静かな学びと、新たな発見
ナオキは、リヴの体力が少しずつ戻っていくのを見守りながら、そっとその手を握った。
小さな手だった。触れた瞬間、指先の冷たさがすぐに分かる。
包み込むように握ると、細い指がかすかに揺れた。
「疲れただろ……無理してないか」
声音は、ごく静かだった。
リヴを驚かせないように、壊れものを扱うような優しさが滲んでいた。
リヴはゆっくり瞬きをし、小さく視線を伏せた。
胸の早鐘はまだ収まらない。
それは疲れだけではなく、この場所を“安全だ”と体が思い出しはじめたからだった。
頬がうっすら赤くなる。
長い耳がわずかに震えた。
「……うん……だいじょぶ……でも……ちょっと……はなす……したい……」
弱く、遠慮がちで――それでも確かに前に踏み出そうとする声。
ナオキはその気配を感じ取り、ゆっくり頷いた。
「いいよ。ゆっくりで大丈夫だ。……じゃあさ、魔道具の話、もう少し聞かせてほしい。どんなのがあるんだ?」
問いかけの圧をできる限りなくし、
“聞きたいけど無理はするなよ”という気配を混ぜる。
リヴは言葉を選ぶように少し考えた。
視線が宙をさまよい、記憶を手繰るその仕草に、健気さが滲む。
「わたし……しってるの、すこしだけ……。むらの人、とか……ぎょうしょう人……ときどき、ぼうけん者くる……その人たちの……はなし……」
言葉が途切れるたび、胸の前で指がきゅっと重なる。
誰かを騙すような性格ではない。
十五歳の少女が集めた、限られた知識をまっすぐに差し出しているのが分かった。
「それで十分だよ。どんな噂でもいい。杖とか、小さい装置とか……どんなの?」
「うん……なんかね……つえ、光る……とか……。ちいさい箱……ひと、気持ちで“うごく”……とか……。しくみは……わからない、けど……」
たどたどしく、単語だけ先に出る。
それでも懸命に伝えようとしているのが分かった。
ナオキは、自然と頬をゆるめた。
「なるほど。十五歳の情報網だけど……逆にすごく生活に近い生の情報だな」
軽い調子に合わせるように、リヴも小さく笑った。
「……そう、かも……。はなすの……すこし……たのしい……」
その言葉が出た瞬間、ナオキの胸がじんわり温かくなる。
張りつめていた少女が、ようやく“会話を楽しむ余裕”を見せはじめた。
その変化が救いのように思えた。
「リヴ……君の名前は“リヴネ・モーア”。十五歳の……ハーフエルフだよな?」
確認するように、ひとつずつ丁寧に言葉を置く。
「うん……。わたし、半分エルフ……。でも……みんなの……やくに……たちたい……」
慎ましく、けれど芯のある願いだった。
ナオキは優しく頷いた。
「十五歳でそれだけ考えてるなら、十分すごいよ」
リヴは胸の奥があたたまり、ほんの少しだけ笑った。
その笑みは弱くて、小さくて、消えてしまいそうで――
けれど確かにそこに咲いていた。
(……この人……ハーフエルフでも……いやな顔……しない……)
その気づきは、リヴの心をそっと揺らした。
「……いま……むり、しない……。ここで……すこしだけ……あなたと……はなす……それで……いい……」
安心が言葉の端ににじみはじめる。
ウロには静かな時間が流れた。
二人は少しずつ、互いの世界を知りはじめていく。
「ねぇ……ナオキ……あなたの世界……どうして……あまいもの……いっぱい? べんりな……ものも……たくさん……?」
質問が大きすぎたと思ったのか、リヴは袖をつまんで視線を落とした。
ナオキはすぐに笑って、力を抜かせる。
「ゆっくり教えるよ。全部まとめてじゃ、たぶん大混乱するだろ? 知りたいときに、知りたいことだけ聞いて」
その言葉があまりに優しくて、リヴは息をのんだ。
安心が胸いっぱいに広がり、かすかな笑みがもれた。
「……うん。そうしてくれる……うれしい……」
その素直さが、ナオキにはただ愛おしかった。
ナオキは、湯気で少し温まったクリームパンを差し出した。
「食べる? 無理して食べなくてもいいけど」
リヴは少し迷い、そっと手を伸ばす。
ふわりと沈む柔らかさに、目がわずかに開かれた。
「……やわ……」
ひと口。
甘さが舌に触れた瞬間、肩が小さく震えた。
「……これ……てん……じょう……そらの……おかし……みたい……」
ナオキは思わず笑ってしまう。
だがその表情には、侮蔑なんてひとかけらもない。
ただ、解けるような優しさだけがあった。
「天上のお菓子って……すごい例えだけど……気に入ってくれたならよかった」
リヴは頬を赤らめる。
(……ほんと……ちょろい……わたし……)
でも、その気づきは不思議と嫌じゃなかった。
「……ナオキ……これ……ありがとう……」
今日だけで何度目かの礼。
けれど一つひとつが違う重さで胸に落ちる。
「君が無事で……こうして食べられるなら、それでいい」
その言葉に、リヴの胸がまた小さく跳ねた。
「ねぇ……ナオキ……」
小さな声に、ナオキは顔を上げた。
リヴの目は伏せられ、言葉を探している。
「こうやって……ゆっくり……はなす……はじめて、かも……。いままでは……ずっと……はしって……うごいて……」
「ああ。そうだな。でも、これからは……こういう時間も、大事にしよう」
その瞬間、リヴは肩の力を抜き、柔らかく目を細めた。
「……もっと……しりたい……あなたのこと……あなたの世界……」
告白の一歩手前のような、小さくて真剣な声だった。
ナオキは静かに頷く。
互いを知ること――
それが、この先の長い旅を支える力になる。




