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『32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~』  作者: ひろボ


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第36話:森を越える、十五日の息

「一度、街まで行ってみたいな……。

 どれくらいかかる? ――街に行ったときのことを、教えてくれ。」


 そう問いかけると、リヴは少し驚いたように瞬きをした。

 そして、懐かしむように微笑んで頷く。

 ------------------


 ◆リヴ(回想)


 ウロを出て、五日目の朝だった。


 街までの往復は、およそ三ヶ月――。

 森を抜け、街道に出て、野営を繰り返す長い旅。

 それでも私は、歩かなければならなかった。

 ナオキから託された使命。


 “戻ってこいよ。ちゃんと。”


 その言葉だけを、何度も何度も心の中で繰り返した。


 ---


 森を抜ける道は、昼でも薄暗い。

 風が木々を揺らし、遠くで獣の声がした。

 私は腰の短弓を握りしめ、慎重に進む。


 足元の湿った土には、時おり爪跡が残っていた。

 ゴブリンか、それともヒュートか。

 どちらにせよ、見つかったら厄介だ。


 だから私は、息を整えて“できること”を並べた。

 靴底に布を巻き、足音を殺す。

 風下を選んで進み、匂いが流れないように汗をこまめに拭う。

 土を指でひとなでするたび、乾いた葉を避け、柔らかい地面に足を置く。

 気配に気づけば、しゃがんで呼吸を浅くし、通り過ぎるのを待つ。


 二度、獣の影と目が合いかけた。

 一度は木の幹の裏に体を貼りつけ、もう一度は泥に身を沈めて匂いを消した。

 泥は冷たくて、ひざから下の感覚がすぐになくなる。

 歯の根が合わなくなるほど震えたけれど――動かなかった。


 その日、私は一度も見つからずに森を越えた。

 足は震えていたけれど、胸の奥が少しだけ誇らしかった。


 ---


 夜は、木の根元で火を起こす。


 湿った苔を乾かして、火打石で火をつける。

 ……はずだった。


 何度石を打っても、火花は落ちるのに、火はつかなかった。

 指は冷えて、焦りだけが積もっていく。

 このままだと、夜の冷えに負ける。牙のあるものに近づかれる。


 そこで私は、腰の袋から小さな銀色の道具を取り出した。

 ナオキが「ライター」と呼んでいたものだ。


 くい、と親指で回すと、火花と同時に小さな炎が生まれる。

 信じられないくらい簡単に、確実に、そこに“火のはじまり”が現れた。


 そのとき私は、本当に胸の奥から息がこぼれた。

「……ナオキ、ありがとう」


 苔に火種が移り、やがて小さな炎が枝に噛みつく。

 ぱちぱちと小さな音がして、オレンジ色の光が闇を押し返す。

 世界の端っこみたいだった林の中に、ようやく“自分の場所”ができた。


 一日目の夜は足に水ぶくれができ、二日目の夜は踵が割れた。

 布を裂いて足首を巻き、朝は歩く前に油を少し擦り込む。

 それでも擦れるところは擦れる。


 転んだとき、棘で裂けた脛からは血がにじんだ。

 川の手前で水を汲んで、その水で傷を洗い、折りたたまれた清潔な布で押さえる。

 そのあと――私は小瓶の栓をそっと開けた。


 ナオキがくれた、薬草の軟膏。

 ただの薬だって言っていたけれど、私にはそう思えなかった。


 透明で、指先で触るとほんの少しあたたかい。

 塗ると、痛みがふっと遠のく。

 裂け目の赤が落ち着き、にじんでいた血が止まる。

 皮膚の端どうしが、もう一度手をつなぎ直すみたいに寄っていく。


「ほんとに……すごい。これ、あなた何者なの」


 火の明かりの中で、その言葉が勝手に口からこぼれた。

 もしこれがなかったら、私はその場で寝込んで、朝にはもう動けなかったと思う。

 それくらい、身体はぼろぼろになっていってた。


 痛みは消えないけれど、立ち止まれば冷えが骨に入り込む。

 だから私は立ち上がって、また次の朝に備える。


 その光の中で、干しキノコをかじった。

 固くて、噛むと土っぽい味と苦みが先にくる。

 口の中の水分を全部持っていかれて、喉に引っかかる。


 けれど、あの“ふわふわのクリームパン”を思い出すたびに、胸が温かくなった。

 あの甘さは柔らかかった。

 噛む必要がないのに、噛むたび幸せが出てくるみたいな味だった。


 焚き火の明かりを見つめながら、私は小さく息を吐いた。

「ちゃんと、帰るからね」


 それが、祈りにも誓いにも聞こえた。


 ---


 七日目の昼、古い獣罠に足を取られた。


 草の中に隠されていた輪が、足首をはね上げるみたいに締まった。

 倒れた瞬間、喉の奥で悲鳴がせり上がった。

 でも声は出さなかった。声を出せば来るから。


 鉄は錆びていて、もう全力では締まらない。

 でも、それでも痛みは鋭かった。

 私は手探りで枝を拾い、輪と輪の間に差し込んで、てこのようにこじった。

 縄が少しだけ緩む。

 歯で縄を噛んで、ひっぱって、裂けるまでしつこくやった。


 ようやく足が抜けたとき、視界が白くなりかけた。


 なんとか腰を下ろして、腫れかけた足首に手を当てる。

 じんじん熱い。血が集まってきてるのがわかる。


 私は荷から布を取り出し、濡らして冷やした。

 そしてまた、小瓶のふたを開けた。

 その軟膏を、腫れの縁に沿ってそっと塗る。


 冷たくも熱くもない、不思議な感覚。

 皮膚の下で、ぶわって広がる怖さが少しずつ落ち着いていく。


「ナオキ……これなかったら、たぶん、ここで終わってた」


 思わず、声にして言っていた。


 歩き出すときは歩幅を半分にして、膝で体を支えるように進んだ。

 痛い一歩、痛い一歩、それでも前へ。

 あのときは、涙より先に息が震えた。


 ---


 八日目、川を渡った。


 水は膝の上まであって、思っていたより冷たかった。

 一歩踏みこむたび、胸の奥がぎゅっと縮む。

 しばらくすると足先の感覚が消えて、どこまでが自分の体なのか曖昧になってくる。


 流れに押されないよう、長い枝を二本拾って杖にした。

 三点で突くようにして、膝を抜かさないように踏んばる。

 荷は頭の上に持ち上げたまま。

 肩は痛い。でも濡らせない。


 反対側の岸にたどり着いたとき、私は膝から崩れた。

 砂の上でしばらく動けなかった。


 それでも、止まってると寒さが牙になるから、すぐに靴を脱いだ。

 草を詰め替えて、濡れた布は火のそばへ並べる。

 足の皮がふやけすぎてめくれてしまわないように、手のひらでそっと押さえて乾かす。


 乾くまでの一時間が、永遠に感じられた。

 ひとりきりの永遠だった。


 ---


 十日目。


 森を抜けたとき、初めて“道”らしいものを見た。

 車輪の跡、馬の蹄の痕。

 誰かが、ここを通った証。


「ここからが……街道か。」


 空気が少しだけ乾いて、風がひらけた。

 森の匂いが薄れ、土と太陽の匂いが広がる。

 ずっとまとわりついていた湿った冷たさが、やっと背中から離れた気がした。


 けれど、油断はできない。

 昼下がり、丘の上で黒い点が四つ、ゆっくり動いた。

 人の形にも獣の形にも見えて、どっちでもありそうな歩き方。


 私はしゃがみ、目を細めて距離を測る。

 あれは、こっちに気づいていない。

 でも、こっちが道に出たら、絶対に気づかれる。


 進路を変えた。

 道を外れ、低木の陰から陰へと移る。

 足跡は草目を逆になでて消す。

 喉は渇いたが、水筒の残りは半日分――舌を湿らすだけにした。


 私は安全な丘の肩を見つけ、風を背にする位置に野営地を作った。

 焚き火は小さく、遠くから見えないよう石で囲う。

 夜の間に煙が高く上がると目立つから、湿った枝は入れない。

 煙が低くたなびく夜は火を落とし、代わりに温めた石を布で包んで抱いて眠る。


 寝る前には足跡を葉で払い、食べ物は木の枝に吊るした。

 匂いで寄ってくるものを、寝ている私に近づけたくなかった。


 焚き火の煙が夜空へ昇り、星々が瞬く。

 火を見ながら、私はナオキの顔を思い出した。


「ナオキ……いま、何してるのかな。」


 その言葉が、風に乗って消えた。

 でも、不思議と心は静かだった。

 “ちゃんと戻る”って、自分で自分に言えたから。


 ---


 十三日目、雨に降られた。


 低い岩棚を見つけて避難したが、枝は濡れて火がつかない。

 指は冷たくかじかんで、力が入らない。

 服はすぐ重くなる。肩が冷えると、心まで冷える。


 私は唇が紫に冷えるのを感じながら、声を出した。

 歩いた距離と、見たものと、今の空と、痛い場所。

 歌ってるみたいに、つぶやくみたいに。

 声に出すと、孤独は少しだけ小さくなる。


 デイパックの底を探り、小さな布包みを取り出した。

 中には、ナオキがくれた“地球の乾パン”。


 指で割ると、ほんの少し甘い香りが広がる。

 ひと口。

 固いけれど、優しい味がした。

 それだけで、心が満たされていく。


「……ナオキ。」


 その名を呼ぶと、不思議と寒さがやわらいだ。

 たった一人の夜なのに、寂しくなかった。


 雨が上がる頃には、靴ひもが切れていた。

 予備の紐はない。

 私は蔦を撚り合わせて太くし、二重に結んだ。

 歩き出すと、結び目が踵に当たって痛んだが――前に進んだ。


 ---


 十五日目の朝。


 霧が晴れ、丘を越えた先に街が見えた。

 尖った塔、煙を上げる煙突、人の声のようなざわめき。

 石壁の上で旗がはためき、屋根の向こうで小さく鐘の音が揺れた。


 胸の奥が震えた。

 これが、“文明の音”だ。


 私は膝をつき、空を仰ぐ。

 涙があふれた。

 汗と雨と泥の味が、口の中でようやく薄れていく。


「ナオキ……やっと、ついたよ。」


 ウロを出て十五日。

 私は、再び“人の世界”へと足を踏み入れた。


 思わず笑って、空を見上げた。

 青空が、ウロの森の空に似て見えた。

 けれど、胸の重みはもう違っていた――

 私は、自分の足でここまで来たのだ。


 ---


 ◆ウロ(現実)


 リヴの話を聞いている間、ナオキは目の前の机の上に広げた地図をそっと指でなぞっていた。

 リヴが通った森、川、迂回した丘、そしてようやく辿り着いた街の位置。

 指先が止まるたび、焚き火のはぜる音だけが、静かに間を埋めた。


 回想が終わると、ナオキは深く息を吐いた。

 言葉を選ぶ時間が、少しだけ長くなる。


「十五日か……地図で引いた線より、ずっと遠かったんだな。」

「川も、罠も、雨も……全部ひとりで越えたのか。」


 声は低かった。

 聞き返しているふりをして、実際には自分の心を落ち着かせようとしているみたいな声だった。


 彼はリヴの方へ回り込み、しゃがんで目線を合わせた。

 泥の色がまだ抜けきらない布の端。

 指の関節に残る小さな擦り傷。

 結び直した靴ひもの跡。

 そして、冷えきって固くなってしまったはずの手が、今はちゃんと温かいこと。


 どれも、語った旅路の真実だった。


「怖かったろ。」


 それだけ言うと、胸の奥が勝手に熱くなった。

 喉の奥がきゅっと痛くなる。

 “あのまま戻ってこなかった場合”の光景が一瞬でも頭に浮かんだこと自体が、もう腹立たしい。


 リヴは少しだけ笑って、首を横に振る。

 けれど次の瞬間、強がりの糸がほどけたみたいに視線が揺れた。

「……うん。ちょっとだけ。」


 ナオキはためらわず、彼女を抱きしめた。

 力を入れすぎないように、でも離さないように。

 もしもう二度と会えなかった未来があったなら、その未来ごと握りつぶすように。


「よく帰ってきた。――本当に、よくやったな。」


 リヴの指がそっとナオキの服の裾をつまむ。

 震えは、もうほとんどなかった。

 肩口に、小さな息があたたかく触れた。


「……ただいま、ナオキ。」


 その言葉は、ほっとした安堵というより、誇らしい報告みたいに聞こえた。


 ナオキは、彼女の頭に手を置いたまま目を閉じる。

 胸の奥で、何かがほどけていく。


 焚き火がぱちりと弾け、ウロの中にやわらかな光が広がった。

 外の風音は遠く、ここだけが確かな帰る場所だった。


あとがき書いてたら感情移入しすぎて、気づけば本編級の分量に……。

今回は「魔法なし・地道な工夫だけ」で十五日を越えるリヴを丁寧に描きたくて、火起こし、足の手当て、雨宿り、野営――どれも削れませんでした。

少しでも“生き延びる手触り”が伝わっていたら嬉しいです。

次回はトーンを明るく、テンポも軽く。自分でも「そろそろ街に行け」と思ってますが、その前振りとして積み上げた経験をちゃんと物語に活かします。

ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。

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