第39話:静かな警戒網
朝の森は、夜の名残をまだ少し抱いていた。
霧の向こうで鳥が鳴き始め、ウロの周囲に淡い光が満ちていく。
リヴは火床の灰を掻き混ぜながら呟いた。
「昨日の夜、もう少し早く気づけたら、落とし穴まで来る前に分かったかも。」
ナオキは頷きながら、メモをめくった。
《魔力波ソナー:探知成功・持続不可》
「うん。けど、魔力ソナーは“持続”が問題だな。
波を出し続けたら制御だけで手一杯になる。」
「確かに……感覚を広げるほど、体が止まる。
視るために動けなくなる感じ。」
「つまり、“索敵を維持しながら行動”は非現実的。
なら、現代式で補うしかない。」
そう言って、ナオキはリュックから小さなケースを取り出した。
中には手のひらサイズの機械がいくつも入っている。
「なにそれ?」
「Bluetoothモジュール。センサーを繋げて、無線で信号を飛ばす。……いわば電子鳴子だ。」
リヴが首を傾げる。
「ぶるとーす? もじゅーる? デンシの鳴子?」
「そう。赤外線センサーで熱反応を検知して、Bluetoothで中継して知らせる。
鳴子が“音で知らせる”なら、これは“光と信号で知らせる”んだ。」
ナオキはしゃがみ込み、木の根元にセンサーを設置する。
レンズのような部分を森の方向に向け、角度を微調整した。
「ここで誰か、あるいは何かが通ると――」
ピピッ、と小さなLEDが点滅。
同時に、リヴの首もとに下げた小さな端末が青く光る。
「……光った!」
「成功。反応は一秒遅れ。鳴子より静かで、距離もある。
しかも、中継機を置けば五十メートル先まで届く。」
リヴは目を丸くした。
「すごい……魔法でも鳴子の代わりはできないよ。さすがカガクの力だね。」
ナオキは笑い、肩をすくめた。
「リヴの魔法に遅れをとってたけど、こういうのはまだ地球の道具が優れてるね。」
「確かに……いつか魔法で再現できたらいいな。」
リヴは胸の前で拳を握りしめる。
「リヴ式・持続鳴子センサー魔法!!」
ナオキが吹き出す。
「そこまで再現されたら……俺の役目がなくなるな。」
「そのときは一緒に改良して、“共同開発”ってことで!」
二人は笑い合い、朝の光が木漏れ日となって落ちてきた。
昼までに、二人は周囲へ小型センサーを設置していった。
方位ごとに三台ずつ、Bluetoothで連結し、中央の受信端末を小屋に固定。
通信が切れない範囲を確認しながら、試験的に森を歩いた。
リヴが枝の影を横切ると、ウロから微かな青い光が点滅する。
「うん、完璧。森が私たちを“覚えた”みたい。」
「いや、“観測してる”んだ。違いは大きいぞ。」
「でもね、ナオキ。こういうの、ちょっと楽しい。」
「ん?」
「魔法じゃなくても、“気づける”っていい。
危険が来る前に準備できるって、勇気になる。」
ナオキは笑った。
「お前、もう完全に防衛技術者だな。」
夕方。
全てのセンサーが稼働状態になり、中央端末が淡く点滅していた。
通信試験は成功。遅延は一秒以下。反応距離はおよそ四十五メートル。
リヴが手を叩いて喜ぶ。
「これで、もう夜の森も怖くないね。」
「いや、油断はするな。敵はまだ魔法を使う世界の生き物だからな。」
「じゃあ、魔法と科学、二つで守ろう。」
ナオキは頷き、地図の端に新しい記号を描いた。
《警戒網設置:Bluetooth赤外線センサー稼働/範囲半径50m》
焚き火の火が、センサーの青いランプを淡く照らす。
それはまるで――森の中に浮かぶ、目に見えない要塞のようだった。
夜半を過ぎたころ。
風向きが変わり、焚き火がぱちりと弾けた。
――ピピッ。
センサーの微かな音。
リヴが目を開くより早く、ナオキは手を伸ばしてランタンを消す。
「……来たな。」
闇の奥で、低い唸り声。
ゴブリンだ。三体、いや四。
リヴが静かに立ち上がり、矢筒に手をやった。
「私、外に出る。」
「待て。様子を見る。」
ナオキは地面に耳を当て、息を潜めた。
草を踏みしめる重い足音。
それが一歩、また一歩と小屋の外周へ近づいて――
ずるっ。
短い悲鳴とともに、闇の中で何かが落ちる音がした。
すぐに二つ目、三つ目。
「落ちた……!」
「外周の落とし穴だ。深さ五十センチ、斜めの壁。上がれない。」
続けざまにセンサーが反応する。
リヴが弓を引き、矢を一本だけ放つ。
火の粉のように光った魔力の矢が、夜気を裂いた。
ゴブリンの叫びが途切れる。
森が再び静寂を取り戻す。
夜明け前。
リヴが外に出て、罠を点検する。
落とし穴の中には絶命したゴブリンたちが数体、泥まみれで転がっていた。
「魔法で深く掘って埋めよう。死体を置くと匂いで魔物を呼ぶ。」
リヴが小さく頷き、魔法で死体を埋めた。
二人で淡々と作業を進めるその姿は、戦闘というより“片付け”に近かった。
ナオキは肩をすくめて呟く。
「……まるで要塞だな。」
リヴが笑って、胸を張る。
「ふふ、“キャンプの魔法使い”の防衛魔法だもん。」
「いや、もうそれ“野戦築城士”だろ。」
「じゃあ、肩書きに追加していい?」
「やめとけ、名刺が二段になる。」
二人は笑いながら片付けを終えた。
朝日が差し込み、森がまた息を吹き返す。
ナオキは地図の端に、新しい記号を描いた。
《防衛実験:成功/電子警戒網有効》
ナオキは立ち止まり、振り返る。
森の奥で青い光が点滅し、まるで小さな命が瞬いているようだった。
「……これで、夜は完全に味方だ。」
リヴがうなずく。
「うん。魔法でも、機械でも、森を“守る”ことに変わりはないね。」
風が木々を渡り、電子の光が静かに瞬く。
それはまるで、文明と自然の境界に灯る静かな警戒の灯だった。




