理の外側、森の向こうに見えたもの
朝の光が差し込むよりも早く、リヴは目を覚ました。
胸の奥がどくどくと脈打っていて、息がうまく整わない。
見ていた夢の残像が、まだ瞼の裏に焼きついていた。
――森が沈んでいく夢だった。
木々が音もなく折れ、空がゆっくりと裏返る。
何かが壊れる音ではなく、「ほどけていく音」。
その中心で、誰かが静かに笑っていた気がする。
でも、その顔は思い出せなかった。
リヴは汗を拭いながら、毛布をかぶって小さく息を吐く。
「……夢、だよね」
小鳥の声が聞こえる。
ウロの外では、朝の風がやさしく木々を撫でていた。
それでも、胸のざわめきだけは消えなかった。
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少しして、ナオキも起きてきた。
リヴの顔を見て、首をかしげる。
「おはよう。なんか寝不足顔だな」
「うん……ちょっと、怖い夢を見たの」
「どんな夢?」
リヴはしばらく考えてから、ぽつりと呟いた。
「森が、崩れていく夢。
音も光も、ぜんぶ静かに消えていくの」
「……なるほど。派手な悪夢より、そういう夢の方が怖いな」
「ね。目が覚めても、まだ“落ちてる”気がする」
ナオキは椅子に腰かけ、湯を沸かしながら考え込んだ。
「理術的な意味で言えば、“崩れる”ってのは、
エネルギーの偏りとか、バランスの崩壊を示す言葉なんだけど……」
「うん。でも、夢の中では違った。
なんていうか、“世界が眠ろうとしてる”感じ」
「眠る?」
「そう。理が、動くのをやめてるような」
ナオキは黙ってカップにお湯を注いだ。
湯気が立ち上り、朝の光がそれを透かす。
その白い揺らめきが、ほんの一瞬――リヴには森の霧に見えた。
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「……もしかして、疲れてるんじゃないか?」
ナオキが笑いながら言う。
それは気遣いの声であり、現実的な人間としての反応でもあった。
「昨日の探索も長かったしな。
魔法の使用は、知らないうちに精神エネルギーを削る」
「うん……そうかもね」
リヴは少しだけ笑い返す。
でも、胸の奥では――夢の中で見た“静かな崩壊”が、まだ鳴り止まない。
「ねぇナオキ。もし、世界の理がゆっくり壊れていったら、どうなるの?」
「理が壊れる? ……いや、正確には“理の前提が変わる”だな。
例えば、魔法や物理の法則が一部変化しても、
世界そのものは、それに“合わせて再構築”される」
「それって、元の世界とはもう違う世界になるってこと?」
「そうだな。
でも――“滅び”ってのは、必ずしも“終わり”じゃない。
構造が変わるだけ、かもしれない」
「……なんか、それ、少し怖いね」
「俺もだよ」
二人の間に、少しの沈黙が落ちた。
湯気が揺れ、森のざわめきが遠くで響く。
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午前の日差しが差し込み、ウロの中はやわらかい光に包まれていた。
リヴは外を見ながら、心の奥で小さく呟く。
(ねぇ、この世界は、どこまで“理”でできてるの?)
彼女の中で、その問いはずっと消えなかった。
理術を学ぶほど、世界の“法則”の脆さを感じるようになっていた。
それは知識ではなく、感覚――直感的な“不安”だった。
「ナオキ」
「ん?」
「……もし、世界が少しずつ変わっていくなら、
それを“治す”方法ってあるの?」
「理を治す……難しいな。
けど、理が壊れるなら、きっとそれを“見届ける人”も必要だろう。
君の夢が、もしかしたらその“前触れ”なのかもしれない」
「見届ける人……」
「そう。俺たちは、それを観測する側だ」
ナオキはそう言って笑った。
その笑みは不思議と穏やかで、どこか“覚悟”にも見えた。
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午後になって、森の風が少し強くなった。
木々がざわめき、ウロの天井から落ち葉がひとひら、
リヴの膝の上に落ちた。
それを見つめて、リヴは小さく微笑んだ。
「ねぇナオキ」
「ん?」
「私ね、世界が壊れても、ナオキが隣にいれば大丈夫な気がする」
「それ、軽く言うなよ。責任が重い」
「えへへ、冗談。でも、ほんとにそう思ったの」
ナオキは少し呆れたように笑って、湯の入ったカップを差し出した。
「はい。理のバランスを整える、朝の一杯」
「これ、ただのお茶じゃない?」
「理の詠唱を省略しただけだ」
「それ、ずるい!」
ウロの中に笑い声が広がる。
その響きは確かに“日常”の音だった。
けれど、リヴの心の奥では、まだあの夢の“静かな崩壊”が、
かすかに形を保って揺れていた。
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夕方、ナオキは外で小さなメモを取った。
・リヴ、夢に理層崩壊の兆候。
・感覚的予知の可能性あり(要観察)。
・現実に異常はなし。環境安定。
書き終えたあと、彼は深く息をついた。
「異常なし、か。……そうであってほしいな」
森の奥から、風が吹いた。
それはいつもの風。けれどほんの一瞬だけ――
木々の影が、わずかに“反転”したように見えた。
ナオキは気づかない。
けれどリヴは、その瞬間、微かに寒気を覚えた。
――理が、少しだけ軋む音がした。




