現実が、夢に追いつく日
ウロの小さな空間は、プリンの甘い香りに満ちていた。
リヴは両手でカップを抱え、目を細めている。
その表情は、荒野を生き抜いた戦士ではなく、ただの少女の笑顔だった。
ナオキはその姿を見つめながら、静かに息を吐いた。
(この笑顔……これからも大切に……)
リヴはカップの底を覗き込み、名残惜しそうに呟く。
「ねえ、ナオキ。あなたの世界って、いつもこんなに甘いの?」
「いや、苦いことのほうが多いよ。」
ナオキは苦笑して肩をすくめた。
「だからこそ、たまにこういう“甘いもの”があると救われるんだ。」
「ふぅん……」
リヴはスプーンを回しながら考えるように首を傾げる。
そして、ぽつり。
「じゃあ、わたしにとっての“プリン”は……ナオキかも。」
「ぶっ……!?」
思わずむせた。リヴが楽しそうに笑う。
「ふふ、冗談だよ。顔、真っ赤。」
「……お前なぁ、心臓に悪いこと言うなよ。」
そう言いながらも、ナオキの胸の奥に、
小さな熱のようなものが残っていた。
(……守りたい、と思った)
その感情が、彼の中で確かな決意へと変わっていく。
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アパートに戻ると、机の上には学費の請求書が置かれていた。
看護師になるために必要な二年。
だが、今のナオキには、リヴを支える時間が足りない。
彼は看護学校の休学届を書き、封を閉じた。
介護の仕事は続ける。
生活の基盤は必要だし、夜勤を減らせばポータルの時間も取れる。
――現実を捨てるんじゃない。
動かすんだ、夢のほうへ。
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数日後。
ナオキは自室でノートパソコンを開いていた。
検索窓には「副業 時間の自由 資格不要」と入力されている。
「リラクゼーション……もみほぐし業か。」
国家資格はいらず、手技と衛生知識があれば開業できる。
顧客管理もネット予約にすれば、時間を完全にコントロールできる。
「これなら……いけるかもしれない。」
ナオキは濃度調整した薬草軟膏とエナジーキノコがある。
あれを使用すれば、疲れにくく集中力も上がる。
それを施術のクオリティ向上に使えば、“合法的なチート”になる。
「看護で学んだ解剖生理も活かせるしな。」
手元のノートに、“完全予約制リラクゼーションサロン計画”と書き込む。
物件費用、広告、必要な備品、ベッド……全て洗い出していく。
小さく息を吐き、ノートを閉じた。
「――名刺、作るか。屋号は……“つなぐ”でいい。」
ウロと地球。
二つの世界をつなぐ“手”の意味を込めて、ナオキは笑った。
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翌日。
「休学……?」
職場の休憩室で、美咲が目を丸くした。
「看護の勉強、続けないの?」
「しばらく休みます。少し時間の自由が欲しくて。」
ナオキはなるべく穏やかに言った。
「また何か考えてるでしょ。」
美咲は半分冗談のように笑うが、すぐに真剣な表情になる。
「無理だけはしないで。あなた、倒れるタイプだから。」
「はい。気をつけます。」
そう答えると、美咲は安心したように息を吐いた。
「……でも、ナオキくんが何かを“守りたい”って顔してるの、初めて見たよ。」
ナオキは少しだけ目を伏せ、笑った。
「そう、かもしれません。」
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数日後、ウロ。
リヴはノートを開き、真剣な顔で魔法の練習をしていた。
周囲には紙と鉱石片、そしてナオキが用意した資料の山。
「よし、もう一回やってみよう。」
「うん!」
リヴは両手を前にかざす。
空気が震え、淡い光が手のひらに集まる。
……が、ぱちん、と音を立てて消えた。
「もぉ〜! 時間魔法ってなに!?
“流れてる”のに、止めようとしたら消えるんだもん!」
「“流れ”じゃなくて、“動き”なのかもな。」
ナオキは隣に腰を下ろし、資料を指でなぞった。
「俺たちは“時を感じる”ことしかできない。
でも、“触る”ことはできない。
……だから、君が困ってるのも当然だ。」
リヴは唇を尖らせた。
「ナオキでも、わからないの?」
「もちろん。地球の科学でも、時間の正体はわかってない。」
「じゃあ、だれも知らないんだ……」
「そう。でも、“知らない”って、悪いことじゃない。」
ナオキは微笑んだ。
「わからないから、みんな考える。
それが、学ぶってことだろ?」
リヴはしばらく考え、そしてふっと笑った。
「……そっか。じゃあ、次は“次元”のほう、試してみる!」
両手を前にかざす。
空間がかすかに歪む――が、また霧のようにほどけた。
「うぅ……“重なる”感じまでは掴めるのに!」
悔しさに唇を噛むリヴに、ナオキは笑みを浮かべる。
「焦らなくていい。
たぶん、それを“感じてる”だけで、もう一歩進んでるよ。」
リヴは小さく笑い返した。
「……じゃあ、もうちょっと頑張る。」
「うん。俺も、こっちでやれることをやってみる。」
ウロの空間に、小さな光が生まれ、ゆらめいて消える。
ナオキはその背中を見ながら、少しだけ口元を緩めた。
「……まったく。
こっちは現実で揉んでんのに、そっちは時空かよ。」
リヴが吹き出した。
「ナオキ、やっぱり変な人だね!」
「知ってる。」
二人の笑い声がウロに響いた。
その音は、どこか現実と夢の境目に溶けていった。




