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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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サロン編(3):腰をさする風の午後

 ナオキは施術ベッドの高さを一段だけ下げ、腰の位置を確かめるように自分の手を当ててみた。長く立ちっぱなしでいる人の重さが、どこに溜まりやすいかを思い浮かべながら、タオルのしわを丁寧に伸ばす。


 控えめなドアベルが鳴き、細い金属音が空気にひとつだけ落ちた。


 顔を上げると、制服姿の女性が立っていた。名札の端には、擦れた文字で病院名が見える。笑おうとしているのに、その指先は無意識に腰のあたりをさすっていた。


「いらっしゃいませ。どうぞ、楽な姿勢で入ってきてください」


 声をかけると、彼女は「すみません」と小さく頭を下げた。そのまま一歩動くたびに、動きがほんのわずか止まる。足は前に出したいのに、腰が「待って」と言っているような歩き方だった。


「すみません……坂木です」


 名乗る声は、小さくてもよく通った。ただ、その奥にある疲れの深さまでは隠しきれていなかった。


 扉の向こうにいた女性は、第一声だけで疲れの深さが伝わってきた。

 髪はきちんと結われているのに、目の下には影が落ちている。

 肩の高さは左右でわずかに違い、エプロンバッグの紐が食い込んでいた。

 歩幅は小さく、足取りは重い。

 身体のどこかが悲鳴を上げているのが、扉を開けた瞬間にわかった。


「いらっしゃいませ。まずは、こちらをどうぞ」


 ナオキは温かいキノコ茶を注いで差し出した。

 きのこの香りは強くなく、代わりにほのかに甘い土の匂いが立つ。

 森で飲んだ安心感を、そのまま薄めて優しくしたような茶だった。


「強い香りじゃないので、飲みやすいと思います。

 疲れているときには、重たい香りがしんどいですから」


 カップを受け取った女性は、一度まばたきし、湯気をゆっくり吸い込んだ。


「……軽い。こういうの、嬉しいですね」


「良かったです。無理なく飲めるものが、いちばんですから」


 その一言に、女性の肩がすっと下がった。

 安心は、ほんの一滴でも胸の奥に落ちれば姿勢を変える。


 彼女は椅子へ腰を下ろし、カップを両手で包み込んだ。

 緊張はまだあるが、呼吸の深さが少し戻っていた。


「横にならなくても大丈夫です。今日は座ったままのほうが落ち着きやすい気がします」


「……わかるんですね。寝ちゃうと逆に疲れが戻るときがあるんです」


 女性は腰に手を当てた。

 長い痛みに慣れた人の仕草だった。


「腰……つらいんですね?」


「ええ……今日は何人も抱え上げないといけなくて。もう腰が、ああまた来たな……って主張してきて」


 ナオキは棚から木箱を取り出した。

 ふたを開けると、森の匂いが微かに広がる。


「よければ、軽く触ります。押したり揉んだりはしません。今日はただ手を当てるだけのほうがいいと思います」


「それで十分です。本当に……限界で」


 女性は横向きに身を預けた。

 布越しにも、深い張りが伝わってくる。


 木箱の中には、小さな瓶が三つ。

 朝日に照らされたように、ひっそり光を宿している。


 そのうちの一つを手に取る。

 黄色い、濃密な色。

 夕陽を小瓶に閉じ込めたような、あたたかい光。


「太陽の小花という薬草です。深い張りがある日に、よく働いてくれます」


「かわいい名前……かわいいのに働き者なのね」


 ふと笑いがこぼれ、声に少し明るさが戻った。


「本当に小さな花なんです。陽だまりの色で。知人が、そんなふうに呼んでいました」


「その知人さん……優しい人なんですね」


 女性は遠慮がちな笑みを浮かべた。

 優しさを受け取れる余白が、少し戻っていた。


 軟膏をすくい、指先で温める。

 ひんやりした黄色が、金色へとほどけていく。


「冷たく感じますが、すぐ馴染みます」


「ありがたい……ずっと熱がこもってる感じで」


 ナオキは呼吸を整え、手をそっと置いた。


 押さない、揉まない。

 ただ触れて流れをつくるだけ。


 女性の身体がわずかに沈み、ため息の音が混じった。


「……そこ……うん、そのあたり。張りが静かになって……いきますね」


「呼吸が深くなりましたね」


「自分でもわかります。腰まわりが……動く余地を取り戻していくみたいで」


 ただ手のひらを置くだけ。

 それでも軟膏と温度が、深いところへ静かに届いていく。


「さっきより……息がしやすい」


「よかったです。腰は、息が詰まるだけでも固くなるので」


「……たしかに。しんどいときって、息が浅くなります」


 短くうなずきながら、ナオキの手はそのまま温度を預けていた。


「これで終わりです。ゆっくり立ってみてください」


 女性は慎重に立ち上がり、腰をひねった。

 小さく息を呑む。


「……動きます。治ったわけじゃないのに、不思議。軽い……さっきと全然違う」


「今日は、花との相性が良かったんだと思います」


「……そうなんですね。しんどい日のほうが合いやすいって言われると……なんか、救われます」


 来たときとは違い、表情に柔らかさがあった。


「美咲がね、『ちょっと変だけど落ち着く店』って言ってて。来てみて、意味がわかりました」


「変なのは……否定しにくいですが」


「ふふ……でも、こういう場所、もっとあっていいと思います」


 弱音ではなく、前へ進める声だった。


 会釈して、女性は外へ出た。


 夕方の光が一瞬だけ彼女を照らし、扉が静かに閉じる。


 サロンは再び静けさを取り戻したが、

 そこには“息を整えていった人の余韻”だけが、あたたかく残っていた。


 ナオキは瓶のふたを閉め、木箱に戻す。

 太陽の小花の香りが手に残り、胸の奥で静かに灯った。


「……よかった。少しでも軽くなって帰れたなら」


 自然に漏れたひと言だった。


 タオルを畳み、照明を落とす。

 カーテンを揺らした夕風が、薄い影を床に落としていた。


 押したわけでも、揉んだわけでもない。

 ただ手を当てただけ。


 けれど、その“ただ”が人を軽くする。


 窓辺に立つと、街路樹が夕陽に白く縁取られ、風に揺れていた。


(……こういう時間が、続けられればいいな)


 森にも、サロンにも拠点がある。

 二つの世界が、少しずつ自分の生活に馴染んでいく。


 指先に残る香りを吸い込み、ナオキは静かに息を吐いた。





 外へ出た瞬間、夕暮れの風が腰を撫でた。

 数時間前なら、そのわずかな動きで痛みが響いていたはずだ。

 だが今は、痛みの輪郭が小さく丸まり、奥の重さが静かに落ち着いていた。


(……軽い。こんなに違うんだ)


 階段を降りながら、手すりに触れる癖がなくなっていることに気づく。

 歩くたび、深いところにあった硬い板のような感覚が薄くなっていった。


 信号前で立ち止まると、パン屋から香ばしい匂いが流れてきた。


(……お腹、空いてたんだ)


 仕事帰りは匂いに気づく余裕すらなかった。

 今はただ深呼吸をするだけで腰が少し緩む。


 街灯が灯りはじめ、町が夜の顔へ変わっていく。

 その流れに合わせるように、彼女の呼吸もゆっくり深くなった。


(太陽の小花……本当に不思議な感じ)


 腰の奥でじわりと温度が広がっている。

 遠い火のような、あたたかい灯り。


「かわいいのに働き者」


 自分で言った言葉を思い出し、小さく笑った。



 玄関の灯りが、いつもより柔らかく感じた。


(帰ってきて……こんなに楽なの、いつ以来だろう)


 靴を脱ぎ、エプロンの紐をほどく。

 痛みで顔をしかめることがない。


 洗面所の鏡に映る自分は、疲れているはずなのにどこか軽かった。

 肩の高さも来たときほど違わない。


(……触られるの、怖くなかったな)


 ナオキが手を置いた瞬間の温度が思い出のように胸へ広がった。



 簡単な夕食を作る。

 包丁を動かす手が、今日に限って軽かった。


(……明日も動けそう)


 その予感が胸に静かに灯る。

 食後、淹れた茶の湯気を眺めながら、腰に広がる温かさを確かめた。


 机に向かう。

 日記帳を開くのは久しぶりだった。


(痛い、ばかりじゃない日が……ようやく)


 その一文を書くだけで胸がじんとした。


 布団へ身体を沈める。

 横向きになっても、悲鳴を上げる痛みが来ない。


(……ああ。本当に軽い)


 目を閉じると、太陽の小花の香りが微かに蘇った。

 黄色い光のような、やわらかな残り火。


(明日……ちゃんと起きられそうだな)


 その小さな希望に包まれながら、

 彼女は静かに深い眠りへ落ちていった。


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