴るの!?

 誰か脚本書いてるの!? ねぇ!」


「風の流れですよ」


「ほんとに!?」


「たぶん……」


「たぶんってなに!?」



 美咲が詰め寄ろうとした瞬間、

 さゆりがふわりと目を開けた。



「……あ……寝てた……?」



「大丈夫ですよ。無理に起きようとしなくていいです」


「……うん……眠い……」


 今度は深い息が、自然と胸の奥からこぼれた。


「そのままでいいですよ」


 ナオキの声に誘われるように、

 さゆりの瞳は静かに閉じていく。


 指先までゆっくり力が抜け、

 再びふわりと身体が沈んでいく。



「ねぇ……ナオキくん……これ……」


「はい」


「もう確実じゃん。完全に何かやってるじゃん。

 ねぇ、これ、今日目撃したの……わたし初めてなんだけど……」


「……あの、僕は何もしてないですよ。

 手を置いたのと、香りをちょっと漂わせたくらいで」


「その“ちょっと”が問題なの!

 普通の“ちょっと”じゃないの!」


 美咲は両手で頭を抱えた。


「やば……完全にハンドパワー……」


「美咲先輩、落ち着いてください……」


「落ち着けるわけないでしょ!!」


 声を荒げながらも、美咲の目はどこか興奮と確信に満ちていた。


(……あぁ、もう完全に火がついちゃったな……)


 ナオキは心の中で静かに観念した。


 美咲の好奇心を止めるのは、おそらくもう不可能だ。

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