第40話:街への支度(つなぐの灯)
薄いカーテンの向こうで朝の光が揺れていた。
地球のナオキのアパートは静まり返り、電子音だけが小さく空気を震わせた。
ベッドの端で背筋を伸ばし、膝に置いたノート端末の電源を入れる。
青白い光が暗がりを押しのけ、ホーム画面がゆっくり立ち上がった。
通販サイトを開くと、飾り気のない画面にずらりと並ぶ商品説明。
ナオキは真剣に指を走らせた。
「保存食……調味料……非常用ろうそく、乾電池……いや、電力は向こうじゃ使えないな。
折りたたみバケツ、携帯浄水器、圧縮タオル……文明、飛び越えすぎか」
小さく苦笑しつつ、手は止まらない。
“異世界で役に立つもの” を選び、タブレットに次々保存していく。
オフラインで読めるよう説明文も画像も変換して、メモに要点を書きつける。
「リヴに見せたら、また喜ぶだろうな」
そう呟いて端末を閉じた。
それは彼にとって、“地球の知恵を持ち出す”ための、最初の小さな試みだった。
――ウロの拠点。
木漏れ日の奥、ナオキはリュックから同じ端末を取り出す。
画面に灯った薄い光が、森の空気に馴染むように溶けた。
「なになにー?」
リヴが覗き込み、目元をほころばせる。
「地球の“道具屋”みたいなものだよ。欲しいものなら、ほとんど揃ってる。
向こうじゃもう繋がらないから、必要そうなものを持ってきた」
「だうん……ろーど?」
「情報を持ち運ぶって意味だ。向こうでは、知識も商品も全部“形のないデータ”になる」
「へぇぇ……!」
驚きがそのまま瞳に光った。
「じゃあさ、お菓子は? ある?」
「もちろん。甘いものの宝庫だ」
ナオキが“お菓子”のフォルダを開くと、
プリン、シュークリーム、どら焼き、バームクーヘン……画面が甘さで埋め尽くされた。
リヴは息をのむ。
「……きれい。これ、全部食べ物なの?」
「一応な。だけど……」
ナオキは苦笑し、指でプリンの画像を弾いた。
「持ち歩けば溶けるし、冷やさなきゃ固まらない。
森を抜けて街へ届くまで、まず保たない」
「むぅ……残念すぎる」
肩を落としつつ、すぐまた顔を上げる。
「じゃあ、こっち。“くりーむぱん”! 中に甘いの入ってるんでしょ?」
「卵も乳も入ってる。旅には向かない」
「異世界の壁……厚い」
ナオキは少し考え、別ページを開いた。
「でも、飴やクッキーなら大丈夫だ。長く保存できるし、包装も簡単だ」
「ほんとに!? 甘い匂いで、お客さん呼べるね!」
ナオキは笑いながら端末を閉じた。
「前に一緒に食べたプリン……いつか、この世界で作ってみよう。
“プリンを売る日”を目標にしたっていい」
リヴは顔を輝かせる。
「街の子どもたちが『ぷりん!』って叫ぶんだよね!?」
「いいだろう、“森のレシピ”。看板に書くか」
「かわいい、その名前!」
笑い声が小屋に広がり、光に溶けた。
プリン――その小さな甘味の夢は、
この世界で生きていくための灯りになるのだと、ナオキは感じていた。
――地球のアパート。
同じ端末の画面が、薄暗い部屋を静かに照らしている。
さきほどのリヴの笑顔を思い出しながら、ナオキは息をひとつ吐いた。
画面を切り替える。
そこには、地球で彼が営んでいたリラクゼーションサロン
《つなぐ》の管理アプリが映っていた。
最後の営業記録は三ヶ月前。
施術メモ、予約一覧、常連客の名前……
どれも愛おしかった日常なのに、今は遠い記憶のように見えた。
ナオキはしばらく画面を見つめ、それからゆっくり指を伸ばした。
「一時休業 ――理由:長期出張」
ピ、と小さな音が鳴り、表示が切り替わる。
“休業中”の文字は、不安を含みながらも、不思議と背中を押してくれる文字だった。
「……これで、一区切りだな」
小さく呟く声は少し寂しげで、でも確かな決意を湛えていた。




